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2007年4月18日 (水)

記者クラブ主催の定例会見

宮崎県の東国原知事が、県政記者クラブ主催で月に2回開催されている定例会見について、「重要な発表事項がない時は、必要ないのではないか」という意見を述べて、記者達と一悶着あったようだ。

全紙を確認したわけではないのだが、毎日新聞と朝日新聞を読み比べると、東国原知事の意見をどう受け止めているかの違いが感じられて面白い。同時に、メディアが報じる側面は、気をつけて受け取る必要があるということも浮かび上がってくる。

朝日新聞の論調は、東国原知事の意見に否定的である。というか、東国原知事の意見を否定的意見として受け取ったというべきだろうか。
最後にマスメディア論に詳しいという元立正大学教授のコメントとして「都合の良い時だけ会見するというのは、メディアを利用して宣伝効果だけを得ようとする、ずるいやり方だ。定例会見をなくすることは権力監視の低下につながる。」と締めくくっている。

一方、毎日新聞はもう少し冷静な感じがあるが、これは朝日と読み比べてしまったからかもしれない。

気になったことは2点あった。

冒頭の意見の理由の一つとして、知事は「統一地方選には飽き飽きするぐらい答えた。」と発言している。これは両紙が同じような趣旨の発言を取り上げているので、そうなのだろう。実はこの理由は、「重要な発表事項がない」というよりも「記者の質問が定例会見に見合った内容になっていない」と知事が感じているということではないか。

個人的には、定例会見には確かに重要な権力監視の機能があると考える。ただ、それは監視する側の質があってのものだ。記者達は一体知事に何を聞きたいのか。紹介されている知事の意見からは、質問が厳しいからそこから逃げるためにではなく、質問が同じようなものでくだらないから無駄な時間として不要ではないか、と感じていることが垣間見える。

知事を批判する前に、記者クラブの記者達にはやることがあるのではないだろうか。

もう一つは、記者側から「県民が聞きたいことを代弁する役割もある」との意見に「私は県民から直接聞きたい。それが県民の本音だ。県民に意見を聞いてみたい。」と答えたと毎日新聞は報じているのに対し、朝日新聞では同じニュアンスの回答として「あなたたちが聞きたいことが、必ずしも県民の聞きたいこととイコールだとは思わない。」と伝えていることだ。

あるいは発言のタイミングは別だったのかもしれないが、それにしても両者のニュアンスは随分違う。毎日の報道が知事は対話を広げようとしているように感じられるのに対し、朝日の方は知事が対話を閉じようとしているような印象になるからだ。

定例会見が県庁の主催で行われているのであれば、重要であろうがなかろうが、定例会見に見合った内容を準備する責任が知事側にはあると思う。そのように対話の場を用意したのだから。

一方、定例会見が記者クラブの主催で行われているのであれば、その趣旨に従って知事に対して突っ込んだ質問をしていく責任はむしろ記者側にあるはずだ。知事側の発表を口を開けて待っているようであれば、それは不要ではないか、と思われても仕方ない。

知事は思いきって、県の主催で月2回、タウンミーティングをやったら良いのではないだろうか。記者だけを対象にする必要もない。記者クラブでの定例会見にこだわる必要もない。記者を対象にするような県からの発表なんて、あるわけない(県の発表というのは、記者ではなく県民を対象とするものだ)のだから、そうやってもっと多くの人に開かれた「定例会見」を行った方が良いのではないだろうか。

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