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2006年2月20日 (月)

編集者の意見

先週KMについての講演をした後の懇親会で、「自分が話した内容を他人にまとめてもらう」ことについて面白い話になった。
自社の事例として、事務局が担当者に話を聞いて社内報の記事にまとめるという話をしたことに関連しての話だ。

同じようにゲストで来ていた方が「自分は直されるのがいやなので、自分で書いた方が良い」と言い、先方の役員も「話した内容が全然違う形にまとめられてしまうことがある」という話をされていた。

なぜ、話した内容とまとめた内容が食い違うというようなことをが起こるのか。
社内報・・・はともかくとして、新聞やテレビでも時々聞かれる話のような気がする。

それは、編集者あるいは執筆者には彼なりの意見があるからではないだろうか。

しかし、編集者はその意見を直接記事に反映させることができない。できないから「編集」で自分の意見を反映させようとしてしまう。これは恐らく意図せずに起こっていることなのではないかと思う。

それに対し、自社の例では「書き手の感想は書き手の意見として載せなければいけない」ことを話した。つまり記事本文にヒアリングした相手の話をまとめ、それに対する意見を編集後記のような形で載せているのだ。

この場合、本文に自分の意見を反映させてしまうと、編集後記との区別がつかなくなってしまう。だから、極力話し手の意図を中心に構成し、自分の意見は自分の意見として添える必要がある。
その際、編集後記も含めて一つの読み物にするのではなく、編集後記を除いた上で一つの読み物として仕上げ、その上で、別に自分の意見を添えなくてはならない。

無論、聞いた話をそのまま生で伝えられるわけではないから、結局編集者の視点というのは入ってしまうのだが、こういう書き方をしていると、「自分として面白い点」と「客観的に見て面白いと思われる点」を無意識に切り分けるようになる気がする。

意外と、それがバランスをとる秘訣なのかもしれない、などと思ったのだった。

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