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2006年2月21日 (火)

日報としてのブログ

今の仕事に日報はないのだが、半分日報のようなイメージで一部の人向けに社内メルマガを出している。といっても、別に特別な仕組みはなく、単なるメールだが。

それを書けなくなってきた。こういう状況に陥ってくると、果たしてイントラブログで日報、といったやり方が本当によいのか、疑問が頭をもたげてくる。ブログ、というより、日報そのものの問題かもしれないが、問題はそれが社内とはいえ不特定多数に公開されていることだ。

もちろん、仕事の情報は隠す必要はない。ないのだが・・・やはり書きにくいことはある。
上司といった特定の相手に報告するものと、ブログのような形で開示するものとには、やはり違いがあるということかもしれない。

また、コミュニケーション相手との関係が密接になってくると、やりとりされるメッセージは簡略化される傾向がある。あうんの呼吸とまでは言わないが、「すでに伝えたこと」などを省くようになるからだ。

これは書き手だけでなく、読み手側からも要求されることだ。同じことを何度も繰り返されては無駄が多い。

そこで、日報のように閉じた世界なら良いのだが、ブログのように開示されたものの場合、それでよいのか、という疑問が生まれてくる。新聞の連載をある日突然読んで理解できないのと同じ状況が生まれてしまうからだ。

また、日報の相手は多くの場合、リアルなコミュニケーションも維持されている関係であることが多い。
当然、すでに済ませたリアルなやりとりの内容については、詳細に記述しないのだが、これもブログを読んでいるその他大勢の読者には伝わらない。

そうなると不特定多数を対象にした内容に書き分ける必要が出てくるのだが、そうなると今度は何のための日報か、という問題に陥ってしまうのだ。

今自分が書いているのは、日報と言うよりは不特定多数向けのメッセージという色彩が強い。それでも、仕事という連続性、継続性のあるテーマを扱っている場合には、やはり書きにくさが出てきてしまうのだ。

もう少し割り切って「その日にやったこと」ぐらいにとどめておくと迷う必要はないのだろうが、それだと「何のために書いているか」というメッセージ性が薄れてしまうしなぁ・・・。

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