2019年6月19日 (水)

誕生日という節目

誕生日である。
この齢になってくれば、誕生日と言っても「齢を重ねた」ぐらいの感慨しか生まれてこないもので、本来は新年のように何か新たに決意するみたいなものがあっても良いかもしれない。新年は皆の節目だが、自分の誕生日は自分だけの節目であろう。
とはいえ、いきなり慣れないことをやろうとしても、そうそう出来るものでもない。そもそも新年という節目ですら、あまり節目感なく通過してしまっているのだ。シームレスと言ってしまえば聞こえは良いかもしれないが、何の区切りもなく、言い換えれば目標もなく、だらだら生きてしまっているとも言える。いやそこまで追い込む必要はないけれども。
別に劇的に何かを変えようという訳でもない。ようは来年の誕生日に、ああ○○歳はこんな年だったな、と振り返られるような何かがあればよいという程度の話だ。考えてみれば、では今から過去1年を振り返って、どんな年だったかと考えられるかといえば、あまり考えられない。
そもそも自分の場合、いわゆる「達成感」のようなものにモチベーションを持たない傾向がある。世の中にはこれをモチベーションの源泉にしている人が(おそらく)多くて、例えば音楽でも演奏会の成功とかがモチベーションであったり目的だったりする。仕事などもそうで、目的の達成を喜び、そのために(時としてそのためにのみ)行動する人は少なくない。

そういった人にとっては、節目や目標というのは大きなモチベーションであろうし、次に進むための重要なマイルストーンでもあるだろう。しかし、音楽を奏でることは楽しいけどそれは練習も本番も一緒だし、本番終わったら達成感より疲労感・・・という人間にとっては、そのあたりは別にどうでも良かったりして、それを刹那的とか享楽的とか退廃的とか言うのかもしれないが、いずれによ「これをやる(そしてやり遂げたことに満足する)」という行動動機を持たない者にとっては、新年も誕生日も単に通過点なだよなぁ・・・と誕生日らしからぬしまらない事を考えて今日は終わることにする。

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2019年6月18日 (火)

GVIDO

昨日は退社後に銀座の山野楽器に足を伸ばして、電子楽譜のGVIDOを触ってきた。
紙の楽譜は、少しであればもちろん軽量なのだが、量が増えてくるとこれがバカに出来なくなる。タブレットに楽譜の閲覧機能を求めたのもそのためで、そういう意味ではその行き着く先がGVIDOということになるだろう。
触った感触は悪くなく、即決で買っても良かったのだが、何分価格は躊躇するに値するので、昨日のところは見送った。元々見るだけが目的で買う判断は後でと決めていたこともあるが、実際よく考える必要がある。
最大の問題点というか、オケの弦楽器奏者という立場では、これがあっても紙の楽譜を使わざるを得ないのではないかという懸念がある。管楽器であれば「自分の楽譜」と割り切れるが、弦楽器はプルトで一つの楽譜を共有するため、おいそれと電子楽譜に切り替えられるものではない。
練習用と割り切れば良い話だが、それでは結局紙の楽譜も必要になってしまい、重量の軽減につながらない。指示の書き込みをどうするかという問題もある。
ただ、F響に関して言えば、本番はオリジナルを使うため、練習用という割り切りは比較的容易である。というかそうせざるを得ないし、書き込みは任せることも多いので(最近それではだめな気もしてきたが)、むしろ適しているだろう。
Kオケに関しても、基本は一人なのであまり気にする必要がない。元々Kオケは楽譜のストックと使いまわしが多いので、むしろ電子楽譜の方が向いていて、そもそもここの楽譜を何とかするために電子楽譜を入れたいという事情もある。
問題はその他のオケで、オケEにしてもY管にしても、結局紙の楽譜は紙の楽譜で用意しなければならない。まぁそこは割り切ってしまってもよいのだが、何となくもったいない。
(とはいえ、では本番で共用で使いこなせるかというのは全く別の話だ。)

もっとも、そもそも来年はオケをお休みしようという中で、何を気にするのかという話もある。オケは休んでも楽器を休むつもりはなく(休んでしまうだろうが今のところはその気はない)、ようはそのための楽譜(ソロとかアンサンブルとか)をなんとかしたいというのが出発点ではあるので、そういう意味では邪魔ということはなし、むしろ無駄にしないために楽器には触るようになるかもしれない。

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2019年6月17日 (月)

surfaceのキーボード

この土日は珍しくオケの練習が1コマしかなかった。やや手持ち無沙汰になったり、何かやろうとカフェに行くも満席で入れなかったりしたのだが、最終的にはメールの整理などが出来て、滞っていた連絡事務などもなんとか終えられた。まぁ満足いく週末であったと思いたい。
しかし何かが終われば、次にやる事が生まれてくるのである。昨日はまぁ一旦落ち着いたのだが、一段落というのは終了とは違うので、せいぜい一息つくぐらいの間でしかない。
さて、surfaceに切り替えて手放すはずだったMacBook Airが、最近復活している。諸々のアプリも削除していたのだが、結局戻してしまって、昨日の作業などは結局MacBook Airでやっていた。
慣れの問題なのか、インターフェースが優秀なのか、双方の要素はあると思うのだが、少なくとも自分の使い方においてはMacの方が使いやすいというのを最近感じている。そもそも根本的にsurfaceはレスポンスがよろしくない。これはsurfaceというよりWindowsの問題かもしれないが、処理速度というよりも、単純なレスポンスにおいて、何故か「待たされる」感覚がWindowsにはあるような気がする。気がするというのが厄介で、どうしても気になってしまうのだ。不思議とMacではそう感じることが少ないのだ。(ちなみに待たされない訳ではない。そういう意味では、待たせ方が上手いというべきなのだろう。)
最大の誤算というか、期待との乖離が大きかったのが、タブレットとしてのsurfaceが、思ったような使い勝手ではなかった点だろう。元々ラップトップとしてもタブレットとしても使えるという点を評価したsurfaceだが、無理にまとめる必要があったのか、そのあたりは見込みが甘かったというべきかもしれない。あるいは、少なくとも当初はキーボードは買わずに、タブレットとしてだけ使っていれば違ったのかもしれないが、結果として何をしたかったのかが分からなくなってしまっている。

あえてしばらくキーボードを封印してみるか・・・ついつい使ってしまうのだが、そうやって使えば使うほど、中途半端なラップトップという感じになっていってしまうんだよなぁ・・・。

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2019年6月14日 (金)

情報共有の進め方

昨日は他部署の主催する情報共有のための会議に終日出席したのだが、いかに自分がそうした情報から遠ざかっているかを痛感した。昨日得た情報をどれだけ活かせるかは今日からの動き次第にかかっているのだが、それはさておき、「情報共有」というものの難しさを実感する。
「情報共有」という言葉は便利なようで曖昧な厄介な言葉である。よくトップや上司が口にする「情報共有」は、言葉こそ「共有」だが実態は「自分への報告」という文脈である事も少なくない。報告のための共有というのは特にシナジーを生むようなものではないだろう。本来「共有」というのはもっとダイナミックなものであるべきで、受け取った者がその情報を転換して活用できて初めて意味を持つ。
難しいのは、そうであれば「情報共有」の主体となるのはどちらであるべきかという点だ。多くの場合、情報共有は情報を持つ者がすべきこととされていて、情報共有が不足しているのは、情報を持つ者の発信不足と指摘されるが、情報を持つ側はそれが共有に値するかどうかというのが多くの場合分かっていない。何故なら「必要とされる情報」が共有されていないからだ。
そのため、情報共有の多くは「知らせるべき情報」「知って欲しい情報」に限定されてしまう。しかしそれでは情報を持つ者の想定の範囲内にしか情報は伝わらないし、シナジーを生み出すにも限界が生じる。
昨日に関していえば、もちろん必要と思って参加した会議ではあるのだが、一方で絶対に必要というものでもなかった。その会議で得られたインスピレーションはある種偶発的なもので、得られるべくして得られたものではないという点が問題であろう。そうした情報共有こそが本来の共有のあり方だと思うが、それを生み出す仕掛けを意図的に作り出す難しさを物語っているとも言える。

情報共有はどう進めたら良いのだろうか。

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2019年6月13日 (木)

行動地図としての予定

予定として設定しなければ忘れる。
予定として設定しすぎると息が詰まる。
そんなせめぎあいがある。
とにかく最近はやる事が抜け落ちがちなので、なるべくカレンダーに登録をするようにしている。それは予定であったり、リマインダーであったり、タスクであったりするのだが、一方で居並ぶそれを見てうんざりするという別の側面がある。
予定を組むというのは結構重要で、例えば「やりたいこと」をリマインダーとしていくつか登録しているのだが、やれたらやろうぐらいの意識なので、毎日先送りばかりしている・・・みたいな状況に陥ったりする。これがルーチンのようになってしまうと、精神的によろしくないと思うのだが、人との予定ではないので、予定に登録するまでもない・・・とついつい考えてしまって、放置してしまう。
結果として、「あ、今日は出来るぞ」という時間を感じた時に「ああでもあれがない」と準備不足で断念みたいなことも起きたりする。予定として設定されていれば、そのような事はないだろう。
一方でカレンダーに予定が並ぶのは、精神衛生上はもっとも縛られ感が強い。やらなければいけないことであればさておき、やっておきたい程度のことでそのプレッシャーはよろしくないし、結果リマインダーなどのように動かすことが日常茶飯事化してしまうと、動かせない予定に対する意識まで薄れていってしまうような気がする。

予定というのは、言ってみれば未来の行動地図でもある。ルートが定まらない地図では行動がいきあたりばったりになるし、全部が定まっていたら自由がない。そのあたりのバランスというか、自分の地図づくりというのは・・・難しいものだ。

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2019年6月12日 (水)

やはりiPad miniか

一旦iPad miniではなくiPad Proではないかと考えたものの、その後実機を見たりすると考えが揺らいでくる。なんというか、実利用の場面が想像できない。iPad miniは今の延長で想像できるが、iPad Proだとそういう想像が働かず、ようは「使わないデバイス化」してしまうのだ(想像の中でだけど)。
もちろん「見やすさ」は容易に想像できるが、それは持ちにくさとのトレードオフでもある。見やすさだけを追求するなら、surfaceでもある程度実現は可能で、そういった視点でバランスを考えると、実はiPad miniのサイズ感が最も適している感じなのだ。
それと持ち物の総量を考えた場合、iPad Proに機種変更をしてしまうと、なんだかんだでiPad miniも残してしまう可能性が高い。そうではなく「入れ替える」事が肝要なのだが、そう考えるとiPad miniであればまず間違いなく入れ替えになるのは間違いない。
少し考え方を変えるのであれば、これまでiPad miniは鞄に入れて持ち歩く前提で、極力小さく薄いスマートカバーだけの構成にしていたのだが、単体で持ち歩くことを前提にした手帳型にしてしまえば、手持ちのセカンドバッグ的な位置づけで持ち歩きが可能になるかもしれない。完全な手ぶらでなくなるのはやや残念だが、今も傘は手持ちだったりして、肩掛けの鞄でなければまぁ良いのではないかと思ったりする。まぁiPad miniがはいるポケットを持った上着を用意する手もあるが、冬場はともかく夏場は少々きつい。
そしていずれにせよそういった事は、iPad miniならともかくiPad Proでは想像しにくい。

そう考えるとやはりiPad miniか・・・。

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2019年6月11日 (火)

仕事をする

今日は健康診断のため、朝食を食べることが出来ない。
そのためまっすぐ会社に来ているのだが、頭が働かないということなのか、書くネタを思いつかない。

仕事するか。

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2019年6月10日 (月)

時の流れが早すぎる

この週末も怒涛の練習だったのだが、時間の過ぎるのがやたらと早いと感じた。この土日だけのことではない。その前の週からの練習間隔がやたら短く感じたのだ。
ただ、これは単なる時間感覚の問題だけではなく、前回の練習(合奏)と今回の練習(合奏)との間に、進歩がないから感じる事でもある。
ようは(個人)練習をしろという事だ。実際に楽器を触れなくても、楽譜を見返すだけでも良いかもしれない。合奏と合奏の合間に何かを積み重ねなければ、結果としてその間の時間は存在しなかった事になり、そのためにやたらと早く時間が過ぎたように感じてしまうのだろう。
これはのほほんとしてたら、気づいたら今日が本番といった事態にもなりかねない・・・そんな危機感を抱いてしまった。
とはいえ、感じたからといって出来る事はあまりない。平日に楽器を触るのはかなりの覚悟と準備が必要だ。そして取り組まなければならない曲は膨大である。膨大なのは自分の責任だが、では少なければなんとかなるかといえば、時間の確保には実はあまり関係がない。

せめて練習録音の聞き直しと楽譜の読み直しぐらいは必要であろう。しかしその時間を確保するのも結構大変だったりするんだよね・・・。

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2019年6月 7日 (金)

先送り

昨日は休みを取って免許の更新に行ったのだが、係員から何をやるのか大声で説明されても理解できていなさそうなヨロヨロのおじいさんが更新に来ていて流石にちょっと考えさせられた・・・警察署なので優良運転者なんだけどね。
さておき、昨日はそういった訳で結構のんびりと過ごしたのだった。このところ土日の予定が再び過密になってきているので、正直こうした日を設定するのは貴重な気がする。だったら土日を過密にするなという話ではあるが、仮に週休3日になったらなったで、3日分の予定を入れてしまいそうなので、これはある種の性分としか言いようがない。
(そう思って予定を確認したら、来週末は土曜日が空いていた。こういう日をうまく使うことが重要なんだよなぁ。)
さて、平日に休むと何が大変かってその間に動いていた仕事に復帰するのが大変なのである。集団で休むっていうのはそういった事を避ける意味合いもあるよなあと思ったりもする。
本来は、その間に発生したことに対してまで責任を追うことになると、結局休まないほうが楽ということになってしまうので、組織としてはその分をカバーできるようにしておくことが重要だとは思うのだが、個人にひも付きやすい体制に加えて、そもそもカバーできるだけの余力がない場合もある。もっとも、いわゆる事務処理系の仕事というのはそのようにカバーが行われているものなので(そうでなければその日の仕事が回っていないことになる)、これは仕事の性格にもよる話ではある。だとすればあとは個人のスケジュール管理の問題であろう。

最近は目の前のことを回していくのが精一杯で、先を見据えるということが出来なくなってきている。どこかでリセット・・・・などとも思うが、おそらくその「どこかで」という意識自体が甘くて、それが先送りと自転車運転の原因であろう。結局今この瞬間であっても常に先を考えていくことが必要なのだ。自分でも時々自覚があるのだが、ついついしんどくて先に送ってしまうんだよね・・・。

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2019年6月 5日 (水)

エキストラの依頼

先日打診のあったエキストラの依頼にまだ返事をしていないので、そろそろ回答しなければならない。
正直、厳しい条件ではある。
本番は約1ヶ月後。
曲は演奏経験なし。
練習に出られるのは3回。どれも途中から。
いや断れよ、と言われそうだが、依頼があった事情を考えれば、かなり切羽詰まっていると推測されるので、断りにくい。いやまぁ出たいと考えている自分もいる。
とはいえ、個人的に「エキストラ」というのは、「練習に出ない人」ではなく、「運営に口を出さない人」の事だと考えていて、練習に出るのは、団員であれエキストラであれ、オーケストラプレイヤーあるいはアンサンブルメンバーとして当然と考えているので、こういう条件でオファーを引き受けるのはやや忸怩たるものがある。
加えていえば、ここに来て新曲ラッシュで、譜読みの時間を取れていない。F響で3曲、オケEで3曲、Y管で2曲、Kオケで3曲を抱えているが、まだ一度もさらえていない(練習には出た)曲が・・・9曲ある(ほとんどだ)。

どうするんだこれ、いやでも出てしまうんだろうなぁ・・・。

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