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2006年10月31日 (火)

再びほぼ日手帳の使い方を考える

ほぼ日手帳のエントリはなぜかアクセス率が高いので・・・というわけでもないのだが、10月2日のエントリで考えたことに修正を迫られてきた。

特に年間と月間のスケジュールを上手に使えないのだ。やはりCLIEの管理とバッティングしてしまうというか、そもそもこのページを「見る」習慣が身につかない。その日のページは一日の間に頻繁に開くのだが、月間ましてや年間になるとほとんど開かなくなってしまう。

これでは、書いた内容が報われない(笑)

年間のスケジュールに関しては、この間ほぼ日を見ていたら「インデックスとして使う」というアイデアがあった。毎日のページにメモした内容で、重要なものを年間スケジュールにメモしておくと、探したいときの見出しとして使えるというものだ。

これは良いかもしれない。毎日のメモがバラバラでそもそも見出しをつけにくいという問題はあるが、確かに「あれはどこに書いたっけ?」ということはある。これは忘れたくない、というものだけチェックしておけば良いのだ。

一方、月間の方はどうしたらよいだろう。
使っていて感じるのは、欄として狭いということだ。こういった場合の工夫として記号などを利用するというものがあるが、文字数制限が基本的にないCLIEで「正式な名称でフルに書く」予定記述に慣れてしまっている自分はどうしてもそういった「記号化」ができない。いくらやっても忘れてしまうのだ。

正直なところ、すっぱりあきらめてしまっても良いのかもしれない。

ちなみに思いつきネタに関して別メモに書くというのも、とても続きそうにない。これまた開かないので、こちらにメモしたことも忘れて、日々のページの方を探してしまうということがあった。結局の所、毎日のページで一元管理というのが、自分には一番あっているような気がする。

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2006年10月30日 (月)

休日の時間割

週末は基本的に仕事のことを忘れていたい、いや、忘れる。

これが個人的なポリシーのつもりなのだが、それでもついつい持ち帰ってしまうことがある。
今週末は読み込むつもりで資料を持ち帰っていた。

・・・できなかった(涙)

これも毎回のパターンなので、分かっていることではあるのだが、結果として「できなかった」というストレスだけがたまってしまう。これは、なんともつらい。

「考える」ことはできる。できるというか、これはついつい浮かんでしまうこともあるから避けられない。しかし、その「考え」をメモか何かに定着させるとか、今回のように資料を読むとか、そういった「作業」はまったくできない。やろうと思っていてもできない。
(何しろブログの更新すらできないのだ・・・。)

自分は基本的に時間割型の人間なのだろう。平日はこのブログの更新も含め、仕事の時間を中心とした時間割が決まっている。一方休日にはそういった時間割がない。オケの練習のような決まった予定以外は白紙の状態で、その白紙の状態に「これをやる」といったものを埋め込むことができない。

意志が弱いといってしまえばそれまでだが、休日にまで時間割は持ち込みたくない。実際、オケの練習(日曜日午前中)が決まっているだけでも、かなり縛られているというか、不自由な感覚はある。そういった意味では時間割が全くないわけではない。

さて、代わりに平日はきちんと時間割を立てないとね。とりあえず休日にやろうなどと無謀な計画を立てたタスクをどこかにはめ込まなければ・・・。

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2006年10月27日 (金)

プロとはどんな存在か

※大変失礼なことに吹浦さんのお名前を杉浦さんと勘違いしておりました。謝罪して訂正します。申し訳ありません。

なるほどそんな見方もあるのか、と思ってしまったのだが、吹浦忠正の新・徒然草に、昨日の日本シリーズ第5戦での新庄の涙についての話が書かれていた。

新庄についてである。私情はわからんでもない。ただ、あんたはプロじゃないか。きちんとやることをやってから泣け。

もちろん、求めるものは人それぞれ違うのだろうが、改めて考えてしまったのは「プロとはどんな存在か」というものだ。

「全力で真剣勝負」というのは、本当にプロに求められる絶対条件なのだろうか。スポーツに限って考えれば、全力で真剣勝負というのは「プロに限らず」求められるものだし、ある意味当たり前のものである。それでは、プロとアマチュアの差はどこにあるのだろう。

個人的には、ショーとしてのプロスポーツに求められるのは、真剣勝負以上に「魅せる」要素ではないかと思う。お金を取って勝負を魅せるという前提がまずあって、そのために真剣勝負であることが求められるのがプロスポーツの世界ではないか。
だから、時にその魅せる要素が大きく前面に出てきても良いのではないかという気がする。

(ただし、結果がギャンブルの対象となる場合は少し違ってくる。競馬競輪などでプロとして求められるのは、魅せる以上に「勝つ」ことだろう。そういった意味ではくじのあるサッカーなどは微妙なのだが、少なくとも野球はそうではないはずだ。)

そういった視点であれば、魅せるプロとして、「泣く」という要素もありではないか、と思った。あの瞬間、球場や視聴者のボルテージは最高にあがっただろう。そこで感動を演出することも、また「プロ」の要素ではないか。

単に真剣勝負としての面白さを追求するのであれば、高校野球を見た方が面白いと思うのだ。プロ野球はもっと別の「プロとして魅せる要素」を追求しても良いのではないかと思うのだ。

もちろん、勝負を二の次にしてはいけないのだが、そんな遊び心が新庄にはあったような気がする。考えようによっては、イチローや松井以上に「プロ」としての自分の立場を真剣に捉えていたのではないか。そう思えてしまうのだ。

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2006年10月26日 (木)

ファシリテーションの技術

昨日、社内の会議でディスカッションの進行役を務めた。
意見を引き出すためにフリップを使ってみたのだが、いくつか反省が残った。

まず、事前のインプットが足りなかった。
今回のディスカッションのテーマは報告書を読んで、その内容について話し合うというものなのだが、どういった目的でどのように行うかという事前のインプットが不足していた。

報告書の読み込み方だけでも、参加者にばらつきがありすぎ、さらに読む視点も異なってしまっていた。最低でもそういった点は事前にアナウンスしておかないと、そもそも出てくる意見に温度差ができてしまう。

フリップを使うディスカッションについても、事前に説明しておくべきだった。こういったスタイルのミーティングは、会社ではほとんど前例がない。さらに言えば、その会議(年に6回行われる)では、そもそもディスカッションすらほとんど行うことがないため、参加者の「意見を出す」という意識自体薄い。

そんな場に当日いきなりこういったやり方を持ち込んだので、かなり混乱してしまったようだ。参加者にインパクトを与える意味ではそれもありなのだが、そもそものディスカッションの目的を果たせたとは言い難い。

さらに言えば、今回のディスカッションの目的は何だったのか、という部分もあいまいだった気がする。
もちろん、「最初の一歩としてまずは意見をもらう」というおおざっぱなものはあったのだが、ではどのような意見をもらいたいのか、そのためにはどのように進めたらよいのか、という視点は欠けていた。

ファシリテーションとは会議の司会のことではないそうだ。
恥ずかしながら、自分も会議進行の技術の一種だと思っていた。

まぁ、そのあたりは仕方ない。こういった経験を積みながら模索していくしかない。
まずは一つ一つの会議にしぼって、その目的は何なのか、そのために必要な(事前のアクションも含めて)何なのか、ということを積み重ねていこう。

さらにプロジェクトのファシリテーションもある。これも、ミーティング以外の部分も含めて、どのようにしていくか、一度じっくり考える必要があるかもしれない。

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2006年10月25日 (水)

ブログの中で自分を何と呼ぶか

ブログの中で自分を何と呼ぶかは少々迷う。文体もそうだ。

文体については、このENIGMA以外にCSR日記というブログも書いているのだが、そちらでは「ですます」調になっている。これは元々社内向けの勝手メルマガとして書いているため、多少読み手への語りかけを意識しているからだ。

対して、このENIGMAでは独り言を強調する意味もあって、ですます調では書いていない。以前(これまた別のブログで)書いていたときに、語りかけを意識していない内容にも関わらずですます調を使ったことで、なんだか上からものを言っているような感じになってしまったからだ。

こういった文体は個性ともつながってくるので、社内ブログのような場で書く場合は、少し慎重に考えた方がよいかもしれない。

そして、もう一つ迷うのが「自分」の呼称である。意識して使わないようにしているのだが、やはり時々は使いたくなる。特に何かについて自分自身の考えを書きたいときだが、その時に何を使ったらよいのか、非常に迷う。
(使わない理由は、自分を呼んでしまうと独り言ではなく相手を意識した内容になってしまうからだ。)

「僕」か「私」か・・・なんとなく「自分」が文体とはマッチしている気がするのだが、自分自身のキャラクターとはマッチしていないような気がしなくもない。

ま、でも「自分は」としておくのが一番無難なんだろうな・・・。

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2006年10月24日 (火)

忘れないためのタスク管理

コラボレーション・エンジニアの考える日々で、大川さんがGTDのことを書いていたのだが、個人的には気になりつつ、いまいち納得しきれていない部分があって、踏み切れていない。
(もっとも、理屈を並び立てるのではなく、まずはやってみることが大切なのかもしれないが。)

タスクをすべて書き出すという方法論には納得できる。それはよいのだが、そうすることによって頭の中の余計な雑念を取り払い、ストレスフリーで仕事ができる、という部分がどうもよく分からない。
忘れてしまって良いことを忘れることで、目の前のタスクに集中する、という理屈は分かるのだが、なんとなく「本当にそれでよいのだろうか」という気がしているのだ。

よく「忘れるためにメモを取る」というが、自分の場合「忘れないためにメモを取る」ことが多い。これは人それぞれだと思うのだが、メモをすることによって、そのことについては一旦頭から追い出し、後ほど見て思い出すのではなく、メモを取ることによって、そのことについて一旦記憶し、読み返すことでさらに定着させる、というのが自分のやり方だ。(そのため、読み返さないメモはそのまま記憶から消えていく。)

GTDは、前者の考え方に近い。多分その部分が自分のスタイルにあっていないのだろう。自分の場合、タスクに書き出すのは、「そのことについて一旦忘れるため」ではなく、「そのことについて一時も忘れないため」なのだ。

それにひらめきとか、発想といった分野では、頭の片隅にそのテーマをおいておくことで、時に思わぬ結びつきを得ることもあるだろう。

もっとも、GTDは「忘れてしまう」のではなく「忘れても大丈夫」という心理状態を作り出すことでストレスフリーを実現するものだから、実はちょっと違うかもしれない。そもそも自分の場合「忘れてしまったことはその程度のこと」みたいな割り切りがあるので、その種のストレスをあまり感じていないということがあるのだろう。

それにしてもタスクを書き出すのって難しい。何度やっても長続きしないんだよね・・・。

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2006年10月23日 (月)

ブログの毎朝更新

このブログは休日を除くほぼ毎朝書いている(所用により時間が取れないときは除く)のだが、固定された朝の時間というのは意外と貴重なもので、他のことにも使いたくなってきた。いや、他にもやりたいことがでてきた、という捉え方が正しいだろう。

では、ブログの更新頻度を落として、そういったことをやっていけるかというと・・・正直迷いが残る。
経験上「毎日書く」という意識的な縛りがないと、こういったものを続けていくのは難しい。

理由は大きく二つ挙げることができる。

・ネタがないときに「今日はいいや」という言い訳ができてしまう。
・書くネタに「手を抜く」ことができなくなってしまう。

前者は当たり前なのだが、言い訳のできる原因があると、安易にその言い訳に流されてしまいやすい、ということだ。もともと強制力がないものだけに、この「言い訳」の誘惑は強力である。

後者は考え方の問題なのだが、「毎日書いている」場合、たとえ内容的に「イマイチ」でも、とりあえず毎日書いているから、という言い訳をすることができるため、どうでも良いことまで書きやすいのだ。これが週に一度や「ネタのあったときに」ということになると、それなりに厳選したネタとクオリティが要求されるようになる。

これは、読者の受け取り方の問題ではなくて、あくまで書き手側の理屈なのだが、どうでも良いことまで書くつもりで始めたはずのブログに「厳選したネタを書く」ようにしたら、その形は大きく変貌してしまう。

もちろん、価値あるコンテンツを「提供する」という考え方で書くことも重要だと思うのだが、個人的にブログにそこまでのプライオリティはないので、迷ってしまうな。

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2006年10月20日 (金)

ネットワークウォークマンの再録音・・・の続き

昨日宣言したので、とりあえずPC上の音楽ファイルを全部削除してしまった。こういったことはどこかで思い切ってばっさりやらないといけない。ここから、もう一度録音していくことになる。

さて、何から入れていこう。自分の中で「これは外せない」という曲をとりあえず5曲挙げてみる。

リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェヘラザード」
マーラー 交響曲第2番「復活」
サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付」
チャイコフスキー 交響曲第4番
エルガー エニグマ変奏曲

あえて問題をいうなら、どれも演奏者が違う形で2枚以上あることだろうか。チャイコフスキーに至っては5枚ぐらいあるはずだ(笑)。ま、とりあえず全部録音してしまって、比較しながら容量が限界に近づいた頃に判断しても良いだろう。クラシックの場合、こういった問題はどうしてもついて回る。

それと、曲名の入れ方を工夫しなければならない。具体的にはアルバム名の中に、曲名、作曲者、演奏者、さらにできれば録音年を入れておくのが理想だ。曲名と作曲者ぐらいではあっさり重複してしまうからだ。(曲名だけというのは論外。)

一方曲名の方はどうだろう。基本的にはネットからの情報を使うのだが、理想をいえばやはり曲名と楽章名ぐらいは入っていた方が良い。うーむ、手で入力しようとするとうんざりする。ネットの情報は曲によってバラバラなので、結構整理が大変そうだ。

さて、SonicStage上の情報はさておき、ネットワークウォークマン上での利用を考えると、アーティストとジャンルをどう設定するか、も問題になる。アーティストは作曲者(演奏者からでは曲を探すことはまずできない)として、ジャンルはどうするか。

階層構造上、アーティストはその下にアルバム、その下に曲という形になっているのだが、ジャンルはその下がアーティストで、その下がいきなり曲になってしまうという問題がある。多くの場合複数の音楽ファイルで1曲(それをアルバム単位で登録する)となるクラシックの場合、アルバムが介在されない構造はなんとも都合が悪い。この「ジャンル」というのはほとんど役に立たないと言って良い。

ただ、クラシック以外の音楽を入れるのであれば、話は違ってくる。実は手持ちのCDにはクラシック以外の音楽もあるので、やはり「クラシック」「その他」ぐらいのジャンルを登録しておくのが良いのかもしれない。

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2006年10月19日 (木)

ネットワークウォークマンの再録音

ネットワークウォークマン(NW-HD1)に入っている曲を一度再構築し、録音する曲も絞り込むことを考えている。
HDDの容量的な限界が見えてきて、手持ちのCDを全部入れることができなくなりそうだというのが最大の理由だが、ここにいたるまでに考えたことはいくつかある。

1.そもそもかなり古いので、新しい機種にする。それもiPodの80GBにすれば、まだまだ余裕ができる。
いずれにしてもCDからの録音をもう一度行わなくてはいけないので、ファイル形式が違うといった点は問題にならない。せっかくなので新しい機種が欲しいというのは、モノ好きとしては当然の選択なのだが、サイズ的には今より大きくなってしまう。これは持ち運びを考えると結構ネックになる。

2.最初から全部のCDを録音をすることはあきらめ、HDDではなくフラッシュメモリタイプにする。
iPodnanoなど、こういった選択肢も考えた。実際、現在の20GB分の曲を毎日聴くなんてことはあり得ない。良く聴く曲だけに絞り込む、という選択肢は当然ある。なんといっても、軽くて小さいという利点がある。
SONYの新機種でも、ノイズキャンセリング機能のついたものが発表されたので、これは結構心が動かされた。ただ、それもでやはり最大で4GB程度というのはいくら絞り込むにしても容量が足りない気がする。自分の場合クラシックが中心なので、いわゆるポップス系と違って1曲が長い。

色々考えはしたのだが、結局の所、今持っているNW-HD1を放棄するというのも「もったいない」気がしたので、とりあえずは使えるところまで使ってみようという気になった。
ただ、現在3400曲(ファイル単位なので、クラシックの「曲」としては1000曲ほどのはずだが)ほど入っているのだが、やはりこれは多すぎる。普段ランダムで聴いていても、とばしてしまう曲も多い。

そこでビットレートを上げてもう少し音質を追求すると同時に、録音する曲も「手持ちのCD全部」にはこだわらないことにした。大体、あと2GB程度容量的には残っているのだが、新しく購入したCDも含めて、手持ちのCDを全部入れようとすると、ビットレートもさらに半分に下げなければならない。

そこまでして全CDを入れることに意味があるのか、という気がしてきたのだ。お気に入りの曲、聴きたい曲を入れておけばよいではないか。(もっとも、それだけでもかなりの数にはなるはずだが。)

・・・で、ノイズキャンセリングについては、ヘッドホンを買うことにする。考えてみたら、PSPなどでも使うので、機種についているのではなく、単独で使える方が使い回しができるからだ。

さて、宣言をしたので録音をスタートしなければ。これが結構しんどいんだよね・・・。

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2006年10月18日 (水)

自分の身は自分で守る

CIOマガジンの2006年11月号に「CIOに贈る、ブログ入門講座」という記事があった。

ブログを始める際に知っておくべき3つのルールとして、
1.なぜブログを書くのかをはっきりさせる
2.読者を知る
3.練習して慣れる
というものをあげ、そのあとに「ブログの世界の歩き方」として“文化”に注意を払うようにしようと書いてある。

「このような悲劇を避けるには、投稿のつど、なぜブログに書いているのかをきちんと伝え、あとでトラブルになりそうなことは書かないようにすることだ。」(ブリガム・ヤング大学でコンピュータ・サイエンス担当助教授を務めるウィンドレー氏の言葉)

「わたしは企業の幹部に対し、ブログも会社で話すのと同じトーンで書くようアドバイスしている。」(ブログ・エチケットの専門家であるメイソン氏の言葉)

「情報を簡単に投稿できるという点は確かにカジュアルだが、あくまでもビジネス・コミュニケーションの一環なのだということは忘れてはならない。」(文章の書き方コンサルタントのシェリル・リンゼル・ロバーツ氏の言葉)

ちょっとしたことなのだが、ビジネスブログに限らず、こういったスタンスは重要なのではないかと思う。特に「話すのと同じトーン」「コミュニケーションの一環」というのは、匿名のブログなどではたがが外れやすい。恐らく、日本人は特にその傾向があるだろう。

今読んでいる「安心社会から信頼社会へ」(山岸俊男/中公新書)を読んでいると、そのあたりを考えさせられてしまう。日本人は、個人として他人を信頼するのが苦手なので、「相手と安心してつきあえる」社会システムを構築することで互いの関係を保っている。匿名ではそのシステムが作用しないのだ。

もちろん、それを逆手にとった、2chのような場もあるし、匿名が問題というわけではない。ただ、システムが作用していない場だから、「自分の身は自分で守る」意識は必要だ。

先の本を読んでいると、日本人はこのシステムをあまり自覚していない。そのためにシステムが作用していなくてもあまりにも無防備なままであるケースが多いのだろう。mixiの情報流出の事件などを見ていると、そんな気がしなくもない。

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2006年10月17日 (火)

R4かR5か

珍しいとは思うのだが、自分はブログの原稿やセミナーの議事録用に、個人でもNotesを利用している。もちろんパーソナル用として購入したもので、今のクライアントはR5だが、実はR4.6も持っていたりするのだ。

先日、なんとなくR4とR5を心の中で比較したときに、なぜR5を使っているのか、実はあまり使う上でのメリットがないのではないかということに気付いてしまった。
ナレッジマネジメントを担当していた頃は、会社のデータベースを(勝手に)参照する都合上、R5が必要だったのだが、今の仕事ではそういったことはほとんどない。

だとすると、R4の方が便利なのではないか・・・そんなことを考えてしまったのだ。

R4とR5の最大の差は、R4ではデータベースを自由に設計できるが、R5ではできない(専用の開発用クライアントが必要で、さすがにそれは持っていない)点だ。今R5で使っているドキュメント作成用のデータベースは、R4時代に作成したもので、設計を固定した形でR5では使っている。

これをR4に戻せば、気になった点などを修正できるようになる。これは実は結構大きかったりする。もちろん滅多にそういった機会はないのだが、できるのとできないのでは大違いだろう。

もっとも、今もR4.6はSDカードから起動できるようにしてあったりする。R5と違って、インストール作業をしなくても使えてしまうというのが、R4の強みだ。あとは日々の作業でR4を使って、R5を消してしまうかどうかなのだが・・・。

確か、以前にも同じようにR5を消してR4に戻し、でも結局R5に戻したという経緯がある。なぜそうしたのか良く憶えていないのだが、何かあったかなぁ・・・。

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2006年10月16日 (月)

ワークショップ

土曜日にiUGの事務局でワークショップを行った。
http://iug.typepad.jp/blog/2006/10/post_55c1.html

で、例によって(笑)別のインスピレーションを受けてしまったのだが、とりあえずは参加していた事務局メンバーに提示してからブログに書くことにしよう。

こういった、ディスカッションの本筋とは別の発想が生まれることは意外と良くある。もちろん内容自体はディスカッションに関係のあることなのだが、微妙にずれているのでその場では話す機会がなかったりする。

ブログというのは、そういった思いつきをとりあえず記録しているには都合が良い。良いのだが、一方で「なぜその場で話さなかったのか」というしこりが残りやすい。その場で提示していれば、さらに新しい発想が生まれたかもしれないからだ。

もっとも、一方でその段階ではまだ芽の状態だから、他者に提示するにはもう少し熟成をへなければいけない、ということもままある。とりあえずその場は自分のメモに残し、あとからゆっくり考えるということは、決して珍しいことではない。

まぁそれはともかくとして、土曜日は結構疲れた。久しぶりに普段の仕事では使っていない頭を使ったような気がする。ナレッジマネジメントのプロジェクトの立ち上げ期はそんな感じだったのだが、そういえば今のCSRの仕事ではあまりそういったプロセスがなかったかもしれない。

本当はそういった時間も必要なのだろう。

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2006年10月12日 (木)

SNSとブログの使い分け

SNSとブログの違いを明確にするとしたらどうなるだろうか。
これはmixiのトピックにも書いたのだが、そもそもmixiのようなSNSは本来ハイブリッドだ。

コミュニケーションという視点で両者の違いを明確にするのであれば、SNSについてはmixiのような日記が書けるタイプではなく、orkutのような「人脈を可視化する」タイプのモノと考えれば良いかと思います。日記が書けるSNSというのは、本来両者をミックスしたハイブリッドなんですよね。

SNS・・・人脈を可視化する(アドレス帳?)

ブログ・・・その人の経験、行動を可視化(記録)する(日記帳?)

あえて両者を違うモノとするなら、このように定義してしまうのが良いだろう。さらに突き詰めると、「そこに掲載された情報はダレについているのか」ということになる。

SNSの日記は、その人の属性を示すものだ。仮に何らかのテーマをもっているとしても、そのテーマに対するその人の関心を示すもの以上にはなれない。
一方、ブログの「ログ」は、無目的で書いた場合は「書き手のパーソナリティ」を示すものにしかならないが、特定のテーマをもって書いたときには、そのテーマに対する文字通り「ログ」になる。

おそらくこの点がSNSとブログを分ける境界線だ。

もう一つの要素として、公開範囲の違いがあるが、これは少なくとも「社内」においてはあまり意味をなさない。社内SNSでも「友人までの公開」とかあったらちょっとびっくりだが、一方でブログにおいても内容によってアクセス権限をつけるというのは、特に社内においては必要なものになりつつある。

いやいや待てよ、社内においても「友人までの公開」という日記を設定したらどうなるだろう。
インターネットにおけるSNSの日記が、こういった機能を持っていることが信頼感や安心感につながっているという話は良く聞く(自分はそうしていないのでその気持ちは良く分からないが・・・)。同じことを社内でも適用できるだろうか。

いや恐らくダメだろう。社内という限られた空間内で、「友人までの公開」といった壁を持つことは、場合によっては安心感ではなく不信感につながってしまう。そう考えると、「人脈の可視化」というSNSの機能は、それが任意に行われた場合「人脈に加えてもらえない」疎外感を生み出す温床としてリスクにさえなりうる。

組織のような外部的な要素によってネットワークが作られればよいが、それでは人脈としての意味がない。

そう考えると、社内SNSというのは、少なくとも「人脈の可視化」という視点で考えた場合、企業にとってはむしろリスクになる可能性が高いのかもしれない。日記だけならブログでも可能だし、それであれば、社内ブログを導入している企業が多いというのもうなずける気がする。

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2006年10月11日 (水)

社内SNS・ブログによるコンテキストの共有化

昨日の続きを考えてみる。
直接的なコミュニケーションとは異なるが、コミュニケーションを円滑化する上で重要な要素がある。それは「コンテキストを共有化」することだ。

コンテキストというのは文脈のことだが、直接的なやりとりの背景にあるお互いの共通認識のようなものと思えばよい。捉え方は幅広いのだが、ある特定の分野に対する共通知識というのもコンテキストの一種といえる。

コンテキストが共有化されているというのは、一種の阿吽の呼吸が働く関係にあるということだ。そこまで言ってしまうと語弊があるかもしれないが、多くの言葉を費やさなくても、伝えたいことが的確に伝わる関係と考えると良いかもしれない。

これはナレッジマネジメントにおいても重要な要素になっている。何も知らない相手に説明するのと、ある程度詳しい相手に説明するのとでは自ずと説明内容は違ってくるはずだが、そのための共通理解がコンテキストだ。知識やノウハウを「書く」際に、発信側がどこまで書いたらよいか分からなくなるという問題が発生することがあるが、これは受け手とコンテキストが共有化されていないために発生する。(逆に受け手が「理解できない」というのも、同様にコンテキストが共有化されていないために発生する。)

社内SNSや社内ブログにコミュニケーションに対するインパクトを求めるとすれば、この部分ではないだろうか。
直接的なメッセージの伝達よりも、その背景にある考え方などを受け手が理解する際の助けになるということだ。

そこでもう一つ気になってくるのが、SNSとブログにはどういった使い分けが考えられるかだ。これは先のmixiのコミュニティでの議論につながってくるのだが、そのあたりについては、明日考えてみることにする。

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2006年10月10日 (火)

社内SNS・社内ブログにおける「コミュニケーション」

mixiの社内ブログコミュニティでSNSとブログの違いについての話題が持ち上がっているのだが、コメントを書きながら、社内SNSや社内ブログに求められている「コミュニケーション」とはどういったものなのだろうか、などと考えてしまった。

投稿主は「社内コミュニケーションのツール」としてSNSやブログを研究しているということだが、ではその「コミュニケーション」におけるSNSやブログに求められるインパクトは何だろうか。

メッセージングとしてのコミュニケーションという意味では、SNSやブログはほとんど用をなさない。メッセージングというのは、相手を特定し相手の土俵に踏み込むことで成り立つコミュニケーションだ。相手を特定せず、自分の土俵に意見を書くSNSの日記やブログのスタイルとは相容れない。

こういった「日記」が効果を現すのは、ゆるやかなつながり感を保ちたい時だ。何と呼べばよいのか分からないが、これも一種のコミュニケーションへのインパクトになる。ただし、直接的なコミュニケーションではなく、間接的な、補完的な役割と言って良いだろう。

問題はこれを「コミュニケーションのツール」とまで言い切ってしまって良いかどうかだろう。すくなくとも、その効果を体験していない人にこれを説明するのが、非常に難しいのは間違いない。

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2006年10月 6日 (金)

職遊近接

昨日の日経産業新聞に「若者求めるオフィス“職遊近接”」という記事があった。

森ビルによるオフィスワーカーが求める職場について調査で、眺望の良さや公園・緑地の潤い、買い物の利便性などが挙げられ、複合施設などのように職場と遊び場が混在することへの抵抗感が薄れてきているという記事だ。

でもそれって、そうでもないと遊ぶこともできない労働事情を反映しているのでは?というのはうがった見方かもしれないが、実際の所こういったロケーションは仕事の「生産性」にどれだけ影響を与えるのだろうか。

もちろんリクルーティングにおける効果は想像できるのだが、実態はイメージほどキレイではないような気がする。そのギャップに対するリスクは、企業側が負わなければならない。

あう、何を書いているのか分からなくなってきた・・・最近ブログの筆が進まないのだが、これは何が原因なんだろうか。

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2006年10月 5日 (木)

「変わらない」ということ

月曜日に社員旅行ではとバスツアーに参加した。
夜のコースでとある料亭に行き、芸者の踊りなどを見たのだが・・・。

正直なところ、廃れていく、という気がした。

その時に感じたのは、ああいった芸事において「変わらない」ということは本当によいことなのだろうか、ということだ。教えを忠実に引き継ぎ、守る。その考え方は一見美しそうだが、実は進歩がない。

一方で「変わらないこと」がよいとされる場合もある。

でもそれはどんな状態だろう。実は対比する「変わるもの」があるから「変わらないもの」が引き立つという側面があるのではないか。絶対的に変わらないものは、「周囲が変わること」によって、実は相対的な変化をしてしまっているのだ。

あれ、しかしそうすると、「変わらない」というのは、周囲の変化に対して「相対的な変化がない」場合にも言えるのかもしれない。食の世界で言えば、名店の味というのは一見伝統を受け継ぎながら、客には分からないように変化しているのだそうだ。客の変化に対して自らを変化させることで、相対的に「変わらない」状態を作り出しているのだろう。

そういった変化は、ああいった芸事の世界にも起こっているのだろうか。正直な話、一見さんである自分などには分からない時代への対応があるのかもしれない。

余談だが、個人的に「半玉」と呼ばれている一人前ではない芸者さん二人が太鼓を叩いている時の二人の叩き方の違いがとても気になった。一方は手首を一切動かさず、一方はスナップを使う。音としてはっきりしているのは後者だが、見た目独特なのは前者のほうだ。どちらが「本来の」叩き方で「粋」で「いなせ」とされている叩き方なのか・・・。

そういった違いが分からないお客を「分かるように」する努力はしてもよいのではないかと思った。いや本当に気になるのだが、あれはどちらが「正式」なのだろう。舞などもそうなのだが、見るポイントみたいなものはどこかで提示されても良いのではないだろうか・・・はとバスツアーなんだし(笑)

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2006年10月 4日 (水)

PPPDCA

昨日の部署内のプレゼン大会(プレゼンの練習を兼ねた勉強会)で、PPPDCAサイクルというのが出てきた。

P1・・・方針
P2・・・現状把握
P3・・・計画
D・・・実行
C・・・検証
A・・・評価

ようは、一般的なPDCAサイクルの「P」の部分を拡張したものだ。図示できないので説明が難しいのだが、P1はサイクルからは独立していて、Aの後はP2につながっている。

PDCAサイクルでいつも気になるのが、AとPの違いなのだが、多少手直しは必要かもしれないが、このサイクルだとうまく整合性が取れるのではないかと思った。大きなポイントは、Aの評価はP3に対して行い、P2の現状把握はP1に対して行うことだ。

P1とP3の違いは、「目標の方向性」と「実際に行うこと」の違いと考えればよい。P1で決められた目標に対して、そのあるべき姿と現状とをP2で把握した上で、具体的な実行計画となったのがP3だ。実践し、検証し、評価するまでは、この「実行計画」に対して行う。実行計画は多くの場合数値で評価できるようになっているから、そこまでは難しくない。

その上で、P2でP1との現状把握を行う。検証と評価が二重に行われているようだが、違うのはCやAにおける検証や評価は、P3に対する「実践」に対する評価であるのに対して、P2が行うのはP3の実行計画に対する検証であることだ。

このようにすると、マネジメントの役割というのがはっきりしてくる。P2は要するにマネジメントの役割なのだ。CAに介入するのではなく、P2に介在することで、本人が自立的にPDCAをまわせるようにしつつ、マネジメントとしての軌道修正も可能になる。

もちろん個人のレベルでやってしまってもよいことで、その際の大きなポイントは目標・方針と実行計画を分けて考え、さらにその評価も分けて考えることだろうか。

そろそろ来年度の目標を考え始めなければならない。今年の検証を反省としつつ、このPPPDCAにそったサイクルを考えてみたい。

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2006年10月 2日 (月)

ほぼ日手帳の使い方を考える

懲りないというか、PDAとしてCLIEを使っているのだから別に良いではないかと思いつつも、ほぼ日手帳の使い方を考えてみる。
もちろん、CLIEそのものを使うのをやめるわけではない。だから無駄ではないかという気もするが、せっかく使うのだから、何らかの有効な使い方を考えたいのだ(考えるだけか?)

まず、年間の予定表。
これはオケ用にしてしまうことを思いついた。週に一度の練習の予定と、その間にやらなければならないこと。
月間のようなスケジュール表だと日曜日だけのぶつ切りになってしまうが、年間ぐらいであれば全体の流れがつかみやすい(と思われる)。

次に月間の予定表。
これは普通にスケジュール管理用だろう。基本的には打ち合わせなどの予定を記入する。社内、社外、プライベート、その他で色分けすれば、わかりやすそうだ。
・・・が、予定はもっともCLIEのスケジュールとかぶる部分である。オマケに部署内でのスケジュールを共有するために会社のカレンダーにも記入しなくてはいけないから、ずいぶんとダブりが発生する。
(ちなみに9月はYahoo!カレンダーの運用も試していたのだが、どうにも難しそう。以前書いたこともあるが、ソーシャルなカレンダーの共有よりも、パーソナルなカレンダーの共有が自分の場合課題である。)

ただし、CLIEではできない部分もカバーできる。例えば自分は参加しないが、把握しておきたい他人のスケジュールなどがそうだ。これまでCLIEに入力してしまうと大変なことになるが、ほぼ日手帳の月間予定表には枠外があるので、そこにざっとメモしておけるという利点はある。

そして日々のページ。
これまでは基本的にメモ用と割り切ってきたのだが、少し考え方を変えて、左側にその日の打ち合わせと作業の予定、右側にそれについてのメモを入れていくような形を考えている。ポイントは、それはその日の朝にやることだ。

いわゆる朝書き日報のイメージになるのだが、そうすることで1日のスケジュールとやるべき作業を明確にしたい。

ただ、問題もある。そのための時間をどう確保するかだ。ただでさえ、朝はブログ書きに追われている(笑)
本当のところは、勉強もしたいのだが、できていない。

こういうのは、枠を決めてしまえば何とかなるものなのだが、逆に枠がないまま「やろう」と考えてもまず自分の場合は続けられない。とりあえずは、出社してから始業までの時間を当てることになると思うのだが・・・。
それと、もし朝書き日報として書くのであれば、当然振り返りの時間が必要になる。実はそちらの方がはるかに確保の難しい問題だったりする・・・。

最後に、これまで日々のページにメモしてきた思いつきのネタなどは、最近入手したメモ帳(ほぼ日手帳に挟み込んである)に書くことにする。ただ、実は「どこでも書こう」と思ったら、CLIEの方が適している(書くスピードは紙の手帳にかなわないが、電車の中などで揺れていてもまず問題なく書ける)ので、そのあたりはどうするか迷うところだ。

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