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2007年6月28日 (木)

自衛のための武力行使

3日ほどエントリーを休んでしまったのは、仕事を優先してしまっていたからだが、朝7時に出社して夜の10時過ぎまで仕事をするというのは、普段残業を極力避けている身としては、テンションが上がる一方で疲れるのは確かだ。ま、佳境なので仕方ない。(昨日は早めに上がり、今日はいつものように出社。そろそろ労務に目をつけられていそうな気がする・・・。)

休日も挟んでいるのでその間のネタはいくつかあるのだが、とりあえず新聞ネタから。月曜日(25日)の朝日新聞に憲法改正、特に9条に関するコメントがあったのだが、その中で映画監督で作家の森達也氏のこんな発言があった。

「改憲論者は、自衛権を放棄するのかと言うが、自然権である自衛権を放棄などできない。自衛の手段としての武力行使を否定するのが9条だ。」

なるほど、これはいじめに対抗する手段の議論に似ているのではないか、と思った。いじめられた子どもに対し、「やられたらやり返せ」「やられる前にやれ」と教える大人はまずいないだろう。いじめから身を守るために、いじめる相手と同じことをやる(つまり同じような手段で相手をいじめる)ことを正面切って正当化できる大人がいるだろうか。

しかし、一方で現実のいじめにどう立ち向かうか、と考えたときに、それをはねのける力が必要なのも確かだろう。大人の世界であれば、物理的な実力行使というのはなかなか考えにくいが、子どもの世界ではそういえない面もある。その延長で考えるのであれば、つまり、戦争という物理的な実力行使を伴う問題解決が行われる国際社会というのは、子どもの社会と同じで、大人の社会ほど成熟していない、ということが前提と言うことになる。

(もっとも、大人の社会だって、結局最後にものを言うのは実力行使だったりするので、それが人間の本性と言えば本性なのかもしれないが。)

個人的には改憲の議論と9条の議論と戦争放棄の議論は別々にした方が良いと思うのだが、それは理屈の問題であって現実的ではないのだろう。ただ、議論のやり方として、「実際に戦争を行う条件」というのを詳細に詰めてみると良いのではないか、という気がする。漠然と「自衛のため」とかいうのではなく、どういったケースであれば9条では対応できない武力行使になるのか、それは(9条というルールに関係なく)社会的感覚として受け入れられる武力行使なのか、という議論をするのだ。

9条ありきの議論ではなく、ようは「自衛のための武力(実力)行使」とはどういった武力行使なのかを詳細に突き詰め、その必要性を議論することが、結果として9条の要不要につながっていくのではないか、という気がする。

(でも多分日本ではそういった議論は出来ないだろう。言霊の国である日本では、ネガティブな想定を口にするのは非常に抵抗感が強いからだ。何故かというと、言ったことが現実になることを恐れているからだが、で、そういう国だからこそ、うっかり「自衛のための戦争」なんて言葉を口に出さないように9条という縛りが必要なんじゃないか、という気がする。)

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