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2007年2月 2日 (金)

「産む機械」発言への怒りは何から生まれているのか

柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言が大きな問題になったが、実は彼に対する批判で気になっていることがある。
それは、その批判の原動力とも言える「怒り」はどこからきているのか、ということだ。

自分はそうではないと考えていて、その考えの違いに怒っているのか?
それとも、なんとなくそう感じていたことを、ずばり言われてしまったことに怒っているのか?

乱暴な意見であることは承知の上で言わせてもらえば、実は後者だという人がいるのではないか、という気がしている。なぜかというと、前者の場合「女性は産む機械ではなく、○○である」という意見がもっと噴出しても良いと思うのだが、「女性は機械などではない」という意見だけが大きくクローズアップされてしまっているからだ。

残念なことだが、女性は現実には産む機械と扱われてしまっているということはないだろうか。例えば、昨年世間をにぎわした皇位継承者の問題の時に、その現実を感じた人はいなかったのだろうか。

正直に言えば、自分は「産む機械」だとは思っていないが、だからといって「産む機械ではない」と言い切れる自信もない。なぜなら、「では何か」という質問に答えられないし、現実に対してそれを変えるアプローチもしていないということは否定をしているともいいきれない無責任な状態だからだ。

もっとも、例えば自分は少子高齢化と人口減少をそれほど問題視していない。だから、女性の産む産まないにはそもそもあまり関心がなく、そういった視点で捉えることがない。
だから、そういった関心のある人が、女性の出産というものをどう関連づけて考えているのかは知りたい気がする。

あるいは、女性を「出産」という視点でのみ捉えてしまっているから、この問題が取り沙汰されるのではないか、という気もする。これも乱暴であることを承知で言えば、出産は女性という「人」の一部でしかない。「産む機械」というのを、その一部に対する発言と考えれば、それを全体の問題として捉えてしまうことの方が女性に対しては失礼な気がしなくもない。

「女性は産む機械ではない」という発言も、女性を出産のみで定義していることにかわりはないからだ。女性=出産と考えているから、それを機械と言われたことに怒りを感じるということはないか。出産は女性という「人」の一部にすぎないと考えていたら、ここまで怒るだろうか。

念のために(弱気)書いておくと、自分は柳沢大臣を擁護する気はさらさらない。ただ、その発言を鬼の首をとったように騒ぎ立てる人は、本当は女性は何だと考えているのか、きちんと表明した方が良いのではないか、と思うのだ。

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