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2008年1月31日 (木)

温暖化は人の成せる業か

ああ、もう1月が終わってしまう・・・。

それはさておき、こんなことを書くと人格を疑われるというか、視点としてシニカルすぎる気もするのだが、昨日あるレポートを読んでいて考えてしまったことがある。

国連の中位予測によると、2050年に地球人口は約90億人に達するという。
これは、温暖化対策に成功した結果だろうか。それとも失敗した結果だろうか。そしてこの人口の地球にとっての意味は何だろうか。

原典にあたっていないので勝手な想像だが、仮に温暖化対策に成功し、順当に増えた場合が90億人と考えよう。その場合、順当に増えた90億人という人口を地球は支えられるのだろうか。さらに、この増えゆく人口が、温暖化対策における足かせになってしまうという可能性はないのだろうか。

一方温暖化対策に失敗し、危機的な気候変動により壊滅的なダメージを受けた場合、人類はどの程度減るだろうか。例えば激減して20億人ぐらいになった場合、それは温暖化に対してどんな影響を与えるだろうか。「汚染源」である人類が減った場合、温暖化の進行は緩やかになる可能性はあるのだろうか。

そんな不穏な想像をしてしまった。

現在の温暖化に対する考え方は、温暖化を引き起こしたのは人類であり、その人類の責任と力において温暖化を食い止めなければならないというものといえるだろう。

仮にそうではなく、ウイルスに感染した人体が体温を上げてその死滅をはかるような(その際には当然人体もダメージを受ける)、増えすぎる人口の増加にストップをかけるための地球の抗体反応のようなものだとしたら、どうなのだろうか。

もちろんそうだとしても、ウイルスである人類になすがままに死んでいく義理などはないので、抵抗するのは自由だし当然なのだが。

そういえば、以前「マスターキートン」に、宿主が仮死状態になると一旦活動を中止して少しでも宿主を生きながらえさせようとする悪魔のような狂犬病ウイルス(仮死状態から復活すると再び活動を開始するので、結局宿主は助からないのだが)の話があったな・・・。

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2008年1月30日 (水)

議論の目的、議論が目的

プロジェクトや会議での意思決定のプロセスにおいて、議論することは非常に重要なファクターだが、議論自体はその意思決定における目的ではない。

つまり、議論ありきであったり、議論が目的となっているような会議会合はどこかおかしいといえなくもない。

・・・多分ステークホルダーダイアログなどに感じる違和感というのはそういったものなのだろう。いやまぁ、議論が目的でも場合によっては良いのだけどさ・・・。

今日はちょっと他にすることがあるので、メモだけでした。

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2008年1月29日 (火)

日本人は休んでいるのか

久しぶりに産経新聞を読んでいたら、「曽野綾子の透明な歳月の光」というコラムがあり、第273回の昨日は「怠け者で理解力のない日本人 徳を失うと経済も衰える」というタイトルだった。

主張は若干分からないところがあり、それはそれでそんな考えの人もいるということで構わないのだが、その中であれ?と思ったことがある。こんな一節だ。

「まず日本人は近年怠け者になっていた。世界の休日は各国何日くらいあるのか知らないが、日本の休みは多すぎると思う。(中略)つまり大体三日毎に一日は休んでいる計算である。個人商店が月のうち三分の一閉店していたら客は寄りつかなくなるだろう。」

部分的な引用なので誤解のないように補足しておくと、曽野氏は「何が何でも働けと言うのではない」(と書いている)。ようはカレンダー上の休日が多すぎるのではないか、ということから、こんなに休んでいては店も国も栄えないと書いているのだが・・・。

そもそも「休み」とはなんだろうか。仮に「安息日」のようなものだと考えると、経済や社会活動そのものがストップとまでは言わないまでも穏やかになる日、と考えて良いだろう。では振り返って日本の「休日」はそうだろうか。

日本人の多くは休日に買い物をし、レジャーをしている。つまり「消費」しているのではないか。消費は生産とともに経済を支える両輪だ。生産だけでは経済は成り立たない。輸出という形で、消費を他国でまかなえば生産活動だけ突出させることは可能だが、それがアンバランスなのは明らかだろう。

日本には「休み以外の日に生産し、休みの日に消費する」というアンバランスな構図がないだろうか。普段(平日)から生産と消費を行い、休みの日には双方を休む、という構図は、どう考えてもないような気がする。

カレンダーの休日を「安息日」として考えるなら、確かに三日に一日は多すぎるだろう。だが、生産と消費で考えるならば、むしろまだ休日は少ないぐらいということはないだろうか。

もちろん、だから休日を増やせというわけではない。休日に頼らない消費システムを作る必要があるのではないかということだ。それがどのような形かは良く分からないのだが、なんとなく「休み」の定義をもう少し考え直した方が良いような気がした。

ちなみに、自分にとっても「休日」とは「仕事以外の活動日」であって、「安息日」ではない。週7日間のうち、仕事日で5日、安息日で1日では活動日が足りないので、安息日はなく、仕事日5日、活動日2日というバランスの週が大半だろう。休みなんてとんでもない。

仕事日の中の「仕事以外の活動」のバランスを増やすか、日数での割合を増やすか、そういったことが必要な気がしなくもない。

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2008年1月28日 (月)

こうもりのような自分

次回の定期演奏会でメインとなっているシューベルトの交響曲ハ長調(大ハ長調)は、長らく交響曲第9番「ザ・グレート」で親しまれてきたのだが、最近の研究では番号が変わり第8番になっている。(従来第8番は有名な「未完成」だが、これは7番になる。)

そんなわけで、プログラム、チラシ、チケット上の表記で、8番と9番のどちらを採用するかで結構もめることになった。市販されているCDなどを見ると、大半は9番。一方、公式には8番ということで、演奏会などでは8番が多く、今回使用する楽譜(ベーレンライター版)にもしっかり8番と記されている。

やっかいなのは、従来の9番が一般的にはまだ認知が高いと考えられ、しかも8番が「未完成」とさらにポピュラーな曲である点で、番号を見て勘違いする人がいるのではないか、という危惧があった点だった。

最終的には8番(9番)と併記することで落ち着いたのだが、その顛末で自分のポジションに起因する反省が一つ。

今回の曲番号が決定するまでには結構紆余曲折があったのだが、その中で自分が運営委員会、演奏委員会双方に顔を出していて、あいまいに行動したのが、混乱につながってしまったような気がしなくもない。

プログラム、チラシ、チケットなどは運営委員会の委員が作成する。前任でかつ副委員長(一応)という立場上、今回の曲番号の検討にも加わっていたのだが、その際に演奏委員とのつなぎを無意識に任じられていた可能性が高い。自分にその自覚はあまりなかったが、演奏委員会での話などもするし、演奏委員長にアプローチなどをすることもあるからだ。

一方、演奏委員会では、運営委員とのつなぎ的な役割を演じていた可能性が高い。検討の顛末を話すこともあるし、今回も(結果として)結構余計なことを言っていたようだ。

兼任はやめてどちらか・・・というのは簡単だが、現実的には難しい。ようはそういう「たまたま知っている事情」をもとに勝手な役割を演じないように自分が心がけるしかない。
(もちろん、事情を知っているのだから積極的に双方に働きかける、ということはできる。が、それをやってしまうと結局役割分担ではなく「人」で仕事を抱え込むことになってしまう。それでは委員会が機能しなくなってしまうのだ。)

今回の件でいえば、運営委員会として演奏委員会への働きかけをきちんとしておくべきだった。自分が中に入って口を出すことで「演奏委員会も含めて了承ずみ」のようなイメージになってしまったことは否定できない。

まぁそれでも、今回の混乱を通じて曲名に関しては演奏委員会で確定という流れはできそうなので、そうやって役割を一つひとつ明確にしていくしかないのだろう。

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2008年1月25日 (金)

インタープリテーションの必要性

昨日は東芝環境公開講座に参加した。講師はフリージャーナリストの池上彰氏、ファシリテーターはキープ協会の川嶋直氏。テーマは「とうもろこしは食料か燃料か-絵年ルぎー問題の新たな課題」というものだ。

内容については環境gooで後日公開されるものを待つとして、個人的に印象に残ったのはテーマとはあまり関係ない所だったりする。

一つ目は池上氏が言われていたメディアリテラシーの話。
健全な懐疑心を持てとのことだったが、何でも疑ってしまうと「いやな人になってしまうので」というのがおもしろかった。

メディアの発信する情報で注意をしなければいけないのは、ポジショントークと呼ばれる「その人の立場から来る」発言で、そういった立場とセットで発言内容を考えた方が良いというのも考えさせられた。これは逆の場合にもあてはまるからだ。自分の発言は、どんなに個人的な意見と思っていても、立場とセットになっている可能性があるということになる。

二つ目はやはり池上氏が言われていた「理解することと説明することの間には暗くて深い川がある」という話。
確かに、自分が理解したと思ったことでも、いざとなると説明できないことは多い。

そういった川を越えるには、専門書などを読んで勉強する際に、それを小学生ぐらいに説明するにはどうしたらよいかということを常に考えながら読むと良いそうだ。そうしたことを繰り返すことによって、説明ができるような知識として身につくのだという。週刊こどもニュースのキャスターを務めていただけに、この発言には説得力があった。

三つ目は川嶋氏が自分の仕事について説明したときに言われていた「インタープリター」の話だ。
インタープリターというのは自然と人との橋渡し役と言われ、木や鳥と言った自然の話をレクチャーするのではなく、そういった自然と自分たちがどう関わっているのか、その関係性を伝え、考えるきっかけを作るのが役目なのだという。

環境教育については、自然と人との関係を考える「関係教育」だと言う人もいるそうだが、自然と人だけでなく、例えば企業と社会の間にも、そういったインタープリターが必要なのではないかと考えさせられた。CSRのような概念が誕生したことで、両者の立場や関係は成り立ちつつあるが、まだその関係を「つなぐ」人はあまりいないのではないかという気がする。

おそらく、今の自分の仕事に求められているのが、こうしたインタープリケーションなのだろう。エンゲージメントの前にコミュニケーション、そのコミュニケーションの前に、実はインタープリケーションという段階があるのかもしれない。

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2008年1月24日 (木)

人間ドックとレーシックの適応検査

昨日は人間ドック。結果は後日郵送なのでまだ分からないが、とりあえず血圧がかなり低めに出たのと、体重が前年に比べて6kg落ちていたのが意外だった。

血圧の方はよく分からないが、体重に関しては昼食を抑え気味にしてきたということもあって、まぁ妥当な減り方だろうとは感じている。ただ、ベストの体重よりはまだ若干重い。ようするに前年の数値が太りすぎなのだ。

その他体に関しては、個人的には体温が低いのが問題と感じていて、少しそのために何かをしていきたいとは考えている。

夕方にレーシックの検査を控えていたので、それまでの間に銀座などをぶらぶらしたのだが、伊東屋に行ったらシャーボXの推奨販売をやっていた。新しいプレミアムモデルは、これまでの2色+シャープから、3色+シャープに増えているのだそうだ。3色という色を使い分けるかどうかはともかくとして(実際そうしたペンはやめた)真鍮製だというペンの質感はかなり良い。
あとは1万円という価格をどう考えるかなのだが・・・。

その後レーシックの適応検査へ。ちょっとびっくりしたのだが、平日にもかかわらずかなりの盛況だった。検査だけの人もいるのかもしれないが、受付の声を聞いていると多くは手術とセットのようなので、それだけ多くの人が受けているということだ。結構診察までも時間がかかった。

で、実際に受けるかどうかだが、話を聞いてみると手術後の安静期間が結構必要なことが分かった。飲酒や車は1週間、スポーツや旅行は1ヶ月程度控えた方が良いらしい。その他に、翌日の検査と1週間後の検査、3ヶ月後の検査が必要になる。

こうしたスケジュールを確保して、ということになると、すぐには受けられそうにない。特にスキーシーズンのこの時期に1ヶ月ダメというのはちょっと考えられない。

幸いというか、検査の結果は3ヶ月有効で、3ヶ月以内であれば再検査なしに手術は受けられるらしい。基本的には受けるつもりで考えているのだが、あとはスキーシーズンの終わった4月頃にスケジュールが組めるかどうかといったところだ。

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2008年1月22日 (火)

温暖化対策は誰のためなのか

映画「アース」を見たので、ちょっと思ったことなどを。

野生動物の営みや大自然の姿を伝えるドキュメンタリーとして見るのであればおもしろいと思うのだが、やはりというか、流行というか、温暖化に絡めたメッセージがあるのが気になってしまった。こうやって言葉で語られるたびに、むしろ反発を覚えてしまうのは自分が天の邪鬼だからだろうか。

そんなことを「言われなくなって」、氷という足場を探して北極海を泳ぎ回るホッキョクグマの映像を丹念に拾えば、どういうことかは分かる。乾期に追われ、水場にたどり着けなかったゾウの死体や、餌を失い餓死した動物たちの映像が映し出されれば、メッセージは明らかだろう。

しかし、それをせずに(そういった「ショッキングな」映像は出てこない)言葉で温暖化を語る。ナレーター(見たのは日本語吹き替え版)の渡辺謙さんには申し訳ないが、語られる言葉が空々しく感じられて仕方がない。もっと、観た人間のトラウマになるような生々しい映像があっても良かったのではないか。
もっとも、そうなると子どもには見せられないだろうが・・・。

そもそも、温暖化を語るのに、自然を使うというのが気に入らない。温暖化対策を自然環境保護に結びつけるのは人間のおごりではないのか。地球全体の歴史で言えば、現代より高温の時代はあったし、大絶滅につながるような急激な環境変化もあった。地球環境のそういった激変に耐えながら、変化をすることで生物は生き延びてきたのだ。

今回の気候変動は、きっかけが人間なだけで、結果は同じだ。ただ、他の動植物はそうした変化に自らを進化させることで生き延びる術を探すが、人類は自分たちは変わらずに環境を維持しようとする。それが「温暖化対策」だろう。温暖化対策は、人類が生き延びるための人類なりの都合(戦略)に他ならない。

それが悪いわけではない。種としての進化の能力を失ってしまった(かはわからないが、自分自身よりも環境に働きかけることを選んだ人類は、多分他の種よりはそうした進化の力は脆弱だろう)人類が生き残るには、環境にあわせるのではなく、環境を変えないしか方法がないからだ。

北極の氷がなくなれば、ホッキョクグマは死ぬ。だがそのかわりに別の覇者が北極に君臨するだろう。それが自然のサイクルだ。

人類が地球の覇者たる立場を維持したければ、自分たちが生き延びられる環境を維持するしかない。我々が守りたいのは、人類が覇者たる地球であって、覇者の立場を追われた地球ではないのだ。

(話がずれてしまった・・・。)

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2008年1月21日 (月)

楽器の練習に平日の時間を割く

昨日はほぼ楽器漬けだった。

午前中はオーケストラの練習でワーグナーと芥川。
午後は場所を借りて個人練習。
夜は実家に戻ってこれまた個人練習。

思いつきで無理な練習すると続かないので、こうしたやり方自体はあまり褒められたことではないのだが(実際弾きすぎでちょっと指が痛い)、なぜそんなに練習をしたかというと、かなり追いつめられた状況だからということがある。

特に2月にあるミニクラシックコンサートの弦楽四重奏がまずい。誘いを受けて引き受けたはよいのだが、安請け合いをしてしまったかもしれない。ある程度の「弾けない」は自分の場合時間が解決してくれるのだが、とにかくミニクラシックコンサートに関しては圧倒的に時間がないのだ。(アンサンブルは当日以外に3回しかない。)

オーケストラの方はまだ時間がある。(来週には本番の指揮者がきてしまうという状況ではあるが。)
今回の曲でいえば、ワーグナー(タンホイザー)はかなりしんどいのだが、他はなんとか時間で解決できそうなので、それほど心配はしていなかったりする。

付け焼き刃としないためには、ある程度の練度が必要だ。少しずつでも良いから、こまめにさらうというか週に1回の練習では前回分を取り戻すだけでもかなりの時間がかかってしまう。そのためオーケストラは半年かかるのだが、ミニクラシックコンサートはそうはいかない。

近所のカラオケに行ったところ、楽器練習も可能とのことなので、そこでの練習も少し真剣に考えることにする。楽器を鳴らすという意味でも、毎日とはいわないが、2~3日に1回ぐらいは弾いておくのは悪くない。

ちなみに、昨日の夜の練習はサイレントチェロによるものだ。楽器を鳴らすのではなく、運指の練習であれば、これでもある程度こなすことができるので、これを使う工夫というのも考えたい気がする。
(考えてみるともう購入して1年経つんだなぁ・・・。)

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2008年1月18日 (金)

知的財産に求められるのは対価だろうか

PORAR BEAR BLOGの「文化を守れ」で紹介されていたITmediaの「iPod課金」は「文化を守るため」を読んだ。

その中に歌舞伎役者の市川團十郎さんの「改めて、知的財産を財産として、『おたから』と感じなくてはいけない」というコメントがある。

それを読んで、知的財産(ここでは文化)が本当に必要としているのは、「尊重」であって「対価」ではないのではないか、と思った。対価という考え方は、むしろその知的財産を貶めることにつながらないだろうか。

この「Culture First」という運動が求めているのは、尊重なのか、対価なのか。それが気になる。

例えばオリジナルを「尊重」するのであれば、粗悪なコピーなどは排除されるべきだし、安易な模倣なども慎むべきだろう。一方で、創作者を讃え、その価値をより多くの人に伝えるといったことはあっても良いし、それを生かした何か新しい創作物を生み出すといったこともあっても良いのではないか。

それが文化であり、知的財産の価値ではないかと思う。(もっとも、そもそも知的「財産」という言葉は経済至上主義を表わしているのかもしれないが。)

もし文化の(経済ではない)価値を尊重するのであれば、個人的には、iPodに「課金」するのではなく、そうした創作物を利用した金儲けはやめて「だれもが無料で享受できるようにしろ」ぐらいのことを言ってもよいのではないか、という気がするのだが・・・。

「おたから」だったら、金銭換算してはいけないよなぁ。

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2008年1月17日 (木)

まとめた資料がない!

昨日は会社でちょっと大きな会議があり、集まった部署の昨年度実績と今年度の目標が発表されたのだが・・・。

その実績や目標の書式がバラバラなのが気になった。一覧表のようなまとめ資料もないため、横断的に総括することができない。プレゼン資料もバラバラだし、事務局でも特にまとめた資料は作っていないようだ。

こういう状況で問題なのは、横比較が難しいので他部署の取り組みや目標を参考にするプロセスを個人のスキルに頼ってしまうことだ。過去からそのように行われていたことで、今では当たり前のようになっているようなのだが、たまたま出席した身としてはどうにも気になってしまった。

例えばそれが各人毎の個性を出す場であれば問題ないかもしれない。だが、各部署の目標と実績を評価総括するという目的を考えれば、仮にプレゼンは違っていてもまとめ資料は必要なのではないだろうか。

今回の会議の内容を自分なりに消化するには、まずそういった資料を自分で作るところから始める必要がありそうだ。

(そして現実問題として今回の会議の内容は咀嚼しなければならないので、実際にそういった資料を作る必要があるだろう。とりあえずそのための時間を確保しなければ・・・。)

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2008年1月16日 (水)

とりとめなく

来週人間ドックがあるのだが、ふと思いついて、その後レーシックの適応検査というのを受けてみることにした。無料の検査で、どういった内容かは分からないが、3時間ぐらいかかるらしい。さらに、一週間前からコンタクトをつけることができない。なので、今週は眼鏡である。

実は眼鏡はちょっと苦手で、眉間の前に何かがあるとどうしても気になって仕方ないだけでなく、頭が締め付けられるように痛くなったりすることがある。後者は単に頭にあっていないだけだと思うが、前者は眼鏡に限らないので少々つらかったりする。まぁ、23日までの辛抱だ。レーシックの手術を受けるかどうかは、まだ決めていない。

昨日は再びトラベラーズノートを引っ張り出してみた。以前とは持ち歩くペンの状況が変わっているのと、たまたま筆入れを購入したので、再びトラベラーズノートでも・・・と思ったのだ。ただ、とりあえず会社の机の中に用意はしてあるが、持ち歩くまでにはいたっていない。やはり、少々大きい気がする。最近はモレスキンもオーケストラ用に使っているので、ほぼ日手帳でさえ大きく感じることがあるのだ。

そのほぼ日手帳は、どうしても週間スケジュールの使い道が見あたらない。バーチカルの週間スケジュールは、Googleカレンダーと同じなのだが、逆にデジタルで用意できるだけに、アナログの手帳に書き込むモチベーションがない。先週、まずはやったことの記録だけでも・・・とつけてみたのだが、あっさり断念してしまった。

もともと自分にとってほぼ日手帳は「スケジュール帳」というよりも「日記型メモ帳」であり、スケジュールはあくまでも電子機器が管理する領域なので、そうしたスケジュール的な使い方はできないのかもしれない。

電子機器といえば、SO902iのバッテリーを購入する。一番へたりが少なかった機器だが、もうしばらく使おうという意図を込めて交換してみた。問題はCLIEとLet's Noteだが・・・。

なんだかとりとめなく日記のようになってしまった。最近こんな感じのエントリーが多くて、あまり物事を考えていないような気がする。

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2008年1月15日 (火)

返却した本をチェックすれば良いのでは?

シロクマ日報に図書館がレコメンデーションする日というエントリーがあり、政府が膨大な個人情報をデータ分析して活用するメリットとリスクが書かれていた。

個人的には、特定の個人のレベルまで絞り込んで見ることさえしなければ、こうしたデータはもっと積極的に活用したほうが良いと思うのだが、そこは人が介在して分析する限り、その性として個人の情報に目がいってしまうのは避けられないような気もしている。(Googleやアマゾンというのは、そこに人を介さないようプログラムを使うのだろう。)

そう考えると、例として挙げられているような税務署のアプローチは難しいかもしれない。それでも「データとして」こうした人はこうした傾向がある、までは分析されていても良いわけで、それを個々人が参考にできるようにはした方が、生活には役立つだろう。

(そもそも「あなたはもうじき離婚しそうですよ」は運命論的でよくない。「あなたと似たような所得傾向の人は離婚が多いです」ぐらいが適当だろう。「あなた」という個人ではなく、「あなた以外」の不特定多数の傾向を示すのであれば、少なくとも心理的には抵抗が少ない気がする。)

さて、実は本題は違っていて、その中で取り上げられていた図書館の例が気になってしまった。練馬区の図書館が書き込みや切り抜きなどの利用者のマナーの悪化に対して、一定期間貸し出し履歴を参照できるようにしたという記事の話だ。

ちょっと気になってしまったのは、貸し出し履歴をさかのぼったところで、破損した人間が特定できるのだろうか、ということ。これはむしろ返却時のチェックを厳しくする、というのが解決方法ではないだろうか。もちろん、さかのぼれることで抑止効果がある、というのは分からなくはないが、それは返却時にきちんとチェックされても同じことだ。

例えば「前の人の書き込みがあった」クレームがついてトラブルになったとして、実際に前の人が書き込んだかどうかを確かめるすべはない。前の人は気づいても何もいわなかっただけかもしれないし、実は本人が書き込んでおいていちゃもんをつけているのかもしれない。貸し出し時ではなく、館内での閲覧時にそういった事をする人がいるかもしれない。

まぁ館内の閲覧でそういったことをされたら手の打ちようがないのだが、貸し出しに関しては返却時のチェック(その場で難しければ、書架に戻す前に確認することにして、そこまでは履歴を残しておけばよい)の方がはるかに有効な気がする。

シロクマ日報で書かれているように、レコメンデーションの方向で考えた方がずっと良いだろう。どうもお役所的というか、どういうロジックで破損防止につながるのかがよく分からなかったりする。

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2008年1月11日 (金)

電子機器のバッテリーがへたってきた

最近、電子機器のバッテリーのへたりが気になるようになってきた。

筆頭はCLIEで、元々は1週間ぐらいほおっておいても大丈夫だったSJ-33だが、最近は毎日充電しないとかなり不安がある。使わなければ持つのだが(笑)、まさかそんなわけにもいかない。
調べるとまだバッテリー交換はやってもらえそうなのだが、一時的に預けるとか初期化するとか、そのあたりが面倒だ。

ほぼ日手帳やGoogleカレンダーを使うようになって、利用頻度は落ちているのは確かだ。このあたりは使い続けるかということも含めて考える必要がある。

Let's Noteのバッテリーも、大分弱ってきている。毎朝の利用はモバイルだが、今このブログを書いている時点で残量は2時間半と表示されている。当初は5時間を越えていたことを考えるとかなり低下しているだろう。
最近は、朝ぐらいしか使わないのでそれでも大きな不便はないのだが、逆に今後もうしばらく使い続けるつもりであれば、このあたりで新しいバッテリーに切り替えておいても良い気はする。

実際、現在の周辺機器はこのLet's Noteを前提に揃えられているので、切り替えるとなると結構大変だ。一方でバッテリーの価格は2万5000円。これは結構な出費で正直迷ってしまうところではある。

もう一つは携帯電話なのだが、これはバッテリーを変えるのにそんなに手間はいらない。それほど古い機種ではないから、まだあるはずだが新機種に切り替えずに使い続けるかどうかが判断の分かれ目といったところだ。
ただ、サイズに惹かれて買ったSO902iだが、最近の携帯は折りたたんだ状態でも結構同じぐらいのサイズになっている。多機能で大型化するのは論外だが、サイズ的にもソフトバンクのシャア携帯なんかは意外と大きくもならず、ちょっと興味があったりする。(キャリアを変えるとなると、他にも色々面倒はありそうだが。)

モバイル機器というのはバッテリーが命のようなもので、この状態をいかに保つかが快適な利用を支えていると思うのだが、意外とそのためのケアが整っていなかったり、肝心なときには(モノ自体が)なくなっていたりしそうで、使い続ける際の障害になりやすいと感じている。

PSPのバッテリーなんかも、そろそろ予備を用意しておいた方が良いのかもしれない。それこそたいして使ってはいないのだが・・・(笑)

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2008年1月10日 (木)

卓上カレンダーを活用する

アソシエの1月15日号によれば、実行力の高い人は卓上カレンダーを使っている比率が高いのだそうだ。逆に実行力の低い人というのはカレンダーを使っていないことが多い。

会社では卓上カレンダーを置いているが、考えてみると「使って」はいない。置いてあるだけだ。これは何か活用するという方法を考えた方が良いのかもしれない。(こういうのに影響されやすいよな・・・。)

カレンダーの利点は長いスケジュールを簡単に俯瞰できることだそうだ。そういえば、「超」整理手帳などもそういった発想で作られている。そしてそういう視点で考えると、1日1ページというほぼ日手帳は、どうしてもそういった面が弱い。どうしても意識がその日その日にいってしまいがちだ。

とはいえ、ほぼ日手帳には月間のスケジュールページもある。実は今年からオフィシャルのブログのエントリーの記録をしておこうと書き始めていたのだが、これを年間インデックスに移して(といってもここにはオーケストラの年間予定を書き込んでしまったのだが、それはモレスキンに移して)、この月間スケジュールを活用していくことも考えたい。

卓上カレンダーか、手帳の月間スケジュールか、という点は判断に迷うのだが、個人的にはどうも卓上カレンダーに予定を書き込んだりするのはなじめなかったりする。据え置き型のカレンダーは持ち歩きの点で不便が生じるからだ。ただ、確定したスケジュールなど、キーとなる日に印をつけるぐらいはやった方が良いかもしれない。机の上の置物ではもったいないからだ。

もっとも、今卓上にあるカレンダーは、月間カレンダーに2週間の予定が書き込めるタイプのものだったりする。だったらもう少し使っても良いよな・・・。

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2008年1月 9日 (水)

サステナビリティを考えるときに抜け落ちやすいもの

CSRでも大きなキーワードである「サステナビリティ」とは何か。

ブルントラント委員会が1987年に出した「Our Common Future」によれば、「将来世代のニーズを損なうことなく現在世代のニーズを満たす発展」と定義されている。

ようするに未来の世代に負担を押しつけてはいけないということだが、そこで意外と抜け落ちがちなのが「現在世代のニーズを満たす」という部分だ。今サステナビリティが語られるときに言われているのは「現在世代は反省し我慢する」になっていないだろうか。

本来それでは意味がない。現在世代のニーズを満たすために将来世代に負担を押しつけるのと、将来世代のニーズを満たすために現在世代で負担を引き受けるのとでは、構図が同じだからだ。

つまり、本来サステナビリティに求められる概念というのは、将来世代も現在世代も満足できるニーズは何か、というニーズ自体のパラダイムをシフトすることにある、と考えるべきだろう。どうもそういう議論が抜け落ちているような気がしてならない。

なぜ抜け落ちるかというと、現在の産業(企業)にとっては、同じニーズであれば現在世代を相手にしても将来世代を相手にしてもあまり変わらないからである。それは双方を満足させる新しいニーズを考えていくよりもずっと企業にとって負担が少ない。あとはその時まで耐えられるかという体力勝負にすぎない。

そう考えると、今多くの企業が大合唱しているサステナビリティは、実はターゲットを将来のニーズにシフトしただけといえるかもしれない。

なぜそうなるかと言えば、現在の企業の成長には対となる消費が欠かせず、その「消費」というニーズ自体が地域間や世代間の搾取により成り立っているからだ。であれば、商品やサービスの消費を核としない成長のモデルが描ければ、もしかしたらこの構図を変えることが出来るかもしれない。

(かなり乱暴な議論なのだが、少し思いつきとして書いてみた。CSR、というかサステナビリティを考える者に求められるのは、こういったことではないかという気もする。企業の担当者として、あるいは社会の中の一個人として、この問題に対してどのようなアプローチができるだろうか。)

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2008年1月 8日 (火)

演奏委員会をどうしていくか

このブログは、オーケストラの人間も何人か見ていることが判明したので、それを意識し始めると書きにくい話題もあったりするのだが、とりあえず総会前にあった一悶着について、個人的な考えを整理して反省しておくことにする。

演奏委員長というのは、演奏委員(各パートのパートリーダー)の互選により選ばれ、総会で承認を受ける形になっているのだが、そのための会合を事前に持つことができなかった。そこで直前に前演奏委員長から「特に立候補推薦等なければ、継続したい」という連絡があったのだが、それでは決め方がおかしいという声が聞かれた。

実は個人的には前委員長の提案で良いと思っていた。というのは、自分の場合、なかば確信犯的にその話題を放置していたからだ。「演奏委員長を決めるための委員会を総会前にやりましょう」と投げかけることは、年末にも年始にもできた。でもそれをせずに、前委員長に丸投げしていた。

だからすでにその時点で、どうであれ委員長が言ってくれば受け入れるべきと考えていた。それがいやだったら、委員の一人として先に声をあげなければいけない。口を開けて待っていただけなのに、口に合わないと吐き出すのは無責任だ。

とまぁこういった意見をその時に投げなかったのは、実は家の片付けに追われていてメールどころではなかったためだが、最悪でも「それなら当日8時にでも集まって決めましょう」ぐらいは投げるべきだったかと反省している。それで参加を調整できないような演奏委員は演奏委員とは言えないし、意見を言う資格は少なくともない。

結局それも自身のしんどさに負けて投げなかったのだが、そのあたりのレスポンスについては、少し考えた方が良かったかもしれない。自分の場合、メールは携帯に転送されてすぐ確認できるのだが、返信がその場でできないためについつい後回しになっていってしまう傾向がある。

運営委員にせよ演奏委員にせよ、委員としてきちんと動いていこうと考えると、レスポンスというのは意識しなければいけない。毎週定期的に会うからと、ずるずる後回しにしていると、結局意思決定が遅れることになってしまうからだ。

年始の抱負というわけではないが、メールへの必要なリターンは最低でも24時間以内ぐらいに返す、程度の意識は持っていたいものだ。

で、問題の演奏委員長の件だが、実は今の問題は演奏委員長というよりも、演奏委員会の組織に問題があるような気がしている。前委員長については出席率の悪さが問題視されることが多かったのだが、問題は委員長の出席率ではなく、委員長がいないと何も進まない組織体制にある。
(こういってはなんだが、演奏委員会といっても実質動くのは委員長一人で、あとはただのパートリーダーというのが、今の演奏委員会の実態だ。)

運営委員会のように役割と権限を委譲していくことが必要で、最終的には委員長は全体の情報の把握と責任を持つ、ぐらいが役割という形にしていかないといつまでたってもこの状態は解消されないのではないか、という気がしている。

個人的には、
・定期演奏会その他演奏会での選曲
・練習計画の立案
・乗り降りの把握(プルト表の作成)
・各パートの出席状況の把握(練習時に音が欠けるパートの把握)
・タイムキーパー(号令)
ぐらいの役割分担はあっても良いと思う。

他のアマチュアオーケストラではどうなっているのだろうか。

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2008年1月 7日 (月)

総会にて

昨日はオーケストラの総会と新年会があり、お酒を飲み過ぎた。昼の12時から夜の10時というのはさすがにきつい。まだ酔っているような感じがある(笑)

昨日の総会では、今後に向けていくつか思いついたこともあって、とりあえずメモをしておいた。

・総会次第は前に書き出すだけでなく、プリントして配布しておくとそのまま記録にしやすい。補助事業や奨励事業の説明なども加えておくと、説明の機会になる。
・その年の事業実績には、参加者数や、演奏会であれば動員数のようなデータを加えておくと、これまた記録として活用しやすい。
・会場予約が15ヶ月、12ヶ月前にされているということは、その年の予算は実際には翌年の会場を押さえるために使われていることになる。これを活かすような練習の運用方法はないか。(何に?)

運営委員は総会で承認を受け、その運営員の互選によって委員長を選出し、これまた総会で承認を得なければならない。演奏委員はパート内の互選だから事前に委員長を選んでおいて総会で承認を得ることが可能だが、運営委員長の場合、規約上はそういう仕組みになっていないので、多少あいまいな所がある。

そう考えると、総会で承認を得るタイミングと、任期をずらすと良いのかもしれない。1年前の総会でまず次期運営委員を選んでしまい、翌年の総会で委員長の承認を受けて任期スタートという形にするのだ。

ただ、社会人オケでは、1年後自分がどうなるかは分からない場合も多いので、現実問題としては難しいだろう。

それはさておき、今日から本格的に仕事もスタートする。金曜日に大まかなスケジュールを組み立ててみたのだが、思った以上にタイトだった。躊躇していたらすぐに間に合わなくなってしまうスケジュールというのはちょっと恐ろしい気もするが、考える間もなく進めていくような状況に自分を追い込まないと、すぐに立ち止まってしまうのが自分の悪いクセだ。

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2008年1月 4日 (金)

今年はどんな年になるだろうか

あけましておめでとうございます。

正月は父に付き合ってとあるスキークラブのツアーに参加したのだが、PHSが圏外だったため、ネットからは距離を置いて年を越した。パソコンは持っていったので、やろうと思えば他にできること(住所録の整理とか)はあったのだが、意外とやらないものだ。

そのスキーでは、久しぶりに自分の滑る姿のビデオチェックもできた。気付いた点は、やはり前傾が強いことと、下を見るクセがあることで、特に下を見るクセはスキーのトップを見ているためのようなので、少し意識して修正する必要があるだろう。(前傾に関しては言わずもがなだが。)

年末年始に出来ていないことというと、楽器の練習と仕事のための頭の整理だろうか。楽器の練習は冬場はスキーがあるのでなかなか時間を確保するのが難しいのだが、今年はミニクラシックコンサートでのカルテットもあるので、結構真面目に(などと書くと普段そうではないようだが)練習する必要がある。

仕事に関しては、オフィシャルなブログには体と頭を休めながら次の構想を練るなんて書いたような気がするのだが、結局髪の毛ほども仕事のことは考えなかった・・・気がする。これは今日少しねじを巻く必要があるだろう。

そしてそもそも正月は家を空けたために掃除をしていないのだった。昨日ちょっと手はつけたのだが、まったく進んでいない。

なんというか、あまり「今年はどんな年になる」という感じではないのだが、「一年の計」というものを考える訳でもなし、このままではなんとなく淡々と今年も過ぎていってしまう気がする。

少しは何か考えろ、自分。
とりあえず、このブログは3年目に突入する。

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