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2007年2月28日 (水)

トラックバックはそもそも何のために生まれたのか

先日エントリーした友人の友人まで公開がなんだかやたらとトラックバックを受けている。
もっとも、別に意見でも何でもなく、単なるスパムである。こちらをリンクで紹介する訳でもなく、トラックバックURLもない。当然公開する気もない。(このエントリーはトラックバックしたので公開するけどね。)

ふと思ったのだが、トラックバックというのは、そもそも何のために生まれたのだろう。これまで「ブログを通じたコミュニケーションのため」と思っていたのだが、これはブログというツール、もっといえば規格が広く使われるようになったから成り立つ話であって、単独のHPと見た場合にはあまり意味がない。

そもそもこのツールは当初から今のような利用を見込んで作られたのだろうか。
むしろ、自分のブログ内での相互リンクを容易にするための機能としての要望が先にあった、ということではないのか。

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2007年2月27日 (火)

ミニクラシックコンサート

来週演奏会があるので、その話など。

今所属しているオーケストラでは、年に2回の定期演奏会があるのだが、それ以外にもちょこちょこと機会がある。2月のヤマハは突発的なものだが、毎年3月には「ミニクラシックコンサート」が行われる。

これは大編成のオーケストラではなく、室内楽曲など小編成のアンサンブルによる演奏会だ。団員によるエントリー制で、全員が演奏するわけではないが、ホールもきちんとしたホールを使う。他には春に地域のバレエ教室の発表会で演奏や、夏に子ども向けの演奏会などがある。

ミニクラシックコンサートでは、団員の普段とは違った側面も見ることができる。今回自分が一緒に演奏するのは普段はヴァイオリンの女性とビオラの女性だが、演奏するのは弦楽三重奏ではなく歌曲である。自分はチェロのままだが、ヴァイオリンの女性がソプラノ、ビオラの女性はなんとオルガンを演奏する。

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2007年2月26日 (月)

友人の友人まで公開

昨日久しぶりにmixiにマイミク申請があった。知らない人からだったのだが、個人的には特にこだわっていないので承認をしてしまってから「そういえばプロフィールや日記は友人の友人まで公開というパラメータも多いな」ということを思い出した。

つまり、そういった友人のプロフィールも自分を通じて相手に公開されてしまうことになる。
申請相手のプロフィールが少々怪しかった(アフィリエイト系で日記も外部のブログ、プロフィールも信憑性がない)ということもあり、これは問題があるかもしれないと考え、改めてマイミクから外すことにした。

人脈(ネットワーク)の可視化だけでなく、個人情報の可視化も要素として含まれている場合、マイミクの登録はより慎重にならなければならないということだろう。

しかしこれは、SNSの機能やサービスという面から見た場合、足かせとも言えないだろうか。

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2007年2月22日 (木)

新たなスポット

東急本店近くのウェンディーズで無線LAN(mopera-Uの公衆無線LANサービス)が使えなくなってから、PHSを利用する日々が続いていたのだが、新しいスポットを発見した。マクドナルドの渋谷丸井店だ。

単純に喜んでいたのだが、ここってBBモバイルポイントなのだろうか。サービスエリアとして登録されておらず、BBモバイルポイントで登録されている。ローミングを利用した場合、1日500円かかってしまう。ようするに1回500円ということで、これはかなりキツイ。

ただ、接続の情報を見るとBBモバイルとは別に、mopera Uも表示されている。
自動でログインできてしまうのでどうにも分からない。

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2007年2月20日 (火)

品質が同じ場合、なぜ安い方を買うのか

なぜ我々は、品質が同じ場合に安い方を買うのだろうか。

もしそのモノやサービスの価値の評価として対価を払っていると考えた場合、安い方を選ぶというのはその価値評価を自ら下げてしまっていることにならないだろうか。

「いやいや、安いことも品質だよ」という考え方もあるかもしれない。しかし、そのモノやサービスが提供している本質的な価値への評価というのは、本来価格とは無関係なはずだ。

一方で、価格が高いのは「ぼられている」からかもしれない、という考え方もある。しかし、実はそれもモノやサービスへの評価には関係がない。大切なのは「満足できるか」であって、「価格が正当か」ではないはずだ。

「良いモノなら高くても買う」という意見もあるだろうが、この場合モノは同じだから、「(相対的に)良いモノ」という考え方は意味がない。あくまでも、同じモノに対して価格が違ったときに、なぜ我々は「安い方に満足してしまうのか」ということなのだ。

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2007年2月19日 (月)

前工程への視点

おのざき耕平のがんばれ三重県!過剰サービスが生み出す横柄な「お客様」というエントリーがあった。
たまたま先日そのサービスの対価は・・・を書いたばかりだったのだが、改めて「サービス」と「お客様」について考えてしまった。

何で書いたのか忘れてしまったのだが、以前「お客様は対価を払ってこそお客様たりうる」という趣旨の主張をしたことがある。一方的にサービスを享受するのは「お客様」の「仕事」ではない。自分が受けたサービスに対し、対価と適切なフィードバックを行って始めて、両者の関係は成り立つのではないか、という考え方だ。

その時は、企業内で「後工程はお客様」といわれる考え方に対し、「後工程の人たちは、お客様として正当なフィードバックを前工程にしているか」という視点で考えたものだったのだが、企業内でなくともこういった考え方はできるのではないか。

ただ、一方で注意が必要なのは、だからといって前工程の側からそれを「求める」ことも、やはりどこか違うのではないか、ということだろう。大切なのは、自分の後工程に対する視点ではなく、前工程に対する視点である。

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2007年2月16日 (金)

そのサービスの対価は・・・

先週の土曜日(10日)だったと思うのだが、WBSで郵政公社と宅急便会社の比較が行われていた。お届け時間や料金などを比較しながら、消費者のコメントなどが紹介されていたのだが・・・。

ふと思った。それは本当に「サービス」なのだろうか。「早く届くこと」「安いこと」はサービスが良いということなのだろうか。

むろん利便性は向上していることになるし、安い方が得した気分になる。利用する側の視点からだけで見れば、「サービス」と呼んでも良いかもしれない。

しかし、その裏には何らかの無理がある、という発想がもう少しあっても良いのではないか。

翌日届くと言うことは、夜間運ばれているということになる。つまり「誰かが」運んでいるということだ。その「誰か」に対して、自分が払った対価が適切である、自分が払ってもらう立場だったら納得できる対価である、と胸を張って言えるだろうか。

もし言えないとしたら、それは「サービスを受けている」のではなく「サービスの提供者を搾取している」と言えないだろうか。

自分たちはサービスの享受に対して、あまりに無頓着なのではないか・・・無邪気に比較して「こちらの方が便利ですよね」とあっさりという消費者に対して、そんな感想を抱いてしまった。

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2007年2月15日 (木)

アフィリエイトトラックバック

最近、アフィリエイトだけが目的と思われるトラックバックが増えてきたので、公開を承認する形に切り替えた。
まぁ気にするほどの件数ではないのだが、やはり気持ちが悪い。

通知を受けて、(タイトルと概要で大体分かるのだが)念のため開いてみて、「あれを開け」「こちらをクリック」ばかりのページを目にすると、なんというかそのセンスのなさに辟易する。こちらのエントリーへのリンクもなく、そのくせ重たい。

せっかくだからトラックバックし返してやろうかとも思うが、大抵受け付けていない。コメントも出来ない。

こんなものが当たり前のように出回るようになると、再びマスメディアのようにある一定以上のクオリティを持った媒体が注目されるようになるのではないだろうか。マスメディアの広告は見なければ良いのだが、こいつらは勝手にずかずかと上がり込んでくるので余計たちが悪いし気に障る。

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2007年2月14日 (水)

書けないCSR日記

もう一つのブログとも言えるCSR日記がこのところエントリーできていない。
(その割にアクセス数はコンスタントに伸びている。なんだかな~。)

こちらは、社内向けに夕方書いているものだが、その時間が取れなくなってきたのだ。単純にいえば仕事が忙しくなって書く時間がなくなったということになる。

しかし、なんだかその理由は釈然としない。「時間がない」を口実にしてしまって良いのか、という妙なプレッシャーがある。

ちなみにこのENIGMAは、朝食の時間に書いているので、「ネタがない」はともかく、「時間がない」という口実は成り立たない。そういった「明確な」時間確保があれば、さて書けるのだろうか。

もっとももう一つ理由として、以前は書いていた直接的な仕事のネタを避けて、一般的なCSRに関係しそうな話題にシフトしているため、そのネタがキャッチできていない、という事情もある。これまた仕事が立て込んでいるためだが、実際昨年のこの時期は社内クローズだったので、日々の「仕事上の」話題などで乗り切っていたと思う。

まぁそれも「覚悟が足りない」といえば頭を垂れるしかない。思い切って明確に時間を確保しようと考えたことはあるが、朝と違って夜は区切りが難しかったりする。

・・・あとは昼か。昼休みに外食(ちなみにそのメニューは携帯で撮影し、mixiの日記に掲載している)をするのをやめれば、時間は確保できる。病気の関係で摂取カロリーを減らす必要があることを考えれば、それが良いのかもしれない・・・ちょっとさみしいが。

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2007年2月13日 (火)

ターン弧の調整をする操作の違い

昨日は白樺高原国際スキー場に行ってきた。ちょっと傾斜面なのだが、上から下までフラットなバーンを一気に滑ることができる。ここもスキーヤーオンリーだ。

三連休の最終日ということもあってか、午後からはかなり空いたため、結構思い切って滑ることが出来た。
そこで感じたことなのだが・・・。

今履いている板は、昨年購入した165cmのカービングスキー。それまで履いていた185cmに比べると、当然サイドカーブがきつい。当たり前だが、サイドカーブを活かしてターンをすると、ターン弧がかなり小さく、急激に切り込むように回る感じがある。

しかし、これも当たり前だが、もう少し大きなターン弧で回りたいときもある。そこでサイドカーブを活かしたターン弧よりも大きく回るには、エッジをゆるめて外側にスキー全体をずらしていかなければならない。

これが実は意外に疲れる。

以前の185cmの板の場合、サイドカーブを活かしたターンではターン弧が大きすぎる傾向があった。これまた当たり前のことなのだが、そういった板の場合、ターン弧を小さくする操作が増える。具体的には、テールをずらすか、トップを内側に切り込ませるような操作をする必要がある。

以前書いたプルークターンの3パターンでいえば、パターン2もしくはパターン3にあたるスキーの操作だ。感覚的にはこちらの方が操作がコンパクトで足への負担が少ない。
一方、ターン弧を大きくする場合、パターン1に近い操作が必要になる。スキー全体をずらしていくときの振動が足全体に跳ね返ってくるのでかなり負担が大きい気がする。

なんというか、改めて感じたのだが、このターン弧を小さくするための操作と、ターン弧を大きくするための操作の違いは少し考えさせられた。
そういえば最近プルークの練習をすると、パターン1の練習が一番スムーズで、パターン2や3の感覚が上手くつかめないことがある。これは、それ以外でのスキー操作における使うパターンのウェイトの変化も影響しているのかもしれない。

今シーズン中に一度くらいは以前の板を履いてみるとより分かるかもしれない。幸いなことに靴は同じなので、スキー場に持って行きさえすれば、履き替えることは可能だ。

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2007年2月 9日 (金)

自分を追い込む

今週はかなりバタバタしていた。

元々年初に申請した休暇(年始休暇やお盆休みがなくなった分、年間で5日分の休暇を事前申請する形になっている)を今週は入れていたのだが、やはりというか、この時期は無理ということでキャンセルを決めたのが先々週。
その後予定が次々と入り、報告書作成に向けてのヒアリングが7件、打ち合わせが4件、その他の打ち合わせ3件という状態になった。

もっとも、人と会うのが仕事の営業などの場合、これ以上のスケジュールをこなすこともあるだろう。自分の予定などたいしたものではないはずだが、それでも個人で進めなければならないタスクなどが滞る。多分、もともとが甘いのだ。

しかもこういった反動が、翌週出たりする。そうしないためには、ひたすら自分を追い込んでいかなければならない。
多分、今週以上のスケジュールでも、追い続けていればこなせるようになる。

昨日NHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀」を見ながら、そんなことを思った。もちろん、あんな人のレベルには遠く及ばないのだが、正直なところ、もう少し仕事では自分を追い込んでも良い。いやいや「自分は仕事を追いかけても良い」だろうか。

今日はヒアリングが1件と打ち合わせが1件。その間の時間でどれだけたまったタスクをこなせるかで、結果は大きく違ってくる。

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2007年2月 7日 (水)

盗用記事の定義

最近、朝日新聞での盗用記事が問題になっている。
でも、盗用記事の定義というのはなんだろうか。

問題の記事を確認していない(いつもながらいい加減で恐縮だが)ので、実際どの程度似通っているのかわからないのだが、内容が似通っていたら「盗用」なのだろうか。

最初の報道では「参考にして」とあった。参考にした結果、似通ってしまったら「盗用」なのだろうか。
新聞記事とはもちろん違うが、ブログのような形で情報発信をしている身としてはとても気になってしまう。

誰かと似たような問題意識を持つことだってあるだろうし、「正しく」書こうとすると表現の幅が狭くなり、書き方に工夫の余地がないなんてこともあるのではないか。

気になるのは「盗用」という言葉のイメージなのだ。丸々コピーした場合はともかくとして、内容を参考にした、あるいはインスピレーションを受けた元の文献を紹介しなかったというある種のマナーの問題と、盗用という表現にはギャップがあるように思えてならない。

「盗用」の問題だとすると、ダメだから「やってはいけない」という結論になる。「マナー」の問題であれば、なるべくなら「そうではなくこうしましょう」という話になる。この両者はその後の行動が大きく違う。

そもそも、参考にする、真似をする、というのは、そうしたということが明示されている限りは、決して悪いことではないと思うのだ。参考にされる、真似をされるというのは、元のコンテンツの質の高さを証明するようなものだからだ。
また、互いが互いを参考にし、真似をする中で高まっていくものもあるだろう。

「盗用」「真似はダメ」という捉え方は、その可能性を摘んでしまうような気がしてならないのだが、どうなのだろう。

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2007年2月 6日 (火)

個別のアクセスログ

このブログの過去のエントリーで、いまだにコンスタントにアクセスのあるものに「惻隠の情」というエントリーがある。去年の4月に書いたものだから、かなり前のものだ。

何故かと思ってGoogleで「惻隠の情」を検索してみたら、検索結果の上から3番目に表示された。なるほど。
話題の「国家の品格」を読むこともなく、新聞に書かれていた情報だけで書いたものと考えると少々恐縮なのだが、まぁ光栄なことには違いない。

どのエントリーにアクセスがあるかというのは、アクセスログで調べることができるのだが、こういった過去のエントリーへの注目度というのは、イントラブログなどにおいても貴重な情報になるだろう。ただ、その情報がクローズされているのはもったいないかもしれない。

はてなブックマークのように(最近始めてみた)、公開され共有されていれば、生きたアクセスログとして使えるということだ。

アクセスログといえば、最近会社でPCの利用状況を記録するようになったという連絡があった。
これもただ「監視」だけではもったいない。せっかくのモニタリングなのだから、より効率的な使い方につながるような活用をして欲しい。


・・・で、何を考えたかというと、実はこのENIGMAよりももう少し真剣に書いているCSR日記では、実はアクセスログがわからないのだ。全体の足あとはわかっても、個別の足あとでなければ、単なるモチベーションのための情報にしかならない。
(ちなみにアクセス数はあちらの方が多かったりする。)

そんなわけで、こちら(ココログ)へ移行することを考えてしまった。今の契約なら3つまでブログを持つことができる(はず)。クイック投稿三昧ははてなブックマークで代替できるので、これを切り替えようかな・・・。

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2007年2月 5日 (月)

演奏会雑感

昨日は演奏会だったので、その雑感など。
場所は羽村市の生涯学習施設ゆとろぎ大ホール。主催はヤマハ立川店で、曲目は・・・

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

というもの。自分の所属するオケは普段は府中以外で演奏しないのだが、たまたま縁があって依頼があり、約1ヶ月半の練習で本番に臨むことになった。若手のソリストに若手の指揮者。というか、指揮者は高校生だからなぁ。

とはいえ、やはり勉強は大切だと思った。高校生の指揮者は、指揮の技術そのもののキャリア不足はどうしようもないが、曲に対する理解などは勉強することによって深めることができる。そういった部分は、実は今のオケに絶対的に不足している気がする。(もちろん自分自身にも。)

さて、打ち上げの後に、フィガロの結婚だけ録音を聴くことができたのだが、演奏中走っていると感じた箇所が、聴いてみるとそうではなかったのが意外だった。暴走を押さえようと必死だったのだが、無理なことをせずに流れに任せた方が良かったのだろうか。

そういった部分は、日々の練習を録音して聴き直すことでつかめてくるのかもしれない。
考えてみたら、そういった「振り返り」も普段あまりしていない。結局その時その時に何となく楽しんでいるだけなのが、なかなか進歩できない理由なのかもしれない。

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2007年2月 2日 (金)

「産む機械」発言への怒りは何から生まれているのか

柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言が大きな問題になったが、実は彼に対する批判で気になっていることがある。
それは、その批判の原動力とも言える「怒り」はどこからきているのか、ということだ。

自分はそうではないと考えていて、その考えの違いに怒っているのか?
それとも、なんとなくそう感じていたことを、ずばり言われてしまったことに怒っているのか?

乱暴な意見であることは承知の上で言わせてもらえば、実は後者だという人がいるのではないか、という気がしている。なぜかというと、前者の場合「女性は産む機械ではなく、○○である」という意見がもっと噴出しても良いと思うのだが、「女性は機械などではない」という意見だけが大きくクローズアップされてしまっているからだ。

残念なことだが、女性は現実には産む機械と扱われてしまっているということはないだろうか。例えば、昨年世間をにぎわした皇位継承者の問題の時に、その現実を感じた人はいなかったのだろうか。

正直に言えば、自分は「産む機械」だとは思っていないが、だからといって「産む機械ではない」と言い切れる自信もない。なぜなら、「では何か」という質問に答えられないし、現実に対してそれを変えるアプローチもしていないということは否定をしているともいいきれない無責任な状態だからだ。

もっとも、例えば自分は少子高齢化と人口減少をそれほど問題視していない。だから、女性の産む産まないにはそもそもあまり関心がなく、そういった視点で捉えることがない。
だから、そういった関心のある人が、女性の出産というものをどう関連づけて考えているのかは知りたい気がする。

あるいは、女性を「出産」という視点でのみ捉えてしまっているから、この問題が取り沙汰されるのではないか、という気もする。これも乱暴であることを承知で言えば、出産は女性という「人」の一部でしかない。「産む機械」というのを、その一部に対する発言と考えれば、それを全体の問題として捉えてしまうことの方が女性に対しては失礼な気がしなくもない。

「女性は産む機械ではない」という発言も、女性を出産のみで定義していることにかわりはないからだ。女性=出産と考えているから、それを機械と言われたことに怒りを感じるということはないか。出産は女性という「人」の一部にすぎないと考えていたら、ここまで怒るだろうか。

念のために(弱気)書いておくと、自分は柳沢大臣を擁護する気はさらさらない。ただ、その発言を鬼の首をとったように騒ぎ立てる人は、本当は女性は何だと考えているのか、きちんと表明した方が良いのではないか、と思うのだ。

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2007年2月 1日 (木)

プルークターンの3パターン

先週の土曜日にようやく今シーズン初のスキーに行ったので、その時のことなどを書いておこう。
行ったのは、ブランシュたかやま。中央道諏訪ICから40分ほどだろうか。(そんなにないか。)

ここ数年、シーズン最初はこのスキー場に行くことが多い。スキーヤーオンリーというのは大きな理由ではないが、大きなターン弧でロングターンをしようとすると、途中で立ち止まっているスノーボーダーがいない方が楽なのは確かだ。

もっとも、一番大きな理由はこのスキー場は下部に長い初心者コースを持っていることがある。ゆったりとした緩斜面は、自分の姿勢をチェックするのに適しているからだ。

そこでは大抵、プルーク(いわゆるハの字)での姿勢のチェックを行っている。
数年前に尊敬するスキーの先生に教えられて以来、意識しているのは三種類のプルークの使い分けだ。

一つめはターンの際に外スキーに全体で過重するターン。初心者の段階で習うターンがこれだが、イメージ的には体を斜め前方外側に倒し込むようにして、スキー全体に圧をかけていく感覚だ。

スキーを押し出したり、ひねったりはしない。基本中の基本なのだが、意外と忘れていて出来なかったり、きちんと乗り切れない場合がある。
また、緩斜面なので当然過重が強すぎると止まってしまう。スピードを出さず殺さず、左右にぶれないようにスキー全体に乗れるポイントはそう大きくはない。

二つめはテールを押し出すようにスライドさせていくターン。感覚としてはかかとを押し出していくように外足に過重していくイメージだが、膝を内側に入れて内エッジを立たせるのではなく、あくまでも押し出していく感覚が重要になる。

この二つまではなんとかできるし言葉でもある程度説明できるのだが、三つめが難しい。
テールをスライドさせるのではなく、トップをターン方向にひねり込んでいくターンだ。ひねり込むという表現が正しいかどうかも分からないが、感覚としてはとにかくトップをターン方向に落とし込んでいく感じだ。

このターンの過重感覚はいまだによく分かっていない。このエントリーを書いていてふと思ったのは、クロスオーバーのように、ターンの方向に体を傾けながら外足に過重していくと考えると良いのかもしれないということだ。

次のターンに向けて体をまずその方向にひねると、スキーがそれについていこうと自然に向きを変える。これがクロスオーバーの理屈だが、そう動かしていくと体の動きにまずスキーのトップが追随する形になる。
次に行った時に、その感覚を試してみると良いのかもしれない。

いずれにしても、カービングスキーになってから、むしろ意識しなければいけないのはスライド(ずらし)を使ったターンだと言われている。カービングスキーは、エッジを効かせたターンは得意だが、一方で従来のスキーで容易だったずらしによるターンが難しくなる。特にカービングスキーから始めた人はその感覚が掴みにくいそうだ。

幸いにして自分にはずらしのイメージも残っているが、確かにカービングになれてしまうとその感覚が薄れていくのがわかる。そこで意識してこういった練習をするのだが・・・。

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