松岡氏の自殺をどう評価するか
松岡農水相が自殺したことは、どう評価されるべきなのだろうか。
死者についてとやかくいうのは、日本ではあまり良いことではない。でも疑惑云々ではなく、教育改革に力を入れている安倍政権だからこそ、とても気になるのだ。
松岡氏の自殺は、子どもへの教育上どんな影響があると考えるべきだろうか。
いじめで自殺をしてはいけないというメッセージを発している大人として、彼の死をどう捉えればよいだろう。
まず気になるのは、彼が「いじめられていたか」どうかだ。もちろんこれは大人のロジックで考えてはいけない。
理由はどうあれ、彼が周囲から注目され、追いつめられていたことは確かであり、そもそもマスコミの論調もそういったことを苦にしての自殺といったニュアンスがある。これは、外面的にはいじめの構造に似ている。
これが自殺の引き金になったのだとすれば、大人の「いじめられても自殺してはいけない」というメッセージは説得力を失う。
さらにいえば、「いじめは絶対にいけない」というメッセージさえ力を失うことになる。大人は「いじめていた」ことになるからだ。
次に気になるのが、彼に自殺以外の「立ち向かう」「逃げる」といった選択肢があったかどうかだ。
これは今回の事件の今後の評価による。もし死ぬ以外の道がなかったといったニュアンスで評価されるのだとすれば、これまた子どもにたいしての「自殺以外の選択肢がある」というメッセージが力を失うことになるからだ。
思うに、松岡氏の自殺については、これ以上注目せずに、言葉は悪いが「黙殺」するしかないのではないか。
淡々と自殺は自殺として扱い、彼が抱えていた疑惑とはきっぱりと切り離し、疑惑は疑惑として追及する。自殺したことで追求がうやむやになるのであれば、「死がすべてを解決する」なんてメッセージになりかねないし、そもそも疑惑の追及というのは「個人を責めること」で成り立つのではなく、「問題の構造を明らかにする」ことが目的のはずなのだ。
林道談合ではもう一人キーマンとされる人物が自殺している。
なんというか、大人がこんな状態なのに子どもにたいして「自殺はいけない」なんて、どんな顔をしていうのだろうか。
教育再生会議のメンバーは、そういった見地から今回の自殺に対して、何らかの評価とメッセージを出すべきではないだろうか。
子どもに「自殺をしてはいけない」という前に、まず大人が自殺をしてはいけない。これは本人の意思や判断の問題ではなく、社会としてそういう構造を作り上げなければいけないのだ。
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