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2008年6月30日 (月)

名刺ファイリングソフトとアドレス管理

少し前に名刺ファイリングソフトを購入してちょこちょこ名刺の登録をしているのだが・・・。

何の役に立つのか、いまいち見えてこない。個人のパソコンに入れているからそもそも「見る機会」がないということもあるが、結局名刺は物理的に管理した方が良いような気もしている。そもそも自分の場合、それほど多くの人と会うわけではないから、必要な名刺というのは決して多くないのだ。(配る枚数も少ないし。)

逆にパソコン上の余計なディスク領域を浪費しているような気もしてきた。

同じような理由で、CLIEのアドレス帳も、一時期気合いを入れて登録していた割には使わないことを実感している。これも思い切って整理してしまった方が良いのかも知れない。同期しているOutlookのアドレス帳も同時に整理することになるが、使わないアドレスは混乱が増えるだけだ。

もっとも、メールアドレスなどは、どれが最新か分からなくなったりして、けっこう困ったりする。メールも含めて、思い切って環境を見直してみても良いかも知れない。

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2008年6月27日 (金)

講義でのワークショップ

7月にとあるスクール(ビジネス系)で講師をすることになっている。時間は2時間半(!?)で、テーマは自社の(社会環境関係の)取り組みとその広報活動についてだが、進め方は自由ということで任されてしまっているので、どんなことをやるのか考えなければならない。

2時間半をひたすら延々と話し続けるのは、聞く側も話す側もきつい(というか無理)。講義的なものはなるべく最小限にしてワークショップのようなものをやりたいのだが、さて、どんなテーマが良いだろうか。

広報担当者を育てることを目的としたスクールなので、ある程度PRやコミュニケーションに関する話題が良いだろう。もともとの依頼も、CSRコミュニケーションという話だった。しかし、シンプルに「何をどのように伝えていったらよいか」みたいなテーマを投げかけても、会社の内容を知らない学生達が考えられることには限界があるだろうから、あまりおもしろそうではない。

といって、一般的な話をしても意味がないだろう。ケーススタディとして実際の企業をモデルにするからこうしたワークショップは意味があるのだ。

また、自分にできること、という視点から考えると、広報活動やコミュニケーションといっても、報告書を中心としたものにならざるをえない。そうではない担当外の話をしても説得力がないからだ。

そう考えると、報告書を作るという視点でワークショップを行う形を考えるのが良さそうだ。ただし、純粋な報告書作成というよりも、広報的な要素を持った内容が良いかも知れない。CSRレポートの作成がテーマであればマテリアリティの議論から・・・となりそうだが、それは短時間では無理だし、そのための情報は提供しきれない。

戻るようだが「何をどのように伝えるか」というテーマで、その検討のための情報ソースの提供方法を工夫するのが良いのかも知れない。基本ソースは公開されている情報とし、追加の情報はヒアリングを行えるようにする。その際に「話せない」「分からない」情報というのは、会社として公開できない情報になり、広報活動としては公開できるソースをベースに組み立てる必要があるという制約をつける。

こうすると、こちらとしても「公開されていない」情報のどこに彼らの(=社会の)関心があるか、ということをヒアリングのやりとりの中で知ることができる。問題は自分がそのヒアリングに耐えられるかだが・・・。

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2008年6月26日 (木)

MacBookは買いか

とりあえず仕事が一段落ということで、さて、楽しい楽しい?お買い物タイムだ。

・・・という軽口はさておき、買いたいと考えるのと、実際に買うというのはかなり違う。まったく新しいカテゴリーのもの(過去だと自転車とか、サイレントチェロとか)はともかくとして、すでに持っているもので代替がきくものというのは、経験上最後の最後で「買わない」ことはかなり多い。

理由は、それまで使っていたものをどうするかという問題に直面するからだ。

先日MacBookの使い方について「メディアサーバー」という捉え方をしたのは、そういった理由による。「パソコン」という捉え方をしてしまうと、現在使っているLet's noteでもできることが多いために「買う必要がなくなる」のだ。
(買う必要がないものを、悩んでまで買うなよ・・・というわけだ。)

例えば、iPodtouchなどについても、購入に踏み切れないのは、用途がCLIEとかぶっていることによる。割り切ってスケジュール管理などはせず、音楽と映像だけに絞り込んで考えればよいのだが、音楽となるとすでにウォークマンがあるし、映像についてはPSPで代替できる。

「統合」という強みはあるが、「できないこと」も当然出てきてしまうため、そのあたりで前のツールを割り切れなかったりするのが悩みどころだ。

それでもPIM系のデバイス程度であればそれほど悩むことはないのだが、パソコンレベルになるとかなり話が違ってくる。統合されるものの範囲がはるかに広いからだ。

MacBookをメディアサーバーとして使うとして、ではiPodtouchを持ち出し用のポータブルデバイスにした場合、スケジュールなども管理したくなるのが心情というものだ。ところが、それはMacBookにパソコンとしての機能を要求することになり、結果としてLet's noteと競合してしまう。

だが、Let's noteと競合させる場合、持ち運びに難があるMacBookでは勝負にならない。まぁそのあたりは割り切ってしまえば良いのだが・・・。

もっとも、冷静に考えると、スケジュールの管理に限って言えば、今はGoogleカレンダーが中心になっていて、Let's noteに入っているOutlookは、GoogleカレンダーとCLIEのつなぎにすぎなかったりする。そう考えると、Let's noteをモバイル用と割り切って、スケジュール管理をやめてしまえば良いのかも知れない。

さてさて、もう少し考えてみよう。

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2008年6月23日 (月)

レポート発行後のコミュニケーション

金曜日に取材を受けた。

もちろん原稿にもなっていない今の段階では詳しい話はできないのだが、レポートの作成についてや付随するコミュニケーションの話などをする。こちらとしては、問われるままに思うところをとりとめなく話しただけではあるのだが、さて、どうまとまってくるのだろうか。

ただ、話しながら完成後のアクションの準備が全然できていないことを改めて感じてしまった。正直な話今そのことを考える余裕はほとんどないのだが、完成後にどのように社内外にコミュニケーションを仕掛けていくかは、早めに考えておかないとどんどん後回しになってしまう。レポートが完成すると、どうしても一段落ついたように「気が抜けて」しまうからだ。

そこで乱暴だが、とりあえず「今」思いつくことを挙げてみることにする。

社内に対しては、改めて「報告書を読む会」を実施したい。「読む会」は一昨年にやって、昨年は「勉強会」という別の形にしたのだが、準備や参加の手間を考えると、まだまだ「読む会」ぐらいが良さそうにも感じる。あえていうなら、いきなり「ハイ読みましょう」ではなく、勉強会の時のようなイントロを用意するぐらいだろうか。

特に、本社系の部署に対してどういったアプローチをするかだ。単純に感想をもらうのでも良いことはよいのだが、もう一ひねり加えたいような気がする。

後は時間配分だ。集まってもらう必要があるだけに、拘束時間をどの程度の長さにするかとその中での配分が難しい。巷では半日かけるようなダイアログもあるが、そういったものは正直なところ難しい。

一方社外に対しては、昨年のようなダイアログを(とりあえずは)企画したいところだが、昨年と同じようなパターンで良いのか、という疑問もある。お金を払って(謝礼は別だが)コンサルタントにコーディネートをお願いしたとしても、それにみあう成果を生み出せているかというと疑問もある。

そもそもダイアログというのは、「意見をもらう場」と考えると手間がかかりすぎるし、企業の経営に活かす場と考えるにはガバナンス上の根拠が薄い(はっきりと自社の活動に影響を与えるステークホルダーとの対話なら別だが、縁の薄い第三者的な立場の有識者となると、その意見の位置づけが難しい)ような気がするのだ。割り切ってしまえばよいのだが、どうもそれだけではおもしろくない。

個人的には、昨年と同じ面子で行うにしても、場所を変えて行うのはどうだろうか、という気もしている。その事業所の従業員がオブザーバー参加すれば、それなりの刺激にはなるだろうし・・・。

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2008年6月20日 (金)

原油の高騰は地産地消を救える・・・だろうか

少し考えてみる。(データなどに基づいた話ではありません。あしからず。)

元々地産地消は、物流費がまだまだ高かった時代に、「地元に必要な栄養は地元で生産する」という形で生まれたのだそうだ。

「地元のものを地元で食べる」ではない。どういうことかといえば、それまで地元で生産されていた食糧は、その土地の風土にあったものだったが、それでは栄養が偏ってしまうため、食べる人に必要な栄養にあわせて「生産するものを変える」ことで、栄養の偏りをなくそうとしたのだ。

その結果、ハウス栽培などが導入されて、土地の風土には左右されずに農産物の生産が行われるようになり、地域の栄養状態が改善した・・・というのが、元々の「地産地消」の考え方らしい。

ところが、物流費が下がり、保存技術が向上することで、遠くのものでも鮮度を維持したまま入手できるようになると、様相が変わってくる。農産物は本来生産に適した土地というのがあるものだ。そうした土地で収穫された農産物を(海外も含めて)容易に入手できるようになると、地元の本来はあわない土地で無理矢理生産されているものはどうしても競争に負けるようになってしまう。

もちろん、そうした地産地消品の中には、たまたま風土があったり、生産者の努力によりブランド農産物にまで昇華したものもあるだろう。しかしブランド農産物は「ブランド」という価値の上乗せがなければ競争に勝てないということも言える。本来、土地の風土にあった農産物というのは、質がよいものが大量に収穫できるからブランドに頼る必要がない。それが「土地にあっている」ということであって、色々と手を加えなければ良いものができないというのは、やはりどこかに無理があるものなのだ。

さて、それでは原油の高騰により物流費が上がってくると、地産地消は再びもてはやされるようになるだろうか。
残念ながら難しい気がする。原油の高騰というのは、物流コストだけではなく、生産コストにもかかってくるからだ。特にハウス栽培のような「土地にはあわないものを生産している」ような地産地消の生産物にとっては、厳しい環境なのは間違いない。

個人的には人間の事情にあわせた地産地消にはこだわらず、地産旬産は重要だが、地消にはこだわらない方が良いような気もするのだが・・・。

ちなみにこの「地産地消」というのは「国産国消」という政治の話とは違うので念のため。

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2008年6月19日 (木)

図版というのはやっかいなものではある

CSRレポートをブログを使って構築することで、制作会社に依頼せずに直接編集できるようになったのだが、それでもなかなかそうはできないものがある。

イラストや写真などの図版だ。特にイラストに関しては、簡単には手が出せない。結果として制作会社に頼らざるを得ないのだが、今度はなかなかそのイメージが伝わらず、戻しが何度も発生している。

イメージが伝わらないのは、レポートの編集をこちらが行っていて、制作会社へは部分的な依頼になっているために、情報が断片的でしかないという事情もあるのだろう。それでも何とかするのがプロだろうと思わなくもないが、一方で従来とはまったく違ったやり方のために、積み上げてきたノウハウが通じていないということはあるのかも知れない。

想像だが、制作会社ではこれまで全体のディレクションをした上で、個々の図版などのパーツ制作は外部に出していたのではないか。いずれにしても全体のディレクションをすることでデザイン的なイメージを確保し、個々のパーツに落とし込んでいたと思うのだが、今回の進め方ではその部分がないのだ。

そのために我々と制作会社(代理店)、直接のデザイナーとの間で齟齬が生じてしまっているのだろう。

もっとも、正直にいえば、これまでもそれほどイメージが共有できていたわけではなかった。全体のディレクションからお願いしていても、戻しは相当発生していたし、結局の所これは図版を作りあげる難しさ、ということなのかも知れない。

そもそも、レポートにどれだけ図版が必要なのだろうか、などと思わなくもないのだ。レポートの本質的な情報はテキストにあると考えれば、極力文章で説明するという方法もないわけではない。

問題は、そうした文字だけでは、まず読まれないだろうと言うことだ。個人的には内容さえおもしろければ読むと思っているのだが、そうではないと思っていて、実際にそうではない人は少なくない。何しろ日本人というのは、メニューに写真があるかないかだけでも売り上げに影響が出ると言われるぐらい、イメージの影響が大きい民族なのだ。
(イメージゆたかともいえるが、文字情報からの想像力に欠けるともいえる。)

それにしても図版というのはやっかいである。ソフトウェアやノウハウを揃えて自分たちで作ってしまうのが早いような気もするが、一方でそれは越えてはならない一線のような気もするのだ。

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2008年6月18日 (水)

マイナーな曲こそ聴いてみなければ

先週演奏委員会で来年に向けた選曲の打ち合わせがあったのだが、その中で気になったこと。

事前に団員からアンケートを採り、その結果をふまえた上での打ち合わせだったのだが、話の流れの中でメインとなる候補曲が比較的よく知られているメジャーな曲に固まってしまったのだ。

その場にいて反論しなかった身でこんな疑問を呈するのもなんだが、自分たちが知らなかったという理由で、アンケートであがってきた曲をカットしてしまって良いものだろうか。(厳密にいえば「お客様が知らない曲=集客が難しい曲」ではあるのだが、判断基準がそれでよいのか、ということだ。)

少なくとも、票数を集めた曲については聴いてみて、吟味を行うことが必要なのではないか。それがアンケートに書いてくれた団員へのせめてもの礼儀だろう。その場では何となく流されてしまったのだが、改めて考えるとそんな気がしてならない。

そもそも、知っている曲ばかりやっていたら発展がない。全曲がそうである必要はないが、団員自身も初めて接するような曲を1曲なり入れることで、音楽への理解や関心をより広めていくことが、音楽を楽しむということにもつながるのではないか。

そんなことを考えてしまった。

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2008年6月17日 (火)

食品メーカーこそバイオエタノールの研究を

昨日職場の同期に話した思いつき2つ。

  • 現在土壌改良材として使われている自社の廃棄物に対して、土壌改良材としての科学的エビデンスを与えることは出来ないのか。そういった研究が成果を出す見込みは薄いのか。

「良いだろう」というのと、実際の効果を含めて提示するのとでは大きな違いがある。もちろん、すでに研究した結果、そこまでは言えないという結論が出ているのかも知れないが、例えば環境問題の一つとしての土壌汚染などに対抗できるような効果があるような科学的根拠を出していくことは出来ないだろうか、という話。

  • 食品メーカーこそバイオエタノールの研究をするべきではないか。

食品産業の場合、バイオエタノールに対しては「食糧を燃料にするのか」という(微妙に)倫理的な感情論もあって、距離をおくか反対してしまうケースの方が多いのではないかと思うのだが、そうではないのではないか、という話。

方向は二つある。一つは食品残渣のエタノール化の研究、もう一つは穀物以外のバイオエタノール研究の支援だ。

後者は比較的分かりやすいだろう。穀物を燃料に奪われないためには、穀物よりも安価なバイオエタノールの原料と生産技術を確立すればよい。くだらない(と思うのだが)倫理の問題を持ち出して、生産者に「安い食糧として売れ」などと言うのはおかしな話だし、そんなことにエネルギーを使うのであれば、そうではないバイオエタノールの技術開発を進めた方が良いはずだ。

特に、原料として穀物を必要とする食品メーカーにとってこそ、こうした研究を進めることが必要なのではないか。燃料業界にとってみれば、穀物の方が十分安いのだから、さらに技術開発を進める必然性などないからだ。1社では無理でも、業界として支援をするなどしていかなければ、いつか買い負けてしまう時代がくるのではないだろうか。

食品産業というのは(製造しているものにもよるが)一方でバイオ産業でもある。そうしたノウハウを食品以外に活かしていく方法がないかというのは、考えても良いはずだし、そこで何でもありの多角化を行うよりは、こうした方向で考えた方が意味があるような気がする。(まぁ気がするだけで根拠はないのだが。)

前者の方は、日本ならではといえるかもしれない。ここでの食品残渣のエタノール化というのは、生産の工程で廃棄されている食品廃棄物をバイオエタノールの原料として使えないか、ということだ。

日本は大量の食品を廃棄する国だが、それは必ずしも食べ残しだけを意味しない。検査(サンプリングで検査したものはもちろん廃棄するしかない)や、切り替え時のロス、不良となった場合の廃棄など、そもそも消費者の手元に届くまでに「安全のために」廃棄されている食品も少なくないのだ。

(余談だが、「食の安全」の徹底というのはそういった側面もあるということはどこかで頭に入れておくべきだろう。メーカーからそれをいうことはまずないと思うが。)

一方で、そうした工程での食品残渣というのは家庭などの食べ残しと違って、モノとしては均質であることが多い。つまり、雑多な食品が混合されてしまういわゆる「食べ残し」とちがって、品質は一定の場合が多いのだ。

これをエタノールに転化できないのか。廃棄物として処分するよりも、燃料にした方がはるかに良いのではないか。

もちろん、そのための研究開発投資の余裕がない、ということはあるかもしれないが、どこかで技術さえ確立されれば、飛躍的に違ってくるのではないかという気がするのだ。

どこかで研究とかしていないのだろうか。

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2008年6月16日 (月)

森林整備活動

会社の環境活動の一環として土曜日に森林整備活動に参加した。去年から取り組んでいる企業の森における活動だが、行くのは初めてだ。今回は社内のある部署の社員旅行のコースの一つとして設定されたもので、自分たちはお手伝いだ。

まず、協力をお願いしているNPOの方の案内で、森の中を一通り歩いてみる。梅雨のまっただ中だが幸いなことに快晴で、足下もそれほど悪くない。それほど気合いの入った準備はしなかったのだが、これは助かった。

その後、森林整備にはいるのだが、まずは足下からということで、倒木や落ちている枝などを片付ける。歩いているときにはあまり意識していなかったのだが、意外に足下には色々なものが落ちていて(不法投棄は少ないのでゴミではない)歩いていて不安定なため、まずは地ならしというところだろうか。

ついで鎌で下草を刈る。本当は使い方の説明などがあれば良かったのだが、見よう見まねで今回整備を行うエリアの下草を刈っていく。(このあたりは怪我などを防止する意味でも次回以降少し考えた方が良い気がする。)

その後間伐作業。まずNPOの方がチェンソーで比較的大きな木を切り倒した後(これはセレモニーに近い)、のこぎりでも切れるような細い木を中心に間伐していく。間伐というのは密生を防ぐための、いわば間引きだが、さすがにどの木を切ればよいかは素人には分からないので、あらかじめどの木を間伐するかは指示がある。

倒した木は枝を落として集めておく。状態の良いものはベンチなどに加工できたりする。実際に森の中には前回の活動で間伐した木を使ったベンチがNPOの方によって作られていた。

こうした整備活動を行うと、森の中はずいぶんときれいになるというか、すごしやすくなる。作業前の写真を撮っておかなかったのは失敗だが、まだ整備を行っていないエリアと比較すると一目瞭然で、作業をした満足感はかなり高い。今回の活動では、別にエコトレッキングを行っていたグループが後から合流したのだが、森林整備のメンバーは盛んに彼らに今回の成果をアピールしていた。

こういった気持ち的な盛り上がりがあるというのは、こうした活動を続けていく上では欠かせないだろう。そういった意味では、全員でやるのではなく、後で合流することを考えた上で、複数にグループを分けてツアーを考えるというのはうまい方法かもしれない。自分たちだけが分かるよりも、誰かに理解してもらえた方が気持ちは盛り上がるからだ。

社員旅行のグループはその後宿に向かい、手伝いの我々は帰ったわけだが、夜の宴会は盛り上がっただろうか。その後の反応が楽しみだったりする。

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2008年6月13日 (金)

MacBookをメディアサーバーとして使うのは変だろうか

ボーナスも出たし、誕生月でもあるということで、今の仕事が一段落したら(一応予定は6月中で一区切りの予定)、自分へのご褒美ということで何か買おうかと考えているのだが、MacBook(Airではない)をメディアサーバーみたいなモノとして使えないだろうか、ということを考えている。

といっても、手持ちのCDの音楽と、PSP用に録りためた(変換した)動画を格納しておくという程度の話だが。

今使っているLet's noteのHDDの容量では到底そういったことは出来ないし、外付けも考えたのだがモビリティに欠ける。いつも持ち歩く必要は全くないのだが、CDはすでに実家の方に持って行ってしまっているし、いざというときに単独で持ち運べる(そして単独で録音まで出来る)というのは重要な要素だ。

Macの場合テレビパソコンとしては使えないので、録画に関してはこれまで通りLet's noteで行う必要があるが、それにしても過去のものが何とかなればよいという程度のものだ。

そんなこんなを考えると、結局Macが一番コストパフォーマンスが高い気がする。もちろん「モバイルパソコン」としては重すぎるため、普段持ち歩いて使うものではないが、大容量のHDDを備えた持ち運びも可能なメディアキャリーとして使うのであれば、十分な気がするのだ。

こんな使い方は贅沢というか、高い買い物だろうか。まぁそんな気はしなくもないのだが、持ち歩いての再生はiPodに任せることにすれば、そうそう悪い選択でもないような気がする。

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2008年6月12日 (木)

理系は理論では成り立たない

先日の演奏会の打ち上げでは、なぜか音楽の話はそっちのけで文系理系談義をやっていたような気がするのだが、個人的にはいわゆる一般的な文系の考え方、理系の考え方とは少し違う視点を持っていたりする。

1.理系というのは理論ではない。
理系の学問というのを「自然科学」と捉えた場合、そこで大前提になるのは「理論」ではなく「現実」である。ある理論がどんなに理路整然として正しく見えても、現実が違えば正しいとは言えないのが「理系の考え方」のはずだ。客観に基づくというのはそういうことであって、「理論的に正しい」というのは主観的な捉え方に過ぎない。

2.数学は究極の文系学問である。
一方、文系というのは、本来主観に基づく捉え方であって、ある意味「理論の方が正しい」世界である。この場合の「文系」というのは、いわゆる社会学とか心理学といった観察に基づく学問ではなく(あれは本来理系的学問)、哲学や数学といった純粋な論理学の世界の話と捉えると分かりやすい。特に数学というのは、理屈しか存在していない究極の文系学問のはず・・・である。

とまぁこんな話を(文系らしく)理系の人間相手にぶちまけていたような気がする。

とはいえ、一般的にはこんな捉え方はしないだろう。個人的には、いわゆる学校などの教育カリキュラムとして考えた場合に、数学が(数字を扱う学問として)理系、社会学や心理学が(人間を扱う学問として)文系と捉えられてしまっていることが問題の根源のような気がする。

特に数学に関しては、算術と混同してしまっているのが難しいところだろう。数字という言語による論理学、というのが数学の本来のあり方で、実はかなり哲学的な要素が強い学問(哲学と宗教が違うのは、そこに論理的な整合性があるかないかだ)のはずなのだが、一方で一般生活上必要なリテラシーとしての算術との切り分けは難しい。

それにしても、何でこんな話で盛り上がってしまったのか・・・酔っていたので良く憶えていないんだな(笑)

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2008年6月11日 (水)

お金で解決するということ

昨日取り上げた「食の未来フォーラム」のメモから一つ考えをふくらませてみる。

  • 日本は何事も金で解決してきており、自立していない。

これは、パネルディスカッションでパネリストの1人が発言したものだ。ニュアンスとしては、お金があれば何でも買えると勘違いして、何でも買って済ませようとするといった感じだろうか。恐らく首肯した人も多いに違いない。

しかし、個人的には何となく違和感がある。

お金を使うということに、こうした側面があるのは確かだろう。しかし、本当にそれだけなのだろうか。お金を払って何かを得る、のではなく、何かを得たお礼としてお金を払うという側面があるのではないか。

こんなことを考えたのは、以前、原料農産物の協働契約栽培を推進しているメーカーの人からこんな話を聞いたからだ。

「自社の規模の会社の場合、そうしておかなければ調達が出来なくなる時代がくる。」

これはどういうことかというと、純粋な価格判断による購買では買い負けてしまい、必要な量を確保できなくなるリスクを将来的に想定しているということだ。そのため、少々言葉は悪いが価格以外の契約や義理人情によって、従来と同じ物量を(おそらくは少なくともその時の市場よりは低い価格で)確保する用意をしているというのが、協働契約栽培の裏の事情だという。

これは「お金で解決しない」やり方なのだが、より高く売りたい生産者を見ようによっては「縛っている」とも言える。

日本がこれまで札束で頬を叩くようなやり方をしてきたかもしれないことは否定しない(個人的にはそういった例はほんの一部ではないかと思うが)。しかし、それとお金で解決しないということとは少し違うのではないか、という気がするのだ。双方にとって良い道を探るときに、より高いお金を対価として払うことはいけないことだろうか。

相手の足下を見て安く買い叩くのは、買う側の傲慢だろう。しかし、それは金ではなく、買う側の立場を利用した「金以外の圧力で」解決したということであって、本当の意味で「お金で解決した」とは言えない行為ではないのだろうか。

高く買われて不幸ということがあるのだろうか。回り回ってはあるかもしれないが、それは別の問題だ。「お金で解決する」というのは、どういった状態を言うのだろう。

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2008年6月10日 (火)

食の未来フォーラム

先週、電通が主催する「食の未来フォーラム」というイベントに出席してきた。この忙しいときに・・・という気もしたのだが、ゲストがおもしろそうだったのでどうしても話を聞いておきたかったのだ。

で・・・想像通り多くの刺激を得たので、少しメモしておく。

  • 20世紀の食糧危機(価格上昇)は、不作などのイベントによるものが中心だったが、21世紀の食糧危機は「人口の増加」「食品嗜好の変化」「バイオエタノール」「水不足」「土壌汚染」「気候変動」などのトレンドによるもの。
  • 日本が世界の食糧事情にたいしてできること・・・小規模農家における高い技術の伝承
  • 日本は何事も金で解決してきており、自立していない。
  • (食糧輸出国の)輸出規制をやめさせ、輸出を義務的に強制するのは現実的に無理だが、一方で輸入国には輸入することによるさまざまな義務が課されており、バランスをとる意味でそうした働きかけは重要。
  • 食糧を輸入できなくなれば、自ずと自給率は100%になる。
  • 日本の工業は農村の余剰人員で発展してきたのであり、農業という地域的な土台があるからこそ工業が発展できた。
  • 日本やアメリカに出来る(世界の食糧事情への)最大の貢献は浪費をなくすこと。全世界で途上国に600万トンの支援をしようと議論しているときに、日本は1国で1900万トンを廃棄している。
  • 社会の基盤整備や市場の形成、ネットワークを作る上では、競争よりも協調が重要。
  • 食糧は不足させないことが一番重要だが、余剰の食糧生産は一方で価格の低下を招くため、農業従事者は生産拡大に慎重にならざるを得ない。そうした余剰分をエネルギーに回すことで良い関係が作れるのではないか。
  • 持続可能性に対する消費者の準備は出来ているが、そのための市場がない。

いくつかのメモは改めて取り上げたいところだ。

この他、電通のリサーチによる生活者の意識変化に関するリポートがあったのだが、これはちょっとツッコミどころが多かった気がする。(調査というのは得てしてそんなものだが。)

数値はトレンドとして受け止めることにして、特にフリーワードで取り上げられていた声にたいしては疑問を感じなくもなかった。

「もっと食品の大切さを消費者に教えて欲しい」
「多少価格が高くても国産のものを買う」
「ここまできてしまうともう他人事ではない」

このあたりはまた別の機会にまとめてみることにする。

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2008年6月 9日 (月)

演奏会終了

演奏会はひとまず無事終了。今回の曲は(かなり)疲れたのだが、一方で楽しくもあった。特に芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」は、これまで馴染みがなかった系統の曲なのだが、やってみると(そして慣れてみると)これがとても楽しかった。

ただ弾く側としては楽しかったのだが、少し興奮しすぎて冷静さを失っていた気もする。客観的にどんな演奏だったかは録音を聴いてみなければならないが、意外とアンサンブルは乱れてしまっているかもしれない。

とりあえず打ち上げで飲み過ぎたので、今日はあまり物事を考えられそうにないのだが、仕事はしなければ・・・。

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2008年6月 6日 (金)

考える時間がない

CSRレポートのためのシステムはようやく完成に近づいてきたのだが、コンテンツの方が思った以上に遅れていることが分かってきた。ようはシステム構築にかまけてコンテンツ準備を怠ってきたツケということなのだが、かなり急ピッチで準備を進めないと間に合わない。

これまでと違うのは、今回の仕組みではコンテンツの制作が制作会社から自分たちに移っているので、ほおっておくと何も進まないということだ。これは意外に盲点だったというか、制作会社とのやりとりがある種の外圧として制作進行のドライブになっていたということを改めて感じた。

とにかく出来るところからだけでも片付けていかなければならないのだが、困ったことに日中なかなか集中して考える時間がない。それこそこれまでにやっておかなければならなかったことなのだが、すでに最初にコンテンツの構想を練ってからかなりの時間が経っていて、当初考えていたことを忘れてしまっていたり、今考えると別のアイデアを思いついてしまったりして、脱線してしまうことこの上ない。

そういった意味では、以前の構想にはこだわらず、思い切って一旦リセットして今から再スタートするぐらいの方が、まとまるかも知れないのだが・・・時間がないし、一部はすでに話を聞いてしまっていたりする。

さらに個人的な事情を言えば、今週末の演奏会本番のこともあり、正直あまり仕事のことを考える余裕がないのだ(笑)

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2008年6月 5日 (木)

シューベルト「グレート」の注意点

本番に向けて、改めて押さえておきたい注意点など。書き出すのにけっこう時間がかかってしまった。

第1楽章

  • 冒頭のAndanteは特に2拍子であることを意識してください。4拍子とは強拍、弱拍の位置が異なります。
  • 11小節目から若干速くなる(正確に言うと、その前が若干ゆっくりでテンポを戻す)という指示がありました。ここ数回の練習ではそれほどはっきりとは棒の指示がありませんでしたが、テンポが変わる可能性があるので少し注目してください。
  • 17小節からの due violoncelli は、弓をゆっくり、たっぷり弾きます。23小節目まではあまり表情はつけません。
  • 23小節の<>は特にピークの位置と>に注意してください。ただし、その後 decresc.があるので、あまり下げすぎないようにしてください。
  • 29小節からの主題は一度コンマスを見て弾き方をあわせてください。思った以上に弓をゆっくり使っているはずです。特に35小節はたっぷりと弾いています。
  • 48小節からは、音量の変化に注意してください。小さい音でも刻みははっきりと弾きます。ベースの音を良く聴いて、それにのっかってください。
  • 59小節の fpの後は、70小節まで pのままです。あまり周りの音量には惑わされず、むしろそうした周囲を押さえこむつもりで pを維持してください。
  • 70小節からの cresc.は、あまり急ぐ必要はありません。76小節までかけて ffに持っていくつもりで音量を上げてください。
  • 78小節 Allegro ma non troppo にはいると、一旦音量が fに下がります。その前に一気に気持ちが盛り上がりますが、あえてここで少し落ち着くようにします。
  • 90、91小節の2拍目のアクセントを意識してください。2拍子なので本来は弱拍の所をアクセントで強調しています。
  • 94小節から、時々意識してリズムを見直してください。流されると三連符になります。
  • 132、133小節の decresc.では、音量を下げるだけでテンポは遅くなりません。438、439小節も同様です。
  • 134小節からは木管が主役なので、その音を消さないレベルで、でも高弦とバランスをとるために少し大きめの pにします。
  • 151~154小節は音量が上がりやすいので、pを維持できるよう注意してください。469~472小節も同様です。(同じようなパターンでも、184~185小節、502~503小節は cresc.です。)
  • 229、233、237小節の>は、音形的には大きくなりやすいのでかなり意識する必要があります。547、551、555小節も同様です。
  • 2カッコに入る際の譜めくりは、その前(250小節付近)で済ませて、2カッコはしっかり入れるようにしてください。(ただし、音は pでやわらかく。)
  • 280小節は少し大きめにスタートします。ベースの音に乗ることを意識してください。
  • 330小節の pも少し大きめです。その後の ppと差がつくようにします。
  • 340~343小節の<>はしっかり音を出すようにします。
  • 346~348小節は大きめに弾きます。
  • 356小節以降の sempre pianoですが、かなり意識する必要があります。所々に pと書いておいて思い出すようにしてください。403小節まで続きます。
  • 404小節の頭のE音は、アクセントをつけてはっきり弾きます。この音が cresc.のきっかけになります。
  • 452、453小節の<>はしっかり聞こえるように弾きます。456、457小節も同様です。
  • 570小節の piu mossoから、テンポが変わるのと音量が pになります。特に音量には注意してください。
  • 649小節は若干テンポがゆるみます。650小節は fですが、その前が ffなので、音量は下がりますので注意してください。少し落ち着いた感じになります。
  • 672小節もテンポが変わります。ここはコンマスの弓の動きに注意してください。弓の速度を落として豊かに弾くような感じです。

第2楽章

  • 余裕があれば、他のパートも含めてテーマでの組み合わせがどう変化しているのかを意識してみてください。
  • 全体として弓の速度はゆっくりで、拍の中を十分使い切るようにたっぷり弾きます。
  • 25小節のような三十二分音符のパターンでは、ベースの音の粒に乗っかることを意識します。きちんと耳を澄ませば聞こえるので、その粒をじゃましないようにしてください。
  • 30小節のような ffzのパターンは音の響きで大きな音を出します。あまりごりごり弾かないようにしてください。
  • 58小節の ffzに対して、60小節の fzは音量が下がることを意味しています。mfぐらいの意識でよいそうです。
  • 67~69小節の ffz、ffz、fzは、69小節で音量が下がることを意味しています。大きくなりやすいので注意してください。219~221小節も同様です。この落ち着き方はおもしろいですね。
  • 92小節はテンポがゆるみます。次の93小節がシンコペーションなので、指揮者に良く注意してください。
  • 148小節からは、高弦より大きな音量(mp程度)が必要です。特に裏の方はたっぷり弾いてください。
  • 182、186小節はリズムに注意してください。210、214小節とは違います。
  • 246小節は、piufで一段階音量を上げてから、さらにcresc.になります。
  • 253小節からのチェロソロの準備ですが、G.P.の間に音をとると目立ちます。他のパートが pizz.の時にこっそり弾いて音をとってください。幸いにしてC音は和音の邪魔をしません。(もちろんだから大きく弾いて良いということではなく、周囲の音にあわせて音程をとりやすいということです。)じっくり準備をして、音を出す前からビブラートはかけておくつもりで弾きましょう。
  • 266小節は rit.があります。弓を残しておくようにしましょう。
  • 316小節の頭にある>はアクセントではなく、dim.のようです。
  • 319小節からの dim.ですが、322小節までテンポがゆるんでいきます。ここはかなり注意が必要です。
  • 329小節も、pizz.で弾いた後にテンポがゆるみます。330小節の入りは注意が必要です。
  • 332小節からは、各音にくさびがありますが音としてはやわらかい音です。
  • 327小節はテンポがゆるみます。E音の音の長さと328小節の入りに注意してください。
  • 363小節もテンポがゆるみます。その後はゆるんだままのテンポですので、よく指揮者とコンマスを見てください。
  • 368小節の八分音符ですが、Vnは三連符なのでよく聴いてください。思ったよりゆったりしています。
  • 最後の音符はかなり長いです。弓の量に注意してください。

第3楽章

  • いつも気になりますが、20小節の四分音符はスタッカートです。その前の小節の四分音符と同じと考えると、長すぎる気がします。例えば31小節の四分音符はスタッカートがありませんので、本来はこちらの方が長めのはずです。
  • 23、24小節の頭のアクセントは少し意識しましょう。他のアクセントも同様ですが、シューベルトは全体としてアクセントを少し際だたせると良い感じに聞こえる気がします。
  • 33小節は、pといっても mfぐらいの音量でスタートします。1stVnを追いかけますが、彼らより大きな音である必要があります。
  • 41小節のスピートppは、弾かないぐらいのつもりで構いません。205小節も同様です。
  • 45小節のアクセントは、cresc.のきっかけになるアクセントです。209小節も同様です。
  • 70小節からも、アクセントに注意します。
  • 89小節からは、cresc.が始まるまで ppを維持してください。後うちをしているパートを聴くと気持ちを抑えられます。
  • 113小節からは、形としては70小節からの旋律に似ていますが、アクセントはありません。弓の量を少なめに一定の速度で動かし、cresc.に入ったら徐々に弓の量とスピードを上げていきます。
  • Trioの後は160小節の前の休みで譜めくりをします。裏の方は一度確認をしておいてください。
  • 160小節は頭のアクセントを小気味よく弾きたいところです。一方次の161小節はコントラバスに主役が移るので音量を控えてください。172~173小節も同様です。
  • 177、181、185小節のアクセントも少し跳ねるような音が欲しいです。決して乱暴には弾かないでください。
  • 199小節のスラーになります。これはパート譜の漏れで、ベーレンライターのスコアではスラーになっています。
  • 213~216小節は、fから ffにむけて、cresc.になります。これは1回目の49~52小節のパターンと異なりますので注意が必要です。
  • 221小節からの旋律にはアクセントがありません。これも1回目の70小節からの旋律とパターンが異なります。こちらは弓をゆっくりたっぷりと音を響かせるつもりで弾いてください。(70小節からのパターンはもっと軽快な感じでしょうか。)

(Trio)

  • 木管が主役です。音量はかなり控えめにします。全体に書いてある音量指定より1段階~2段階小さめでしょうか。やわらかい音で弾くことを心がけてください。
  • 132~133小節に<>がありますが、これは1小節ずらし、133~134小節で<>をしてください。

第4楽章

  • 毎回弾き終わった後に「本番はもっと速いです」と言われていますが、さて、どの程度のテンポになるでしょうか。いずれにしても、音を多少はしょってでも、乗り遅れないことだけは意識してください。
  • 63小節からの cresc.ですが、伸ばしている音でcresc.することを意識してください。
  • 96~97小節はダウンダウンのボーイングですが、これは高弦が重音を弾いているのにあわせています。そういう音の弾き方を意識してください。104~105小節も同様ですが、以降は異なります。再現部の674~675小節、700~701小節も同様です。
  • 117、119小節のアウフタクトの八分音符はアクセントをつけるぐらいのつもりで強く弾いてください。再現部も同様です。
  • 118、120小節の四分音符は、テヌートをつけるぐらいのつもりで粘って弾いてください。再現部も同様です。
  • 201小節からの ppは、少し大きめでも良いようですが、実際にはもっと縦を揃えて響きをあわせればきちんと聞こえるのかもしれません。再現部も同様です。
  • 242小節は、ffからの>が落ち着いて fぐらいですが、その fを維持するようにします。どうしても小さくなってしまうので、音量を維持する鉄の意識が必要です。
  • 258~260小節は pのまま、261小節から cresc.になります。他のパターンも同様です。
  • 333小節の fffは333小節の頭が音量のピークです。その後>で ffまで落ち着きますが、337小節で再び fffのつもりで弾きます。メロディーです。
  • 353小節の pは大きめに弾きます。361小節で ppに下げるのを際だたせるためです。
  • 386小節からは少しのんびりと気持ちを落ち着かせ、第九のメロディーをクスリと笑う余裕を持つようにしてください。特に393小節や404小節以降など、八分音符になると走りやすいようです。
  • 515小節はきざみはありません。
  • 516小節は pの指定ですが、mfぐらいでたっぷりと弾きます。
  • 733小節は、fから>の指定ですが、あまり音量を落とす意識はいらないそうです。むしろ decresc.以降に音量を下げる勢いを大切にしてみてください。
  • 745~748小節は、前半2小節で<、後半2小節で>という盛り上がり方をします。
  • 968~969小節の、C-C音は、そっと変わります。もともとは下のC音のまま行きたいところを、それ以上下げられないためにオクターブ上げたというものなので、気持ちの上ではオクターブ上げても下の C音のままというつもりで弾いてください。
  • 973小節からは、全体として長い cresc.ですが、音量は階段状に上げていきます。よく計算してください。
  • 1074~1076小節は、もう一踏ん張りの<です。かなりしんどいですが・・・。
  • 1105小節は、頭の四分音符は大きく、その後 pです。以降のパターンは、頭の四分音符から pなので注意してください。
  • 最後の音は意外とあっさりきられます。これもコンマスをよく見てください。

それにしても長くてしんどい曲なのだが、最近それはそれで楽しく感じていたりする・・・。

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2008年6月 2日 (月)

演奏会の感想など

土曜日に知り合いの室内オーケストラの演奏会に行ってきたので、その感想など。

フランセ:プーランクの音楽による木管十重奏のための「気ままな音楽」
木管のみ指揮者なしという、こうした選曲が出来るのは、室内オーケストラならではとも言える。自分の所のオーケストラではとても出来ない(ミニクラシックコンサート向け)が、会場(リサイタル用の小ホール)の雰囲気を考えるとこうした曲があっても良いかも知れない。
ただ、指揮者がいないためか、リードする人間がはっきりしていないのか、探り合うようなアンサンブルになっていて、少々「まとまっているだけ」という感だったのは否めない。元はプーランクのピアノ曲を編曲したものらしいのだが、ピアノらしいコロコロした音の感じをもう少し表現できると良かったのかも知れない。

エルガー:弦楽のためのセレナーデ
この曲は、以前ミニクラシックコンサートでやったことがあるが、やはりそれとは違ってきちんと練習している(当時練習しなかったわけではないが)仕上がりが感じられた。
ただ、配置(Vnが両サイドに配置され、チェロバスが左奥)の問題か、ホールの特性か、低音が異様に響いて、中音域が薄く感じられてしまったのが残念だった。ベースを正面奥に配置するだけでもけっこう違ったのではという気もするが、向かって左手(1stVnとVC、CB)の高音域と低音域が強すぎるようなバランスに聞こえるのだ。

メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」序曲
一度やりたいと思っていた曲なのだが、アマチュアには難しいのか、などと改めて考えてしまった。冒頭の弱音でのアンサンブルなど、楽器の音が生々しく響きすぎている気がする。ただ、これもホールの特性などがあるのかもしれない。小編成の室内オーケストラでもこう聞こえるのに、大編成でやったらどのような結果になるだろうか。
メンデルスゾーンの繊細な音の響きはなかなか表現が難しい。

メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
この曲は以前定期演奏会でもやったことがあって、最近もバレエの伴奏で演奏したばかりだ。記憶に新しいこともあってついついパートの楽譜を反芻しながら聴いてしまい、あまり曲として聴けなかったような気がする。(そのためか強い印象が残っていない。)
大編成だからとか、小編成だからということは本来ないのだが、やはり人数が少ないこともあって、一人ひとりはよく練習していると感じた。弾けない人間が居られる余地がないからだろう。一方で弦楽器の人数が少ない(管楽器は元々1パート1人だから、大編成でも小編成でも人数は変わらない)ので、もう少し楽器を鳴らすことが出来ないと負けてしまう。あるいは、管楽器にもう少し音量を下げる(その方が難しい)工夫が必要なのかも知れない。

普段大編成のオーケストラの中で弾いていると、どうしてもこうした室内オーケストラのような編成で弾く緊張感とか、音に対する繊細さというのが薄れてしまうように感じた。もう少し自分の音をきちんととぎすませていくことが必要なのだろう。

さて、昨日は自分の所のオーケストラで、本番直前の一日練習。これがまたハードな練習だったのだが、所感などは明日書いてみることにする・・・忘れなければ(笑)

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