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2006年12月21日 (木)

メールの洪水のパターン

メールの情報洪水と呼ばれる状態には、実は2つのパターンがあると思う。

メールの着信数で考えてみよう。実際に多いかどうかはともかくとして、1日100通のメールに悲鳴をあげてしまった人がいるとする。彼はこの状態を何とかしなければと考える。

スパムは除くとして、100通の内、実は必要なメールは20通ぐらいだった場合、その「メールの洪水」状態は手元の情報システムで何とかできる。必要か必要でないかの判断は自分でできるのだから、後は本人のリテラシーの問題だ。80通は自分にとっては不要だが、相手が送るのであればそれは受け取ったことにしておけばよい。

受け手が判断するということはそういうことだ。見る見ないの判断は自分にある情報ということになる。

一方、必要なメールが80通ぐらいだったらどうだろうか。これは情報システムの問題ではなく、仕事の問題だ。仕事のボリュームを変更するなり、やり方を変えるなり、とにかくシステム以外の面で何とかしなければならない。
場合によっては、自分にとっては必要ではない情報にする覚悟が必要になる。

この場合、見る見ないの判断は実は自分にはない。見なければいけない情報として、判断は相手にある情報ということになる。

この両者の区別がついている人というのはどれぐらいいるのだろう。昨日ふとそう思う機会があった。

いわゆる新着を知らせる通知メールなんていうのは、限りなく前者に近い。だから自分が見る必要がないと思えば見なければ良い。しかし、これを後者として受け止めてしまうと、「なぜこんなものが送られてくるのか」と相手の判断を問うてしまうことになる。

送る側はそんなことは考えていないのだ。受け取る側が見る見ないを判断すれば良いと考えているから。
必要と考えていない相手に送ることの是非はともかくとして、メールにはそういったある種の割り切りが必要なのではないかという気がする。

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