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2008年5月20日 (火)

提供側をなんとかしようという視点

シロクマ日報に「大人に携帯を持たせるな」というエントリーがあり、教育再生懇談会への反論としてはなるほどと思う反面、制限をかけて市場性が薄れれば、有害情報も(少なくとも子どもをターゲットにするようなものは)減るのではないか、などとも思った。

ただ、ロングテールを持ったネットの世界で、こうした規制で「防ぐ」というのは少々心許ない。情報を提供して引っかける側も、情報を目にして引っかかる側も、きわめて巨大な母集団の中ではそれなりに「残って」しまうし、それだけで成り立ってしまうからだ。

結局の所、親(保護者)の動向で決まってしまうのではないかとも思うのだが、総体的な社会システムで何とかなるものではなく、個々に対応していくしかないのではないかという気がするのだ。

ネットで広がるいじめに関していえば、先日はてなブックマークで見かけた「Twitterに「ぶっ殺す」とか書き込ませない情報リテラシー教育」で書かれていたように、「子どもがいじめに遭わない」ための規制よりも「子どもにいじめをさせない」教育という視点が必要なのではないか。

いわゆるネットの有害情報の「規制派」には、そうした視点が弱いような気がするのだ。自分の子どもにいじめを「させない」ために携帯電話の所持を制限しようという発想が、どれだけの親にあるだろうか。(世の子どもにではないよ。)

もちろん今いじめられている子どもを救うことは大切だが、それは目前の問題への対処であって、長期的な対策ではない。シロクマ日報に書かれているように、「情報を提供する側」「いじめる側」をどうするかという議論はもっとあっても良い気がする。

ちなみに、少々乱暴ではあるが、ネットが広告モデルによって無料化されていることが、こうした有害情報を野放しにした一因なんて議論はないのだろうか。コンテンツがすべて有料で提供されていれば、子どもに自由にネットへのアクセスを許す親はそうそういないような気もするのだが。

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昨日の続きのような内容になってしまうが、たまたま家に帰ってテレビをつけたときに、 [続きを読む]

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