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2007年7月13日 (金)

個人の倫理観と社会システムの限界

昨日から今日にかけて報道されていたが、北京の露天で肉まんに段ボールが混入されていたというのは、なんともすごい話である。ミートホープの偽装がかわいく見えさえする。

(もっとも、両者の根本的な違いは、北京の事件は個人の倫理観だが、ミートホープは組織の倫理観が問われているということだ。ミートホープの事件で「社長の指示」が大きな要素を占めるのは確かだが、それを個人の問題だけに帰属するのは少々問題がある気がしている。)

さて、この事件だが、「個人の倫理観」と言ってしまうのは簡単なのだが、もう少し大きな社会システムの問題に踏み込む勇気が我々にはあるだろうか。それは、市場主義、資本主義という社会システムにそもそも限界があるのではないか、という切り口だ。

具体的には、「コスト削減」のために段ボールを混入した彼らが、それは市場経済の問題で、以前の社会主義経済、統制経済体制だったらこんなことはなかった、と主張した場合に、我々はどう反論すべきだろうか、ということだ。断っておくが、この場合、統制経済でも同じことはあっただろう、というのは(実際あったのではないかと思うのだが)あまり意味がない。

個人の倫理観に頼らざるを得ない現在の経済システムの限界にどう向き合うか、ということだからだ。

ちょっと答えはないのだが、個人的には「倫理」という言葉自体が、人間の本性に枠をはめるものというニュアンスがあって、「倫理観を求める」というのはそもそも抑制を求めるものだから、結局それが破られてしまうのではないかということだ。言葉の遊びのようで恐縮だが、ちょっとまとまっていない。

そうではなく、本性そのものをポジティブに活かせていくような社会システムはできないのだろうか。弱肉強食になってしまうかな・・・。

(でも弱肉強食というのは、「強い者は弱い者を(好き放題に)犠牲にしてよい」という格差社会の理屈ではなく、「より強い者がより弱い者を淘汰する(ことでより強靱な社会をめざす)」という競争社会の理屈で成り立つシステムのことを指しているとも思うんだよね。あ、でも自然社会の仕組みは違うか・・・。)

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