« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月31日 (金)

給付金による経済効果

政府が打ち出した経済対策の給付金だが、これを実際に経済効果につなげるためには、市民としての消費者や企業には何が求められるだろうか。

投入された資金から経済効果を生むには、まずそれを使わなければならない。経済というのは、結局車輪と同じで、回り動いていく必要がある。経済が停滞しているというのは、お金がないということではなく、お金が回らないことだからだ。

回転させていくには何が必要になるか。給付された個人がまずは使うのが大前提だが、意外とその先の企業の行動が鍵を握っているような気がする。

問題は消費者が使った結果得られた利益を、「何に」使うかなのだ。内部留保は最悪の選択だが、消費者に還元するというのも少々範囲が限定的で効果が弱い気がする。

一番良いのは、従業員や取引先に還元していくことではないだろうか。サプライチェーンの上流まで給付金の効果が伝わってこそ、経済が上向いていくためのドライブになる。

問題は、それを経営者やその背後の株主、そして消費者が認めるかどうかだ。株主や消費者が短期的な利益還元を求めたり、経営者が長期的な経営の安定を志向した場合、こうした資金は取引先や従業員には流れていかないことになり、経済効果は限られた範囲でとどまってしまう。

あくまで理屈上での話ではあるのだが・・・。

ところでセットで発表された消費税の増税なのだが、これも理屈でいえば、取引というフローに課税される消費税は、足を引っ張りこそすれ、経済のドライブにはなり得ない。財産としてストックされてしまう所得に課税してこそ、「税金で取られるぐらいなら使おう」という心理に結びついていくのではないかと思うのだが、どうなのだろう。持たない者のひがみだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月30日 (木)

仕事の位置付けをシフトする

先日10/27のカンブリア宮殿で村上龍氏が、ある物事が衰退すると、それを示す言葉が台頭するようになる、という趣旨のことを言っていた。
だから、「ものづくり」「ものづくり」と言っている間は製造業は復活しないのではないかという投げかけだ。

そういえば自社でも最近よく言われているなぁなどと思いながら、確かに、例えば「ものづくり」がしっかりと行われていれば、ことさらに「ものづくり」などと唱える必要はないのだろうと感じてしまった。

そのように考えると、「ナレッジマネジメント」や「CSR」といった言葉がささやかれるのも、同じようなことなのかもしれない。流行りであること以上に、その物事の衰退のバロメーターとして考えられるということだ。実際に担当したことがあるだけに、実感としてもあながち間違ってはいない。

昨日はその「ナレッジマネジメント」の取り組み事例の現場を見学してきた。

個人的に一番考えさせられたのは、ある業務に対する考え方をシフトすることで、驚くほど姿勢が変わってくるということだ。
心構え、といったものとは少し違う。

具体的に言うと、その会社ではオフィスのレイアウトを総務の業務ではなく、生産技術の業務として位置づけていた。

生産技術として位置付けるというのは、より生産性をあげるためのオフィス構成を考え、その効果を測定することが(理屈上は)可能ということだ。
総務の業務であれば、各部署の思惑にそって働きやすい環境を調整する、ということになるのだろうが、生産技術の場合、各部署の思惑以前に、そもそも生産性の向上のために何が必要か、という視点での検討が必要になることになる。

もっともそれは、だから生産技術部門でやるべきだ、ということではない。総務であっても、そういった視点でオフィスの見直しをするというミッションを持てば、生産性の向上への寄与が可能になるということなのだ。
それは言い方を変えれば、どんな業務であっても、そうしたパラダイムシフトが可能ではないか、ということでもある。

自分の仕事の場合はどうだろうか。業務の枠組みを変えることなく、知識創造や生産性の向上に直接つながるようなミッションを構築できないだろうか。そんなことを考えてしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月28日 (火)

サイゼリヤはどうすればよかっただろうか

少し遅れた感もあるが、サイゼリヤで発生したピザ代金返金詐欺について考えてみる。

そもそものメラミン混入はさておき、こうした詐欺のような事態を起こさないために、サイゼリヤはどうすればよかっただろうか。

職場で同僚と話していてまず思いついたのは、「飲食代から差し引く」というものだ。こうなると現金ほど気安くはないので抑止力が働くだろう。

しかし、「ピザ以外も信じられない。そもそも食べたくない」と言われてしまえば抗いようがないし、結局無銭飲食という問題が発生することに変わりはない。

それではということで、直接返金するのではなく、問題のピザの売り上げを、例えば今回のメラミン騒動で実際に被害を被った人達の救済にあてるために寄付をするというのはどうか、などと考えてみる。あるいは将来的に被害が発生した場合のためにプールしておくといった方法もある。

「食べてしまった自分はどうなるんだ」という人は当然いるだろう。というか、実際に直接的な健康被害が出ていなくても、そういった人たちがいるからサイゼリヤは今回のような処置をせざるを得なかったという側面はあるに違いない。

個人的には、返金で清算してしまうよりも、直接被害が出たときの救済を将来に渡って約束させる方が意味があると思うのだが、そういった主張が出てこないというのは、結局消費者自身も「被害が出ることはない」とたかをくくっているということなのかもしれない。
(実際に健康被害が出た場合、ピザ代金ぐらいですむはずがないのだ。)

そもそも、今回の詐欺のような問題が発生することに対しては、社会的存在としての消費者がイニシアチブをとって解決をはからなければならないはずだ。この点に関して問題を起こしているのは、消費者であって企業ではない。

仮にこうした詐欺に対しても企業による対策を求めるのであれば、消費者はただ企業に依存するだけの存在になってしまう。消費者が企業に対峙する存在として社会的地位を確立したければ、この問題を消費者自身の力で解決しなければならない。「自分はやっていない」という言い訳が通用するのだとすれば、それは権利者としての消費者と呼ぶに値しないのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月27日 (月)

自分はチェロがどれぐらい好きなのか

昨日またLet's noteが熱暴走する。どの程度の負荷までなら試しながら使ってきたのだが、やはり長時間の使用は難しそうだ。

暴走したのは動画の変換中だったのだが、こうした作業が出来なくなるのは少々辛い。他で代替するのが難しいからだ。

さておき、この週末は結構音楽三昧だった。

土曜日は、mixiのコミュニティで見つけた弦楽アンサンブルに参加。ほとんど初見だったが(しかし考えてみたら以前にやったことがあった)弦楽合奏も悪くないな、と感じる。参加者がそれほど多くないので、自分の音がストレートにでてしまうのはちょっと気になってしまうが・・・。

日曜日はいつものようにオケの練習。今週は分奏だったので、前日に引き続き弦楽器だけの練習ということになる。曲はどちらもチャイコフスキーで、ちょっとだけその雰囲気を味わう。

考えてみると、あまりそうした音楽の勉強というのはしたことがない気がする。ただ目の前の楽譜をこなしているというか、あまり音楽としてとらえてはいないのではないか、というのが最近気になって仕方がない。

そもそも自分はチェロを弾くのが好きなのだろうか・・・などと考えてしまうのだ。好きには違いないのだが、そう胸を張れるような何かをしているだろうか。

日曜の午後は会社の知り合いのボサノバのライブへ。クラシックとはまったく別の音楽ジャンルではあるが、何年か前から誘われて聴きに行っている。ライブというより、発表会という趣で、出演者の技術はまちまちなのだが、それでも楽しそうにやっている雰囲気が伝わってくる。

こうした機会があると、ソロや小編成の曲をやりたいなどと思ってしまうのだ。最近は大編成の曲ばかりで、そういえばソロの練習などほとんどしていない。何曲かは持ち曲のような感じで引けるようにしておけると良いのだが・・・。

練習時間の確保と・・・本当はレッスンを受けると良いのだが、ちょっとそこまでは思いきれていなかったりする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月24日 (金)

最近エンゲル係数が高い

理由は結構はっきりしていて、毎日スタバに行っているからだ。

最近は朝ショートラテ昼グランデラテ(+夜は時々)なので、カップ値引きをしても700円になる。昼夜を外食していてそれにこの額を加えたら、それはかなりの飲食費になるだろう。

もっとも、飲みに行くことはあまりないので、他に使ってはいないのだが。

少し節約を考えた方が良いのかもしれない。新しいパソコンだ、なんて言っている場合ではないのだ。(パソコンに比べれば食費など微々たるものではあるが・・・。)

そのパソコンは昨日久しぶりにネットに接続してみる。恐る恐るではあったが、特に問題はなく、結局時間を制限して、温度が上がるのを注意すれば問題なく使えるということかもしれない。

だらだらと無意味にパソコンに向かう時間を減らす良い機会と捉える考え方もある。
最低限必要なことはあるので、手放すことはできないが、時間の使い方を見直すチャンスだと考えよう。

問題は見直した時間を何に使うかだ。ついついパソコンを使うようなことに気持ちが向いてしまうのだが、あえてそういったデジタルから離れるとすれば、本を読むか楽器を弾くかということになる。

正直楽器にはもう少し時間を費やしたいところではあるのだが・・・。

なんだかとりとめないないようになってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月23日 (木)

電車の中で何をするか

電車の中で何をするか・・・多いのは新聞や本を読む、携帯電話でウェブサイトをチェックする、音楽を聴くなどだろうか。

自分の場合も、HT1100でメールチェックなどをしていたのだが、画面が小さく文字も小さい(最近少し大きくした)こともあり、視力の低下を感じるようになった。

高校時代、図書館で借りた本を電車で読みまくり、矯正視力に転落したという経験がある。

そうなると、やはり音楽を聴くことにして、目は使わないのが良いのだろうか。動画なんてもってのほかだろう。

その音楽にしても、あまり大音量で聴かないように、ノイズキャンセリング機能を使っているのだが、最近はもう少ししっかりしたヘッドフォンが欲しくなっていたりする。

BOSEのクワイアットコンフォートが欲しいと思っていたのだが、こうした密閉型は実際につけてみると以外に圧迫感がある。慣れの問題かもしれないが、いきなり高価なヘッドフォンではなく、まずは密閉型に慣れるところから始めるのが良いのかもしれない。

あとはDMPの音質をいかに上げるかなのだが・・・最近はMP3の320kbpsでエンコードしているのだが、それでもちょっと気になりつつあったりする・・・フォーマットではなく、エンコードするパソコンのスペックの問題かな、などとも思うのだが、実際のところ差は出るものなのだろうか。

差が出ないとすると、あとはロスレスを試してみるしかないのかなぁ・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月22日 (水)

車内の携帯電話が気になる理由

・・・について書こうと思ったのだが、キーボードの電池が切れたのか、反応しなくなってしまった。

携帯のキーボードからではとても無理なので、今日はここまで。とりあえず電池を交換してみなくては。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月21日 (火)

実は低価格UMPCでもいいんじゃないか

修理するスタンスとはいえ、久方ぶりの現実的な購入検討の機会でもあるので、珍しくパソコン売り場などをうろうろしてみた。

そこでふと気が付いたのだが、低価格のUMPCというのも選択肢ではないだろうか。基本的にメインマシンでもあるので、サブマシンの位置付けにあるUMPCにはこれまで注意を払っていなかったのだが、冷静に考えるとCPUのクロック数、HDDの容量、搭載メモリまで、今使っているLet's noteを上回っている機種がざらにあるのだ。
(CPUに関してはクロック数だけでは比較が難しいが・・・。)

そのくせ価格は当時の1/4ぐらいだったりする(笑)4年間の進化というのは恐ろしいものだ。

それから、これも売り場で気が付いたのだが、新型MacBookにばかり目を奪われていたが、価格が下がった旧型でも良いような気がしてきた。元々スペック的には問題がないのだ。15万を切っているのであれば、思いきって買ってしまうというのも選択肢かもしれない。

昨日はLet's noteのデータのバックアップをする。とりあえず、起動後温度が上がるまでは問題なく使えるようだ。短時間だけ使うと割りきってしまっても良いのかもしれないが、そうなるとできることはかなり限られてくる。

仮にUMPCやMacBookを買うにしろ、テレビ番組の録画(時々やるだけだが)だけはLet's noteでやりたいのだが、負荷に耐えられないだろうなぁ、きっと。
実際にはそれほど強いこだわりがあるわけではないが、ネットと音楽の他にはその程度にしか使っていないので、それぐらいはできる環境にしておきたかったりする。

・・・いかん、購入前提の気分になってきた。流されないように注意しないと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月20日 (月)

パソコンから異常音

MacBookが欲しいなどと考えたバチが当たったのか、週末にLet's Noteが異常音を出すようになった。

原因ははっきりしないのだが、きっかけはHT1100との同期だとにらんでいる。やたらと時間がかかるため、同期処理をさせたまま放置して外出したのだが、帰ってきたら画面が暗くなって異常音を出すようになっていた。

本体がかなりの高温になっていたので、その日は強制的に電源を落として放置し、翌日立ち上げてみた。

とりあえずは起動したのだが、かなり動作が遅く、しばらく使っているとブルースクリーンが出てしまった。特にネットワークへのアクセスが遅い。

さて、困ったことになった。新しいパソコンを・・・とも考えたが、例えばMacBookなどは、Let's Noteがあることを前提とした物欲である。今のLet's Noteがクラッシュすることなど考えていなかった。

Let's Noteを購入したのは、2004年の4月。すでに4年半使っていることになるので、そろそろ機種換えをしても良いのだが、使用機会が減っていることを考えると、無理に新しい投資をするのもなぁと考えてしまう。

そもそも、壊れたからという理由で緊急避難的に購入しても、あまり愛着を持てるようにも思えないのだ。

とりあえずは修理の方向性で考えているのだが、その前になんとかデータを吸い出さなければならない。一度立ち上がった時にドキュメント関係はバックアップしたのだが、まだメールやアドレスデータなどが残っている。
(困ったことに先日再インストールをした時に、データの持ち方を色々と整理して、逆にバックアップが面倒になってしまったのだ・・・。)

もっともそれ以前に、もう一度立ち上がってくれるかが非常に不安なのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月17日 (金)

チャイナフリーがもたらすもの

中国産の冷凍いんげんから高濃度のジクロルボスが検出された問題で、気になっていることが2つある。

1つは、今のところ報道されているのは、餃子も含めて家庭向けの商品であることだ。しかし、中国産の食品としては、恐らく原料を含めて業務用のものが多いのではないか。仮に犯罪やテロだとして、そうした業務用の原料に対して同様のことは行われていないのだろうか。

原料としてメーカーに入荷された場合、当然担当者による検品が行われる。これをすり抜けて製品に混入されてしまったらそれこそ大問題だが、検品段階で食い止められたとして、どれだけのメーカーがそれを明らかにするだろうか。単なる品質問題として片付けられて、公にされなかった場合、この問題(あるいは「攻撃」)の範囲が過小に評価されてしまうということはないか。

小説や映画のような話だが、そこに明確な意図があった場合、全体像を把握する上でそうした隠蔽が大きなリスクにはなってくるはずだ。

もう1つは、犯罪やテロかどうかはともかく、こうした問題が発生するなかでチャイナフリーの考え方が台頭していった場合、どうなるかということだ。

中国産が忌避されて売れなくなるというのは、さらに価格が下がるということにつながるだろう。一方で中国産以外は、ただでさえ少ない供給を奪い合うことになるため、価格が上昇する。

そうした状況にあって、中国産をその他の産地に偽装する、という誘惑にどれだけ抗し得るだろうか。事故米の問題は、価格に大きな差が生じた場合にそうしたことが現実に起こりうるし、それが意図的に行われた場合、ほとんど防げないということを示していないか。

品質というのは、完全にコストに比例する訳ではないが、全く無関係でもない。多くは投入されたコストが品質を決めるのだ。
「安くて高品質」というのは、「コストの割に品質は良い」というものであって、絶対的な高品質は意味しないのだ。

中国産に対する姿勢に必要なのは、やみくもに忌避するのではなく、多少コストが上がっても良いから品質の向上を求めていくことではないだろうか。あれだけの生産力を忌避して遊ばせてしまうことは、実はもっと大きなリスクを抱えることにつながるような気がするのだが、どうなのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月16日 (木)

自分にとってのパソコンの必要性

新しいMacBookが出たことで、またぞろ物欲がうずき出しているのだが、それを抑え込むことも考えながら、自分にとってのパソコンの必要性を考えてみる。

まず、ブログの更新には、パソコンはそれほど必要としなくなってしまった。もっとも、あいかわらずHT1100からのメールだと文字化けを起こしてしまうので、あとで修正するということは必要になる。
ただ、日常的な持ち歩きの必要はほぼなくなったと考えて良いだろう。議事録用のメモなども、テーブルさえあればという条件付きだが(膝の上ではちょっと厳しい)、まったく問題なく作成できる。

今のところメールに関してはそれほど件数もないのでパソコンを使っているが、あまりこだわりが無くなってきているのは確かだ。単独で通信機能を持つHT1100の場合、パソコンとの同期もほとんど必要としない。
(というか、何度かやったのだが、その度に違ったトラブルが発生したりして、いまいち安定しない。むしろ同期は余計とさえ感じていたりする。)

こうなると、パソコン自体は確かに必要なのだが、別に新しくするほどでもない、という気がしてくる。

あえて言えば、何度も書いているように、音楽サーバとしてほしいということになるだろうか。あるいはもう少し広げてメディアサーバでも良い。

サーバというと、デスクトップを想像するが、自分の場合は持ち歩けることが必要になってくる。日常的に持ち歩くわけではないが、家に置きっぱなしにするつもりもない。

そこでようやくMacBookが登場するのだが、前機種も含めてMacBookというのはスペックに対してコストが低いのだ。もちろんそれはWindowsパソコンと比較して、という意味で、そもそもの必要性に対して、ということになると若干疑問もあるのだが・・・。

また、MacBookを音楽用に使う場合、当然ながらiPodもセットということになる。個人的にiPodtouchにはまだ未練があるため、その辺りも悩ましかったりする・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月15日 (水)

若者のマナー

座るなり飲み食い化粧と家気分
(京王マナー川柳)

車内のマナー広告で見かけたものなのだが、内容についてはさておき、添えられたイラストに描かれているのが若者だったことが、ふと気になった。

こうしたものの多くは若者のマナーに眉をひそめる年配者という構図になっている。実際そうなのだろうとも思うのだが、一方で、年配者が傍若無人に振る舞っても若輩者には注意ができないから、自ら我が身を正せというのがマナーの捉え方ということはないだろうか。

若者のマナー違反を見かけて気になるのであれば、しっかり注意するのが年長者の社会的責任であり、「大人のマナー」であって、こうした広告で訴えるようなものではないのではないか・・・厳しいかもしれないが、そんなことを考えてしまった。

もちろん、ではお前はできるのか、ということも含めて、実際には難しいことも分かっているのだが、自らが注意してあげられないやましさを、相手のマナー違反に置き換えてしまっている、なんてこともないとは言いきれないよな、などとも思うのだ。

もっとも、飲み食い化粧の何が悪いのか・・・などという考えも頭を掠めてしまう。満員電車の中でそうしたことをされれば、それはもちろん迷惑で言語道断なのだが、空いた車内で座れるほどの余裕がある時であっても、「マナー違反」と眉をひそめる心理はどこからくるのだろうか。

なんとなくみっともない、ということは分かる。躾が問われる行為ではあるだろう。でもそれは本人の問題である。身内であれば注意した方が良いだろうが、他人がとやかくいうようなことでもないような気もする。

そもそも「何が」不快でそれらをマナー違反と考えるのだろうか。携帯電話の使用などもそうだが、他人のふり見て我がふり直せ、と自分に矛先が向かうのならともかく、なぜ相手に矛先を向けてしまうのだろうか。

そんなことを考えてしまうのは、こうした他人の行為を、自分に直接的な被害(注意せずにはいられないほどの害実)が及ばない限りは、一定の距離感で傍観する術を身に付けることも、都市のような空間で生きていくには必要なことではないかと思うからだ。
(この「傍観する」というのは、我慢するという意味ではなく、傍観者として他人事と捉えるということだ。)

そこに距離を置けないいらだちがストレスとなり、ささいなことでのいさかいや傷害事件などにつながっているのではないか・・・そんな気がするのだ。

こうした捉え方は冷たい見方かもしれないが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月14日 (火)

容疑者Xの献身

土曜日に、現在公開中の映画「容疑者Xの献身」を劇場で見て、その帰りに購入した原作を読んだ。

ネタバレになるので物語には触れないが、映画と原作、どちらを先に見る(読む)のが良いか、と言われれば、まだであれば映画の方を先に見た方が善いかもしれない。トリックの詳細などは原作の方が詳しいのだが、映画はうまくドラマを仕立てあげていると思う。

特に堤真一の演技が素晴らしい。「クライマーズ・ハイ」も良かったのだが、あのどこか熱い主人公の演技とは違った、無表情の中に秘めた覚悟を、見事に演じている。
(ちなみにこの物語、主人公は明らかに「容疑者X」で、ガリレオはその謎解き役に過ぎないような気もする。そもそもガリレオシリーズに特徴的な「科学」の要素がほとんど出てこない。)

ちなみに「クライマーズ・ハイ」は原作を読んでから映画を見たのだが、すでに知っている物語を追随するような感じになってしまい、純粋に映画としては楽しめなかったように思う。情報量としては圧倒的に本の方が上なので、それと比較しながら「どこが省かれたか」「この場面の裏にある心理は」といった視点で見てしまったのだ。

一方、今回の「容疑者Xの献身」の場合、原作を後から読むことで、さらに理解が深まったというか、細かな描写の違いをゆっくり楽しむことができた。これは、自分のペースで読み進められる本ならではだろう。

原作付きの映画やテレビを楽しむ方法は色々あると思うのだが、なんとなく自分には後から読む方が楽しめるような気がする。
(もっとも作品によるのかもしれない。最後の大どんでん返しが見所だったりすると、すでに分かっていては面白くないだろうし・・・。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月10日 (金)

消費者の感じる不信感

昨日はとある消費者団体(と考えて良いと思うのだが)の情報交換会に参加し、いくつかの講演を聞いてきた。

その講演の一つに企業の社会貢献プログラムの事例発表があり、いわゆる慈善活動的な寄付行為ではなく、ビジネスと連動した取り組みが紹介されていた。

個人的には非常に得心のいく取り組みだったのだが、案の定というか、会場からは「そうは言っても儲かったんでしょ」というニュアンスの質問が寄せられた。
善いことをしているというアピールの裏には、企業としての利潤追求があり、しょせんはそのためではないか・・・そういう不信感のようなものがあるのだろう。

動機はどうあれ善いことは善いこととはなかなか受け止められないのは分からなくもない。

こうした意識はそう簡単には払拭できないよなぁ・・・などと考えながら帰路についたのだが、その帰りの電車の中で某スピリチュアルな人(こういう人を何て呼ぶのだろうか)の新刊本の吊り広告を見かけて、ついつい「所詮は人の心につけこんだ金儲けでしょ」などと感じて、あっと思ってしまった。

消費者が企業のメッセージに対して感じる「しょせん利益のため」という不信感は、自分が最近のスピリチュアルブームに感じる不信感と実は同じようなものなのかもしれない。
なんとなく「自分はそういった感情は払拭できていて、そういった感覚は理解できない」などと考えていたのだが、それは勘違いに過ぎず、自分の中にもやはりそういった感情はあったのだ。

ではそれを認めた上で、どう視点を変えれば、自分はスピリチュアルのようなものを信じることができるだろうか・・・ということを追求していけば、消費者が企業に感じる不信感を払拭するための方策というのが見えてくるだろうか。

・・・うーむ、なんとなく望み薄な気もするのだが、一度真剣に考えてみても良いのかもしれない・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月 9日 (木)

ノーベル賞を受賞したのは誰か

今年のノーベル賞で4人の日本人が受賞した(まだすべては発表されていないようなので、まだ増える可能性はある)とかで、メディアが盛り上がっている。暗い話題が多い中で、盛り上がりたい明るい話題なのは確かだろう。

ただ、ちょっと気になってしまったことがある。彼らの中の2人、シカゴ大学とボストン大学の2人の名誉教授の受賞は、果たして「日本人の受賞」と呼べるものなのだろうか。

もちろん、人種的・民族的に日本人なのは間違いない。彼らが日本人ではないなどと言うつもりもない。でも多民族国家であるアメリカにとって、彼らはアメリカの大学で研究し成果を挙げた「アメリカ人」なのではないだろうか。

メジャーリーガーが、人種国籍以前に「メジャーリーガー」という「アメリカ人」であるようにだ。

気になるのは、彼らが日本にいた場合に、同じような成果を産み出せたか、ということなのだ。アメリカという風土でなければ生み出せなかった成果であれば、それをいたずらに日本の底力のような受け止め方をしてしまうのはなんとも滑稽だろう。

逆の言い方をすれば、日本の研究機関で研究した結果であれば、それが誰であれそこに日本としての功績がある、と考えて良いのではないか。
(もっとも日本の場合、そもそも研究者個人につくべき功績のを、集団の功績にしてしまいそうな危惧はあるのだが・・・。)

同じ日本人として彼らを応援するのは構わないし、むしろ誰よりも称賛すべきなのだが、一方で、それが日本のシステムの中では生まれ得なかった結果だったのではないか・・・ということは、頭の片隅に入れておいても良い気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 8日 (水)

モレスキンでの万年筆の利用を断念

しばらく前からクローズリスト用に使っているモレスキンのスケジュールノート(18ヶ月)だが、1ヶ月ほど使った末、万年筆での利用を諦めることにした。

スペースが小さいので、細字を書くことに限界のある万年筆ではどうしてもうまく書けないのだ。(万年筆はLAMYのサファリのEFを利用。)
それと紙の問題なのか、文字がにじんでしまう。大分慣れてきてはいるのだが、やはり限界があると判断することにした。

そうなるとペンとして何を使うかなのだが、今のところシャーボXを考えている。今持っているのは3本リフィルのタイプだが、これを4本リフィルのプレミアムにして、リフィルのうちの一つをPDA用のスタイラスにするのだ。
HT1100に慣れるにつれて、付属のスタイラスでは使いにくくなってきたからだ。

ちなみにシャーボXは今週から使っているのだが、少なくとも書いた文字は格段に読みやすい。より細字で書けるために、小さく書いても文字がつぶれることがないからだ。色も2色使えるので、少し工夫をすると(今は前に使っていたリフィルのまま)もっと見やすくなるだろう。

では万年筆はどうするかというと、これも使わなくなるわけではなく、ほぼ日手帳やその他のメモなどでは使っていこうと考えている。個人的にLAMYのサファリは使いやすい。ほぼ日手帳は思いつきのメモ用だから文字のサイズにそれほどこだわる必要はないし、最近使い始めた会社の大判メモ(昔作っていたという在庫が大量に出てきてそれを使っている)との相性も悪くない。

いずれにしても、モレスキンはまだしばらくは使うつもりなので、とりあえずはシャーボXプレミアムとスタイラスに使えるリフィルを買わなければ・・・。(発売元のゼブラではスタイラスは出していないのだが、互換性のあるリフィルがいくつかあるらしい。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 7日 (火)

利息は1500円で足りました

昨日見かけた、某銀行系の消費者金融の吊り広告。

意外でした。
10万円借りても1ヶ月後に返したら、利息は1500円で足りました。

別に伏せるような事でもなく、三菱UFJフィナンシャルグループのアコムの車内吊り広告なのだが、実際に意外に思って借りようと考える人はほおっておけと思いつつ気になったことなど。

そもそも、今やむをえず10万円を借りる人間は、1ヶ月後に1500円は返せても、10万1500円はまず返せないのではないか。

借金というのは、当たり前だが利息だけでなく元本も返す必要がある。その元本に触れずに、「1500円だけで足りる」かのように書いてある。

広告としては当然の手法ではあるが、こうしたイメージに流されてお得と感じたり、返しやすいと思ってしまう人がいるのだとすれば、確かに意外ではある。

もう一つは、銀行というのは我々のお金を借りているのだが、10万円を1年貸しても、利息はとても1500円にはならないはずだ。

こんな感じだろうか。

意外でした。
10万円借りても1ヶ月後に返したら、利息は1円で足りました。

計算はしていないのだが、このように考えると同じようにお金を貸し借りしながら、その差は圧倒的である。

その辺り、金融機関は「借りる立場」としてどのように考えているのだろうか。彼らは倉庫業のように我々のお金を「預かって」いるわけではない。預かり業であれば、預ける側が料金を払うのだが、預かる側が利息を払う以上、その本質は借金のはずなのだ。
(もっとも、個人的には金庫程度にしか考えてはいないのだが・・・反省。)

まぁ「貸したくなければいいですよ」と言える借金ではあるし、彼ら的には疑問にも意外にも感じるようなことではないのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 3日 (金)

CLIEとネットワークウォークマンのバッテリーを交換する

すでに使っていないと言えば使っていないのだが、CLIEとネットワークウォークマン(前に使っていたHDDタイプのもの)のバッテリーの交換を先週依頼した。どちらもバッテリーの持ち時間がかなり低下していたものだ。

今さらどうするのかと言われそうだが、少なくともネットワークウォークマンについては使い道をある程度考えている。車の中で音楽を聴くための用途だ。
今メインで使っているメモリタイプのものは、記録時間が短い(4G)ので、定期的に曲を入れ替えていかないと結構飽きてしまう。車の中で聴く場合は、もっと長い方が良い。

もちろんそうなると、iPod classicのような大容量タイプですべての音楽を・・・ということも考えられるのだが、車の中で聴く程度でわざわざ新しい機器を購入するのももったいない。

もっとも、バッテリーの交換には5千円弱かかるのではあるが・・・。

C! LIEの方は、すでにかなりバッテリーの状態が怪しかったのだが、交換に出してみると、他にも損傷している部品があることが分かり、その修理もしたら意外に費用がかかってしまった。

こっちについては、特に用途があるというわけでもない。スケジュールやアドレスについてはこちらの方が見やすいとは思うのだが、いかんせん同期が面倒という欠点がある。

ただ、問題があるまま放置されていく、というのも忍びないので、使えるようにはしておきたかったというのが正直なところだ。

実際、何に使ったらいいんだか・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 2日 (木)

プログラム用の曲紹介を書く

今週は次回の定期演奏会のプログラム用の曲紹介を書くことに追われていた。もっと早くから書くこともできたのだが、どうも締切が間近に迫らないとなかなか書き出せない悪癖がある。

もっとも、何をどのように書くか、構想に迷っていたのも確かだ。自分が書かなければならないのはボロディンの「中央アジアの草原にて」と、チャイコフスキーの「眠りの森の美女」の曲紹介なのだが、特に「眠りの森の美女」に困ってしまった。

バレエ音楽なので、物語もあわせて紹介したいのだが、あいにく組曲のため、曲の構成がストーリーにそっていない。別々に紹介するには文字数が足りず、曲の構成にそって場面を紹介すると、物語が分からなくなる。
(終曲のワルツはバレエでは2曲目のアダージョの直前に演奏されるものだし、1曲目は3つの場面の音楽の組み合わせ、物語の流れでは3曲目が一番最後だが、ストーリー的にはあまり関連がないという調子なのだ・・・。)

もちろんその辺りは割りきってしまうという考え方もあるのだが、やはり場面を想像しながら聴いてもらいたいとも思う。「眠りの森の美女」はディズニーのアニメにもなっていて、物語自体は知っている人も多いと思うのだが、実際には細部が微妙に異なっているので、まったく説明しないというのも不親切な気がするのだ。

悩んだあげく、物語の流れについては最小限にとどめ、場面の説明を重視する形で書いてみたのだが、さてどうだろうか。(ボツになったら公開しよう・・・笑)

それにしても、プログラムを編集する担当者に「曲紹介を書く人はあなたが指名して良い。指名されたら書くのが団員の役目。」なんて言っていたら、まさか自分に回ってくるとは・・・言った手前拒否もできず、結局書くはめになってしまった。


演奏会は11月23日の予定です。よろしければご来場ください。案内は、おいおい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 1日 (水)

学級通信

自分が手掛けた会社のCSR報告書を父に送ったら、かわりに昔書いたという学級通信の一部を「参考までに」と送ってきた。

小学校の教師をしていた父は、大体週に2回ほどのペースで学級通信を発行していたようだ。一部と言っても、半年分ほどでかなりのボリュームがある。

まだとても目を通しきれていないのだが、新学期に子どもたちに話したこと、それを聞いた子どもたちの日記の内容(新学期初日に呼び掛けて書かせていたらしい)、授業の補足らしい内容など、よくこれだけのペースで発行できたものだと感心してしまう。
毎日の授業(小学校だから時間割りに隙間はない)をしながら翌日の準備や年間の計画を立て、放課後はクラブ活動に付き合い、しかし残業はそれほどすることなく、夜は趣味のバレーボールなどに汗を流していた父の仕事力の一端を覗いたような気がした。

最初の頃の号に、今年1年どんな学級にしていきたいかを考えてまとめたことが書いてある。
普段から考えていることが、ただ文字となって出てきたという感じのその目標は、自分が会社で立てている年間の目標や計画とは、なんだかずいぶんと迫力というか、にじみ出てくるものが違うような気がしてしまった。

これまで父の仕事ぶりなんて気にしたことはなかったのだが、実はビジネス書なんかよりも参考になる実例が、身近にあったんだなぁ・・・という話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »