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2007年5月18日 (金)

信頼というスキル

ITproの加速するネットの進化と、その果てにある“もう一つの地球”を読んでいたら、「信頼というスキル」という言葉が出てきた。

「こういうのって、阿吽の呼吸と似たところがあるよな~」と感じたのだが、もう少し考えてみると違う部分もある。

肝心なのは「スキル」という捉え方だ。阿吽の呼吸はお互いを分かり合う「関係」から生まれるものだが、「スキル」には自己完結しているような響きがある。阿吽の呼吸は相手がいて成り立つものだが、信頼のスキルは自分だけで成り立つのだ。
(だから、「知らない他人を信頼」できるのだ。阿吽の呼吸ではそうはいかない。)

自分だけで「信頼」を成り立たせるためにはどうすればよいだろうか。そのためには、まず自分自身の考えというか、自己を確立していなければならない。阿吽の関係というのは、互いに寄り添う形で成り立っている。自身を確立していないというのは言い過ぎだが、相手がいて初めて自分自身の価値基準が成り立っているという側面があるのは間違いない。

乱暴な捉え方かもしれないが、信頼のスキルというのは、そういった他人が介在する要素がないのではないか。相手がどうであれ、自分自身が確立しているから、逆に相手を信頼できる・・・そういうことではないだろうか。
自分が確立しておらず、他人に寄って立っているのであれば、自分の一部を預けることになるから、おいそれとは信頼できない。相手に預ける部分がないから、逆に信頼できるということはないだろうか。

などと考えていたら、そういえばこれは音楽のアンサンブルと似たようなものではないかと思いついた。アンサンブルのハーモニーは、究極的には相手の音を聞き、感じ取りながらではだめな部分がある。完璧(という表現が適当かどうかは分からないが)なハーモニーは、それぞれがそれぞれの出すべき音を出すという信頼に基づいて、自分の音を完璧に出したときに、結果として成り立つのだ。その時、互いに寄りかかる要素は全くない。

もちろん、現実にはそれではアンサンブルは成り立たないことも多く、実際にはお互いを聞きあうということが必要になってしまうのだが、おそらく本当のハーモニーが生まれる瞬間というのは、そういった「他にあわせる」ことなく互いが寄り添った瞬間になのだろう。

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