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2006年5月24日 (水)

情報の盗用

遅ればせながら「ウェブ進化論」を読んでいる。
まだ途中なので、これから記述があるのかもしれないが、今後こういった世界に変化していった場合、知的所有権のような概念はどうなるのだろうか、などと考えてしまった。

もう少し生々しく、著作権といってもいい。たまたま昨日杉村太蔵議員がブログで盗用していたという事件があったが、こういったことは「あちら側」にとってどれだけ意味のあることなのだろうか。
むろん、「こちら側」としては大きな問題なのだろう。情報をモノとして扱うことで、そこに目に見える価値を見いだしてきたのが、これまでの考え方だからだ。

知的所有権の考え方は、情報や知識の価値を見えるようにすることで、その発展に大きく貢献した。一方で、現実的な「こちら側」の価値に換算するその行為が、情報や知識の本当の可能性をつぶしている、なんてことはないのだろうか。

盗用ということであれば、個人的には「される」ことに関してはあまり抵抗感がない。「する」のは、今のところ現実的なリスクがあるのでしないのだが、それも個人的な心理としてはあまり抵抗がない。

なぜかというと、盗用されるということは、自分の提供した情報の価値が認められたということでもあるからだ。それが自分の考えであるなら、その考えがさらに広く伝播していくプロセスの一つとも言える。生物の究極の本能が自らの遺伝子というコピーを残すことだとすれば、自らの考えや知識にも同じようなことが言えるはずだ。

一方、盗用するというのは、相手の考えを取り込む、ということで、これは雌雄の遺伝子により新たな遺伝子が生まれるプロセスに似ている。大体の所、100%盗用なんてことはなく、どこかに個性が残るものであり、その融合が新たな成長を生み出すのが自然のメカニズムだ。

知的「所有権」の考え方は、その本能にブレーキをかける考え方のような気がする。ま、必ずしも「本能」の命じるままが最善とは限らないのだが・・・。

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