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2008年3月13日 (木)

マイノリティを活かすのか、マイノリティをなくすのか

昨日のエントリーの最後にこんなことを書いた。

ダイバーシティは性別だけの問題ではないが、すくなくとも性別に関してはそんな課題もあるような気がする。これは性別が、社会全体としてはマジョリティとマイノリティとを分かつ属性ではないことに起因していると思うのだが・・・。

そこでふと考えた。「マイノリティの意見」を活かそうと思ったら、マイノリティであることが前提になければならないのではないか。

変な話だが、企業内の男女比で考えた場合、両者の勢力が拮抗すればもう女性はマイノリティではなくなってしまう。つまり、そういった方向をめざす方策というのは、マイノリティを活かすのではなく、マイノリティをなくすことが目的ということになる。

それが悪いという訳ではない。社会における男女比を考えれば当たり前のバランスになるというだけのことだからだ。しかし、その際に生まれる強みは「多様な組織内に点在するマイノリティの意見を活かす」ではない。

それまでマイノリティだった、ということは言えるかもしれない。だが、それまでマイノリティだったという女性の意見を活かすために「勢力的に拮抗させる」というやり方は、本当に多様性という視点から見て意味があることなのか。

そのやり方では、社会的にもマイノリティとされる人たちの意見を活かす機会が得られることはない、ということにならないだろうか。

もちろん、だから女性はマイノリティのままでよい、ということではない。企業内の男女のバランスをとって社会的なバランスへの是正を図ることと、企業内に点在する多様な意見を吸い上げて活かすこととは、少し次元が違う話ではないかということなのだ。同じモデルを例えば国籍や年齢にあてはめることはできないだろう。

ダイバーシティが目指さなければいけないのは、組織内の多様なマイノリティをマイノリティとして受容し、その意見を尊重していくことではないだろうか。マイノリティをなくすのか、マイノリティを活かすのか、両者には違いがあることは意識しておかなければならない気がする。

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