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2006年9月19日 (火)

市民団体は誰のものか?

先週末に参加したシンポジウムで、21世紀は市民の時代、という話があり、なんというか微妙な疑問を感じた。
「愛・地球博閉幕一周年記念東京シンポジウム」というのだが、その中で市民参加をテーマにしたセッションでの話だ。

19世紀は国家の時代
20世紀は企業の時代
21世紀は市民の時代

CSR日記のネタに近いのだが、あちらは基本的に社内向けで、あまりこういった話はなじまないのでこちらで考察してみる。

疑問というのは「市民団体は誰のものか」というものだ。これは「会社は誰のものか」と比較してみるとわかりやすいかもしれない。

会社は誰のものか。日本ではよく「従業員のもの」「社会のもの」ということが言われている。従業員とはその組織の構成員のことだ。ということは、市民団体が「構成員」のものだとしたら、日本社会においては、企業と市民団体にはほとんど違いがないことになる。

「会社は株主のもの」であれば、両者の違いは明確なのだ。
(余談だが、この「株主のもの」というのは、資本主義の捉え方としては本来の意味からかけ離れてしまう気がする。本当は「資本家のもの」と捉えるのが正しいのではないだろうか。)

日本で「市民団体」というのが欧米ほど盛んではないのは、実は「企業」の捉え方が市民団体に近いからではないだろうか。逆に欧米でパワーのある市民団体が生まれるのは、企業が資本家のものであり、それに対するカウンターパートとして「市民のもの」である組織が必要だからだろう。

さて、しかし、そこで改めて考えてみると「構成員のもの」という市民団体のあり方は、国家や企業に変わる新しいものだろうか、という疑問が生まれてしまうのだ。これは組織としてはきわめて初期的・原始的なあり方ではないだろうか。

むしろ、もともと「構成員のもの」だった組織が、大きくなるにつれて「国家」や「企業」といったガバナンスを手にしていったのではないかとも思えてしまう。

だとすれば、市民の時代とはどういった時代なのだろう。
断っておくが、自分は市民の時代という考え方を否定するつもりはない。ただ、単なる流行ではなく時代を定義するほどのものであるためには、もっと厳密な特徴の捉えが必要ではないかと思ったのだ。

市民団体を特徴づける、国家や企業との違いははたしてなんだろうか。

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