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2008年8月29日 (金)

ほぼ日手帳とブックカバー

しばらく前から、ほぼ日手帳本来のカバーをやめ、紙のブックカバーを使っている。いざというときのメモになるように、裏紙を折った手製のカバーの上から、書店などで配られている広告付きのブックカバーをかぶせる。一見するとただの文庫本だが、もちろん手帳だ。

純正のブックカバーを使わないことで、ずいぶんとサイズがすっきりした。ペンをさすことができなくなったので、そちらは胸ポケットに移ったが、いざとなればポケットにすっぽり入るようになったのは大きい。(実際にはほとんど入れないのだが。)

そのほぼ日手帳の使い方だが、クローズリストをモレスキンに移行したので、こちらは以前やっていたような思いつきを書き留めるノートになっている。アイデアマラソン(なんてことを考えたこともあった)というほどではないが、考えてみたらここしばらく、思いつきを書いておくということをしていなかったような気がする。

ブックカバーのカバーの方をメモに使うという事態には今のところ遭遇していないが、感じは悪くない。後は結局モレスキンもほぼ日手帳も使うのか、どちらか一方にするのかというところに落ち着いてくるような気がする。ブックカバーにすることによって、ほぼ日手帳とモレスキンとのサイズ的な差はそれほど大きくなくなってしまったからだ。

自分の場合、紙の手帳以外にHT1100のようなPDAも持ち歩いているため、それらとの使い分けをどうするのか、という話もある。実際のところ、クローズリストをHT1100とGoogleカレンダーで運用できるようになってしまえば、あとはほぼ日手帳だけでもよいような気がしなくもない。

そう考えると、むしろ思案のしどころは、せっかく買ったばかりのモレスキンをどうするかということか。
もったいないようだが、買っただけで結局使っていない手帳というのは(超整理手帳とか、COATED GmbHとか、トラベラーズノートとか)かなりあるので、無理にこだわる必要があるわけではないなぁ・・・。

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2008年8月28日 (木)

中途半端なクールビズ

オルタナNo.9(2008.9)で、副編集長の木村麻紀氏が「中途半端なクールビズ」というタイトルで、今のクールビズは中途半端で、もっと徹底して行うべきだという批判を展開していた。

一例としてやり玉に挙がっていたのは国会議員のセンセイ方で、単にネクタイを外しているだけで、上着を着ていては暑いはずだから本当に28度設定なのかと一蹴。

街中でも中高年のビジネスマンは上着を着ている傾向が強く、交通機関では彼らの快適性のために冷房がよけいにかけられている。この時期は冷えが問題になるので、クールビズを真剣に極めないと健康にも深刻な影響を与える、などなど、かなり厳しい議論を展開。

ある学者によると「中途半端な対策のせいで結局何の成果も上がらない政策ばかりが横行することを、私は『クールビズ現象』と呼んでいる」のだとか。

名前も明かせない学者の証言など聞くに値しないということはさておき、言っていることは正論だと思うのだが、こうした捉え方では結局互いに反発するだけで、文字通り「中途半端」になってしまうのではないか、とも感じた。

子どもを育てるのにもっとも効果的なのは褒めることだ、という話がある。逆の議論もあるので、必ずしも常に通じる真理ではないだろうが、同じ姿勢が必要ということはないだろうか。

上着やネクタイが外せないのは、クールビズの意義を理解していないからということではなく、それ以外のドレスコードが今のところ存在しないことがもっとも大きな理由だと思う。ネクタイはそれでもかなり外すようになってきたが、上着に関しては、TPOによっては脱ぐことはかなり抵抗感が強い。その場をオフィシャルと考えれば考えるほど、上着は手放せなくなる。

センセイ方だって、マスコミの目がない、たとえば自室などでは上着を脱いでいるはずだ。でもプレスの前に出ていくとなればそのままでは躊躇してしまう。上着というのは、人前に出る際のいわば鎧のようなものだからだ。

つっこむようだが、同じ号のオルタナに登場するインタビューやコラムでも、男性は上着かネクタイをしているケースが多い。オルタナパーソンとして登場する安井至氏のインタビューでも、ネクタイをして上着を脱ぐか、ネクタイを外して上着を着るかであり、木村氏が主張しているような服装では登場しない。

もちろん、そうしたことを踏まえた上で、それでも一歩踏み出すことが今求められていることだろう。しかし、こうした抵抗感があることも理解する必要はあるのだと思う。

ちなみに個人的にも上着を脱ぐのは少々抵抗あるが、結局は脱ぐことにした。でもその格好でたとえば知り合いの結婚式に出席できるかと言われれば、仮にそれがこの号でも取り上げられていた「カーボンオフセット披露宴」であっても難しいだろうな・・・。

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2008年8月27日 (水)

GoogleカレンダーとNotesカレンダーの同期

会社のNotesクライアントのバージョンアップにより、iCalでのGoogleカレンダーとのやりとりができるようになったと喜んでいたのだが、昨日いろいろと試しながら、どうやらそう単純ではないことも分かってきた。

最大のネックは、公開非公開の判断だ。

GoogleカレンダーからNotesにインポートした場合、スケジュールがシークレットになってしまい、社内に公開されない。しかし社内に公開されないNotesカレンダーでは意味がない。もともとそのために使っているものだからだ。

一方、NotesからGoogleの場合はどうか。この場合はGoogle側で「公開」のフラグが立ってしまう。ヘルプによると、カレンダー自体が公開されていなければそれでも一般公開にはならないのだが、複数のユーザーで共有している場合には一般公開になってしまうという。

自分の場合、カレンダー用のIDは複数持っていて、互いに共有をしている。これがネックになって一般公開となってしまうのだ。さすがに(検索結果には引っかからないそうだが)一般公開されている、となると会社のスケジュールを同期するのは躊躇してしまう。

そんなこんなでどうするかと思案していたら、同じようにGoogleカレンダーとNotesの同期に悩んでいた職場のボスが、結局同期はあきらめて二重入力を受け入れることにした、と言い出した。

結局のところ、Googleであっても外部のサーバには違いないので、セキュリティ上まったくリスクがないかと言えばそうではない。そのあたりの判断で、使い分けることにしたということだろう。

もっとも、ボスの場合モバイルPCを使っていて、その通信環境が最近飛躍的に向上したそうなので、Googleカレンダーを使うことにそれほどこだわる必要がなくなったということかもしれないが・・・。

いずれにせよ、セキュリティの話はその通りだろう。Notesのカレンダーの場合、もらったメールからスケジュールを作成することで必要な情報を保持できるのだが、件名だけならともかく、そういった内容も同期されてしまうことを考えると問題には違いない。

その他、会議招集などの問題もあり、結局のところ、Notesのスケジュールに関しては二重入力を受け入れた方が良さそうだ。それをいかにルーチン的に手間なく処理できるようにするかということを考えた方がよいのだろう。

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2008年8月26日 (火)

始業前15分で何をするか

少し前に「小さな犯罪を見過ごすな」というコラムを読んで、その中にあった

9時というのは仕事を開始する時間であって、そのための準備に普通はせめて15分前ぐらいに来るのが常識ではないか。あまりに社会的常識がなさすぎる。

という一節に「ああ、そういったことを常識として押しつけて無償で働かせるというのも、経営者であれば見過ごしてはいけない犯罪だよなぁ」などと感じたりしたのだが、それはさておき、始業前の15分というのは何ができるだろうか。

(念のため断っておくと、自分もこうした準備の時間をとるのは常識だと思う。しかし一方で、それは働く側が自らの心構えとして言うから許されることであって、働かせる側は絶対に口にしてはいけない「常識」だとも思うのだ。社員が9時から気持ちよく働けるように、15分前に来て準備をしておくことこそ、経営者や管理職が語るべき「常識」ではないだろうか。)

自分の場合、会社のある駅には始業の1時間半前に到着し、朝食を摂りながらブログなどを書いて、大体30分ぐらい前に出社している。出社後に、コンタクトレンズをつけたり、その日に飲む水を用意(社内の売店で2Lの水を購入)したり、トイレなどをすませたりしていると、30分でも意外とあっさりすぎてしまうように感じるのだ。少なくとも15分ではかなりぎりぎりのような気がする。

しかしこれは意外と無駄な時間の過ごし方なのではないだろうか。冷静に考えると、30分もかかるような作業には思えない。

30分前ではなく、15分前に出社して、きっちり準備して始業時間に仕事をスタートできるようにコントロールできれば、その時間を別のことに使える。本の1章も読めるかもしれない。

そのためには、15分という限られた時間で何をするかということをルーチン化して、何も考えなくてもやれるようにする必要がある。そういえば、イチローがそんなことをやっていたような気がする。

30分という時間は、意外と仕事前に準備と称して「ゆるんでしまう」時間になっているのかもしれない。

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2008年8月25日 (月)

本業においてCSRを行う

先週CSRに関するセミナーに参加したときに、講演者の資料の中にこんな一節があった。

「本業においてCSRを行う」

・・・改めて考えてしまった。「本業においてCSRを行う」とは、どういったことを行うことだろうか。

以前と違い、最近のCSRを取り巻く議論においては、企業は「本業を通じて」CSRを行うこと、ということが俎上にあがることが多い。(もっともトレンドというよりはそれ自体は前から言われていたことだ。)

「本業において」「本業を通じて」行う「CSR」とは何か。

ここで言う「CSR」が「社会貢献活動」に置き換えられるものであれば、それほど違和感はない。社会への貢献をビジネスとは別に慈善的に行うのではなく、ビジネスとリンクした形で行うということだからだ。しかし、そうであれば「社会貢献活動」といった方がわかりやすいはずだ。「CSR」という言葉を使うのは、それとは違う範疇の意味があるからではないのか。

強い違和感を感じるのは、この概念には「CSRを伴わない本業」があるという影がちらついていることだ。「本業においてCSRを行う」と「本業を(まっとうに)行う」の間にあるこの微妙な距離感は、何を示しているのか。なぜそれは「本業」というビジネスの中に組み込めないものなのか。

「CSRを伴う本業」と「CSRを伴わない本業」の違いは何だろうか。それは分けて議論されるべきものなのだろうか。

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2008年8月22日 (金)

モレスキンのスケジュール+ノート18ヶ月

とりあえず、7月始まりのモレスキンのスケジュール+ノートを購入してみる。(とりあえず、というほど安い買い物でもないのだが・・・)。
見開きの左が一週間のスケジュール、右がノートという、いわゆる能率手帳のレイアウトだ。

今のところ手帳はスケジュール管理ではなく、その日のタスク(クローズリスト)とメモのためという位置づけなので、早速というか、先ほど今日のタスクをスケジュール欄に書き込んでみた。

・・・狭い。

最初から挫折するようだが、正直に言えば、かなりしんどい。これまで1日1ページのスペースにのびのびと書いていたものを、ページも小さく、さらに1ページに7日間が詰まっているようなスペースに書き込もうというのだから、当然と言えば当然なのだが、実際にやってみるとこれはかなり辛そうだ。

さらに言えば、1日にかけるリストも、3つから6つぐらいが限界だろうか。とりあえず何でもリスト化するように意識している身としては、これまた厳しい制限と言える。(もっとも、これに関しては、それぐらいにしておく、という考え方もある。なんでもリスト化しているが、できずに後日に回してしまうものも結構あるからだ。)

いずれにしても、しばらくは使ってみることにする。1日書き込んで捨ててしまうのはいくら何でももったいない。持ち歩きや、期間(この手帳は7月から来年の12月までで、結構余裕がある)については、ほぼ日手帳より要件を満たしているのは確かなのだ。

ちなみに、そのほぼ日手帳は昨日カバーをはずしてみた。基本的にはカバーをつけることを前提にしているので、カバーなしだと何となく間抜けな感じではあるのだが、サイズは文庫サイズそのままでかなりコンパクトになり、取り回しは良さそうだ。

これに書店でもらうような紙カバーをつけて使う(いざというときはメモ代わりにもなる)という方法もあるなぁ・・・。

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2008年8月21日 (木)

来年の手帳

来年のほぼ日手帳が発表されて発売が秒読みに入ったところで、手帳について考えてみる。
(ほぼ日にするのであれば、実際使い始めるのはまだまだ先なのだが・・・。)

今のほぼ日手帳に取り立てて不満があるわけではないのだが、最近昼休みに外出するときに感じるのは「これがポケットに入るサイズならな~」ということだ。文庫サイズの手帳だから、本体であればかろうじてポケットに入れることも可能なのだが、カバーやらペンやらでそれなりのサイズになるので(ふくれあがるほどではないのだが)結局手に持って歩くことになる。

それはそれでも構わないのだが、「時には」手ぶらになりたいこともある。サイズ的な手軽さで言えば、モレスキンのポケットサイズぐらいが手頃なのだ。

思い切ってカバーをはずしてほぼ日手帳を使う・・・なんて方法もないわけではない。カバーに何かを挟み込んだりはしていないので、ようはペン差しぐらいの用途(と本体の保護)でしかカバーは使われていないのだ。

最近は、胸のポケットにもペンをさすようになり(大分習慣付いてきた)、ほぼ日手帳のメリットの一つとして捉えていた「ペンの持ち歩き」についても、それほど気にならなくなっている。

2009年版のほぼ日手帳にしても、買うことは買うのだろうが、使うかどうかは思案中だ。個人的には9月始まりぐらいの手帳(それも12ヶ月ではなく少し長めの手帳)の方が使いやすいのではないかとも思っているので、しばらく探してみることにしますかね。

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2008年8月20日 (水)

HT1100は、パソコンと何を同期するのか

HT1100を徐々にだが使うようになってきた。

最初は元からインストールされているIEやOperaなどのブラウザで様々なサイトが閲覧できることに喜んでいたのだが、ふと思いついてmixiの日記などを手軽にチェックできないかと探してみたら、MZ3.iというクライアントがあることがわかり、インストールしてみた。
(ちなみにTwitterのクライアントでもあるようなのだが、そちらは使っていないのでパス。)

これがなかなか便利そうだったりする。内容をチェックするだけなら別にPCと同じ画面である必要はなく、固定して見るようなサイトであればこうした専用クライアントを探すという方法もあるわけだ。

まだ入れてはいないのだが、Googleカレンダーについても、直接同期ができるソフトがあるらしい。

メールに関してはOutlookとは独立して受信して読んだ方が楽と言うことに落ち着きそうなのだが、こうなってくるとPC側のOutlookと何を同期するのか、という話になってくる。メールもカレンダーも直接やりとりできるのであれば、Outlookとの同期はToDoやメモ帳ということになるが、そもそもそれらは今のところほとんど使っていないからだ。

アドレス帳に関しても、メール用と考えるのであれば、あまりモバイルデバイスと同期する必要がない。(そもそも今は内容が乱雑になってしまっているので、アドレス帳については登録データの本格的な見直しが必要ではあるのだが・・・。)

CLIEを使っていた頃も、メールとスケジュールをモバイル環境で・・・ということでPCと同期をしていたわけで、それ以外はおまけのようなものではある。しかも冷静に考えると、手書きでメモをしようと思ったら、Windows Mobileよりも、Palmのグラフィティ入力の方が楽なんじゃないだろうか・・・。

HT1100に関しては、とりあえず単体で通信できるという強みをなるべく生かす方向で、PCとは独立した使い方をすることを考えた方が良さそうなのだが、そうなると、パソコン側をどうするのか、という話が浮上してきそうだ。

とりあえずメールをどうしたものか・・・。HT1100と同期しないのであれば、OutlookにこだわらずThunderbirdとかに切り替えてしまってもよいような気がする。そもそも、Outlookが必要ではなくなる可能性もあるな・・・。

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2008年8月19日 (火)

電車が寒い

休み中、冷房をなるべく使わない生活をしていたのだが、暑さに慣れたのか、電車の中が寒いように感じる。やはり人間というのはある程度は慣れるものなのかもしれない。もっとも、あの暑さの中集中して仕事ができるとは思わないのだが・・・。
(確かに冷房は極力抑えたが、毎日シャツ2枚を着替え、2回以上シャワーを浴び、2枚以上のタオルをぐっしょりにした。それでも体がべたべたになる程度に暑く、ぐったりしていた。とても頭を使える状況ではない。)

まだ休みモードから抜けきっていないのか、そうした暑さの影響が脳に残っているのか、まだ仕事モードに切り替わっていない気がする。休み明けすぐにやらなければいけないようなことはすでにすませていたので、多少余裕があるというのは確かだが、あまりスロースタートだと、この後大変だろう。

とりあえずクローズドリストをきちんと回し直すところまでは持っていかなければ・・・。

(とブログでこんなことを書いていること自体、かなり心と体がなまっているという証拠だったりする。)

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2008年8月18日 (月)

パソコンの再インストール

最近動作が重くなっていたため、休み中にパソコンのOSを再インストールする。

意外に時間がかかってしまった(何回か繰り返した)が、かなりすっきりしたようで、今のところ動作はかなり快調だ。いくつか戻し切れていない環境はあるが、それは追々やる予定。

実はこうしたOSからの再インストールは初めての経験だ。基本的には「買い換え」ばかりでやってきたのだが、これぐらいリフレッシュできるのであれば、こまめに行うことを考えても良さそうだ。そうなると、再セットアップを短時間でできるようなデータの持ち方やアプリケーションの選択なども、考えておくとよいのかもしれない。

(意外と使っていないアプリケーションなどもあったりした・・・。)

一方、同じく休み中に検討していた部屋の片付けの方は遅々として進まなかった。こちらはパソコンのようにはいかないようだ・・・。

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2008年8月12日 (火)

環境配慮の自由

しばらく前に、某フードサービスチェーンにおける「接客のマニュアルがないのは自分が正しいと判断する自由」というポリシーについて書いたのだが、この「自由」という捉え方を、なんとか温暖化対策などの環境配慮にまで広げていく方法はないだろうか。

自由、という考えで行動していると、他人の良いと思った行動を自由にどんどん参考にするようになる。
義務あるいは責任、という考えで行動していると、他人に自分の行動を義務として押しつけていくようになる。

・・・そんなことはないか。

環境問題に息苦しさを感じてしまうのは、後者のような雰囲気があるからだろう。そうしなければ後戻りできない所まで来ている、という話は分からなくもないが、それとて可能性の話に過ぎない。なんでも許されるか、というとそうではないような気がするのだ。

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2008年8月11日 (月)

信頼はするが、尊敬はしない

実際に本を買ったわけではないのだが、NBonlineで「仕事道楽-スタジオジブリの現場」(鈴木敏夫/岩波新書)の書評を読んで、ちょっと考えさせられたことがある。

飲み屋で宮崎駿が泣き出した。さあ、どうする?~『仕事道楽』鈴木敏夫著(評:朝山実)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080806/167408/

宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の三者が30年間その関係を維持していることについて、宮崎駿がこんな「大発見」を語ったことが紹介されているのだ。

「お互いに尊敬し合っていないこと」

え、と思ってしまうのだが、お互いに言いたいことを言い合って、それがそのまま受け止めてもらえる「信頼」関係は必要だが、遠慮につながってしまう「尊敬」は必要ない、というのだ。

なるほどな~と思ってしまった。尊敬や尊重というのは、ある意味相手に配慮し相手を立てることでもある。そこには思ったことが言い合えなくなってしまうリスクが確かに存在する。少し強引だが「尊敬される」ということは「遠慮される」ということぐらいに捉えた方が良いのかも知れない。

そして、「思ったことが言い合える関係」が信頼関係だというのは、かなり深い。これが成り立つのだとすれば「信頼関係が壊れる一言」「信頼を裏切られる一言」というのはありえないことになるからだ。どんな一言であっても、それを言われることによって自分の相手への感情が壊れてしまうのであれば、それは信頼関係ではなかったことになる。

誰にでも「許せない一言」というのがあるだろう。それを言わないことが信頼関係の証ではなく、それを言われても受け止めることが信頼関係の証なのだ。信頼される以上に、信頼するということは大変なことなのかも知れない。

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2008年8月 7日 (木)

文字中心のサイトはモバイルに最適化して欲しい

iPhoneも欲しいと思いつつ・・・。

HT1100を徐々に使い始めているのだが、やはり手元でウェブが手軽に見られるというのは便利だ。ブックマークなどはまだ充実していないので、今のところはURLを直接打つとか、非常に迂遠なやり方なのだが、それでも意外にPCサイトがしっかり見られるのはちょっと感動してしまう。

しかし、こうなってくると、こうしたモバイル端末も視野に入れたウェブページのデザインというか、専用ページを用意するのではなく、そのままでも見やすいようなデザイン的な工夫が今後は重要になってくるような気がしてならない。

気になっているのは、最近はPC側のディスプレイの解像度に合わせて、ウェブページも横に広がる傾向があることだ。これはけっこうつらい。(PCでも古い機種だとつらかったりする。)

もう一つは、イラストや写真などを多用している場合にもやはり見づらくなってしまうことだろうか。表示をキャンセルするという選択もあるのだが、日本のページはどういうわけか字よりも写真が多い。これが、モバイルのような狭い画面だと異常に見づらい。

逆に文字は画面が小さい方が読みやすい気がする。写真は小さくなるか画面をはみ出してしまうが、文字は一画面に表示されている量が少ない方が(結果スクロールは増えたとしても)読みやすいのかも知れない。

リリースとか、レポートとか、あるいはブログなど比較的文字が中心となるサイトは、こうしたモバイルでの閲覧にも適した形に構成しておいた方が良いのではないだろうか。ニュースサイトなんかも、最近はごてごてした広告ばかりが目につくのだが、意外とモバイルで読めた方が楽だったりして・・・。

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2008年8月 6日 (水)

Googleカレンダーをスケジュール管理の中心にする

今日は清掃活動があるので手短に。

会社のNotesがようやくバージョンアップされることになり、昨日とりあえずクライアントをR8にする。
メールボックスの機能をフルに使うにはサーバ側のバージョンアップを待たなければならないが、とりあえず、GoogleカレンダーとiCAL形式で同期ができるようになったのが個人的には最高の朗報だろうか。

HT1100でも、Outlookとの同期はまだしていないのだが、NetFrontを使ってGoogleカレンダーにアクセスするようにしてみた。簡易版でしか表示できないみたいだが、これもなかなか具合が良い。

こうなると、いよいよスケジュール管理のコアをGoogleカレンダーにシフトするという選択肢が現実味を帯びてくる。個人のパソコンを再インストールするときに、過去のデータをどうするかと考えていたのだが、思い切って全部移してしまうという方法もあるわけだ。

なんだか色々考えるのが楽しくなってきた。これまで課題だった「パーソナルカレンダーの共有」がいよいよできるようになりそうだ。

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2008年8月 5日 (火)

本能でサステナビリティを追求できるのは

サステナビリティというのは、一般的には「将来世代のニーズを損なうことなく、現在の世代のニーズを満たす開発」とされている。1987年のブルントラント会議での定義だ。

が、これはどことなく「~するべき」といった制約条件的なイメージがつきまとう。

「現在世代に対するのと同等の、将来世代への投資」

このように考えたらどうだろうか。今の世代のニーズに投資するだけでなく、将来の世代に対しても投資しよう、という呼びかけであれば、企業という利益追求の組織体はよりポジティブになるのではないか。

そもそも、寿命という抗いがたい時間制約を持つ「個人」と違って、企業という組織は条件さえ整えば永続的に生きながらえることができる。そこには、将来世代に対しても投資をしておく明確なメリットと目的がある。

極端な話、「現在世代に多少負担を強いても、将来世代への投資を厚くする」というのも、企業としては不自然な行動ではないのだ。

そのように考えると、企業のそういった志向に対してブレーキをかけるのは、むしろ消費者や投資家、経営者や従業員といった「現在世代のステークホルダー」達ではないか。時間的限界を持つ彼ら個人にとって、その先への投資というのは何ら自分たちへのリターンが望めず、メリットがない。

そのため「責任」といった言葉で自らを鼓舞しなければ、到底将来世代への投資を容認できるものではないはずなのだ。少なくとも本能レベルで、自分が死んだ後の社会が持続することに「メリットを感じる」ことはないだろう。「責任を感じる」のは、社会的文化的な刷り込みの結果にすぎない。

本能レベルで将来世代への投資をメリットとして捉えられるのは、企業(組織)だけなのだ。それが気に入らないから「責任」という名の制約をかけている、なんて構図はないだろうか。

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2008年8月 4日 (月)

その日の業務項目の公開

CIOマガジンの2008.8号で読んだのだが、帝人の在宅勤務制度は、

・自己完結型で成果が客観的に評価できる
・職場の業務に支障が生じない
・自宅に仕切られた静かな環境を準備できる

といった要件を満たすことができれば、申請により誰でも行うことができるそうだ。フルタイムではなく、パートタイムの在宅勤務のため、子どもの学校行事など(面談など短時間で済むようなもの)にあわせて選択するという人もいるらしい。

個人的になるほどと思ったのは、あらかじめその日に行う業務の項目を申請しておき、(在宅勤務の)翌日にその達成度を(自己評価ではあるが)報告することになっていることだ。

これは「成果が客観的に評価できる」に通じる内容ではあるが、在宅に関係なくこうした仕事のやり方を普段からしておくことが、いざというときにそうしたフレキシブルな勤務を認めてもらうためのポイントではないか、などと思った。

今自分がやっているクローズリストではないが、その日毎のタスクを上司に対して公開しておき、翌日(あるいは当日)にその達成度合いを報告する。報告までいかなくても、タスクリストが公開されていれば、上司は仕事の状況を十分把握できるだろう。

その日の業務内容を報告する日報と違うのは、その日の作業が事前に開示されていることで、上司側に事前の介入の余地が生まれることだ。その日の作業として物足りないと思えば新しいタスクをアサインしたり、こなすのは無理と判断すればサポートしたりといったことが可能になる。

さて、今日のリストはどんな内容でしたかね。

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2008年8月 1日 (金)

「集める」時間を確保する

昨日の昼休みに、職場の上司がiPhoneを買ってきた・・・。
帰り際にもビックカメラで見かけたのだが、意外とあっさり手に入る環境になりそうだ。もっとも、新しいキャリアに切り替えたり、増やしたりするつもりは当面ないので、関係ないといえば関係ない。
(それでもこんなことを書いたりするのは、やはり気になってはいるのだろう。)

先日「集める」「磨く」「発信する」というリズムのことを書いたのだが、これを1日にあてはめたときに、朝に「発信する」ではなく「集める」を持ってきて、日中磨き、夜発信するということはできないだろうか、と考える。

言い換えればブログを書く時間を夜にシフトさせて、朝は本を読んだりする時間に充てるということなのだが・・・。

夜書きというのは、過去何度も挫折している。時間が一定のリズムで確保できないためだ。仕事の終わる時間、夕食の約束、セミナー、イベントなどなど、夜の時間はさまざまに動く。朝はほぼ固定だが、夜に書こうとするとどうしても時間が安定せず、結果書けないということが増えてしまう。

そういえば、途中で電車を乗り換えて座れる時間を10分間確保し、そこで書くというのも挫折している。(一番大きな理由は、暑くなってきて「座るのがしんどくなってきた」というものだが・・・。)

一方で、帰宅前にどこかに立ち寄るという習慣をつければ、そこで書くことは不可能ではない。家に入ってしまうとさまざまな雑念が入ってしまうのだが、一番良いのは渋谷にいる間にどこかに立ち寄ることだろう。

ところが、今度はその場所がなかったりする。朝はなんとか場所を確保できても、夜はどこも埋まってしまっているのだ(回転が速いところは良いのだが、そういったところではもちろん腰を据えた作業などはできない)。
多分確実に確保できるのは会社の休憩室などだと思うのだが、それはいやだし・・・。

いずれにしても、何らかの形で「集める」時間をまず確保しなければならない。

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