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2008年3月31日 (月)

鞄が軽くならない

せっかくパソコンを持ち歩かないのに、鞄があまり軽くならないのは、その空いたスペースに本やら書類やらを詰め込むからだ・・・ということを、今朝鞄の中を見ながら考えた。週末に調子に乗って書類をたくさん持ち帰ってしまったらしい。

思い切って、もっと制限をかけたほうが良いのかもしれない。どうしても持ち歩きの必要なものを考えると、

  • 携帯
  • 手帳(ほぼ日手帳)と筆記用具
  • CLIE
  • 財布と定期

ぐらいのはずだ。(まぁあと社員証とか、こまごまとしたものはある。)

手帳と言えば、先週モレスキンのスクエアを購入して、モレスキンの手帳は都合3冊になった。この3冊目は思いついたことや気になったことなどをメモしていくためのものだ。ほぼ日手帳との違いは、持ち歩きしやすいサイズと日付の制限がないことだろうか。

もっとも、トラベラーズノート用のペンホルダーが発売されていることを発見して、早速購入して付けてみたのだが、なかなか具合が良い気がする。もしかしたら手帳周りの環境をがらりと切り替えることになるかもしれない。

携帯については、機種変更を検討中。できればCLIEと統合できるように、スケジューラが使いやすいものが良いのだが、ネットで調べられる情報に限りがあり、実機を体験できるショップで確認してみないと、最終的な判断を下すことができない。

明日から4月ということで、ちょうど切り替えるには良い季節ではある(ただし、会社的には年度がずれているのでまったく関係ない。あくまで個人的な心境の問題だ)。しばらくパソコンを持ち歩かないことを前提に、身の回りの持ち物を考え直してみることにする。

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2008年3月28日 (金)

会社でブログを更新してみる

昨日のエントリーに書いたからと言うわけでもないが(いや書いたからか)、今日はパソコンを自宅に置いてきた。当然ながらブログのエントリーは会社のパソコンから行うことになる。

・・・実は、普段はNotesで内容を作成し、コピーして貼り付けているだけなので、直接入力をしようとすると少々戸惑いがあったりする。(改行とか・・・。)

鞄が軽いのは間違いない。その分、本などを持ち歩けるようになる。(今日読んできたのは「ファシリテーターの道具箱」。)この一点だけでも、それなりにメリットはあるかもしれない。

この時間であれば、会社にもまだそれほど人はおらず(でもいることはいる)、それほど気兼ねなくブログを書くこともできそうだ。(多分システム的には記録されてしまっているのだろうが・・・・。)

あとは自分自身のスイッチだろうか。今日は意識しているから書けるが、こうした状況が続くと意外とスイッチを入れるのが困難になるのは想像に難くない。(そもそも今日のエントリーの内容は書くこと自体なんでもないような内容だ。)

会社のパソコンに向かってしまうと、どうしても仕事のスイッチが入ってしまうのだ。

このあたりは意識的に切り分けるための仕掛けのようなものが必要なのかもしれない。

・・・あ、でも会社から更新するとmixiの日記に転載することができないんだった・・・。

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2008年3月27日 (木)

無駄にパソコンを持ち歩く

昨日はココログがメンテナンス中で、ブログの更新ができるはずもなかったのだが、何となくパソコンを持ち歩いてしまった。案の定、家に帰るまでまったく開くことはなかった。

こうなると、本当に持ち歩く意味があるのかということを改めて考えてしまう。ただでさえブログを書くためにしか(外出先では)使っていないのだ。そこは少し譲って会社のパソコンで(私用なので少し気は引けるが)書くことにすれば、ほとんどというか、まったく持ち歩く必要はないことになる。

結局の所、持ち歩いていないと不安なのかもしれない。確たる理由があるわけではなく、ただ「なんとなく不安」で、それを隠すための言い訳として「ブログの更新」ということを挙げているかもしれない。そんな気がした。

いざというときにネットにつなぐことができるという利点は確かにある。実際、何度かそれに助けられたこともあるのだが、冷静に考えるとコストとメリットのバランスはとれていないのは間違いない。パソコンがなければ、鞄も軽くなるし、そもそも今ほどのサイズの鞄は必要ないかもしれない。

もっとも、「自分のパソコンを開く」ことが、ブログを書くための意識上のスイッチになっている、という可能性はある。会社のパソコンを開いても、全然書かずに別のことをやってしまって、書けなくなるということは考えられる。

4月を機会に、少し環境を見直してみようかな・・・単なる物欲かもしれないが(笑)

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2008年3月25日 (火)

今日の予定

昨日「考えたその時に」と書いておきながら、特にネタもないのにほぼ時間通りに書き始める。違うのは、今日は休みを取っていることだ。普段休みの日には書かないのだが、平日の休みの場合これぐらいの時間の都合はできるらしい。

今日はいつも通りに起きて、洗濯をしながら部屋の中に散らばる古雑誌類をまとめて捨て、その後近所のマクドナルドで朝食をとりながらこのエントリーを書いている。
(ちなみに上記の間に録りためていたドラマも一本見た。仕事もこんな具合にマルチに進められると良いのだが・・・笑)

この後はスキーの手入れをして(今シーズンは終わってしまった)実家に持って行く。そこでどの程度時間を過ごすかにもよるのだが、可能であれば一度ゆっくり弾くだけでも良いので楽器の練習もしたい。

スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換し、戻ったらスキーウェアをクリーニングに出したい。と、このあたりで大体済ませておきたいことは終わるだろうか。

ただ、やりたいことはまた少し違う。
漫画喫茶で「鋼の錬金術師」の続きを読む(時間がない)とか、銀座のソニースタイルに行ってCLIEのバッテリー交換を依頼するとか(準備ができていない)、やりたいことではないが、仕事も(本当は)少しはしておきたい。

ああ、やることってたくさんあるんだなぁ・・・って、何書いてるんだか。

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2008年3月24日 (月)

本気でブログでのアウトプットに取り組む

今朝のエントリーに関係するのだが、少し思いついたことがあり、考えたその時に更新するということを試みてみる。
ちなみに、いまどこにいるかというと、会社の帰り道で、渋谷駅のホームのベンチだ。パソコンを持ち歩いているというのは、いつでも使えるということだが、実際に使える場所というのは意外に限られる。

何を思いついたかというと、これも今朝のエントリーに関係するのだが、今のようなブログの更新方法というのは、とどのつまりあまり本気ではないということではないかということだ。特に、並行してやっている(そしてあまり更新できていない)もう一つのブログがそうだ。

それでは全力で・・・は言い過ぎかもしれないが、それなりに本気で取り組んだらどうなるだろうか。

そんなことを考えながら、そういえば過去それにかなり近い時期があったことに気付いた。ちょうどナレッジマネジメントに取り組み始めた頃で、ブログというか、当時は日記をスタートしたあたりだ。正直にいえば、今のブログは当時の推進力の慣性で更新しているようなものともいえる。

この時期は、それ自体が仕事だったこともあるが、かなりの数の「思いつき」のアウトプットがあったのは間違いない。苦言を呈せば、それをきちんとしたアウトプットにまで高めていたとは言えないのだが、当時そうやって書き散らしていたアウトプットが、いわば「1~2件の使えるアイデアを支える1000件の使えないアイデア」として蓄積されているのではないか、という気はする。

今書いている内容は、そうした「1000件の使えないアイデア」につながっているだろうか。
実はそうではないような気がするのだ。それは、たとえ使えなくても「本気で」アウトプットをしているかどうかが問題だからだ。

今の自分はそうした「本気の思いつき」をアウトプットできているだろうか。そうした機会をきちんと作る必要があるのではないだろうか。

・・・などとベンチで書いている間に、すでに数本の電車が出ていたりする。帰る時間はそれだけ遅れるわけだが、それに見合った時間だったかどうか。いや、それに見合った時間にするように本気で考える必要があるのかもしれない。

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ブログを書く時間

先週は研修に出張とイベントが続き、ブログはほとんど更新できなかった。
・・・できなかったのだが、実は時間はいつも以上にあったのだ。研修は会社よりも自宅に近い研修センターだし、出張も朝に関しては時間的余裕はあった。

それでも書いていないというのは、リズムというか、「この時間にこの場所で書く」という毎日のスケジュールだけがこのブログの更新を支えているということを示しているのかもしれない。なんというか、「書きたいことがあるから書く」というわけでもなさそうなのが微妙だ。

もう少し「思いついたときに書く」というやり方はできるだろうか。確かに「思いつく瞬間」というのはあるのだ。が、意外とその場では書けないことが多い。

いやいや、こんな個人的な話を仕事中に書く訳にもいくまい(ネタ元は意外と仕事中に接する情報だが)などとも考える。もっとも、以前は結構仕事中に思いつきを書き散らしていたこともあったのだが、それはあくまでもアウトプットととして社内に発信していたので、今のこのブログとは状況は異なる。

いずれにしても「書きたいと感じたとき」ではなく「決められた時間」というのは、どうも内容が散漫になるように感じている。時間にあわせて無理矢理ネタを引き出しているという側面があるからだろう。基本的にブログというのは自分の考えをまとめるために書くようなもの(少なくとも自分にとっては)だと思うのだが、意外とそういった使い方はできていないような気がする。

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2008年3月17日 (月)

残りの日数をカウントする

先週のカンブリア宮殿で、逆算時計のことを知ってから、ちょこちょこ時計売り場などを見て回っていたのだが、冷静に考えたら「時間」よりも「日付」が問題なのだから、毎日日めくりのような形でアナログに変えていけるカレンダーのようなものがあれば良いのでは?と気がついた。

・・・というか、手帳に書いてしまえばよいのだ。もともと仕事の場合「営業日」だけでカウントしたいのだから、デジタルではあまり意味がない。また、毎日必ず見るものに表示されていないと意識し続けることができないだろう。

そんなわけで、ほぼ日手帳の毎日のページの左肩に、逆算した残り日数を書き込んでみた。暦上の休日はカウントせず、営業日のみで締め切り日まで日数を記入する。こう計算すると、単純な残日数と違って、意外と時間がないという気分になる。休日を含めた期間の感覚と異なるからだ。

残る問題は、書かれた残日数と残っている作業のボリュームの関係が結びついていないことだ。残りの日数は分かっても、残っている仕事のボリュームがパッと分かるようになっていない。どこかで一旦書き出してみると良いのかもしれないが、それをどう紐付けするかという問題がある。

残り何日の時点で、どこまで終わっていなければいけないということを分かるようにすると良いかもしれない。

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2008年3月14日 (金)

1日4時間しかパソコンを使えないワークスタイルを考えてみる

健康を考えると、パソコンのモニターに向かうのは1日4時間までがよいそうだ。うわぁそれは無理だなぁと最初思ったのだが、冷静に考えてみるとどうだろうか。逆に集中するようになると言うことはないだろうか。

というわけで、少し想像してみる。
会社がパソコンにタイマーをつけて、4時間使うと日付が変わるまで立ち上げられなくなるような仕組みを導入したと仮定するのだ。(連続ではなく、累計で4時間。)

まず、メールはどうしても必要な場合のみということになるだろう。思いついたときにだらだらと書くのではなく、まず電話で何とかなるかを考え、それでは伝わらない(相手が多いとか、資料が必要とか、証拠が必要とか)場合にメールを選択することになる。

メールチェックについても、時間を決めてやらないと闇雲に過ぎてしまうから、1日3回ほどに分けて一気に処理するようになる。即座に判断しないと時間が切れて返信できなくなるから、迷わず処理していかなければならない。
(ここで、とにかく印刷しておく、なんてなるとダメなので、1日の印刷枚数も制限すると良いかもしれない。)

資料を作成する場合、作りながら考えるのではなく、事前にどういったものを作るのかをしっかりまとめておいて、それを形にする時に一気に作成する、という形になる。だらだらとした試行錯誤の時間がなくなり、必要なメッセージに割り切ったシンプルな資料が増えるかもしれない。

ネットを使う情報収集は必要最小限におさえ、仮説を立てて短時間で済ませるようにしなければならない。検索のテクニック向上や重要なサイトの絞り込みが必要になってくるだろう。

会議や打ち合わせでは、先送りをするとそれだけ作成するドキュメントが増えてしまうので、きちんと話し合ってその場で結果を出すようになるかもしれない・・・が、まぁこのあたりは微妙だ。
ただ、パソコンに向かう時間が減るということは、他のことをする時間が増えるということでもあるので、意外と会議や打ち合わせが増え、しかもそこで結果を出す(打ち合わせをセレモニーにして、自席に戻って結果を出すのではなく)ということが要求されるようになるかもしれない。

職種によるとは思うが、意外といけるのかもしれない。もちろん、これらは営業や製造の現場のようにもともと4時間もパソコンを使っていない人たちが対象ではなく、オフィスで8時間近くパソコンに向かっている人たちを対象にした話である必要はある。
(プログラマーのような、パソコンでの作業がすなわち製造という場合もちょっと違うかもしれない。)

こうやってあえて制限することが、オフィスワーカーの仕事の効率化につながるなんてことはないだろうか。
実際に自分に制限を課してみて、どう効率化を図るか考えてみても良いかもしれない。

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2008年3月13日 (木)

マイノリティを活かすのか、マイノリティをなくすのか

昨日のエントリーの最後にこんなことを書いた。

ダイバーシティは性別だけの問題ではないが、すくなくとも性別に関してはそんな課題もあるような気がする。これは性別が、社会全体としてはマジョリティとマイノリティとを分かつ属性ではないことに起因していると思うのだが・・・。

そこでふと考えた。「マイノリティの意見」を活かそうと思ったら、マイノリティであることが前提になければならないのではないか。

変な話だが、企業内の男女比で考えた場合、両者の勢力が拮抗すればもう女性はマイノリティではなくなってしまう。つまり、そういった方向をめざす方策というのは、マイノリティを活かすのではなく、マイノリティをなくすことが目的ということになる。

それが悪いという訳ではない。社会における男女比を考えれば当たり前のバランスになるというだけのことだからだ。しかし、その際に生まれる強みは「多様な組織内に点在するマイノリティの意見を活かす」ではない。

それまでマイノリティだった、ということは言えるかもしれない。だが、それまでマイノリティだったという女性の意見を活かすために「勢力的に拮抗させる」というやり方は、本当に多様性という視点から見て意味があることなのか。

そのやり方では、社会的にもマイノリティとされる人たちの意見を活かす機会が得られることはない、ということにならないだろうか。

もちろん、だから女性はマイノリティのままでよい、ということではない。企業内の男女のバランスをとって社会的なバランスへの是正を図ることと、企業内に点在する多様な意見を吸い上げて活かすこととは、少し次元が違う話ではないかということなのだ。同じモデルを例えば国籍や年齢にあてはめることはできないだろう。

ダイバーシティが目指さなければいけないのは、組織内の多様なマイノリティをマイノリティとして受容し、その意見を尊重していくことではないだろうか。マイノリティをなくすのか、マイノリティを活かすのか、両者には違いがあることは意識しておかなければならない気がする。

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2008年3月12日 (水)

ダイバーシティの社会的価値

先日に引き続きダイバーシティの話題だが、いくつか気になっていることの一つに、企業において女性の登用が進み、「企業の労働力として」確保されるようになった場合、その分で失われる「社会の労働力(?)」のようなものはどう補填されるのだろうか、というのがある。

企業内の人的バランスが偏っているのだとすれば、合わせ鏡のように家庭や地域といった社会の人的バランスも偏っていると考える方が妥当だろう。そのソーシャルバランスはどのように維持されるべきか。そういう議論はあまり聞かない。

きわめて単純化した図式で考えれば、女性の企業進出を進めた分だけ、男性の社会進出を進める必要があるということにならないか。企業が一方的に女性という労働力を吸い上げるだけでよいのか、ということだ。

これはダイバーシティの目的や価値を考える際に気をつけておかなければならない話だと思う。企業内の人的構成を社会に近づけてバランスの是正を図る、ということなのか、新たに優秀な人材を登用して企業価値を高めるためなのかで、社会における人材構成への影響が違ってくる可能性があるからだ。

ワークライフ・バランスという、個人の生活におけるバランスの議論は多くあるのだが、ダイバーシティの視点で社会とのバランスを考えた議論というのはあまり聞かない気がする。しかし、CSRの一環としてダイバーシティを考えるのであれば、こうした議論もさけられないような気がするのだ。

ダイバーシティは性別だけの問題ではないが、すくなくとも性別に関してはそんな課題もあるような気がする。これは性別が、社会全体としてはマジョリティとマイノリティとを分かつ属性ではないことに起因していると思うのだが・・・。

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2008年3月11日 (火)

あと55日

昨日のカンブリア宮殿のゲストは、カネボウ化粧品社長の知識賢治氏だったのだが、その中で期日までを逆算する時計の話が出てきた。なるほどと思ったので、当面の最大の課題である報告書の発行までの日数を逆算してみる。

仕事の場合、人生と違って休日はカウントできない。そうやって営業日を数えると、今日を含めてあと55日だった。

あと55日しかないと考えるか、まだ55日もあると考えるかで心の持ちようは変わってくるが、このようにカウントすると少し期日までの感覚が違ってくるような気がする。(気がするだけかもしれないが。)

ちなみに、オーケストラの次回定期演奏会までの日数を「練習日で」カウントすると、途中に入る別の演奏会の練習を除くとあと9日しかなかったりする。これまたずいぶんと圧迫感のある数字だが、実際には合間に個人練習などを入れることができるのでもう少し余裕があると考えても良いだろう。

今月末が締め切りのアンケートなら、回答日までは14日。すこしこのように逆算して考えるクセをつけると良いのかもしれない。

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2008年3月10日 (月)

ダイバーシティのあるべき姿

企業にとってのダイバーシティのあるべき姿は、『「個人の違いは価値」という前提を社員同士が共有し、異質な視点を活かして協働することで、創造性の高い組織を形成すること』(森沢徹/木原裕子「経営戦略としてのダイバーシティマネジメント」知的資産創造2005年9月号)なのだという。

同質が良いとは言わないが、異質であることはお互いにとってストレスにもなる。「個人の違いは価値」という前提をわざわざ唱えなければいけないということから考えても、異質であることは人にとって受け入れがたい場合があるということを示しているような気もする。

それに異なる視点を受け入れることと、異なる相手を受け入れることはかなり違う。異質な視点を活かすというだけであれば、必ずしも組織内でなければいけない理由はない。

そもそも、個人の違いは「価値」と考えなければいけないほどのものだろうか。個人の違いはあって当たり前だ。その上で、個人の持つ視点とは異質な「組織の視点」を各人が受け入れることで組織としての価値観を統一し、強みを発揮してきたのが、従来の組織ではないか。

その「組織の視点」には、参加する一人ひとりの視点が何らかの形で少しずつ付加されていると考える方が自然だろう。同質的な「組織の価値観」であっても、その解釈は常に同じではなく、構成員の考えによって微妙に細部を変えているものだからだ。

ただ、一方で気をつけなければならないのは、組織が大きくなり、組織の価値観が強くなりすぎると、構成員が与える影響力が相対的に小さくなってしまうことと、構成員が組織の価値観を自分の価値観と同一視するようになってしまうことだ。

意外とダイバーシティというのは、組織の価値観と個人の価値観とを、一人ひとりが自覚的に距離を置いて考えるようにすることが重要なのかもしれない。組織の価値観と自分の価値観の間に何らかの距離を置いていれば、他の人も同様に「違う」ということが自覚できるが、組織の価値観と自分の価値観を同一視してしまうと、組織の価値観と異なる価値観の人間は「異質」にしか映らないからだ。

「協調する」というのは、利害や立場の異なる者が互いに譲り合って協力することをさす。一方「同調する」というのは、他人の意見、態度などにあわせることをいう。ダイバーシティというのは、同調ではなく協調することで価値を生み出すということなのかもしれない。

・・・でもそれって「ダイバーシティ」とことさらにいうことでもないような・・・。

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2008年3月 7日 (金)

プライベートの時間

今週はブログのエントリーが抜けがちだったのだが、仕事よりもプライベートの時間をどう使うかが課題だな~なんて(笑)

基本的にプライベートの時間に仕事を持ち込む気はないのだが、そもそも持ち込める余裕がないような気がする・・・。

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2008年3月 5日 (水)

成果とモチベーション

一昨日のことだが、朝考えたその日にやることをすべて予定通りに終了した帰り際、隣の席の後輩が「朝この状態だったのが、ここまでできました。やっぱりやっていることを見える化するのはいいですよね。」と喜んでいるのを見て、あれ、と考え込んでしまった。

自分もその日にやることを終えて、ここまでやったという成果を持っていたのだが、後輩のようなモチベーションの高まりが・・・ない。ここまでやったという達成感はあるのだが、それが自分の心には特に高揚感をもたらさないことに気付いたのだ。

なぜだろうか。そういえば仕事の進め方として、細分化した小さな目標を立てて達成を積み重ねていくとか、タスクを書き出して終わったことをチェックしていくことでモチベーションを高めるという手法が紹介されることがあるが、実際に試してみて、そういったモチベーションの高まりを感じたことがない。

やり方がまずいのかとも思っていたのだが、もしかしたら自分はそうした結果や達成したという事実には特にモチベーションを感じないタイプの人間なのではないだろうか。

そういう視点で省みると、思い当たる面はある。自分の場合、どちらかというと何かに没入すること自体でやる気が高まることが多いような気がするのだ。問題は、終わると空気の抜けた風船のようにそのやる気がしぼんでしまうことで、そのために達成感や充実感といった「終わった満足感」がない。

むしろ終わってしまった「残念感」を感じてしまっているような気がする。

昨日テレビで、味にはこれからそれを食べたいと思う「先味」、食べている最中に美味しいと思う「中味」、食べ終わってまた食べたいと思う「後味」という3つの味があるという話があった。そこで提供側がめざしているのは後味という話だったのだが、こと仕事に関する限り、自分には「後味」が存在していないのかもしれない。

そういえばブログも書いている最中は楽しいけど、書き終わって「満足」というのはあまりないような・・・。

これは今のように一定の区切りで成果物を出す仕事の場合、致命的な欠点になるかもしれない。なぜなら「終わらない」ことに自分が無意識にモチベーションを感じているとすれば、まさに「終わることを引き延ばす」ことをしかねないからだ。(そう考えるとゲームも終了しないように引き延ばす傾向がある・・・。)

うーむ、これは結構気をつけなければいけないかも。

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2008年3月 3日 (月)

1分1秒の仕事

ほぼ日手帳には毎日ちょっとした一言が書かれているのだが、今日の一言にはなるほど~と思ってしまった。

人間が、「日常的に1分という単位を意識する」
なんてことを、やっちゃあいけないよ。
「ほんとに忙しい」なんてことが続くとしたら、
その仕事の方法か、仕事そのものか、
どっちかがまちがっているんじゃねぇか、と、疑ってみたほうがいいやね。
<『ダーリンコラム』より>

時間管理術というのは、多くの場合、いかに時間を確保し、いかに効率的に使うかが問われるので、時間を細切れにして無駄を省くテクニックというのはよくささやかれる。しかし、本当に必要なのはこうしたわりきりというか、心構えなのかもしれない。

そうはいっても、現実には1分を意識せざるを得ないこともあるし、競争ということを考えると、そうしなければ取り残されるということもあるのかもしれないが・・・。

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