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2006年2月23日 (木)

情報の共有か、感情の共有か

社内ブログに求められるのは、情報の共有だろうか、感情の共有だろうか・・・なんて話題でiUGの事務局が盛り上がっているのだが、ちょっと考察してみる。
(ちなみに自分の場合、考察というのは、内容がまとまっていない状態でキーボードを叩くことだ笑)

なんとなく思いついていることはあって、情報の共有というのは、個人のレベルでは感情の共有と目的は大差ない気がするのだ。なぜ情報を共有したいかというと、相手と共通の話題を持ちたいからで、それは実は感情の共有とベクトルは同じである。

問題は、これが組織レベルの話になった場合、その場というかその仕組みをマネジメントするという立場で考えた場合だ。個人のレベルの話だったら、別に社内ブログである必要はない。あえて社内ブログというキーワードで考える場合に、情報の共有か、感情の共有か、という話になる。

両者とも、定量的な指標を持ちにくい。情報の共有というのは、新しい情報システムの導入の際などによく聞かれるキーワードだが、突き詰めると何が効果なのか分からない場合が多い。感情の共有に至っては、いってみれば雑談の効果を数字で表せみたいなもので、そもそも目的として成り立つかどうかさえあやふやだ。

実は「共有」というキーワードがそもそもあいまいなのかもしれない。例えば車を「共有」する場合、一人ひとりで「持つ」コストがはっきりしているから、共有するメリットは非常に明確だ。ところが情報や感情の場合、こういった「共有」概念は当てはまらない。となると、「情報共有」「感情共有」というのは果たして成り立つのか?

いかん、まとまらなくなってきた(時間もなくなってきた)。話を元に戻そう。

社内ブログであっても、「個人のためのツール」として捉えるのであれば、内容はどちらでもあまり関係ない。ただ、これを組織的にいかそうと考えた場合、情報共有にはそこに掲載された情報の再活用が視野にあるが、一方感情共有にはそういった要素はほとんどない、という違いがある気がする。

再活用、というのは、時間を飛び越えるということだ。蓄積された情報を一定期間経過後も再活用する意図があって、はじめて組織として社内ブログによる「情報共有」に意味が生まれてくる。もちろんリアルタイムに共有する価値はあるが、それだけであれば他に手段はいくらでもあるような気がする。

一方感情の共有の場合、リアルに接している誰か、がポイントだからこういった視点はほとんどない。1年前に何を考えていたか、というのは、正直な所あまり価値がなく、「今」何を考えているのか、感じているのかというのが、感情共有におけるポイントだ。

今、ではなく、過去の視点で見ると、両者の違いがもう少し見えてくるかもしれない。
時間がオーバーしたので、またの機会に続く。

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