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2006年2月 2日 (木)

情報が多すぎる

事務局として参加しているiUG(INTRA BLOG/SNS USERS GROUP)でも紹介されていた「ビジネスパーソンの社内ブログ利用状況」に関する調査なのだが、ちょっと読んで考え込んでしまった。

これによると・・・
・従来の電子メールやイントラネットでは、情報が多すぎて欲しい情報が探しにくいなどの理由で情報共有がうまくできていない
・社内ブログは情報共有に有効だと考えており、その活用条件は「使いやすく」「気軽に発信できること」

・・・矛盾していないか?
使いやすく気軽に発信できるブログというツールは、情報をより増やしこそすれ、減らすことなどあり得ない。
もし、「情報が多すぎて欲しい情報が探しにくい」というのが本当に問題点だと思っているのなら、気軽に情報発信できる手段など導入しない方が良いということではないだろうか。

それにそもそも「情報が多すぎて」「欲しい情報が探しにくい」というのは、本当に因果関係として成立するのだろうか。逆にいうと情報が少なければ、欲しい情報は探しやすくなるのだろうか。

例えばA~Cの3つの情報の中から、Aという情報を探すのと、A~Jの10の情報の中から、Aという情報を探す際の「探しやすさ」の比較なのだろうか。
しかし、すべての情報を閲覧してAという情報を探すのであれば、確かに後者の方が「探しにくい」が、システム的にはAという欲しい情報がきちんと定義されていれば検索はそれほど難しくないはずだ。仮に検索スピードに差があっても、それを「探しにくい」とは言わないような気がする。

それでは「欲しい情報」というのは、明確には定義できないが今の自分に役立つ情報、ということだろうか。
確かにそれでは検索しようがない。ある意味1から10まで閲覧しなければ見つからないものだろう。でも1から3までしか情報がなかった場合、5番目に自分の欲しい情報があるなら永遠にたどり着けないことになる。
つまり「情報が少なくても」探しにくさという点では変わらない。むしろ少ない方が可能性が失われる確立が高いということだ。

あるいは情報が多すぎて取捨選択ができない、ということだろうか。
しかし、少なくたって取捨選択の難しさは変わらない。むしろ与えられた情報が少ない方が、取捨選択は難しい。少ない中から簡単に選んで、なんとなく正しい選択をしたと思っても、実はその情報の外に正しい答えが隠れているかもしれない。それは情報が多かろうが少なかろうが等しく平等に存在する可能性だ。

思うに、「情報が多すぎて」というのは単なる口実なのだろうと思う。情報というのは、結局のところ現実の鏡だ。情報が増えるというのは、情報という実体のない虚構が増えるのではなく、接することのできる現実の幅が広がるということなのであって、それを受け入れて自らの幅を広げるか、受け入れずに狭い世界で生きるか、ということが問われているということなのではないだろうか。

いずれにしても、社内ブログを導入したって「情報が多すぎる」状態が解消されることは絶対にない。それは新しい情報(世界)に通じる窓を開くだけで、後はそれの覗く側の問題なのだ。

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コメント

例えば、母の介護でって言ったら、母が体が悪く頭はしっかりしてるのに、痴呆症ってことになってる。不登校の原因は体の病なのに、メディアの影響で自信持ってと言われる。

投稿: | 2006年9月 3日 (日) 19時15分

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