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2007年6月19日 (火)

理不尽な親

37歳になってしまいました。

この「なってしまいました」というのは、年齢に問題があるような言い方なのでよろしくないのだが、感覚的にはそんな感じというか、37歳にもなって大丈夫なのか(いろいろと)ということではある。

それはさておき、昨日の読売新聞1面で取り上げられていた「理不尽な親 学校苦慮」という記事は、最初は本当かよと苦笑してしまったのだが、実はあまり笑い事ではなかった。実感としては遠い話なのだが、一般的にこの記事で取り上げられている親の世代というのは、自分と同じぐらいか、少なくとも自分ぐらいを中心に上下に広がっている世代ということに気付いたからだ。

彼ら理不尽な親たちが、彼らだけの個人的な特質としてそうなのか、世代的な特質としてそうなのかは、考える必要があるかもしれない。さらにいえば、それが子どもと学校だけに向けられているのか、職場においても実は同じようなことが起きているのか、ということもだ。

個人的に一つ思ったのは、彼らは学校における教師の(子どもに対する)絶対性は認めているということだ。さらにいうと、その教師の絶対性は、少々社会的には間違っていても「教師がそうといえばそう」という絶対性である。だから「掃除をしない」「転校させる」という判断を「教師がすれば」その通りになると思っている。

実際は教師だってそこまでの絶対性は持っていない。教師が黒といえば白いものも黒、なんてことは本来ありえない(むしろそうではないことを教えるのが教師の役目だ)のだが、彼らはそう思い込んでいるらしい。だから彼らの学校への要求は、教師あるいは学校がそういえばそうなるという前提に基づいて、「外部からの要求で」そう言わせようとしているということに他ならない。

そこでもう一つ浮き彫りになってくるのが、学校において教師は絶対だが、親である自分は(学校との関係において)それ以上の存在と思っていることだ。これはそういった立場的な階層性を無意識に持っていることになる。少なくとも、自分が教師と対等、あるいは教師の方が上と思っていれば、こうした要求はでないに違いない。

こういった価値観はどのように育まれたのだろうか。

この考え方は、実は時折会社生活でもささやかれる「上司の言うことは絶対」という価値観に似ている。正しいことが正しいのではなく、上位の者が言うことが正しい。それは上司だったり教師だったり親だったりするのだが、そういった立場的な階層を作って、社会的通念とか常識よりも、階層が上の者の意思が絶対、という価値観が潜んでいるということはないだろうか。

理不尽な親と、理不尽な上司や理不尽な客というのは根っこは同じものかもしれないのだ。

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