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2008年7月31日 (木)

HT1100に機種変更

以前から契約はしているがほとんど使っていなかったFOMAのSH901iSを、HT1100に機種変更した。
まだ基本的な設定とメールをいじくったぐらいで、スケジュールなども使っていないのだが、まぁそれなりに使えそう。久しぶりにPDAを変更することになる。

CLIEともお別れということになるだろうか。ただ、そのまま使わなくなるのも惜しいので、保存のための手だては考えたい。いずれにせよ、HT1100の方でスケジュールなどの同期を取るようになるまでは、CLIEは使う予定。その間にいくつかのデータの移行も考えなければならない。

本格的なPCとの同期の前に、PC自体のリフレッシュも考えたいので、夏休みに再インストールを検討することにする。まだ2週間ぐらいあるので、その間はお試し利用のようなものだろうか。PDAとしての本格利用はしなくても、ネットワーク端末としての使い道はいくらでもある。

とりあえず、メモリーカードと最終的には使わなくなるだろうが当面使う上でのケース、キーボードは購入しておきたい。理想はパソコンを持ち歩かずにこれでブログの更新なども行えるようにすることなのだが、昨日ガイドブックを読んでいたら、Bizホーダイは、BluetoothやUSBを利用中には使えないようなので、ネットにつなぎながらキーボードで入力というのはできないことになり、これはショックだったりする。

しばらくは新しいデバイスで楽しめる日々が続きそう・・・続けばいいなぁ(意外と淡泊というか、使う機能が決まってしまえばあまり色々は試さない人間だったりする)。

とりあえず、指では使いにくい。やはりスタイラスでの利用が中心になるだろうか。そのあたりはiPhoneのようにはいかない気がする。TouchFLOというインターフェースもあるのだが、指の皿ではなく爪先の方が良いようで、そのあたりもスタイラスの方が使いやすかったりする。
(楽器を弾くために爪は基本的に切ってある。そのためなおさら使いにくかったりする。)

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2008年7月30日 (水)

ブログの内容を磨く

どうもこのところ、朝の時間が「知的」でない。何となくの感覚だが、流されてしまっているように感じる。

メールマガジン「知だらけの学習塾」の213号に、1日を「集める」「磨く」「発信する」のリズムで循環させているという話があった。毎朝それぞれやることをメモに貼りだすことで1日が始まるのだそうだ。埋まらない項目があると落ち着かないという。

そんなものかも知れない。

朝の時間に限って考えてみると、この時間はブログに何かを書くという「発信する」だけになっていて、「集める」や「磨く」の要素がない。元々ブログを書く行為は「磨く」に通じていたはずなのだが、最近はどうもそういった部分が抜け落ちてしまっていて、結果として発信する内容が曇ってしまっている気がする。

「集める」というのは正直難しいのだが(それは前日までにやるしかない)、「磨く」という要素はもっと意識した方が良いのだろう。今は手持ちの材料で思いついた内容をそのまま発信してしまっている。それは発信ではなく単なる発散だ。

そう考えると、このブログにも単なる日記ではなく、もう少し明確な目的意識のようなものを持たせた方が良いのかも知れない。何を集め、何を磨き、何を発信するのか。それだけに囚われる必要はないのだが、そういったことを意識することによって、日常的にセンサーが働くようになるはずだ。

今自分がもっとも関心を抱いているテーマは何だろうか。

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2008年7月29日 (火)

社会貢献活動の投資対効果をどう測定するか

昨日参加したセミナーで、スピーカーである某外資系企業の方が、社会貢献活動も投資と考えていて、投資対効果が(会社として)求められる、という話があった。

・・・で、よく分かるのだが、会場からはその効果測定についての質問があった。

回答をおおざっぱにまとめると、例えば想定した活動を何回行ったとか、何パーセントの人達に価値を提供できたとかを、目に見える測定できる形で評価するということのようだ。

自分があれ?と思ったように、あれ?と感じた人もいるのではないかと思うのだが、それらの「効果」は、投資に対する「金銭的リターン」ではない。個人的には投資対効果と呼ぶとき、なんとなく「いくら稼いだか」という感覚があったのだが、どうも必ずしもそうではないようなのだ。

一方で、なるほど、とも思った。つまり投資対「効果」を考える際の効果の尺度は必ずしも投資と同じ次元でなくても良いのだ。ようは実現したい価値を提供できたか、その価値を提供できたと考える尺度は何か、という視点ではかるということなのだろう。

その場合、その投資を判断する上司の役割は極めて大きいことになる。結局の所、上司自身がその効果を価値として評価するかどうかにかかってくるからだ。

例えば、ある社会的困窮者を救済するプロジェクトを企画したとする。こうしたプロジェクトの場合、会社に対する「金銭的リターン」で効果を判断するのは難しい。金銭的リターンだけで効果を評価しようとする上司であれば、その時点でこの企画はアウトだろう。

しかし、その救済の価値を定性的に評価した上で、どこまでの(定量的な)実現をもって、「投資に見合うだけの価値を生み出せたか」という尺度で判断するのであれば、どんな企画でも内容次第でOKとなり、一方でその投資対効果を測定することが可能になる。

この会社ではそういった部分の上司と部下、あるいは会社全体での「効果」に対するコミュニケーションの密度が高く、濃いものなのだろう。逆にその部分をおろそかにする会社ほど「金銭」といった一律の定規で効果を測定しようとするため、そういったフレキシブルな効果測定ができなくなるということなのかも知れない。

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2008年7月28日 (月)

エキストラで参加した演奏会終了

エキストラで参加したオーケストラの演奏会が終了したので、その所見など。

今回参加したオーケストラは20世紀の音楽や日本では滅多に演奏されない曲を演奏するアマオケとしては珍しいポリシーの団体だ。コンサートミストレスが知り合いということで以前から何度かお誘いはあったのだが、参加したのは初めて。個人的には耳慣れない曲は苦手だと思っていたので、少々敬遠していたということはある。

ただ、前回の定期演奏会で演奏した芥川といい、こうした曲もやってみると意外に楽しいということが分かってきたのと、たまたまスケジュール的には参加できそうだったので、今回は良い機会と思い参加してみたのだ。

やってみると、確かに楽しかった。ただ、のめり込むほどではないのは、曲への習熟度が低いからだろう。短期決戦の団体のため、意外と練習期間が短く、個人での練習をきちんとしていかないと、合奏だけでは時間が足りないのだ。これは、今の自分のように基本的に合奏だけで曲の習熟度を上げていくスタイルでは少々つらい。

そういった意味では、実際に楽しめるようになるには、もう少し時間が必要だろう。来年も声はかけられているのだが、スケジュールも含めて思案のしどころだ。

スケジュールといえば、何がきついかといって東京の西側に住む身で東京の東側に練習に通うのが一番きつかった気がする。普段は基本的に車を使っていても、都内の場合は駐車料金もバカにならないので今回は何度か電車を使ったのだが、これがしんどい。楽器ケースが重いということもあるし、譜面台も持参しなければならない。

正直、楽器ケースは何度も買い換えという言葉が脳裏に浮かんだ。今後続けるかどうかも分からないのでその度に振り切ったが(笑)もっとも、最近大分くたびれてきたので、ケースの買い換えは考えても良い気がする。(前のケースが使い道がなくなってしまうのが悩みどころだが・・・。)

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2008年7月25日 (金)

パソコンのメモと手書きのメモ

昨日は会社を休んで外部の勉強会へ。某社の研究所を訪問する。
内容は今の段階では明かせないが、久しぶりにパソコンでメモをとった。ここ何回か、講演会のメモは手書きを主体にしていたのだが、やはりこちらの方がしっくりくる気がする。

個人で使っているNotesのデータベースには(このブログの原稿もそこで作成)議事録用のビューもあるのだが、前回の文書は1月の日付だった。ずいぶんと活躍する機会が少なかったことになる。もう少し使っても良いのかも知れない。

パソコンでメモをとっておくと、再利用が容易になる。それほど機会があるわけではないが、会社にレポートを提出するときなどは、手書きから改めて書き起こすよりもずっと手間が少ない。

ただ、一方で、耳からインプットされた端から指先からアウトプットしていくため、実はあまり中身を咀嚼する余裕がない。なまじそれなりのスピードでアウトプットできるのが徒になり、考えないままにメモに定着させてしまって、振り返ると内容が印象に残っていないことがある。

手書きのメモの場合、そこまでのスピードはないため、メモをするのは印象に残った所だけになる。後で振り返ったときに所々抜けてしまっていて、しかも思い出せないのは問題なのだが、それでもいくつかのフレーズは自分にとっては役に立つ。(他の人に伝える場合には抜けが多い。)

パソコンでメモをとった上で、しっかりと振り返りをして印象を引き出すというやり方が良いのかも知れない。時間はそれだけかける必要はあるが、むしろかけるべきなのだろう。

手書きと違って、パソコンのメモはしばらく経ってからの振り返りにも向いている。手書きのメモは後からだと何と書いてあるかさえ判別がつかないことがあるのだ・・・。

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2008年7月23日 (水)

携帯電話のアラーム

さすがに暑くなってきたので、昨日から上着を着るのをやめたのだが、今日は電車で寝過ごしてしまった。なぜ上着と関係があるかというと、内ポケットに入れた携帯電話のアラームで目を覚ましていたからだ。

上着にはポケットの役割がある。普段入れているのは、

  • 財布(&定期)
  • 携帯電話
  • CLIE
  • ネットワークウォークマン

で、上着を着ないとなるとそれらを鞄に移さなければならない。これが意外と厳しい。(ちなみに飲み会などでも上着を脱がないのだが、これも同じ理由による。)

さて、他はともかく、携帯電話に関しては、そのアラームを生かすために何か対策を講じなければならない。簡単なのはパンツのポケットに入れることだが、個人的にあまり好きではない。とはいえ、他に選択肢はないだろう。とにかく身につけていないことには、バイブレータの意味をなさないからだ。

寝過ごしたからといって、会社に遅刻するという訳でもないのだが・・・。

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2008年7月22日 (火)

自分の講義などよりもずっと刺激的だった講演

先週の金曜日は、自分が講義した後、たまたま某フードサービスチェーンの方の講演を聴く機会に恵まれた。
その中で考えたことなどいくつか。

【日本人は新しいモノに「何故か」飛びつく傾向があるという話】
これは何となく実感としては分かるのだが、その時のメモに「新しいものではなく一つのものに飛びつくのではないか」と書いてある。つまり日本人は「新しい」という理由で飛びつくのではなく、「みんなと一緒」という理由に飛びつくのではないか。

むろんそこに新規性というものがきっかけとしてはあるのだろうが、全員が全員自分の判断で「新しい」と感じているようには思えないのだ。

【本社をサポートセンターと呼ぶ】
スタッフに対して、現場のサポートの役割を意識するよう指導する会社は多いが、その意識を徹底して本社組織自体を「サポートセンター」と呼んでいる会社は少ないのではないか。社内が全員本社のことを「サポートセンター」と呼んでいれば、そこに「本社様」という意識は生まれようがないし、組織上も本社が現場が最優先ということが明確になる。

考えてみたら、組織図も常に社長を頂点にしたピラミッド型ではなく、現場を頂点とした逆ピラミッド型で書いてみてしまったらどうなのだろう。これはもちろん思考ゲームとしてではなく、実際に発表する組織図をそのようにしてしまう、ということだ。

【接客のマニュアルがないのは自分が正しいと判断する自由】
この言葉はとても良い言葉だと思う反面、多くの日本人は「自由」を「責任」に置き換えて考えてしまうのではないか、とも感じた。もちろん両者は本来表裏一体なのだが、別々に捉えてしまうことも少なくない。

で、実際の所その意識の転換はトレーニングでできるのか、と聞いてみたのだが、やはりまずは採用段階でふるいにかけられてしまうらしい。仮に採用となっても、そうした考えが強い人というのは続けられずに辞めていってしまうのだそうだ。やはりこれは企業としての文化ということかも知れない。

【順番はパートナー→カスタマー→ビジネス】
多くの企業は「顧客第一」としてまずカスタマーを挙げるが、この企業ではパートナー(従業員や取引先)が第一に挙げられている。それが結果としてカスタマーへのサービスにつながるからだ。

ただ、考えてみると、「顧客第一」を挙げている企業も、意外と内実はパートナーが第一だったりするのではないだろうか。違うのは、建前としては「顧客第一」という二重化がされてしまっていることで、この企業の強みは、はっきりとパートナーが第一と挙げていることにあるのかも知れない。

【ブランドリーダーはインナーコミュニケーションを重視する】
ブランドを牽引するリーダーと、ブランドを管理するマネーじゃーの違いは、インナーコミュニケーションに表れるのだそうだ。ブランドマネージャーは、外に対するブランドイメージの発信を重視するが、ブランドリーダーは中に対するコミュニケーションを重視する。

これはブランドは一人では作れないということを知っているからで、同じ意思を持つ仲間を増やしていく上で、インナーコミュニケーションを重視していく必要がある、という話。

その他、色々と刺激になる話を聞いたのだが、これ以上は企業名を明かさなければ難しいので伏せることにする。

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2008年7月18日 (金)

CSRレポートについての講義

今日は20人ほどの学生の前で講義をする。(学生といっても、いわゆるビジネススクールの類なので、年齢はバラバラらしいのだが。)
一応プログラムを作り、資料を整えたのだが、事前練習などを行う余裕はなかった。あまり褒められた姿勢ではないかも知れないが、正直な話、そこまでの余裕はない。

内容は、CSRレポートの作成とそれを通じたコミュニケーションについて。CSRレポートを作成する目的は各社さまざまだと思うが、自社の場合は「いかにコミュニケーションのきっかけとなるか」が大きな目的になっている。講義では、一般的なレポートの説明と、自社での制作の進め方、記載している内容について説明し、簡単にグループディスカッションを行う。(何と時間は2時間半あるのだ・・・。)

このように書くと、CSRに関心のある学生向けの講義のようだが、少し違っていて、その学校は広く広報全般を教える学校なのだ。その一つとしてCSRについて・・・ということのようだが、ようは企業の担当者を呼んでのケーススタディなので、あまり縛られたテーマがあるわけではなく、話しやすいテーマを選ばせてもらった。

今週はその準備に気をとられていたので、それ以外のことがあまり進んでいない(笑)とりあえず今日を乗り切れば切り替えられるので、なんとか無事に終了させたい。いかん、なんだか緊張してきた・・・。

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2008年7月17日 (木)

気候変動を巡る議論の進め方

気候変動の対策としてCO2の排出削減を進める上で、どのような姿勢で臨むことが望ましいだろうか。

1.人類が排出したCO2が気候変動を招いた。「だから」CO2の排出量を削減を進めなければならない。
2.気候変動への対策の一つとしてCO2削減が考えられる。「だから」CO2の削減を進めよう。

前者は、原因がCO2だから、CO2の削減をしよう。後者は、CO2を削減するのが効果がありそうだから、CO2の削減をしよう。そういう捉え方なのだが、不思議と世間(世界)の論調は前者が中心で、後者のような話はあまり聞かない気がする。

それは何故だろうか。ぱっと見る限り、後者の方がポジティブな気がするのだが、気候変動対策を叫ぶ人たちは、なぜ後者のような議論を展開しないのだろう。

前者は「何が招いたか」という原因を明らかにし、「誰が招いたか」という責任を追及する考え方だ。しかし、こうした考え方は気候変動のような「共有地の悲劇」的な事態においては、単なるなすりつけに終始してしまうリスクがあるのではないか、という気がするのだ。(実際そうなっているのではないだろうか。)

一方で、前者のような考え方は、その事態を自分に優位な状況を作るために生かそうと考える者にとっては非常に有効な考え方だ。他人の責任を追及し、対策を迫るほど容易なことはない。逆にそうした刃を突きつけられた者は必死に抵抗するから、その駆け引きにおいて、実際の対策よりも原因や責任を明らかにすることが優先されてしまう。今のCO2を巡る論争には、そういった影がちらついて見えて仕方がない。

そうではなく、原因や責任はとりあえず棚に上げて、その対策においてもっとも成果を上げた者が称賛される、というメカニズムを働かせることができないのだろうか。互いの責任を追及し対策を迫るよりも、とにかく一番成果を上げた者を讃えることにして競争した方が良いのではないか。

そういった方向に議論を持っていけないのは何故なのだろう。

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2008年7月16日 (水)

何ために意識啓発を行うのか

昨日はコンサルティング会社から従業員の意識啓発のための提案に向けたヒアリングがあったのだが、目的は何か、ターゲットは誰か、目指す効果はどんなものか、と問われて回答に詰まってしまった。

意識啓発の目的というのは、啓発自体が目的ではなく、それによってどんな行動が生まれることをめざしているか、ということだ。効果と同じようなものと考えても良いかも知れない。改めて聞かれると困ってしまうのだが、自分は従業員の意識を高めて、何をして欲しいのだろう。

それも漠然とではなく、目に見えるアクションとしてどういった効果を望むかということなのだ。目に見えるというのは、ある程度数値化できる、ということでもある。

CSRに対する従業員の意識を高めるとはどういうことなのか。それによってどんな変化が生まれるのか。例えば環境に配慮した商品が何品開発されるとか、そういった話だろうか。でもそれは啓発の話というよりも、マネジメントレベルにおける意思決定の話だ。

自分としては、そういった効果までは想定せず、とにかくメッセージとアクションを投げかけていくことが意識の啓発につながる、といった程度のイメージしか持っていなかったのだが、言われてみれば、確かにそんな理由で時間を割いてメッセージを受け止める人間がいるとは思えない。

「良いこと」というだけではダメなのだ。

意思決定を視野に入れて何かをするというのは、効果は見えやすいのだが、アプローチする層は当然マネジメントレベルになってしまい、啓発したい層とはまったく異なってくる。一方で、意思決定につながらない何かというのは、効果がまったく見えないものになりやすい。

結局の所、企業の意思決定の構造がそうなっている限り、啓発に効果を求めるようなアクションは難しいのではないだろうか、なんて気にもなってくるのだが、それは単なる愚痴だろう。

意識が変わったことが目に見えて分かるような「意識啓発の方向性」はどんなものなのだろうか。そうなるとCO2のような「1人1日1kg削減」みたいな宣言をするというのは、意外と分かりやすい効果だったりする。

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2008年7月15日 (火)

MacもVaioもボツになりそう

まぁ大体においてこうやってブログで書いた物欲というのは、その段階である程度消化されてしまって、あとは落ち着いていってしまうものなのだが・・・(笑)

ポンッと買ってしまえば良いのだろうが、ずるずると先に延ばしている内に何となく冷めてしまったという感じだろうか。欲しいか否かといわれれば欲しいのだが、実際に買うかどうかと言うのはまた別の話なのだ。

で、次の物欲は発生しているのだが・・・書いてしまうとまた消えてしまいそうなので、とりあえずは一旦書かずに様子を見ることにする。

それにしても、なぜボツになってしまったのだろう。それなりに気分は盛り上がっていたのだが、やはりそれによって何が変わるというのがイメージできなかったのが大きかったのかも知れない。特にMacの場合、普段の持ち歩きの環境は変わらないことになってしまうため、「何のために買うのか」という部分がどうしてもクリアできなかったのが大きい。

Vaioはどうだろうか。こちらも環境が大きく変わるわけではなく、バージョンが上がるだけだった。しかも、持ち歩きの機種としては重くなってしまう。もっとも、単にお台場のSonyStyleに行くのが面倒だったという話もあるが(笑)

このまま何も変えない(買わない)という選択肢もないわけではないのだが、少し変化をつけたいというのがないわけではない。もう少し考えて、あとは勢いということになるだろうか・・・。

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2008年7月14日 (月)

入団希望をお断りする

ある意味アマチュアオーケストラ(特に弦楽器)としては贅沢すぎる暴挙ではあるのだが、入団を希望された方をお断りすることになった。現状のチェロパートの人数が多いため、というのがその理由だが、断るにあたってパート内の意見を聞いたところ、おおよそそういった意見が多かったこともある。

多かったのだが、おもしろいことに男性と女性とでは視点が異なるらしく、男性は「認める」、女性は「認めない」でほぼ一致していた。若干乱暴なまとめ方をすれば、「認める」という意見は「団にとって人が増えるのは良いこと」というもので、「認めない」理由は「人が増えれば乗れない人が増える」というところだろうか。

この違いは、男性が「団」という集団を念頭においているのに対し、女性は団の中の一人ひとりの「人」を念頭においている点だ。おもしろいと言えばおもしろい違いだろう。

それはさておき、今回はお断りしたのだが、それにあたって自分自身のスタンスも提示しておいたので、ここに改めて載せておく。基本的には「認める」なのだが、パート内の男性陣の意見とも若干異なっている。

自分の場合、入団を希望する人がいるのであれば、受け入れられる限りは受け入れるのがアマチュアオーケストラのあり方ではないかと考えている。これは「全員が全曲に乗れる」ということではなく、管楽器のように「全員がどの曲かには乗れる」という状態のことで、そのように考えると弦楽器のキャパはかなり大きく考えることができるはずだ。(チェロなら20人はいけるだろう。)

これは音楽に親しみたい、オーケストラを楽しみたいという一人でも多くの人にそのための場を提供していくことが、アマチュア団体の役割の一つではないかと考えているからだ。

トップという立場上、お前は全曲乗れるから良いじゃないかと言われてしまえば、頭を垂れるしかないのだが、実際にはWトップのような形で自分も降りるということを考えたことは二度や三度ではない。結果として実現できていないのでは説得力はないが、今回のお断りを契機に、今後真剣に考えた方が良いのだろうという気もする。

今所属しているオーケストラは、人数が多く、練習環境的にも恵まれている。だからこそ、そういったことも考えていく必要があるのではないか、という気がするのだ。

(一方で、今回痛切に感じたのは、自分が今のオーケストラ以外のことをほとんど知らない、ということだった。知っていれば断る際に紹介もできたかも知れないわけで、そういった近隣のアマチュアオーケストラと関係を持っておく、なんてことも必要なのかも知れない。)

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2008年7月11日 (金)

気を抜いているとあっという間に時は過ぎていく

レポートを発行してほっと一息ついていたら、あっという間に2週間経ってしまった。この2週間何をしたかといえば、(もちろん細々としたことはしているのだが)一息ついていただけという気がしなくもない。あらためて気付いたのだが、気を抜いていると時間というのはあっという間に過ぎていくようだ。

もちろん、何もしていないわけでは決してないのだが、せめて一週間単位でも良いので、何かを積み上げていくようにしないと、結局何もせずに終わり・・・ということになってしまいそうで、なんだか怖い気がする。

例えば、そろそろレポート発行後の社内外に対するアプローチを考えていかなければならない(本当はとっくに考え終わっていなければならないのだが・・・)。その企画というか、構想をまとめている時間が・・・いや、時間はあるはずなのだ。それなのに、考えていない。これが気が抜けてずるずると仕事をこなしている怖さかも知れない。

取り合えず考える時間をタスクとして確保・・・と思ったのだが、今日のタスクリストを見るとその余裕はなさそうだった。そういう意味では、タスクとしては日々の作業は埋まっているわけで、欠けているのは中長期的な視点ということになるだろうか。日々のタスクをこなす形で積み上げていくと、確かにそういった部分は弱くなってしまう気がしなくもない。

1日単位ではちゃんとできているように感じてしまう、というのは注意しなければいけない点だろう。

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2008年7月10日 (木)

クローズ・リスト

最近ようやくクローズ・リストが軌道に乗ってきたかな・・・などと思う。
というか、追われるようなレポート編集作業が終わって、タスクのコントロールがある程度できるようになってきた、ということかもしれない。

軌道に乗ってきたといっても、リストを作るのがある程度習慣化できてきたというだけで、上手に回せるようにまではなっていない。終わらないリストもかなりあるし、「その日にやってしまう」追加タスクもけっこう発生している。

昨日でいえば、7件のリストに対して、完了したのが3.5件。リスト化していないが、リスト外の作業も発生している。その他の日を見ても、勝率は意外に悪い(笑)

まだリストの作り方が甘いのかも知れない。作業量を把握できていないというか。

また、ちょっと本来の運用と違うのは、朝にリストの見直しをしていることだ。本来は「前日までに」その日のタスクリストを作るのが良いのだが、夜はそういった見直しをなかなかしないため、当日の朝に「その日のタスク」を見直した上で、仕事に入る前にリストを閉じるようにしている。

それにしても、自分の場合、相変わらずこうしたリストをチェックして完了していく、という作業がまったくモチベーションにならないのは不思議だ。よく、そうした完了を積み重ねていくことで達成感を得る、という話があるのだが、そういった気持ちがほとんどない・・・気がする。

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2008年7月 9日 (水)

絶滅危惧種はなぜ保護する必要があるのか

少し考えがまとまらないのだが・・・。

生物多様性の議論において、「多様な生物相を維持すること」と「慣れ親しんだものにノスタルジーを感じること」は分けて考えた方が良いのではないか・・・そんなことをふと考えてしまった。

生物多様性の議論で良く話題になるのは、絶滅危惧種の保護の問題だ。確かに、それまで見知った生物が絶滅してしまうのは悲しいことだし、それが間接的に人類の手による環境変化がもたらすものだとしたら罪悪感に駆られるのは分かる。

・・・分かるのだが、絶滅に瀕した生物種がそのまま絶滅することも、生物が多様な進化を遂げていくには必要なことではないのだろうか。冷たいようだが、そんな気がしてならない。そもそも進化というのは、さまざまな環境変化に対して自らを変え、他を蹴落として生き延びる淘汰の連続でもあるからだ。

生物多様性の維持において、人類が考えなければならないのは、そのメカニズムに余計な手を加えないこと・・・絶滅危惧種であっても、手はさしのべないことではないのか。

少し違った見方をすると、絶滅危惧種というのは、現在の環境変化に耐えられない弱い種ということもできる。(環境変化の原因はこの際関係ない。)その際に、自ら耐え抜く強い種ではなく、他者に守られる弱い種が生き延びるというのは、ある意味不自然な気がしなくもない。

ではなぜ人類がそんな不自然さを求めるかというのを、人類の生存戦略という視点から考えてみると、人類が弱い種を擁護していけば、弱い種は相変わらず弱いままで人類の優位は維持できるが、人類に守られなくても新たに台頭してくる強い種は、人類を越える可能性を持っているため、まだ弱い内に「つぶしておく」必要があるから、と考えることもできる。

まぁそう考えると、絶滅危惧種を守るというのも、それほどおかしな戦略というわけでもないか・・・。

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2008年7月 8日 (火)

仕事で区切るか、時間で区切るか

昨日はクール・アースデーにあわせたライトダウンキャンペーンで、会社でも定時退社が推奨されていたのだが、セミナーへ行く予定があったこともあって、スパッと終わってしまった。
(セミナーに出席したということは、自分自身はその時間ライトダウンに協力できてはいないのだが・・・笑)

そのため周囲がどうだったかは分からないのだが、周りがまだ終わる雰囲気ではなかったことは確かだ。
そこでふと思ったことがある。

結局「仕事が一区切りしたら」終わろうという考えがベースにあったら、残業はなくせないのではないだろうか。
仕事ややっていることの区切りではなく、「時間で区切ってしまう」ことが、時間管理をしていく上で重要なベースになるのではないか・・・そんな気がしたのだ。

例えば学校の授業というのは、時間割という時間で厳密に区切られている。話が途中であろうが、結論が出ていなかろうが、チャイムが鳴ったら終わらなければならない。「今日はここまで」で、続きは次回ということになる。
前回終わらなかった部分は、次回でカバーする。そうやってトータルのバランスをとるのであって、「ここまでやったから今日はここまで」という区切り方はしないだろう。(もちろん、その日の予定が早めに終わればそこで終わっても良いかも知れない。)

この割り切りが大切なのではないだろうか。

良くあるデッドラインを設ける時間管理のやり方は、一方で「デッドラインにあわせて仕事の区切りを持ってくる」ということが求められている。これは、やろうとすると以外と難しい。仕事の区切りと時間の区切りを同時に調整することになるからだ。

そうではなく、もう思い切って時間が来たらやめてしまうようにする。やることが一段落していようがしていまいが、興がのっていようがのっていまいが、問答無用で時間がきたら終わるクセをつけてしまうのだ。その上で、終わらなかった部分を翌日以降にどう挽回するかを考えることが重要ではないか。

もちろん、「締め切り」という区切りはまた別の話ではあるのだが、多くの場合、それが毎日あるというのは、かなり特殊な仕事でしかあり得ないわけで、基本的にはこの考えで何とかなる場面がほとんどではないかという気がする。

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2008年7月 7日 (月)

Macか、Vaioか

ここにきて、再びVaioに悩んでいる。MacBookを改めて店頭で見ると、やはり大きく感じられるのと、これを結局家に置いたまま(時々持ち出しはするにしても)あまり使わずに眠らせておくのか・・・などと考えてしまったからだ。

Macを導入する場合、持ち歩きは相変わらずLet's noteになる。普段の環境は大きく変わらず、自宅でネットにつなぐ場合もLet's noteが中心になるので、あまり大きな変化がなく、少々元気が出ない。

そこで、持ち歩けるPCとしてLet's noteを置き換えるため、vaio-Tという選択肢が再び浮上してしまった。
以前検討したときには、モバイルでの通信環境が構築しづらい(現在使っているWILLCOMの通信カードはPCカードサイズのため使えない)ために、そもそも検討対象外だったのだが、今はFOMAを内蔵させたワイヤレスWANモデルがあるからだ。(ワンセグは使えなくなるが、特に必要ではない。)

このFOMAの回線契約に、現在使わずに眠らせてしまっている契約をあてることができれば、有効活用にもなる。

ただ、一方で難を言えば、ドライブ関係をどうするか、という選択がある。

メディアサーバーとして外出先でも取り込みができるように、ということを考えると、DVDドライブは欲しいのだが、音楽や映像ファイルを根こそぎ入れて持ち歩くということを考えるとハードディスクの容量も欲しい。MacBookの場合は、DVDドライブを備えた上でHDD250GBという大容量だったが、vaio-Tの場合、DVDドライブと組み合わせたHDDは最大でも120GBしかない。実際使えるのはもっと小さいだろう。

「○○しかない」というようなサイズではないのだが、それでも比較すると気になってしまう。今Let's noteに外付けで使っているハードディスクは、据え置き型が160GBで、ポータブルタイプが80GBだ。フルに使っている訳ではないが、それらをまとめようとすれば、やはり200GBぐらいは欲しいという気もする。

そうなると、vaio-Tの場合、SSD64GB+HDD250GBというモデルが気になってくる。値段は跳ね上がってしまうが、容量的には(今のところは)まったく申し分なく、単独ですべてのデータを持ち歩けるモデルになる。一方で、DVDドライブはつかないから、外出先で使いたい場合それも持ち歩かなければならない。
(もっとも、せいぜい実家でCDを読み込むぐらいなので、余っているCDドライブを一台置いておけば良い話だが・・・。)

あとは、持ち歩く場合に、vaioはLet's noteに比べて華奢な感じで少し不安がある、といった点だろうか。バッテリーに関しては、最近は外出先で長時間使うことが少ないのであまり気にしていないのだが、Let's noteに比べれば若干重くなる、という点も気にならないわけではない。(贅沢だが。)

ちなみにLet's noteは自宅に起きっぱなしで使うことになるが、テレビ番組の録画などはこちらで行うことになるだろう。その映像をPSP用に変換し、実際にはそちらのファイルで保管しておくことになる。自宅で使う場合、WILLCOMのカードは不要になるので、ZERO3などに切り替えても良いかも知れない。

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2008年7月 4日 (金)

そもそもなぜ早朝なのか

昨日の続きを考えてみる。
そもそも、なぜ朝は仕事がはかどるのだろうか。

朝の方が気分がすっきりしていて、頭の働きが良い?しかしそれが日中よりも良いなんてことがあるだろうか。理屈で考えれば、人間の活動時間である日中の方が、基本的には脳の働きも活発なはずだ。時間的な波はあるだろうが、そのピークが早朝というのは少し考えにくい。

(確かバイオリズム的には夜8時頃がピークだったような気も・・・。)

そもそも、早朝にピークがあるなら、現在の人間の活動時間は、自分達の生体的な活動ピークにあわせていない不自然なリズムということになってしまう。

結局の所、朝仕事がはかどるというのは、朝という時間のリズムではなく、「周りに誰もいない」ことにより集中できるから、ということではないだろうか。

昨日の最後に何気なく、

もっとも、そのために大勢が早朝出社するようになれば、今度は「夜の方が静かで集中できる」なんてことになってしまうのかもしれない(笑)

と書いたのだが、なんとなくこれが「朝は仕事がはかどる」真相のような気がする。

だとすれば、結局仕事を効率的にするためには、トリンプの「がんばるタイム」のような時間を設けることにあるのではないか。あるいはそういった集中できるスペースを用意して、自由に使えるようにするとか。それならマネジメントとしても「残業時間(残業代)を増やさずに」生産性をあげることができる。

こうした点をトリンプのように組織的にやるでもなく、欧米のように個人にまかせるでもない日本の多くの企業の仕事の現場というのは、不思議といえば不思議だ。

ちなみに個人的には、昼食後は眠くなったりするので、「がんばるタイム」は午前中にして、午後はミーティングタイムにしてもらった方が良かったりする(笑)

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2008年7月 3日 (木)

早朝残業をマネジメントする

「走れ!プロジェクトマネージャー!」の「早朝残業という選択」というエントリーを読みながら、ふと「早朝残業に深夜残業並みの残業代をつけるようにしたら、そうしたライフスタイルを選択する人はもっと増えるのではないだろうか」などと考えてしまった。

他社の事情はよく分からないが、今自分の会社では、早出に関しては基本的に残業代がつかない。(もちろん、業務命令として出た場合は別だが。)
一方、最近早出の残業が増えて(そのため早朝の電車が混むようになっている・・・と思う)いて、その一因として「夜だと残業代を払わなければならない会社が締め付けを厳しくしたために、サービス残業として早出残業を選択している」という話があるのだ。

そういった(残業代を払いたくないという)会社の事情はさておき、最初から早朝残業をきちっとフィーを払う形で管理して、夜にずるずると残業させることをやめ、会社全体の効率を上げるような方向に持っていくことはできないだろうか。夜と違って、朝の場合は後ろが区切られているから、自然と集中することになるし、残業代の上限もある程度管理できるはずだ。

朝の方が効率的だと考えるのであれば、しっかりと対価を払って社員をその方向に誘導するのがマネジメントの役割だろう。経営者の書いた本によく「自分は朝早く出て効率的に仕事を・・・」なんて話が出てくるのだが、彼らはその経験をマネジメントにしっかりと活かしているだろうか。どうも「だからそうやって働け」としか聞こえないのだが、彼らの役割はそんなことではないはずだ。

もっとも、そのために大勢が早朝出社するようになれば、今度は「夜の方が静かで集中できる」なんてことになってしまうのかもしれない(笑)

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2008年7月 2日 (水)

拍手のマナー

シロクマ日報で、クラシックコンサートにおける拍手のマナーの話があったので、少し演奏する側として考えてみる。

まず、経験上「あまり知られていない」曲というのは、拍手がなかなか来なかったりする。そこで曲が終わったのかどうかが、お客様の方で分からないからだが、その場合、静寂の中で指揮者の緊張がほぐれたことが伝わって、初めて拍手が客席に広がっていく。
(アマチュアオーケストラの場合、お客様もそれほどクラシックには馴染んでいないことも多いので、こういった傾向があるのだろう。)

また、曲の雰囲気や演奏の出来具合によっては、指揮者が指揮棒をおろすまでは拍手を許さないような迫力を生むことがある。そうそう経験することはできないが、そんな雰囲気になったことがないわけではない。

ではこれが「マナー」ということになるのだろうか。

拍手というのは「マナー」でするものではなく、感動でするものだ。曲が終わっていなくても、その感動を演奏者に伝えたいことがあれば自然と拍手が生まれることがあるだろう。フライングさせてしまったのは、演奏側としての責任もある。演奏側としてはそのように感じている。

ただ、コメントにあるように「自らの自己顕示として」フライングをする人がいないわけではないだろう。正直にいえばこうしたフライングには「マナー違反」として怒りを感じるよりも、どちらかというと失笑してしまうのだが・・・。

ちなみにクラシック音楽というのは、「芸術だから」といったかたい雰囲気だから静かに聴かなければいけないのではなく、音楽の性質上極めて弱い音も扱うために「静かにしていなければ聴き取れない」から静かにする必要がある、と考えたほうが自然な気がする。

音楽ホールというのは、静かにしているとそれぐらい音が響くようにできているのだ。

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