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2006年2月19日 (日)

経営会議での報告と知識流通

※土日は内容を考える余裕がないので、気が向いたらこれまで社外には公開していない昔の「つぶやき」を転載していこうと思います。なお、書かれている内容は当時のもので、今は状況が変わってしまっている場合もあります。

2000/12/11のつぶやき
経営会議での報告と知識流通

経営会議にて報告を行った。(注:もちろん報告者は私ではない。)

経営会議への出席は原則発表者のみなのだが、お願いすれば関係者が出席するのは構わないようで、せっかくの機会と言う事でチームで出席する。

内容としてはこれまでの検討事項の報告と社内報&匿名掲示板についてのご意見頂戴である。社内報に関しては可もなく不可もなくと言う感じだったが、匿名の掲示板に関してはいくつかの意見が出た。
「何故名前を隠す必要があるのか、建設的な意見を出すのに萎縮する必要はないのではないか」
「現実問題として書きにくい部分はある。社員の良識を信ずる上では、(やりたい事としては)理解できる」
と反対一色でなかった事は意外と言うか、やはり経営層まで登りつめる人たちのバランス感覚を実感する。(ずいぶん失礼な言い草だが。)

実際のところ、今回の内容は研究会の頃の説明とはかなり食い違っているため、戸惑いの声もあがった。
「ノウハウをドキュメント化して共有し、力の向上に役立てましょう」
これが今までの(大雑把な)イメージ。そこから考えれば、現在の
「自立」「可視化」「コミュニティ」
はかなり違和感を感じても仕方ない。(と言うか感じないのはおかしい。)

しかし、根っこではつながっているのではないかと自分では考えている。

(研究会からプロジェクトへの)一番大きな変化は、「知識管理」から「知識流通(もしくは循環)」へと重点をシフトしている事だろう。
知識を「管理」すると言うのは、何らかの形で保管し、これを生かすと言う事だ。ここでは知識の形式化というプロセスが非常に重要になり、これを支えるシステムとそのルールの適用が非常に大切になる。
一方知識を「流通」させると言うのは、それが伝わっていくプロセスに重きが置かれている。この場合、知識の媒体は必ずしも形式知である必要はない。極論すれば保管する必要すらない。ただひたすら伝達を繰り返すと言うのがポイントで、この体制を維持するために必要になってくるのが、可視化とコミュニティの考え方である。

この違いの理解には知識を「お金」に置き換えると良いかと思う。
知識管理とは、お金を貯蓄する事だ。いざと言う時に備えて蓄積しておき、後代のために残すと言う考え方である。しかし、貯蓄だけでは(個人はともかく)経済が上向かないのは現在の日本が証明している。
一方、知識流通は、お金を使う事である。金は天下のまわりもの、と考えて自らのお金を放出する事だ。無論散財ではないから、結果経済が上向きになれば、その影響が自分にもかえってくると言う発想である。経済が上向けば、規模の拡大にもつながるではないか。

あるいは、知識管理を銀行、知識流通を証券市場に例えても良い。

もちろん後者にはある種のリスクがあるように見える。
流通に依存する市場は流れが淀んだら終わりである。その停滞の打撃は計り知れない。
しかし、どんな巨額の貯蓄でも、運用する人間が無能なら結局食いつぶすだけではないだろうか。つまり、実際のところ、リスクはそう変わるものではない。どちらも関わる人間の問題なのだ。
岩の上にあぐらをかいた人間と流れにもまれる人間、どちらが前に進めるだろうか?

ノウハウの共有と言う考え方は変っていないと考えている。
共有のやり方を変えたのだ。だれでもお金を預ける事が出来る銀行を作るのではなく、主体的な意思を持って参加する市場を作ると言うやり方に変えたのである。
それがコミュニティだと考えている。

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