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2006年3月31日 (金)

匿名・実名とはどんな状態か~その1

昨日に引き続いて、大川さんのブログから・・・。
お会いしたときにも質問があったのだが、匿名と実名についてのエントリがある。

匿名か実名かというのは、結局のその場が何を目的としているかで決まってくるものなのだが、この議論は以前社内でも散々やっていて、個人的に色々考えていた時期がある。

で、昔の日記を検索してみたら、こんな文章が出てきた。(2002/9/26とあるが、それもコピーで実際に書いたのはさらに前だとメモが添えてある。)
非常に長いのだが、一部修正(自社名が書いてあったので)して掲載する。
ちなみに「ティーラウンジ」というのは当時議論の俎上に挙げられていた掲示板のことだ。

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※書きなぐりのメモです。お許しを・・・。

匿名のメリット?
●意見が言い易い。
 誰の意見という追求がないので、比較的気軽に意見が言い易い。
 →多様な意見が出やすい?
●コメントの正否の見極めを読んだ人間が行うようになる。
 誰の意見という責任を問えないので、コメントの正否は読んだ人が判断するようになる。
 →能動的に情報に接するようになる?

匿名のデメリット?
●(無責任な)意見が言い易い。
 誰の意見という追求がないので、比較的無責任な意見が出やすい。
 →放言、罵詈雑言?
●コメントの正否の見極めが難しい。
 誰の意見かわからないので、そのコメントの内容の保証がない。
 →誤情報による判断の誤り?

現実に匿名性を前提にしたインターネットの世界では?
誹謗中傷や荒らしのような目を覆いたくなるような惨状が見られる反面、秩序ある場を保っているケースもある。つまり非常にモラルが低下している場がある反面、現実世界よりもマナーの良いケースもある。
匿名というのはインモラルな人間はよりインモラルに、モラルのある人間はよりモラルに気をつけるようになる場なのではないか?
厳しいようだが、匿名の場で暴走するような人間は、もともと性根に問題があると指摘されてもやむをえない。記名で暴走する人間も同様の評価を受けるはずで、匿名の場合の暴走が「匿名だから」という環境による理由はあてはまらないとも言える。

匿名のデメリット?
しかし上記の場合、記名での暴走は周囲が直接諌めることも出来るし、それが正しい意見であればやがて「見識のある」という評価を受ける可能性もあるだろう。
匿名にはそういったリアルの評価は存在しない。正しい意見だとしても、言った人間を直接評価する術がない。もちろんその場での評価は可能だが・・・。

正しいことは誰が言っても正しい
この言葉どおりなら、匿名であれ記名であれ正しい意見は正しい。しかし、一方で意見の正しさだけでなく「やり方の正しさ」を求められるケースは往々にある。つまり必ずしも内容の正しさだけで意見は評価されず、その意見の出し方が正しかったか、という手段によるフィルターは間違いなく存在する。
そういった意味でも匿名は大きなリスクを背負っている。記名は正当な手段だが、匿名はかならずしもそうとは受け取られないケースが多い。

(例えば、ティーラウンジのような場ではなくなぜ職制に意見を上げないのかという意見、オンラインのやり取りと直接のやり取りを比較して「なぜ直接聞かないのか」という意識、はオンラインの意見の評価に一定のフィルターをかけている可能性がある。
同様に匿名・記名を論じて、記名のやり方が「正し」く、匿名が「正しくない」からと意見の評価に差がでてしまうとすれば、それは望ましい状態とはいえない。)

やり方という評価は、逆の見方をすれば、内容が多少正しくなくても、やり方さえ正しければ正しいとされてしまう場合もある。また、正しいとされるやり方自体が本当に正しいかどうかの判断は、非常に難しい。
フィルターのない分、匿名の方が、より公平にその内容を評価できる可能性はある。同時に内容だけで説得力をもたせる必要があるので、コメントはより慎重にする必要もあるだろう。記名はその時点でコメントに様々な情報を付加しているとも言える。

記名があるべき姿
これはティーラウンジ開設時の議論での最終的におちついた理屈だが、上記からあらためて考えると首肯し得ない部分もある。誰がどんな形で口にしても正しいことは正しいのであれば、そこに「記名があるべき姿」というフィルターをかけるのが本当に正しいことなのか、という疑問が発生する。記名だろうが匿名だろうが正しい意見がでるのが「あるべき姿」であって、記名だからどうこうというのはおかしい気もする。

「正しい意見ならなぜ記名で言えないのか」という議論には「正しい意見に記名匿名がどう関係あるのか」という反論が出来る。「正しくない意見が出たときは?」正しい意見で反論すればよい。意見と意見のぶつかり合いに記名匿名は関係ない。平社員の論理に、社長の名前ではなく社長の論理できちんと答えるのがむしろあるべき姿だろう。

ただし、匿名の場というのはモラルのない場の事ではない。当事者を名指しにして意見を言う、あるいは意見を求めるのであれば、自らも名乗るのが礼儀だろう。相手は明らかにしているのだから。
問題は匿名の場に対してそういった認識があるか、という点だ。ないのであれば、やはりリスクが高いことは否めない。互いに匿名が保てなければ匿名の場の意味はないからだ。

(つまり匿名の最大のリスクは、一方だけが匿名ではなくなってしまう可能性にあるとも言える。記名は匿名を選べないが、匿名は記名を選ぶ、あるいは要求することが出来てしまうからだ。これは不特定多数のインターネットには存在しない、会社という環境において成り立つリスクである。)

もちろん「ない」という現実があっても、記名が「あるべき姿」という理屈には結びつかない。せいぜい「記名にせざるを得ない」という程度だろう。ただし、では逆に匿名があるべき姿かというとそうではない。言うなれば「匿名記名は関係ない」というのがあるべき姿だろう。

同じ社内なのに匿名でしか意見が出ないなんて情けない
厳しい言い方をすれば、匿名でしか意見が出せない相手が情けないのではなく、匿名でしか意見を出してもらえない自分が情けないと思うべきだろう。だが、本当に情けないのか?匿名を理由に評価しない方がよほど情けないのではないか。

もっとも、意見を出す側が「評価しないのは情けない」意見を出してもらう側が「出せないのは情けない」では先には進めない。つまり、出してもらう会社側が「出せないのはなさけない」「あるべき姿ではない」といったり、出す社員の側が「評価しないのは情けない」と言っているようはダメなのだ。

当社は会社と従業員を必ずしも厳密に分けているのではないようだが、互いにそう言い合ってしまうようではお終いである。

匿名とはどんな状態か?
匿名というのは、その意見を出した人間が特定できない、個人の顔が見えない状態の事だ。では署名があれば匿名ではないかといえば、それは必ずしもそうではない。

「部署として」「立場として」言った意見は、個人の顔が見えているとは必ずしも言えない。本来はそういった部署や責任を背負っていても、その人だから出てくる意見が普通だと思うが、「誰が言っても同じ」意見だとしたら、それは匿名と同じだ。

つまり、匿名か匿名でないかというのは、署名のあるなしではなく、その人の意見であるかどうかで本来は決まるものなのだ。「部署としての」意見についている署名は、意見の内容を個人として保証するものではないのではないか。

(そりゃそうだ。保証するのは「部署」だとそういう意見を口にする人間は言うだろう。つまり、署名があっても、その内容が匿名と大差ないものは存在するのだ。)



(まだ続く・・・)

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・・・まだ続く、と書いてあるが、続きがない(笑)
さて、どのようなことを書こうとしていたのかはちょっと定かではないのだが、この最後にある「匿名とはどんな状態か」逆に「実名とはどんな状態か」というのは、一つ考えてみると面白い気がする。

気がする・・・のだが、今回はエントリがあまりに長くなったので、また別の機会にしよう。

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