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2006年12月29日 (金)

仕事納めと年末年始

会社は今日が仕事納めになる。

さすがに今日は電車も空いていた。今日から休みというところも多いのだろう。
もっとも、会社では部署によっては休み中も動いている。24時間365日対応だから仕方ないが、それに比べれば自分の部署はまだましな方だ。

今日は午後に大掃除があり、軽く納会(飲めないけど)をやって終わり。労働時間を調整する関係で時短日になっていて、基本的に残業はしないように指示されている。

さて、年末年始の休暇は何ができるだろう。
困ってしまうのは、車がないことだ。スキーはもちろん行けないし(もっともかなりのスキー場で雪がない)、楽器の練習のために実家に帰るのすら困難を伴う。

何しろ楽器楽譜あわせると15kgは超えるのだ。これを抱えて電車とバスを乗り継ぐのはおっくうだ。
とはいえ、休み中に練習をしておかなければならないのも事実で、一度は行かなければならないだろう。久しぶりにあっちに宿泊ということになるかもしれない。(誰もいないのだが・・・。)

このブログは今年の年初にスタートしたので、ようやっと一年になる。最初の決意はどこへやら、どうでも良いことを書き連ねることも多かったのだが、それはそれとして来年も続けていきたい。

今年は最後にどたばたと不運な出来事が重なってしまった。来年は良い年でありますように。

(基本的に休日は更新しないので、多分これが2006年最後のエントリーになります。こんなブログにお付き合いいただいたみなさま、来年もよろしくお願いいたします。)

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2006年12月28日 (木)

ブログやSNSを第二のタバコ部屋にして良いのか?

自分自身の昨日のエントリの異を唱えるようで恐縮なのだが、ブログやSNSがタバコ部屋に近い機能を持つことは承知しつつ、本当にその方向で進めてよいのかという疑問が実はある。

ただこれはタバコ部屋の持つ「リラックスした場での他愛のない雑談からアイデアを拾い上げる」という性格を否定する話ではない。気になるのは、タバコ部屋にはもう一つの性格として「仲間意識と排他性」が潜んでいるのではないかという点だ。

なぜタバコ部屋ではリラックスして自由な雑談ができるのか。

それは単に空間の力だけではなく、その場に居る人たちの関係が大きく関わってくる。タバコを吸わない人間が突然タバコ部屋に行って、同じように雑談ができるか?タバコは吸うけれども、普段会話したことのない相手が先に居た場合、どれだけ雑談ができるか?

そこにはお互いの人間関係が大きく関わっている。

以前、弱い絆に必要なものや、弱い絆を維持することはできるのかに書いたように、互いの関係が強い絆になったから意見を交換しあうというのでは、リアルなコミュニケーションと変わらない。ネットにはネットのコミュニケーションリテラシーがあって、両者が上手に組み合わさってこそ次のステージに進めると思うのだが、そこで同じような「人間関係」を前提としていたら、先には進めないのではないだろうか。

ついついこういうことを考えてしまうのは、このブログの前身である「ごろうのつぶやき」が、元々社内へのメール配信を前提としていたものから、徐々にその関係が「うっとうしくなってしまい」ブログへシフトし、さらにそれも断ち切るためにブログ自体新しくしたという、自分自身の経験に基づくのかもしれない。

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2006年12月27日 (水)

フィードバックの連鎖を生むために

光栄なことに、同じエントリに二つもトラックバックをもらってしまった。

宝(成功)を生み出すためには一定数のクズ(失敗)も必要なはず
SNSはフィードバックの社会

どちらも「質を上げるためには、一方でそれに数倍する「クオリティの低い」記事の量産も容認する必要がある。」という部分に賛同をいただいたものだ。

実はこれは自分自身がブログを書いて得た実感でもあるのだが、もともとは「アイデアマラソン」の考え方を踏襲したものだ。ブログではなく社内のアイデア掲示板に「使える」アイデアが出てこないことを嘆く人に対し、そもそもそう簡単に「良いアイデア」は出てくるものではない、という説明として使っていた理屈である。

宝(成功)を生み出すためには一定数のクズ(失敗)も必要なはずで書かれているように、タバコ部屋や飲み会の雑談と同じなのだ。違うのは、良いアイデアを拾い上げられる人の数とタイミング面で有利な一方で、そうではないアイデアも同様に記録としては残っているので、正反対の印象を生み出してしまうことだ。

ついでにいえば、リアルなコミュニケーションの場でのやりとりと違って、フィードバックが必ずしもあるとは限らない。「良いアイデア」だと思った人がいても、タバコ部屋ならその反応を見ることができるが、ブログや掲示板では必ずしもその反応が出てこないため、それが実は良いアイデアであったことが必ずしも周囲に(本人も含めて)伝わらないのだ。

そういった意味で、SNSはフィードバックの社会で書かれているようなフィードバックの連鎖はきわめて重要である。ただ、トラックバックはともかく、コメントはなかなか連鎖までは生み出しにくい。

そこで、インターネットでは不可能だとは思うのだが、同じプラットフォームを使うイントラネットのブログならではの機能としてぜひ欲しいのが、コメントを投稿者単位で管理・閲覧できる機能だ。その人のブログのトップから、ブログのエントリーだけでなく、他のブログへのコメントも見られるようにして欲しい。

コメント機能をなくして、すべてトラックバックでフィードバックするという方法もあるが、コメントならではのインターフェースも捨てがたい。一方で、キラリと光るコメントを見たときに、同じ人が他にどのようなコメントをしているのかを追いかけられるようにすれば、さらに思わぬフィードバックの連鎖を生み出せるのではないだろうか。

すでにインターネットのブログでも実装されていたらごめんなさい。

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2006年12月26日 (火)

人の話を信じるということ

ある人を信じていて、その話を信じるというのはどういうことだろう。

例えば「あの人の話は理にかなっているから信じられる」「その話には信憑性がある」というのは、信じているのはその話にある「理屈」や「信憑性」であって、その人ではない。
要するに、その理屈を正しいと感じた自分を正しいと信じているのであって、相手を信じているわけではないのではないか。

変な話になってしまうが、相手が自分にとって理にかなっていない話をしたときに、その相手の話を信じるのであれば、その人を信じていることになるのだろうか。
しかし、一方で、自分にとって信じられない話を相手によって信じてしまうことが、本当に相手を信じていることになるのかは疑問が残る。単に「どんな話でも」信じてしまうだけかもしれないからだ。

人の話を信じるという根拠はどこにあるのだろう。

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2006年12月25日 (月)

年末に重なる不幸?

なんというか、悪いときには悪いことが重なるもので、車をぶつけてしまった。

ハイラックスサーフの後ろからぶつかり、こちらはボンネットがひしゃげてしまったが、不幸中の幸いというか、相手の車は久しぶりにあった父の車で、しかもスペアタイヤにぶつかったためにむこうは無傷だった。(バンパーにすら傷がない・・・。)

痛いのは、車の修理代よりも修理期間だ。年明けからになってしまうので1月20日前後になるという。当然、その分スキーに行けなくなる。(だけではなくて、毎週の練習に行くのがまたしんどいのだ。)

ちなみにネッツに持っていったら、案の定、新車を勧められた。下取り査定額よりも、保険で出る金額の方が上だろうから、この機会に乗り換えたらどうかというものだ。
せっかくなのでオーリスとRAV4に試乗したのだが、乗った感じとしてはオーリスだろうか・・・。

いやいや、今の車に愛着もあるし、余計な出費にもなる。とはいえ、ヴィッツに非力は感じていたので、悩むなぁ・・・。

それにしても痛風といい、車といい、年末になぜこんなに重なってしまったのか。
あと一週間無事に過ごせると良いのだが・・・。

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2006年12月22日 (金)

「お得である」ことのコスト

昨日、モバイルSuicaの契約(設定)をした。
以前はビューカードでしかできなかったのだが、他社のクレジットカードで登録することもできるようになったからだ。

ビューカードの場合、ビューカード自体の年会費は500円だが、モバイルSuicaの会費は無料。一方他社カードの場合年会費が1000円なので、若干こちらの方がコストがかかる。ただ、正直言って切り替えるのが面倒くさい。

実はSuicaに関しては、ビックカメラSuicaカードも検討していたのだが、これも結局面倒になって契約していない。もったいないといえばもったいないだろう。

そういったメリットを拾うのが苦手だったりする。クレジットカードも、他にお得なカードがあるような気がしながら、ずるずると前からのカードを使い続けている。

これは多分、自分にとってこういったツールが直接的な利便性を求めてのものであって、付随するポイントやサービスはどうでも良いと考えているからだろう。提供側としてはある種カモには違いない。ポイントやサービスのコストはどこかにオンされているはずだから、本来そういったものをフルに使わないのは余計なコストなのだ。

ちょっと考え直してみる必要があるのだろうか。
今一番お得なカードって何なんだろう。正直なところ、その「お得さ」を享受するための時間的精神的知的コストの方が高くつくのではないか、と個人的には思っているのだが・・・。

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2006年12月21日 (木)

メールの洪水のパターン

メールの情報洪水と呼ばれる状態には、実は2つのパターンがあると思う。

メールの着信数で考えてみよう。実際に多いかどうかはともかくとして、1日100通のメールに悲鳴をあげてしまった人がいるとする。彼はこの状態を何とかしなければと考える。

スパムは除くとして、100通の内、実は必要なメールは20通ぐらいだった場合、その「メールの洪水」状態は手元の情報システムで何とかできる。必要か必要でないかの判断は自分でできるのだから、後は本人のリテラシーの問題だ。80通は自分にとっては不要だが、相手が送るのであればそれは受け取ったことにしておけばよい。

受け手が判断するということはそういうことだ。見る見ないの判断は自分にある情報ということになる。

一方、必要なメールが80通ぐらいだったらどうだろうか。これは情報システムの問題ではなく、仕事の問題だ。仕事のボリュームを変更するなり、やり方を変えるなり、とにかくシステム以外の面で何とかしなければならない。
場合によっては、自分にとっては必要ではない情報にする覚悟が必要になる。

この場合、見る見ないの判断は実は自分にはない。見なければいけない情報として、判断は相手にある情報ということになる。

この両者の区別がついている人というのはどれぐらいいるのだろう。昨日ふとそう思う機会があった。

いわゆる新着を知らせる通知メールなんていうのは、限りなく前者に近い。だから自分が見る必要がないと思えば見なければ良い。しかし、これを後者として受け止めてしまうと、「なぜこんなものが送られてくるのか」と相手の判断を問うてしまうことになる。

送る側はそんなことは考えていないのだ。受け取る側が見る見ないを判断すれば良いと考えているから。
必要と考えていない相手に送ることの是非はともかくとして、メールにはそういったある種の割り切りが必要なのではないかという気がする。

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2006年12月20日 (水)

VAIO-Tが欲しい

このところ、VAIO-T が気になって仕方がない。久々の(大物に対する)物欲の疼きを感じている。

今の Let's Note に取り立てて不満があるという訳ではない。いやあることはあるが、それでも買い換えるほどではないように「理屈では」感じている。

それでも気になって仕方がないのは、恐らく個人の PC の使い方が、仕事から趣味の分野にシフトしつつあるからだろう。

Let's Note を購入したとき、もう一つ候補として挙がっていたのは、FMV の LOOX-T だ。その時は結局 Let's Note に軍配があがったのだが、当時は AV系の機能にはそれほど大きなウエイトが置かれていなかった、ということと、仕事にも使う気があったことが大きい。

しかし、今は仕事で使うことは大分減っている。というか、使えなくなってきたのだ。
そして、仕事で使う機会が減るにつれ、それ以外で使う際に Let's Note に物足りなさを感じる、ということだろう。

・・・もっとも、単に買い換えるのが好き、というしょうもない一面もある。
具体的に不足を感じるのは、光学ドライブが搭載されていないことと、HDD の容量が足りなくなってきた、といった点ぐらいだからだ。理屈では買い換えるほどではない、というのはそういうことでもある。

Let's Note に買い換えたとき、それまで使っていた ThinkPad との性能差は CPU のクロック数で3倍、HDD の容量にいたっては6倍以上の違いがあった。
今回買い換えても、性能差は CPU がトントン、HDD は2倍といったところ。これはそれなりの金額をつぎ込むにはちょっと躊躇してしまう程度の差だ。

さてさて、どうしたものか・・・結局、Vista も気になることを考えれば、今回は控えるのが良いのかもしれない。

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2006年12月19日 (火)

この冬は何日スキーに行けるのか

スキーに自分で行けるようになった大学時代を盛岡で過ごしたこともあり、いまだにスキーに行くときに「事前に予定を立てない」ことが多い。
大学時代は、朝「今日行こう!」と思っても十分だったからだ。

しかし、東京在住ではさすがにそうはいかない。
それでもこれまではあまり考えたことが無く、せいぜい前日に行くことを決める(行くスキー場は当日決める)ような状態だった。結果昨年は2日しか行かないというていたらくがあり、今年はそもそもどれぐらい行けるのか、もう少し考えてみることにする。

今週末、土曜日にタイヤをスタッドレスに履き替える。
ただ、日曜日は練習があるためにスキーに行くことはできない。元々自分にとってのシーズンは1月~3月である。

年末年始の31日~2日にかけて、父親からスキーに誘われているのだが、これはいわゆるスキー教室の類で(申し訳ないが)個人的に得るものが少ない。(その上遠い!)
で、これはキャンセル。年末年始休暇(30日~4日)の間に行けそうなのは、2日と3日だろうか。泊まれば良いのだが、日帰りの場合連続はつらいかもしれない。

さて、1月~3月の間、土曜日は13日ある(日曜日はオーケストラの練習があるため、そもそも除外)。

このうち、1月20日はiUGの研究会、2月3日はヤマハ(の演奏会)のゲネプロがあるため、行くことはできない。フルに行けば土曜日だけで11日行けることになるが、前の日に飲み会などが入ると行くのは難しい(←それ以前に痛風なんだから飲むなよ!)

それ以外の休みは、1月8日(連休としたいところだが、7日は練習がある。それも1日練習)、2月12日、3月21日の3日。それと、2月の5日~9日に休暇の申請をしている(ただ、これは仕事の状況次第)。

年末年始の2日も含め、単純に合計すると21日はなんとか行けることになる(笑)

ただ、これは最大値だ。普通そんなには行けない。大体1月中は日曜日が毎週1日練習のため、ほおっておけば掃除洗濯などの日常のことができなくなってしまう。2月も、3月4日のミニクラシックコンサート次第では日曜午後に練習が入る可能性があるのだ。

狙いたいのは2月の長期休暇なのだが、仕事の事情を考えると、なかなか事前に宿などを押さえておくのが難しいのが正直なところだ。

もっともそれ以前に、1回のスキーに交通費その他含めて2万円弱かかることを考えると、フルに行ったら40万を超えてしまう。こっちの方がそもそも条件になってしまうかもしれない。

そうだなぁ。やっぱり10日ぐらいをめざすかなぁ・・・。

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2006年12月18日 (月)

痛風!

先日の続きだが、血液検査の結果、痛風であることが明らかになった。
自慢ではないが、これまで血液検査でひっかかったことはない。酒も結構飲むのだが、γ-GTPの値は高くなるそぶりさえ見せたことがない。

それなのに・・・痛風(ちなみに尿酸値の異常として表れる)。

ともかく、薬をもらったのだが、飲むと発作が出ることがあるらしく(なぜ?)、年明けから飲むことを勧められる。下手に年末に発作が出ると、病院がやっていないからだ。
というわけで、とりあえず年内は発作が出ないように注意しながら節制に励む(?)ことになりそうだ。

ちなみに、自分の生活パターンを見直してみると、確かに酒は飲むのだが、これが影響しているようには(実は)あまり思えない。生兵法はけがのもとということは分かっているが、実はここしばらく、お酒の回数や飲む量は減少傾向にある。

一方で、気になるのは食事の量だ。酒の席で飲む量を減らした分(もっとも、それでも多分他の人よりは十分多いと思う)、食べる方に走ってしまっている気がする。最近は比較的1回の酒席の時間が長い傾向にあるので、飲む量は意識的に抑えているのだが、最初から最後まで食べっぱなしという点は変わりない。

結局、両方とも抑え気味にすることで、摂取総カロリーを減らすしかない。医者にもそう言われた。お酒の種類をビールから焼酎にシフトすること、食べる量を減らすことだ。

後は水を飲むこと。とりあえず、コンビニで大容量のペットボトルを買っていこう。


さて、そんな流れ(どんな流れ?)で紹介するのも恐縮なのですが、事務局として参加しているiUGの第5回研究会が来年1月20日に開催されることになりました。

くわしくはこちらから

研究会の後の懇親会(飲み会)も楽しみの一つなのですが、当面はドクターストップとなりそうです。
今週末には忘年会もあるんですけどね・・・。

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2006年12月15日 (金)

痛風?

一昨日の夜から原因不明の足首の痛みに悩まされ、昨日の朝は一時立てない状態にまでなったため、病院へ行った。

ねんざか何かと思っていたのだが、原因に心当たりがない。確かに一昨日の夜は結構痛むのを無理に歩いてはいたのだが、そもそも痛くなり始めた理由が分からない。ひねったり、くじいたりした記憶がないのだ。

そんな話を医者にしたら、「痛風の可能性がある」とのこと。

えーっ!?

そんな訳あるか、と強がっていたのだが、昨日一日安静にしたにもかかわらず、今日も痛みがひいていない。そもそもスキーなどをやっている時に何度かくじいたりひねったりしたこともあるのだが、そういえばこんなに長引いたことはない。

単にトシなのかもしれないが、さすが不安になってきた。聞いた話だが、30代の若年層(?)で痛風が広がっているそうだ。

血液検査と尿検査の結果が分かるのは明日なのだが、どうなるのだろう。
この日記(?)も痛風日記になってしまうのだろうか・・・。

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2006年12月13日 (水)

弱い絆を維持することはできるのか

先日のエントリに弱い絆について書いてから、頭を離れない疑問がある。
それは「弱い絆を弱い絆として維持していくことはできるのか」という疑問だ。

絆は接触を積み重ねればどうしたって強くなっていってしまう。最初は弱い絆でも、その縁をきっかけにして関係を深めていけば、それは強い絆に変化してしまうのだ。そして一旦強くなった絆を弱い状態に戻すのは難しい。

弱い絆と違って、強い絆は強いがゆえにエネルギーを必要とする。

実はmixi疲れの正体というのはそういうものなのではないだろうか。SNSはその性格上、ネット上での絆を強化するベクトルが働いている。最初は弱い絆のつもりでいたはずが、いつの間にか強い絆に転化してしまい、それゆえに「疲れて」しまうのだ。

では、ネット上での弱い絆を弱い絆のまま維持できるような仕組みは可能だろうか。

そうすると、結局2ちゃんねるのような匿名の場がそうだと考えざるを得ない。他者のアイデンティティを把握できない「匿名」というシステムは、弱い絆を弱い絆のまま維持し、強い絆へ転化させることがない。
(ただし、その「場」そのものと強い絆を結んでしまう可能性はある。)

ブログやSNSは、ネットワーク上で自らのアイデンティティを明らかにし、他者のアイデンティティを把握することを可能にする。それはリアルと同じような「強い絆」へとシフトする流れだ。

それはそれで画期的なコミュニケーションの進化なのだが、一方でネットが持っていた、リアルにはない「弱い絆」が失われてしまう流れでもある。本当にそれで良いのだろうか、という気もしてしまうのだ。

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2006年12月12日 (火)

ローカルな問題

昨日は「食の安全・安心ブランド調査2007発表記念セミナー」に行ってきた。
講演のテーマは食品添加物で、最近の危険性を煽るばかりの風潮に疑問を呈する趣旨の内容だったのだが・・・。

細かい内容はともかくとして、気になったのは「食品添加物の問題は本当に社会的な問題なのだろうか」ということだ。社会的な問題というのがあいまいならサステナブルな話題といえるのか、ということでも良い。

食品添加物が騒がれる根本的な理由は、添加物に関する正しい知識が伝わっておらず、きちんとした理解がされていないためだ。それは、分かる話だが、では理解してもらって何が変わるのだろうか。

「添加物」では範囲が広すぎるので、保存料に焦点をあてよう。食品を長持ちさせるための保存料は、あまりイメージが良くないため、最近は「保存料無添加」ということをうたう商品も増えている。一方で、日持ちがしないために賞味期限切れで廃棄されたり、保存料を使う商品よりも菌が繁殖しやすいため、食中毒のリスクが高まっているという。

では、これは食品添加物の問題だろうか。

廃棄される食品の問題というのは、きわめて大きな問題だろう。世界の3人に1人は飢餓に苦しみ、3人に1人はその日食べるのがやっとで、残りの1人は食べて太らないかと悩んでいるという。この問題は(この問題こそ)きちんと取り上げられるべきで、食品添加物に関連してちょっと話題にすればよいというものではない。

遺伝子組み換え(最近言われ始めた環境影響ではなく、あくまでも食の安全に関連した議論)も同様なのだが、添加物の安全性というのは食の問題としてはあまりにローカルで「富める者」の話題という感じなのだ。

ただ、一方でドメスティックなビジネスを営む食品企業としては、そのローカルな話題こそ最大の死活問題でもある。そういった点をどうクリアしていくかというのは難しい問題なのだが・・・。

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2006年12月11日 (月)

12月10日の練習

昨日は一日練習だった。午前中に5月の定期演奏会の練習、午後に2月の依頼演奏会の練習。2月4日の本番まで、大体そんな練習が毎週続く。今回は譜読みということもあるが、実際にやってみるとやはりしんどい。

午前中は、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」前奏曲と、レスピーギのローマの松。5月の定期演奏会では、この他にメンデルスゾーンの交響曲第4番とレスピーギのリュートのための古代舞曲とアリア第3組曲を演奏する。

カヴァレリア・ルスティカーナは間奏曲が有名なのだが、今回は前奏曲だ。あまり確認をしていなかったのだが、スコアとパート譜にかなり差があることが分かる。早急にチェックしてパート内に周知しておかないと、指揮者が来た時に大変なことになるだろう。
もっとも、本当に気になるのは(失礼ながら)他のパート、特に管楽器なのだが・・・。一度アピールをしたほうが良いのかもしれない。

ローマの松は・・・管楽器の曲だな、と感じた。正直、弦楽器はあまり面白くない。ソロもあるので疲れるのだが、「美味しくない」のだ。まぁ弦楽器だけでオーケストラが成り立つわけではないし、めちゃくちゃ難しいということもない。後は慣れの問題だろう。

午後は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲を練習する。

ラフマニノフのピアノはオケのメンバーが代弾き(本番の演奏者の代わりに練習のために演奏する)したのだが、彼女はチェロとしてもステージに乗る。それにしても急にお願いされてもちゃんと弾いてしまうというのがすごい。以前はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ協奏曲の中で技術的には最も難しい曲の一つだそうだ)でも代弾きをしてもらったことがある。

そのラフマニノフは、大学時代と今のオケの入団当初に演奏したことがあり、実質3回目ということになるのだが、譜読みに大分余裕があるためか、楽譜上の指示とは違う「思い込み」で弾いている箇所が何カ所かあることが分かった。感覚で弾いているとそういうことがあるのだが、これも今後直していかなければならない。

メンデルスゾーンも以前エキストラで演奏したことがあり、今回は(個人としては)2回目。全体としても第3楽章以外は何とかなりそうだが、ソリストとあわせたときの音量のバランスなどが気になるところだ。

モーツァルトは多分初めてだと思うのだが、もしかしたら何かの機会にやったことがあるかもしれない。テンポが速いので、意外と手こずりそうな気がする。

来週までにやっておくことは・・・カヴァレリア・ルスティカーナのスコアのチェックと、練習用にコピーした楽譜の製本、ボーイング(運弓)の仮決めといったところだろうか。結構やることあるな・・・。

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2006年12月 8日 (金)

弱い絆に必要なもの

昨日のセミナー(OECD知的資産経営国際カンファレンス)で、あるスピーカーが「弱い絆」についてこんなことを言っていた。

●人のネットワークには、同質的で閉鎖的な強い絆を持つネットワークと、多様で開放的な弱い絆を持つネットワークがある。
●強い絆ばかりだと、変化に弱くなるので、これからは弱い絆の構築も重要になる。
●その弱い絆を構築する際に重要なのは、FtoFの場数を通して、短時間で信頼関係を作り、相手の真意を見抜けるような能力を身につけること。

ところが最近はそういった(FtoFの)機会が少なく、若者の「弱い絆」を構築する能力が低下している・・・というのがおおざっぱな趣旨なのだが、若者云々はおいておくとしても、この最後の理屈はどこかおかしい気がする。

そもそも「強い絆」という概念は、信頼関係や「言わなくても」相手の真意を読み取れる関係のことだからだ。
この人の言うとおりだとすれば、強いか弱いかは「構築までの時間が長いか短いか」で決まるということになってしまう。

申し訳ないが、日本的コミュニケーションを重視するおじさんらしい考えだと考えざるを得ない。

そうではないのだ。弱い絆を構築する際に重要なのは、「他人は原則として信頼できる」という考え方と、「言葉の裏の真意は考えない」というコミュニケーションスタイルだ。「絆」という言葉で考えてしまうから誤解してしまうのかもしれないが、強い絆と弱い絆というのは、コミュニケーション原則のパラダイムそのものの違いで捉えるべきだ。

強い絆・・・信頼できる仲間、言わなくても通じる(言わないことにも踏み込む)関係によるネットワーク
弱い絆・・・信頼できる他人、言ったことだけが通じる(言わないことには踏み込まない)関係によるネットワーク

このように別のベクトルで捉えないと、結局同じような指向性を持った絆の強さの問題だけということになりかねない。

オンラインの世界が「弱い絆」のインフラとなるためには、そういった価値観の転換も必要なのだ。

最近mixiなどで騒がれている実名の問題は、結局後者のリテラシーが社会的に確立されておらず、そこ(オンライン)に書かれている情報以上の関係に「踏み込んでしまう」無神経さから来ているものだろう。

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2006年12月 5日 (火)

格差と差別

毎週金曜日に、イントラネットに「その週にあった気になる記事とそれについて一言」を投稿している。「一言」という長さではないのだが、先週だとこんな内容だ。

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■教育再生会議 生徒や親が教員評価 分科会素案「不適格」排除へ
(毎日新聞 12/1)

正直な話、何故なのだろうと思う。

政府の教育再生会議の分科会がまとめた学校教育改革に関する素案で、「不適格教師を排除するため、あらゆる制度を活用する」という姿勢が打ち出され、保護者や児童・生徒が教員評価に参加する第三者評価などを打ち出したという。

第三者評価そのものは決して悪いことではない。問題があるとすれば、記事(別面の関連記事)でも指摘されているように、教師が媚びるようになるというものだが、それは結局本人たちの首を絞めるだけのことだ。

気になるのは「不適格教師を排除するため」という姿勢だ。いじめ問題でもいじめた子どもを登校禁止にするといった「排除」の意見があったのだが、そこに「ムラ社会における村八分」の論理を感じてしまうのは自分だけだろうか。

不適格な教師が教育現場にいてもよい、ということではない。教師にだって淘汰はあって良いだろう。だがそこで不適格者を「排除」するのではなく、適格者を「評価」する方向の考え方が何故出てこないのだろうか。

一見すると同じなのだが、評価か排除かはプロセスに大きな違いがあり、それが結果にも表れてくる。

良い評価というのは、評価した相手が目の前から消えることがない。当然判断を間違えた場合もそれが判り、評価した側は評価した責任をそこで自覚することができる。それが、評価眼を豊かにしていくこともつながってくるし、評価される側のレベルを押し上げることにつながる。

対して排除は評価者の目の前から消えてしまう。仮にその判断に間違いがあったとしてもそれは永遠に判らない。判断の結果が検証されないから、評価眼が養われるということもない。評価する側のレベルが上がらなければ、評価される側のレベルも上がることは絶対にない。

減点方式というのは、実は評価側に優しい方式である。評価が誤っていた場合に、評価側が負うリスクがほとんどないからだ。
一方、加点方式というのは、その評価が誤っていた場合のリスクが評価側にも及んでくる。

どうして、「良い教師」を褒め称えるのではなく、「悪い教師」を排除するという方向での議論になってしまうのか。そういった「大人の世界の評価方法」が、そのまま子どものいじめなどにもつながっているといった発想はないのだろうか。
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この「良い教師を評価するか、悪い教師を排除するか」という捉え方について考えていたら、こんなことを思いついた。

良い教師を評価するやり方は、教師間の競争につながる。これは最終的に教師間の「格差」を生むことにつながっていくだろう。
一方悪い教師を排除するやり方はどうだろうか。これは厳格なルールとその遵守につながる。最終的には何だろうか。上手い表現が思いつかなかったが、ルールからはみ出た「格外」あるいは「(自分たちと違うという)差別」につながっていくのではないだろうか。

「格差」と「差別」を対比させるのは乱暴な気がするのだが、これが日本社会の特質なのではないかという気がする。すべて同じ(人間)だけども差がある「格差」ではなく、同じ(人間)同士は平等だけれども、そうではない境界線を引いてしまう「差別」を志向する傾向がないだろうか。

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2006年12月 4日 (月)

紙の手帳とPDA

いよいよ12月に突入した(って、前回のエントリーですでに突入しているのだが・・・)。
それがどんな意味を持っているかというと、実は来年のほぼ日手帳が使えるようになるのである。

とはいっても、年間インデックスには12月はないし、日々のページも通常の半分しかない。
そういった意味では今年の手帳を使い続けた方がよいのだが・・・それにしても、世間で紙の手帳を使っている人は、年度の変わり目をどのように処理しているのだろうか。

個人的にPDAを手放さないのは、そういった理由もある。「切り替えがいらない」のだ。

大学時代の「手帳」は大学ノートだった。左半分のページに7行×2列で線を引いて左側に学校・寮関係、右側にオケ関係のスケジュールを記入していた。右側のページはその週に起きたことのメモだ。
ただのノートだから、ページが尽きれば次のノートに移行する。年に2~3冊ぐらい切り替わっただろうか。それでも、当時はかなり重宝していた。

今はそれができない。一番の理由は長期のスケジュールが入るからだ。オーケストラの定期演奏会のスケジュールは、すでに来年の9月まで確定しており、年末の第九も確定している。こういった先のスケジュールは、メモとして書いておいてもよいが、やはりスケジュールとして入れておきたい、という気持ちがある。

来年の予定も似たようなもので、この時期すでに来年前半のスケジュールは次々入ってきているのだが、紙の手帳ではそういった面に対応できない。いやいやもちろん書き写せば良いのだが、ようするに面倒くさいのである。

実は野口悠紀雄氏の「超」整理手帳も、一時期使っていたのが継続できなくなったのは、結局8週間(裏もあわせて16週間)先までが1シートの限界だからだ。それに8週間が見渡せるといっても、シートの最後の1週間の場合には、広げただけで8週先まで見通せるわけではもちろんない。

そんなわけで、スケジュール管理はまだまだPDAに頼ることになりそうである。
実は他にもいくつかPDAだから手放せない利点があるのだが、それはまた別の機会に書いてみることにする。

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2006年12月 1日 (金)

仕事術

今日から「仕事術!」というオンライン会議室を社内で立ち上げることにしている。その名の通り個人の仕事術について情報交換をするための会議室で、知り合いに声をかけて有志で立ち上げたものだ。
ちなみに今の仕事(CSR)とはもちろんまったく関係ない。

結構な人数に声をかけたと思うのだが、反応があったのは10名程度。ちょっと寂しい気もするが、人数が多ければ良いというものではない。オフィシャルな場ではないので、参加に二の足を踏んでしまうケースもあるだろう。
だからこそ、それでも自ら手を挙げて参加してくれた人には期待していたりする。

しかし、「仕事術」って何をテーマにするのか、という話もあるだろう。
大体、そんなのは別に社内でやる必要がない。というか、社内より社外でやった方がよい(笑)

それでもあえて社内で立ち上げたのは、一般的な「仕事を効率よくこなす技術」だけではなく、自社ならではの仕事の進め方の問題やその変革といったテーマにも、少し踏み込めないかと思ったからだ。

また、社内では特定のテーマで特定のメンバーとなるとどうしてもいつも似通った相手になる場合が多い。
そこでこういった誰にでも共通する話題によって、普段接する機会のない人同士の交流のきっかけにしたいという想いもある。

当面はスケジュールやタスクの管理、会議の進行方法、メールなどITの技術などを中心に質問を投げかけながら進めていく予定。もちろん、参加メンバーからの投げかけも期待している。

さて、どうなることやら。

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