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2008年9月17日 (水)

「信頼できない」のか「信頼しない」のか

昨日に引き続き、アカデミーヒルズの緊急シンポジウム「自民党総裁選を斬る~空気読めない候補者は去れ~」からの話なのだが、「国民の政治不信が言われているが、それ以上に政治の国民不信という状況が問題」という指摘があって、実は企業と消費者との関係というのも似たようなものかもしれないなどと思ってしまった。

政治の国民不信というのは、国民を信じていないからまっとうな情報公開がされず、国民自身には判断ができないと言わんばかりの過剰な規制が生まれるという趣旨の指摘だと思うのだが、企業の情報開示が進まない理由というのも、実は消費者に対する不信があるのではないか。

「(消費者に)信頼して欲しいけれども、(消費者を)信頼していない」という構図だ。

もっとも、こうした事態に陥ってしまうのは、そもそも国民や消費者の側に問題があるかもしれない、ということは考えておく必要がある。

我々が政治や企業を「信頼できない」と口にするとき、その「できない」という言葉には相手側に問題があるというニュアンスが含まれている。このように信頼が相手によって決まる構造があるのだとすれば、政治や企業が国民や消費者を信頼「できない」原因は、当然国民や消費者側にあることになるのではないか。

こんな書き方をしていると、企業側の理屈ばかりを並び立てているように自分でも感じてしまうのだが、それはさておき、信頼というのは「できる」「できない」という相手に依存した捉え方ではなく、「する」「しない」という自己の判断に基づく捉え方をする必要があるのではないかと考えている。これは国や企業であっても同様だ。

信頼の基準を相手に置いていては、いつまでたっても問題が発生した際には「裏切られた」になってしまい、相手を非難することしかできない。しかし、自分の判断に置いていれば、なぜ判断を誤ってしまったのか、という視点で自分の信頼の判断基準を再構築することができるだろう。

「信じられない」のか「信じない」のか。「信じられない」というのは気が楽だが、あえて「信じない」と口にしてその根拠を考える厳しさも必要なのではないか、という気がする。

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