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2008年6月11日 (水)

お金で解決するということ

昨日取り上げた「食の未来フォーラム」のメモから一つ考えをふくらませてみる。

  • 日本は何事も金で解決してきており、自立していない。

これは、パネルディスカッションでパネリストの1人が発言したものだ。ニュアンスとしては、お金があれば何でも買えると勘違いして、何でも買って済ませようとするといった感じだろうか。恐らく首肯した人も多いに違いない。

しかし、個人的には何となく違和感がある。

お金を使うということに、こうした側面があるのは確かだろう。しかし、本当にそれだけなのだろうか。お金を払って何かを得る、のではなく、何かを得たお礼としてお金を払うという側面があるのではないか。

こんなことを考えたのは、以前、原料農産物の協働契約栽培を推進しているメーカーの人からこんな話を聞いたからだ。

「自社の規模の会社の場合、そうしておかなければ調達が出来なくなる時代がくる。」

これはどういうことかというと、純粋な価格判断による購買では買い負けてしまい、必要な量を確保できなくなるリスクを将来的に想定しているということだ。そのため、少々言葉は悪いが価格以外の契約や義理人情によって、従来と同じ物量を(おそらくは少なくともその時の市場よりは低い価格で)確保する用意をしているというのが、協働契約栽培の裏の事情だという。

これは「お金で解決しない」やり方なのだが、より高く売りたい生産者を見ようによっては「縛っている」とも言える。

日本がこれまで札束で頬を叩くようなやり方をしてきたかもしれないことは否定しない(個人的にはそういった例はほんの一部ではないかと思うが)。しかし、それとお金で解決しないということとは少し違うのではないか、という気がするのだ。双方にとって良い道を探るときに、より高いお金を対価として払うことはいけないことだろうか。

相手の足下を見て安く買い叩くのは、買う側の傲慢だろう。しかし、それは金ではなく、買う側の立場を利用した「金以外の圧力で」解決したということであって、本当の意味で「お金で解決した」とは言えない行為ではないのだろうか。

高く買われて不幸ということがあるのだろうか。回り回ってはあるかもしれないが、それは別の問題だ。「お金で解決する」というのは、どういった状態を言うのだろう。

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