« グループウェアとは何か | トップページ | 日本人のマナー観 »

2007年7月19日 (木)

安全・安心に労を惜しむな

昨日(7/18)の毎日新聞の社説に、中越沖地震で火災を起こした柏崎刈羽原発を取り上げて、「地震原発 安全・安心に労を惜しむな」というものがあった。

内容も主張も至極もっともではあるのだが、実は本当にそれでよいのか、という疑問も感じている。この「労を惜しまない」というのはどう捉えたらよいだろうか。コストは考えずにやると言うことだろうか。

安全・安心というのはコストを考えた上でバランスをとるべきではないか、と思う。乱暴な言い方かもしれないが、日本ではこの感覚が薄く、むしろ安全・安心にコストを考えるなんてとんでもない、という意識がないだろうか。

コストを無視した安全・安心の追求の方が実ははるかに危険な気がするのだ。現実にはコストという軸があるにもかかわらず、それを安全・安心と同じ軸の上で論じるのではなく、別の軸にしてしまうからだ。それは結果として両者の関係をあいまいにし、安全・安心の中身を不透明にしてしまうような気がする。

少なくともマスコミは、「労を惜しむな」という情緒的なことを言うのではなく、安全・安心の確保のためにかけられていたコストと、実際に確保されていた体制を同軸線上で比較し、そのバランスが適切であったか、という議論をするべきではないか。
「ずさんな安全管理」という時も、ではそのためのコストはどれだけで、求める安全管理のためにはどれぐらいのコストを適正とするか、という議論がなければ、ただ「ずさん」というだけで終わってしまい、次につながらない。

安全・安心は当たり前、というが、仮に当たり前であってもただではない。当たり前というのはただのことではないのだ。安全・安心を支えるコストが明確になり、そのコストは適切なのか、本当に負担してでもその安全を確保するのか、という議論があることが、安全・安心への取り組みの強化につながるのではないだろうか。

|

« グループウェアとは何か | トップページ | 日本人のマナー観 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22760/15807350

この記事へのトラックバック一覧です: 安全・安心に労を惜しむな:

« グループウェアとは何か | トップページ | 日本人のマナー観 »