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2007年8月24日 (金)

メールチェックはなぜ生産性を下げるのか

メールのチェックが作業の生産性を落とすという話は良く聞かれる。それは何故だろうか。実は個人的にはあまり実感がない。

無駄なメールが多いからだろうか?スパムや同報メールの多さに悩んでいるとか?
でも、スパムの内容を真剣にチェックしている人間はいないだろう。ちりも積もればで1日数千件ともなれば、削除だけでも手間がかかるというのは分からなくはないが、それは「作業の生産性を落とす」といった類のものだろうか。

個人的に思うのは、メールチェックはそれ自体が「作業」なのだから、それを組み込んだ仕事のスケジュールを組むことが重要で、それができていればそれは「生産性を下げる」とは言わないのではないか、ということだ。場当たり的にチェックしたり、自分の意思でコントロールできないときに、生産性の低下が発生する。

例えば、電話を受けることによる作業の中断は、生産性を下げる、これはよく分かる理屈だ。でもメールは着信毎に通知されるようにでもしていない限り、基本的にそういったことはない。そういった意味では時間を決めて処理をする、というのは正しいやり方だし、それで何が問題なのか、何が作業の生産性を下げているのかという気がする。

一方でなんとなく気になっているのは、メールチェックが作業の生産性を落とすものとして「だからこう処理しましょう」という話はあるのに、「メールを出すというのは相手の生産性を下げる行為です」という議論があまりないことだ。むしろ出す側の理屈としては、「(電話などと違って)相手の作業を中断させることがない」ということが言われているということはないか。

それはむしろ生産性を上げるということだろう。出す側は生産性を上げるためのコミュニケーション手段として使い、受ける側はそれを生産性を下げるものと受け取っているということになる。なんだか変な構図だ。

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2007年8月23日 (木)

「阿吽の呼吸」を支えるもの

日本人におけるコミュニケーションの独特な特質の一つに「阿吽の呼吸」というものがある。実感としてそういったものがあると思う一方で、なぜそんなコミュニケーション風土が生まれたのか、そもそも阿吽の呼吸を生み出しているのは何なのか、ということを考えていたのだが、なんとなくそのヒントになるようなエントリーがあった。

「企業の透過性」を昔の日本に学ぶ-代替案のある生活
http://blogs.itmedia.co.jp/daitaian/2007/08/post_2fd0.html

この中で紹介されている宮本氏の文章。そこに描かれている日本人の仕事風景というのが、日本人のコミュニケーションの風土の基礎になっているのではないか・・・そんな気がする。

このエントリーの中で高橋さんが書かれている「見られる・見るといった行為から芽生える信頼感」こそが「阿吽の呼吸」の正体ではないだろうか。

そう考えるとその昔、大部屋で仕事をしていた日本人が持っていた「阿吽の呼吸」は、お互いの行動がオープンになっていて「見られる・見る」という環境が生み出していたのだろう。大部屋に入りきらない組織規模になったり、細分化されて個々に仕事をするようになるにつれて、その環境が薄れたことが、暗黙の了解が通じなくなった原因と考えればすっきりするのだ。

ここで考えなくてはいけないのは、この「見られる・見る」という行為に対し、イギリス人が驚きを表明している点だ。言い換えれば、これは人類にとって普遍的なあり方ではなく、独自のものということになる。

そもそも昔の日本人というのは、自然と「言葉に頼らなくても伝わった」のではなく、お互いの行動を見られる・見る関係を意識的に作ることで「言葉以外で伝える」努力をしていたのではないか。だとすると今「阿吽の呼吸が通じなくなった」と嘆く人は、そもそもその努力をしているだろうか。

例えば、イントラブログや社内SNSで、「自分の日記を公開するなんて信じられない」「自分のメモを公開するなんて考えられない」と考える人というのは、そもそも「見られる・見る」関係に自らの身を置くことを拒否しているともとれないか。実はそういった「自分の行動や考えを公開する」ことへの抵抗感が、実は「阿吽の呼吸」や「暗黙の了解」を原因ではないだろうか。

もちろん、イントラブログや社内SNSに頼る必要はないのだ。普段の行動で「見せる」ことを意識しているのでれば。だが、直接的に見せられる範囲には限りがある。特に多くの人数を統括しなければいけない立場の人間こそ、そういった「見せる」相手をどう広げていくか、ということが課題になるはずだ。

結局、社長ブログというのも、「見られる」関係を作るための努力の一環なのだろう。逆にいえば役員室にこもらず、毎日現場に足を運ぶことのできる社長であれば、必要ないものではあるのだ。

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2007年8月22日 (水)

WALKMAN-S

少し前にWALKMAN-Sを購入した。ノイズキャンセリング機能に惹かれて買ったものだが、とりあえずSonicStageへのCDの取り込みも順調で、まあまあ快適に使えている。

まあまあというのは、ノイズキャンセリングといっても完全にノイズをキャンセルするわけではないのと、取り込みの際のビットレートを256kbpsにしたのが、思ったほど音質が良くないことだ。

前者に関しては、こういったもので完全にキャンセリングしては逆に危ない(実際歩いていて車の接近に気付かないことがあった)とは思うのだが、クラシック音楽の場合、小さい音はとことん小さいので、どうしても聞き取りにくい部分が出てきてしまう。

そもそも携帯音楽プレーヤーで聴くものではないのだろうが、欲を言えばもう少し無音に近い状態になれば、という話だ。
ちなみにノイズキャンセリング機能を使っていると、電車の中で遠くの人の声だけが浮き上がって聞こえることがある。通常であれば騒音にかき消されてしまうのだが、騒音だけがキャンセルされるためだろう。

音質の問題は・・・まぁそもそも気にするような問題ではないのかもしれない。ビットレートを上げればもう少し良い音になるのか、ロスレスとかにすればよいのかとも思うのだが、細かい音色を楽しみたければ、やはり携帯音楽プレーヤーでは限界があると考えるのが妥当だろう。もっとも、もう一つ上のビットレートにしておけば良かったか、と考えることがないわけではない。

いずれにしても、取り込んだCDは片端から実家の方に持って行ってしまっているので、再録音するにはもう一度これを持ってこなければならない。これはちょっとしんどいので、とりあえずは現状のままで行く予定。

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2007年8月21日 (火)

メールには迅速に返答する

2件ほど出さなければいけないメールがあり、ブログを書く時間に書いていたら、ブログを書く時間がなくなってしまった。
プライベートのメールの場合、出そうと思ったときに出しておかないと、ずるずると出すのが後回しになっていってしまう傾向がある。(ビジネスのメールも同じか?)

さて、メールといえば、シロクマ日報メール・シェルターというエントリがあったのだが、この「メールには迅速に返答しなければならない」という義務感は、「メールには迅速に返答して欲しい」という相手への要望と表裏一体になっているだろうか。

意外と、「別に迅速に返事が無くても良い」と思ってメールを出しつつ、受け取ったメールには早く返事をしなければ、という余計なプレッシャーを感じている、ということはないか。

というのは、以前クールビズに関する意識調査(去年のだったと思うが)で、「相手がクールビズで来社するのは気にならない」けれども「自分がクールビズで訪問するのは抵抗がある」という結果があったからだ。

もっとも本音ではそうではないのかもしれないが、そういうちょっと矛盾するようなプレッシャーであれば、無理に感じる必要はないのではないかと思う。メールを出す側の意識としては、意外と迅速な回答なんて求めていないような気がするのだが、これは自分だけだろうか。

もっとも、この「迅速に」というのが「自分がメールを見たらすぐ」ということであれば、それは処理効率上はそうすべきだろう。ただ、相手が出した時間を基準に「迅速に」というのは、ちょっと無理なんじゃないかという気がするのだが・・・。

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2007年8月20日 (月)

人に興味があるか

休み明けに同じフロアの同僚が色よく日焼けしていたときに、それをきっかけに休み中の過ごし方を聞くかどうか・・・他人とコミュニケーションをとるというのは、意外とそんなことをするかしないかで決まってくるような気がする。

で、自分はどうかというと、まず聞かない。実際聞かなかった。

いっちゃあなんだが、他人が休み中に何をしようが、特に関心がないのだ。いや、理屈では少しは関心を持った方が良いと思いつつ、感情的にはどうでも良い気分になってしまう。

多分自分の場合、他人とのコミュニケーションの際に、その人自身には興味が無くて、その時の話題だけに興味があるのだろう。だから話題があわなければ、ほとんど会話にならない。その人に興味があれば、どんなネタでも会話はできるものだ。

SNSにいまいち乗り切れないのも、相手のプロフィールなどには必要最小限しか興味を持たないからなのだろう。ブログにしても、「誰が書いているか」といったことではなく「どういったことを書いているか」しか関心がなかったりする・・・。

いやまぁ、上司にご挨拶程度に休みの話を聞いたりはするけどね・・・。

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2007年8月17日 (金)

交差点で一服する人々

大きな交差点では、その端に設置された灰皿の横で一服している人を見かけることがある。彼らを見習うことはできないだろうか。そんなことをふと思った。

もちろん煙草を吸うという話ではない。交差点での信号待ちという短時間でも一服しようというその時間の使い方を見習うことはできないか、という話だ。そういえば駅のホームでも、次の電車が来るまでの短時間に一服しようとしている人たちをよく見かける気がする。

煙草はどうでも良いが、確かにあの待ち時間というのはちょっとしたデッドな時間ではある。その時間にできることはないか。さっとできるような何かを用意しておいて、一連の流れ作業のように信号待ちで歩みを止めたら無意識に取り出してそれを行い、青になったら戻して歩き始める・・・そんな習慣ができるとおもしろい気がする。

アナログだが、単語カードなんてどうだろうか。ポケットに入れるか、ベルトに吊してぶら下げておくか、いずれにせよ簡単に取り出せるようにしておかなければならないが、一枚のカードの分量はちょっとした待ち時間を使うのには有効かもしれない。
携帯ではレスポンスやボリュームに問題があるし、手帳やPDAでは出すのが大げさな気がする。

もっとも、そうなると単語カードを作るというのが大きな課題になっては来るのだが・・・(笑)

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2007年8月16日 (木)

休み明け

13~15日は休みで、今日と明日は出勤。

休み中は仕事のことをきれいさっぱり忘れるたちなので、土日の2日間だけならともかく少し長めの休み明けは復帰するのに時間がかかることがある。今日は何をするか、というところからはじめてしまうからだ。

そこで、休みに入る前に、Googleカレンダーに今日明日のスケジュール(やること)を入れておいた。

実際、今朝カレンダーを見直すまで仕事として何を抱えていたかの多くを忘れてしまっていたのだが、なんとか普段通りに復帰できそうだ。なるほど、GTDなどの「書き出して忘れる」というのは、こういうことなのかもしれない。

自分の場合、「書き出さなくても」忘れてしまうのだが・・・(笑)

さて、今日明日と(暑いけど)がんばりますかね。

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2007年8月10日 (金)

来年の手帳

9月から来年のほぼ日手帳が発売になるらしい。さて、来年の手帳はどうしようかと考えてしまった。

まだ実験的な使い方ではあるが、Googleカレンダーを使ったスケジュール管理が意外に調子がよい。手帳はもともとスケジュール管理とは関係なのだが、最近ほぼ日手帳には、朝もしくは前日にその日の予定やタスクを再確認しながら書き込んでいて、結構重宝していた。が、Googleカレンダーを使えば、どうやらその使い方をするもなさそうなのだ。

細かいスケジュールをその都度調整するようにしているので、朝改めて確認するのではなく、都度確認するスタイルに変わってきている。(といってもまだ一週間だが・・・。)

もう少し様子を見る必要はあるが、このやり方がいけるとなれば、手帳に求められるのはあくまでもメモの機能と言うことになる。そうなってくると、1日単位のページ構成になっているほぼ日手帳がちょっと窮屈になってくるのだ。メモはその時々で発生するので、スペースが足りない日と余る日が出てきてしまうのである。

もちろん日付を気にしなければ良いのだが、日付を気にしないなら最初から日付などない方が良い。そこで、日付無しのメモ用の手帳というのを考えてみる。厳密にいうと日付のあるページは必要ではあるのだが、そのためのスペースは小さくても良い。

そこで浮上してくるのが、まずは以前も使っていた「超・整理手帳」だ。便利なのはA4の紙を携行するのに都合がよいサイズと言うことである。ただ一方で、メモとして考えると少し横幅が物足りないというか、サイズが落ち着かない。

モレスキンというのも考えてみる。使い勝手が分からないが、ほぼ日手帳のようにぱたんと開いてくれるのだろうか。

もう一つ気になっているのが、ミドリのトラベラーズ・ノートで、サイズがちょっと大きいという問題はあるのだが、皮のカバーの質感と言い、なんとなく手にしてみたい誘惑に駆られている。

いずれにしても、もう少しGoogleカレンダーでの使い勝手を確かめての話ではあるが、どんな手帳にするかを考えるのは、ちょっと楽しかったりするのだ。

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2007年8月 9日 (木)

久しぶりにNotesのデータベースを作ってみるか

先日のLotus Day 2007に触発されたと言うわけでもないのだが、久しぶりにNotesデータベースなど作ってみようかと考えている。もっとも自分に手が出せるのはR4ではあるのだが、考えている機能を満たすには十分だ。(というか、R4までの機能しか基本的に知らないので、そもそも構築の発想自体がそうなってしまうのだが・・・。)

以前XOOPSでCSRレポートを作成するでも書いたのだが、そもそもCSRのマネジメントは「レポート作成」によるアプローチの域を出ておらず、マネジメントを支援するITシステムは無いに等しい。(いやいやそういえばあったな。確かゼロックスが開発していたような気がする。)

もっとも、今回のデータベースの目的は企業内のCSRに関する(もう少し絞り込んでしまえば報告書に関する)情報を蓄積・整理するためで、マネジメントとまではいかない。単に情報を整理するだけであれば別に報告書自体でも構わないのだが、個人的なテーマとして各種のガイドラインと対比させたいのと、外部のアンケートに答える際のバックグラウンドが欲しいので、実際には報告書そのものの掲載情報とは異なる。

とりあえず先日から構想をメモしてはいるのだが、久しぶりと言うこともあり、いまいち形になっていない。もともと作りながら考えるタイプなので、事前に構想をまとめようというのがどだい無理なのかもしれない。

まずはガイドラインのデータベースを作る必要がある。そのガイドラインを、企業内の情報を登録する際のカテゴリに利用することで、各ガイドライン毎に整理できる・・・はずなのだが、こうした基本構造でよいのかという迷いがある。構築には一気に登録する力わざが必要なため、ここで間違えてしまうと後が困るのだ。

Notesデータベースを本格的に作るのは、ナレッジマネジメントプロジェクト時代にポータルデータベースを作って以来だ。2~3年ほどのブランクがあり、基本的な部分は忘れていないと思うが、細かい注意点などは忘れているに違いない。

さて、どうなることやら。

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2007年8月 8日 (水)

Googleカレンダーを使ってみる

恥ずかしながら知らなかったのだが、Googleカレンダーは複数のカレンダーを管理できるので、これを何かに工夫できないかと考えてみる。(普通は「やりたいこと」があってそのための手段を考えるのだが、自分の場合、こういったツールに対しては「できること」があって、それにあったやりたいことを考えるケースが多い。)

とりあえずやってみたのは、自分のメインのカレンダーの他に、次のようなカレンダーを用意することだ。

・Work:日々のタスクのスケジュールなどを入力する
・Other:他人や会社のスケジュールで、自分には関係ないが把握しておきたい予定を入力する
・Plan:個人目標にかかわるスケジュールなどを入力する

Planに関しては、4つの目標それぞれにカレンダーを用意してみた。そんなに増やしてどうするんだ、という気もするが、とりあえず入力していくときに、後で思い立って分割するよりは最初に分けておいた方が良いと思ったからだ。それぞれ色分けされるので、まとめて表示したときに、何にどれぐらいリソースを割いているかが分かりやすい・・・気がする。

で、このようにすると、ではメインのカレンダーには何を入力するのか、という感じだが、これには人と会う予定やプライベートの予定などを入力する。ただ、今後は打ち合わせなどはまた別のカレンダーにした方が良いのかもしれない。予定だけでなく、実際にかかった時間を記録しておけば、振り返りの資料にもなるはずだ。

問題は、これはパソコンでないと見ることができないという点で、会社の予定は別によいのだが、プライベートの予定をどう管理していくか、という課題がある。CLIEとの同期もできないので、どうしても二重管理になってしまうのだ。せめて携帯で参照・更新ができると良いのだが・・・。

今のところはメールで通知をするぐらいしか方法がないのだが、入力ができないというのが結構つらかったりする。割り切って仕事の予定管理としてしまうという手もあるのだが、できれば一元化したいというのが今のところの望みではある。

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2007年8月 7日 (火)

忘れるか、常に見直すか

GTDと呼ばれる仕事術には前から興味があるのだが、なかなか踏み切れていない。が、最近ふと思ったことがある。

聞きかじった程度だが、GTDのキモは、頭の中のものをすべてはき出してすっきりさせ、それを週に一度程度のペースで定期的に見直すことにある。つまり同時に複数のタスクを抱えず、「忘れる」という所に大きなポイントがある。

一方で手帳術などのスケジュール管理では、1日に間に時間があればまめに「見直して反芻する」ことを勧めていることが多い気がする。先日読んでいた本では(書名は忘れてしまった)、そうすることで1週間ぐらい先までのスケジュールはそらで言えるようにすることが大切とも書いてあった。常に複数のタスクを意識する・・・これはその時まで忘れることの対極にある。

スケジュールもタスクもそうそう変わるものではないと思うのだが、両者はどう使い分ければよいのだろうか。(もちろん、自分の性格にあったやり方をチョイスすれば良いだけなのだが・・・。)

もっとも、どちらにしても「その時」目の前の作業に集中する、という点はそう変わるものではない。スケジュールを常に見直すのは、気を散らすためではなく、先の見通しをつけるためだ。GTDのレビューのサイクルが非常に早いだけと考えれば、両者はそれほど違わないのかもしれない。

恐らくは、適度に両者を組み合わせるのが良いのだろう。さて、自分の場合はどういった組み合わせが良いだろうか。

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2007年8月 6日 (月)

自分にはどの程度の時間があるのか

自分には、どの程度自由にできる時間があるのだろうか。あるいはどの程度自由な時間を得たいのだろうか。
・・・いやいや、「自由な時間を得る」というのはおかしい。何か目的があるときに、そのためにどれだけ時間が確保できるのか、その工夫の余地はあるかと考える必要がある。

今、もう少し時間が欲しいと思っていることは二つある。

一つはオーケストラのために(楽器のために)費やす時間。
もう一つは勉強のために費やす時間だ。

勉強のために費やす時間というのは、当面は知人の誘いでエントリーした知的財産検定に関する勉強なのだが、それ以外にも、少し知的好奇心を追求する時間が必要なように感じている。
多くは本を読むことで成り立つのだが、しんどいのは電車の中で読むのが難しいことだ。自分の場合、本にせよゲームにせよ、揺れる電車の中で長時間目を使うのは視力に大きな影響が出るらしく、しばらく集中的に読んでいると目がかすんでくる。

それと、勉強として考えた場合、単に読むのではなく、何らかの形で書く作業をあわせないと、どうにも体に入ってこない。本を読むスピードは人並み以上だと思うが、入った端から抜けていくような所があるので、じっくりと定着させる必要がある。

そのためには、どうしても落ち着いて机に向かわなければならない。甘いのかもしれないが、巷で言われているような通勤電車勉強法は、自分の場合難しいのだ。問題はこのための時間をどれだけ場所も含めて確保できるかだろう。1日1回あたりの時間はそれほど長時間である必要はないのだが・・・。

一方、楽器のために費やす時間というのは、弾く練習をする時間というのがもちろん一番重要なのだが、それ以外に楽譜を見直したり、練習の内容を思い出して整理したり、音楽に関する勉強をする、という時間も含まれる。そういった意味では、これも座学に近い。練習のための場所の確保は難しいが、座学のための場所の確保はそれほど難しくはないはずだ。

もっとも、どちらにせよ、短時間で効果をあげるには、その時間に何をするかということを明確にすることが必要だろう。漠然と時間や場所の確保を考える前に、何をやるのか、そのためにはどういった環境と時間が必要なのかをきちんと固めた方が良いのかもしれない。

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2007年8月 3日 (金)

パソコンを大型化することはできるのか

先日のパソコンを手放すことはできるのかとはまったく逆方向の話なのだが、今のパソコンをもう少し大きく重くすることはできるだろうか。

ふと気になって調べてみたら、VAIO-Sにするなら、スペックが今よりもかなり向上する上、オーナーメイドモデルにすればHDDを200GBにできるのだ。

これは今の自分が要求するスペックを十分に満たしている。今のパソコンに対する大きな不満というか、現状個人のパソコンで大きな悩みとなっているのがHDDの容量だ。なぜなら、手持ちのCDを取り込んでライブラリ化するなら、それなりのディスク容量が必要になると考えているからだ。
(もともとMacBookの購入を検討した理由がそこにある。)

ただし、もちろん問題がある。それは大型化と重量のアップだ。先のエントリーにトラックバックをいただいたケータイを手放すことができるのかで大木さんが書かれているように、なるべく軽いPCというのがモバイルの場合は理想だ。サイズはともかく、約1.7kgという重量は過去経験がない。

VAIOだったら、Tではダメなのか、という話もあるのだが、あれではディスクの容量が目的を果たすためには足りない。フラッシュメモリ+160GBHDDモデルという選択もあるが、そもそもPCカードが使えないという問題もある。

これまでよりも重いパソコンを持ち歩けるか・・・これは大きな問題だ。しかも自分の場合、仕事には使わないという普通のパソコンを持ち歩くビジネスマンとはまったく異なる事情がある。改めて冷静に鞄の中を見てみたら、仕事で使うものはほぼ日手帳ぐらいしかない。変な話だが、自分はほとんど趣味の鞄を仕事に持ち歩いているだ。
(もちろん、日常的に役に立つシーンはある。そうでなければとっくに持ち歩きをやめただろう。)

さて、どうしたものだろうか。大木さんのエントリーにあるように、モバイル用としてはケータイを使い倒すことにするという選択もある。PDAとしてCLIEを使っているが、これを手放しパソコンとケータイの二本立てにするという考え方もあるだろう。

そんな感じで物欲の悩みは尽きないのだが、まぁ、悩んでいる間が華というか、それが楽しいと言ってしまえばそれまでだ。仕事では使わない分、特に大きな問題ではないというのが大きいのだろう。

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2007年8月 2日 (木)

不必要なメール

昨日会社のある人からのメールでちょっと考え込んでしまった。

> ただでさえメールが多いのに、不必要なメールが度々届くのはどうかと思っていました。

ある案内メールを配信するかしないかを巡ってのやりとりの中での一言なのだが・・・。
不必要なメール、とははたしてどんなメールだろう。

もちろん、スパムのようなメールは別だが、少なくとも社内を流れているメールで「不必要」という要素はあるのだろうか、ということが気になったのだ。

もちろん「無関係」という要素はある。「関係ないのにこんなの送ってくるな!」と思うこともあるだろう。
でもどうだろうか、それも情報共有のための一つの要素と言うことはないだろうか。

リアルな職場の中では、自分には関係のない会話が耳に入ってくることもある。でもそれは「不必要」だろうか。大部屋で仕事をしているメリットは、自覚しない情報共有が発生することだ。耳に入る関係のない会話から、周囲の状況や職場を流れる雰囲気をつかむことができる。

「無関係なメール」は、それと同じように捉えることは出来ないだろうか。

あるいは、新聞を読んでいるときに、「不必要な記事はあるのはいかがなものか」という人はまずいない。むしろ多くは「無関係と思うところから思わぬ発想を得ることが出来る」といった捉え方の方が多いだろう。

メールに関して同じような捉え方は出来ないだろうか。いや、掲示板でも良いのだが、不思議と「不必要」というレッテルで、情報量を絞り込もうとする傾向があるような気がするのだが、逆の捉え方をしないとますます情報共有からは遠ざかってしまうような気がする。

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2007年8月 1日 (水)

Notes 8

昨日は午後から休みを取って Lotus Day 2007に行ってきた。こうしたセミナーに参加するのも久しぶりだ。最近情報に疎かったのだが、Notesは今度バージョン8が出るらしい。

インターフェースがより分かりやすく、使いやすくなるのだという。

・・・だけど使いやすさって何だろうか。個人のパソコンではいまだにR4.6を使っている自分には、いまいちピンとこない。正直にいえば、マウスがなければ使いにくい最近のUIは、逆に不便なようにも感じている。
(キーボードだけで良いと言うことではない。両方使える、というところが個人的には肝心なのだが・・・。)

そもそも、ツールとしてのNotesの機能に対して、今の自分は特に要望がない。仕事で使うことがないから当たり前と言えば当たり前かもしれないが、あまり「このソフトならでは」ということはないのだ。個人でもNotesを使っているのは、UIに慣れてしまったためと、過去の資産を他に移すのが面倒だからで、改めて考えるとそれほど大きな優位性はないようにも思える。

もっとも、こんなことを言っていると取り残されてしまうのかもしれない。慣れるということは脳への刺激が少なくなるということだ。慣れないものを何とか使いこなそうという努力が、むしろ脳にはよい。(じゃあなんでストレスを感じるのか、という気もするが。)

なんだかとりとめのない内容になってしまった。Lotus Dayで聞いた話については、もう少し考えてから書いてみることにする。

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