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2007年5月 7日 (月)

企業の社会的責任とは責任逃れのための方便ではないか

企業のCSRをまがりなりにも担うものでありながら、最近「企業の社会的責任」という言葉がどうもうさんくさく思えて仕方がない。そもそも、企業という組織は、社会的な「責任」とやらを担える主体たり得るのだろうか。

企業というのは、便宜上法人格を与えられていたりするが、それ自体は実体を持たず、意思決定の主体でもない。意思決定をするのは、経営者であり、従業員であり、投資家であり、消費者といった一人ひとりだ。その総体が企業という組織の行動に表れるだけで、企業それ自体が意思を持っているように見えるのは錯覚にすぎない。

「企業の社会的責任」という言葉は、その錯覚を現実のものとして、かかわる一人ひとりの責任をあやふやにしてしまう魔のキーワードではないか。そんなことを考えてしまった。

ただ、だから責任を問うなとか、そういったことではない。何か問題があるのであれば、責任は問うべきだ。しかしそれはその責任を担える一人ひとりにきちっと細分化し落とし込んで初めて意味があるのではないか。一人ひとりが持っている責任を明らかにすることが大切なことではないだろうか。

CSRレポートは、多くの場合、ステークホルダーに対する「企業の責任」を記述する。消費者に対する責任、従業員に対する責任、投資家に対する責任、取引先に対する責任、地域社会に対する責任・・・責任を負い、果たすのが企業の役割で、それを受け取るのがステークホルダーという構図がそこにはある。

でもおかしくないだろうか。ステークホルダーこそ、企業に対する責任を担っているのではないだろうか。もちろんそれは企業の存続のためではなく、その企業を通じて社会に供される価値に対してだ。その価値に対して、一人ひとりのステークホルダーが担っている責任を記述するのが、CSRレポートの役割ということはないだろうか。

もっとも、ではこれをどうやって記述するのか、と問われれば、正直今は沈黙するしかない。一部ではそういった記述はある。社会に提供される価値を消費者に提供する価値と置き換えれば、消費者以外のステークホルダーの(消費者に対する)責任は、記述されていることが多いからだ。

でも例えば、人権問題に対して、企業の責任は記述されていても、消費者の関わりと責任まで記述されているケースは少ないだろう。フェアトレードに取り組む企業の姿勢は記述されていても、それを購入する消費者の姿勢の評価や、逆にそれを購入しない消費者の責任を問うような記述はないはずだ。

実際にはそこまで踏み込もうとすると、企業の立場だけでは発行することが難しい。そもそもCSRレポートは何を伝えるものなのだろうか。

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コメント

難しいテーマに突入されましたね。(^^;

企業の社会的責任。すごく難しいテーマだと思います。上場企業、非上場企業でも、責任の種類・重さが違うと思いますし、規模によっても違いは出ると思います。
企業の最低限の義務は、
1.利益を上げて、
2.従業員に給料を支払って、
3.存続すれば、
成立するのだと思います。
ですが、業種によってはPL法という責任を背負っており、サービス仲介業でさえ、その先のサービス提供企業に関する責任まで背負わされることがあります。(旅行会社などがそうですね)
顧客に対する責任ばかりを協調してしまうと、自社の社員への責任等を全うできない恐れもあります。(給料は支払えるけど、賞与が減ったり、昇給出来なかったり・・・)

なかなか簡単に考えを整理できませんが、「逃げ」と「守り」の部分がないとは言えないと思います。その一方で、本気で「社会的責任」を追求しようとしている企業があるのも事実だと思います。
一つの言葉で整理しようとしても、無理があるんでしょうね。
「定期点検」でさえ、「最低限」しかやらず、「部品交換」を怠る企業さえあるわけですし。。。

色々書きましたが、ぜひこのテーマ、継続していただければ、と思います。(依存症・・・汗)

投稿: ooki | 2007年5月 7日 (月) 08時43分

ookiさん コメントありがとうございます。
毎日書くのは(考えるのは)しんどいですが、まぁ時々こんなテーマでも書いてみます。
(報告書の作成が一段落すると、こういったことを考える余裕も出てくるんですよね・・・。)

「企業」にできるのは、自ら社会的責任を果たすことではなく、ステークホルダーが社会的責任を果たすのを(その活動を通じて)手助けすることではないか、という気もしています。
(その視点がないから、例えば投資家は「お金のためだけに」投資をしているような印象になってしまうのではないかと・・・投資家が企業を通じて果たす「社会的責任」は何かという視点が最初からあれば、自ずと違ってくるような気もします。)

投稿: ProjectK | 2007年5月 8日 (火) 08時13分

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