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2006年6月 6日 (火)

日本人の平均像

昨日(6/5)の朝日新聞の「時流自論」で、フリーライターの金子達仁氏が「国民性出るW杯サッカー」というコラムを書いていた。
なぜ日本サッカーには、第二の釜本が現れないのか、という疑問からスタートし、現時点で次のように考えていると書いている。

  • 釜本がサッカーを始めたのは、日本ではサッカーがマイナーな時代だった。
  • つまり当時サッカーをやっている人間は、日本人の平均像にあてはまらなかった。
  • 一方、今の日本ではサッカーは当たり前に国民になじんでいる。
  • そのため、日本人の国民性や気質が明確に表れるようになった。

その「日本人の国民性や気質」「日本人の平均像」について、明確に掘り下げた考察はないのだが、この考え方はよく言われるキャズムの問題に重ね合わせてみると面白い。

ある新技術が浸透するためには、その技術を使う人によって、大きく3つの段階がある。

  • とにかく新しいものが好きでなんでも試してみる物好きな「イノベーター」
  • メリットをきちんと見極めたうえで使う賢明な「アーリーアダプター」
  • 周囲が使うようになって使う大多数の「マジョリティ」

アーリーアダプターとマジョリティの間には、規模的にも大きな格差があり、この間にある壁がキャズムと呼ばれる。キャズムを越えなければ技術は広く普及しないが、キャズムを超えるためにはある程度の技術の普及が必要というのが、ここにあるジレンマだろう。

国民性や気質、平均像が現れるのは、マジョリティの段階である。そして、その段階に到達すると、その特性ゆえにイノベーターやアーリーアダプターの頃に活躍したような「天才」は登場しなくなる。いや、天才はどの段階でも登場するだろうが、それはマジョリティ以前の天才とは違った天才ということになる。

このような考えをブログやイントラブログにあてはめると、どうなるだろうか。イントラブログが普及するというのは、初期の頃に登場したような「書き手」「読み手」とは違う特性が表面化するということにならないだろうか。
それはイノベーターやアーリーアダプターが考えるブログの活用像とはまったく異なる世界かもしれない。

・・・もっとも、釜本をイノベーターと考えれば、アーリーアダプターはマジョリティの姿を反映していると考えることもできる。その場合は、アーリーアダプターとマジョリティの間では、大きな違いは発生しないことになる。

ただ、キャズムという壁が現実のものであるのなら、違いはむしろここにあると考えるべきだろう。その壁をどう乗り越えるのか、いやそもそも、壁を越えるというよりは姿そのものを変えないと、マジョリティとしての普及は望めないかもしれないのだ。

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