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2008年5月21日 (水)

大人の知らないケータイの世界

昨日の続きのような内容になってしまうが、たまたま家に帰ってテレビをつけたときに、子ども向けのケータイサイトの「闇」の話題が取り上げられて、そこで一字一句同じではないと思うがタイトルのような見出しが躍っていた。

なんとなく違和感を感じたのだが、その時はそのまま見過ごしてしまったので、メモなどはとっていない。
ちなみに番組はガイアの夜明けだったような気がする。

違和感を感じたのは、大人が知らないなんてことがあるだろうかと思ったからだ。少なくとも一部の大人は間違いなく知っているはずだ。仮に子どもが中心に動いている場があるとしても、大人が関わっていなければその場は絶対に成り立たない。なぜなら、どんな場であれその維持にはお金がかかり、その仕組みは大人が作ったものだからだ。

(ほんの一部に天才的な子どもが仕掛けている場合があるとしても、その収益を支える社会システムはやはり大人が作ったものであり、接点がないということはあり得ない。)

大人たちは、「知らない」のではなく「知らないふり」をしているのではないか。少なくとも、知った上でそこから利益を得ている一部の大人がいるはずなのだ。

ようするに「大人が知らないケータイの世界」があるのではなく、「一部の大人しか知らないケータイの世界」があるということであり、最近騒がれている携帯の規制の問題は彼らとの直接対決を避けて、子どもをだしにしているだけということではないのか。

例えば出会い系と称して援助交際というものがあったとする。援助交際をする子どもや、その情報交換に使われるネットが話題になることは多いが、不思議と「援助」する大人がクローズアップされることは少ない気がする。彼らがいなければ、援助交際などあり得ないのだが、彼らを放置した上で、子どもやネットを何とかしようとするのは、どこか滑稽と言わざるを得ない。

そういった大人がいるのは「仕方ない」とでも思っているのだろうか。

番組の中で(だんだん思い出してきた)プロフに勝手に個人情報を公開された結果、家の周りを不審な人にうろつかれたという被害者のエピソードが紹介されていた。

個人的にびっくりしたのは、そうやって「家の周りをうろつく」大人がいるということだったのだが、番組ではもちろんプロフサイトでのなりすましが問題にされていて、そういったうろつく「大人」については言及はなかった。

本当にそんな捉え方でよいのか・・・そんな気がするのだ。

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