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2006年5月11日 (木)

技術は宝

昨日の毎日新聞に掲載されていた理系白書という特集記事はなかなか考えさせられることがあった。
海外に進出する日本の技術者を取り上げた記事なのだが、「技術の流出」という考え方について、特に印象的だったのは、次の2つだ。

ある業界団体の幹部は「技術は先輩たちが何十年もかけて築いてきたものだ。なのに『おれの技術だから好きにしていい』と言えるだろうか」と批判的だ。


日本の会長が「この研究所は日本人が会長、その下にアメリカ人、スタッフも10カ国から来ている。技術は宝なのに、こんなに多国籍では先端技術が流出するのでは」と尋ねた。リー氏は平然と「流出しますよ。でもそれ以上に入ってくる」と答えたのです。

業界団体の幹部や日本の会長の言葉の中にある「もの」「宝」という表現に、日本人の技術観が表れているような気がする。恐らく知識と読み替えても同じようなイメージだと思うのだが、彼らにとって技術とはあくまでも「モノ」なのだ。形がなくても、ある固定化された、完成された「モノ」なのである。

そうではなく、技術や知識というのは、固定化できない、完成されない「何か」なのではないだろうか。イノベーション(技術革新)という言葉があるが、その「変わっていくこと」こそが技術や知識の本質のような気がする。

そのように考えると、「ナレッジマネジメント」というのは、ナレッジという「モノ」をいかに管理活用するかということではなく、ナレッジという「革新」をいかに継続的に行っていくか、ということを目指す必要があるということになる。

ナレッジマネジメントの導入に失敗してしまう原因は、ナレッジをついついモノと捉えてしまう技術観、知識観にあるのかもしれない。形式知は確かに固定化されたモノだが、大切なのは、そのモノを管理することではなく、次のステップへの踏み台にすることのような気がするのだ。

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