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2008年5月23日 (金)

生物多様性をどう捉えるのか

昨日5月22日は国際生物多様性の日ということで、国連大学で行われたシンポジウムに参加してきた。

会場がやたらと冷えていたのが気になったが、それはさておき、少し情緒的な捉え方で話が進んでいたのが物足りなかった。ロジカルな結論として生物多様性の必要性が説明できなければ、結局企業が取り組む上では「気持ちが重要」というあいまいな結論になってしまうからだ。

ちなみにこれまで明確な定義を調べたことがなかったのだが、生物多様性というのは、すべての生物の間に違いがあることであり、その違いは大きく「生態系」「種」「遺伝子」の3つなのだそうだ。多様性というと「いろいろある」という意味で考えていたのだが、むしろ「違いがある」と捉える方が良いと感じた。「いろいろある」というのは、全体として混沌としていてとらえどころがないイメージがあるのだが、「違いがある」だと個々を比較して分析をしていけるように感じられるからだ。

違いがある、と捉えるのであれば、それは組織における人的多様性にも通じる話として理解していくことができる・・・はずなのだが、問題はその先だ。

基調講演をした千葉県の堂本知事は、生物多様性を一言で何と言い表すかと問われて、「(日本においては)文化だ」と答えた。日本の豊かな自然環境からくる「感覚」なのだろうが、感覚では意味がない。「文化だから守ろう」ではまったくロジカルではなく、ようはその価値観に賛同するかどうかになってしまう。

価値観で捉えるのであれば、違う価値観も受容するのが多様性の考え方だろう。多様性が重要という価値観を第一にするのでは、多様性の考え方と矛盾してしまう。多様性の重要性を訴えるには、そうした違いが生じない論理の世界で理屈を積み上げていかなければいけないのではないか。そのあたりがどうも釈然としないのだ。

余談だが、生態系というと思い出す話がある。以前SF小説で読んだアフリカツメガエル(ツノガエルだったか?)の話だ。彼らの生態系は、池の中に藻と彼らしかいない関係で成り立っている。しかし肉食の彼らは藻は食べられない。ではどうやって成り立っているかというと、彼らが生んだ卵から孵ったオタマジャクシが藻を食べ、そのオタマジャクシを彼らが食べるというのだ。

もちろん、この生態系ではいわゆる微生物は考慮されていない。実際には目に見えない多様な生物により成り立つ生態系なのだろうが、このきわめて「シンプルな」生態系を袋小路に追い込まれた多様性がない世界と評価するべきなのか、他とは「違った」ユニークな生態系として多様性のある世界の一つとして評価するべきなのか、はたしてどちらだろうか。

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