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2007年5月23日 (水)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか

昨日は仕事で遅くなってしまったので、楽譜の製本が出来なかった。今日こそやらなければ・・・。

職場で回覧されてきたので、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(竹田邦彦/洋泉社)を読んだ。詳しい数値の検証はさておき、ざっと読んだのだが・・・。

「環境問題は」なぜウソがまかり通るのか、というよりも、「この世の中は」なぜウソがまかり通るのか、という感じの内容というのがその印象だ。たまたま環境問題を取り上げただけで、基本的に本書で描かれているウソの構図は、環境問題に特有の問題という感じではない。
一番大きな主張は、メディアによる故意の誤報と、業界に潜む利権の構造の問題なのだが、これは環境問題だけに存在する話ではないからだ。

そういった視点で読むのであれば、この本で書かれている内容が「故意の誤報」と同じ構造を備えているかもしれないということは頭の隅に入れておいた方が良いだろう。

例えば最初の章にはペットボトルのリサイクルについて書かれている。ペットボトルのリサイクルが進むことによって、逆に大量消費に拍車がかかったということが主張されている。実際データで見ても、リサイクルのための回収量がふくらむにつれて消費量も伸びていることが提示されている。

だが、ペットボトルの消費量が伸びることで回収量が増えるという関係ならまだしも、回収量が増えることで消費量が増えるという関係があるというのは少々無理があるだろう。リサイクルがペットボトルを使うことの「免罪符」になる側面はあるにしても、本質的な原因はペットボトルが便利だから消費量が伸びたのであって、リサイクルされたから伸びたなんてことはないはずだ。

そういった部分が、巧妙にすり替えられている、という印象は否めない。

ただ、だからこの本に問題がある、というのは少々早計で、特に環境問題のような「右向け右」に流れているようなテーマには、こういった異論はむしろ必要だろう。科学的なモノの見方というのは、絶対の真理があると考えるのではなくて、常に反証の可能性があると考えることだそうだが、環境問題を宗教の問題ではなく科学の問題にするためには、こうした反論もなければ成り立たない。

ちなみに個人的に気になってしまったのが、環境問題について科学的に論じていたはずが、最後の最後で「日本人の美点を取り戻せ」という情緒的な主張になってしまっていることだ。環境問題の是非を論じながら、日本人のあり方を問う。そう思って読むとまた少し違った見方ができるかもしれない。

「日本ではなぜウソがまかり通るようになってしまったのか」ということが、本来の主張かもしれないのだ。
日本人が昔はそうではなかった、というのは、個人的には「本当かなぁ」とも思うのだが・・・。

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