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2008年7月 9日 (水)

絶滅危惧種はなぜ保護する必要があるのか

少し考えがまとまらないのだが・・・。

生物多様性の議論において、「多様な生物相を維持すること」と「慣れ親しんだものにノスタルジーを感じること」は分けて考えた方が良いのではないか・・・そんなことをふと考えてしまった。

生物多様性の議論で良く話題になるのは、絶滅危惧種の保護の問題だ。確かに、それまで見知った生物が絶滅してしまうのは悲しいことだし、それが間接的に人類の手による環境変化がもたらすものだとしたら罪悪感に駆られるのは分かる。

・・・分かるのだが、絶滅に瀕した生物種がそのまま絶滅することも、生物が多様な進化を遂げていくには必要なことではないのだろうか。冷たいようだが、そんな気がしてならない。そもそも進化というのは、さまざまな環境変化に対して自らを変え、他を蹴落として生き延びる淘汰の連続でもあるからだ。

生物多様性の維持において、人類が考えなければならないのは、そのメカニズムに余計な手を加えないこと・・・絶滅危惧種であっても、手はさしのべないことではないのか。

少し違った見方をすると、絶滅危惧種というのは、現在の環境変化に耐えられない弱い種ということもできる。(環境変化の原因はこの際関係ない。)その際に、自ら耐え抜く強い種ではなく、他者に守られる弱い種が生き延びるというのは、ある意味不自然な気がしなくもない。

ではなぜ人類がそんな不自然さを求めるかというのを、人類の生存戦略という視点から考えてみると、人類が弱い種を擁護していけば、弱い種は相変わらず弱いままで人類の優位は維持できるが、人類に守られなくても新たに台頭してくる強い種は、人類を越える可能性を持っているため、まだ弱い内に「つぶしておく」必要があるから、と考えることもできる。

まぁそう考えると、絶滅危惧種を守るというのも、それほどおかしな戦略というわけでもないか・・・。

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コメント

生態系に余計な手を加えずに、その環境に適応できるものだけが生き残っていけばいい、という発想で行くなら、人間が環境を壊しまくって、生物が絶滅しまくって、環境や生態系が激変して、人間がそのなかで生きていけなくても、そのなかで生き残れる種だけ生き残ればいい、ということになりますよね。
ゴキブリみたいに、人間が滅びても生き残る、と言われてる種もあるわけですし。

結局、今人間が生きている生態系をそのまま変化させずに維持することで人間が生き残れるから、生態系を保全する、ということなのでしょうね。

投稿: ひろ | 2009年8月18日 (火) 18時25分

生物というのは、基本的には環境に適応するだけなく、環境を自らに都合の良いように改変していく存在だと思うんですよね。そのことに理由なんて必要ないんですが、人類の場合は少々理由を必要とするというか、絶滅危惧種を守る(本来は自分たちにとって住み良い環境を守る)という大義名分を必要とするのかもしれません。

身近にゴキブリが生き残る世界より、遠くにシロクマが生き残る世界の方が、人類にとって快適なのは間違いないでしょうね(笑)

投稿: ProjectK | 2009年8月18日 (火) 22時21分

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