イントラブログにおける記事クオリティのアップ
iUG研究会Vol.4のレポートをようやくあげたのだが、その中にある課題としての「記事クオリティのアップ」について考えてみる。研究会でのディスカッションテーマでもあったのだが、事務局ということもあって、なかなか会話に参加できていないからだ。
これはiUG公式SNS(興味のある方はこちら)である人の日記へのコメントとしても書いたのだが、個人的には質のアップにはまず量が必要という考えが自分にはある。継続的な量の蓄積が、質を作るのだ。そういった意味では、質を上げるためには、一方でそれに数倍する「クオリティの低い」記事の量産も容認する必要がある。
100のアイデアの内、使えるアイデアが1つか2つであるとするなら、どんなアイデアであっても100出さなければ1は生まれないのだ。1の使えるアイデアだけのエントリを求めていたら、恐らくいつまでたっても良いアイデアは生まれてこない。
というのが、書く側として考えておかなければいけない(とにかく書き続ける)ことなのだが、もう一つ、周囲からアプローチするという方法がある。それはフィードバックを行うことだ。これは事務局だけに限らない。
クオリティの高い記事というのは、どういった記事か。きわめて主観的に考えれば、それは「読み手である自分の役に立つ記事」に他ならない。記事のクオリティに対して、評価の主導権を握っているのは、実は書き手ではなく読み手の方なのだ。
そして、自分が良いと思った記事に投票したり、コメントしたり、あるいはトラックバックをするというのは、単にその記事を評価するというだけではなく、「同じような記事を書いて欲しい」というさらなる要求をだすということでもある。
以前、社内から送られてくる無味乾燥な業務報告メールを「面白くない」と酷評したボスに対して、「それは受け手であるあなたが『こういった内容を読みたい』というフィードバックをしていないからだ。」と指摘したことがある。
大体において、そういった報告のクオリティが下がるのは、受け手側が当たり前に受け取るだけで反応を示さないため、書き手が「この程度で良い」と思ってしまうからだ。
例えば自分が関心のある部分について、質問を投げる。毎回ある箇所について質問が寄せられていれば、当然書き手はその部分を最初から盛り込んで書くようになる。その積み重ねがクオリティを上げていくのだ。
書き手というのは、意外と書いた内容のクオリティを自覚できないものだ。記事のクオリティを上げていくには、実は書き手ではなく、読み手のリテラシーを上げていくことが重要な気がする。
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