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2008年10月10日 (金)

消費者の感じる不信感

昨日はとある消費者団体(と考えて良いと思うのだが)の情報交換会に参加し、いくつかの講演を聞いてきた。

その講演の一つに企業の社会貢献プログラムの事例発表があり、いわゆる慈善活動的な寄付行為ではなく、ビジネスと連動した取り組みが紹介されていた。

個人的には非常に得心のいく取り組みだったのだが、案の定というか、会場からは「そうは言っても儲かったんでしょ」というニュアンスの質問が寄せられた。
善いことをしているというアピールの裏には、企業としての利潤追求があり、しょせんはそのためではないか・・・そういう不信感のようなものがあるのだろう。

動機はどうあれ善いことは善いこととはなかなか受け止められないのは分からなくもない。

こうした意識はそう簡単には払拭できないよなぁ・・・などと考えながら帰路についたのだが、その帰りの電車の中で某スピリチュアルな人(こういう人を何て呼ぶのだろうか)の新刊本の吊り広告を見かけて、ついつい「所詮は人の心につけこんだ金儲けでしょ」などと感じて、あっと思ってしまった。

消費者が企業のメッセージに対して感じる「しょせん利益のため」という不信感は、自分が最近のスピリチュアルブームに感じる不信感と実は同じようなものなのかもしれない。
なんとなく「自分はそういった感情は払拭できていて、そういった感覚は理解できない」などと考えていたのだが、それは勘違いに過ぎず、自分の中にもやはりそういった感情はあったのだ。

ではそれを認めた上で、どう視点を変えれば、自分はスピリチュアルのようなものを信じることができるだろうか・・・ということを追求していけば、消費者が企業に感じる不信感を払拭するための方策というのが見えてくるだろうか。

・・・うーむ、なんとなく望み薄な気もするのだが、一度真剣に考えてみても良いのかもしれない・・・。

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コメント

スピリチュアルブームへの不信感については激しく同意します!!

そして企業が正統な利益を追求することはあたりまえのことで、CSRをブランディングとして利用するにしても、事業の延長上では正直なことやっていれば儲けて当然だと私は思います。

ただし、誇大広告や虚偽表示による消費者誤認がされていなければ...です。

JAROに引っ掛からないのだろうか~と悩むような怪しい表現は、正直いくつも見受けられるようには思います。。。多分そこが一番難しいところです。


投稿: プチeco | 2008年10月14日 (火) 12時54分

誇大広告や虚偽表示などの「情報」に起因するものは扱いが難しいですね。スピリチュアルのように形がないと考えると、同じようなものかもしれません。

一方で結局どこまで信じるのかはその人次第なのかな・・・という気がします。

最近は「信頼する」というのは、裏切られたときにもそれは自分の責任という覚悟があって初めて成り立つものなのではないかなんてことも考えていたりします。
(あ、でもそれでは一歩間違えばカルトか~。)

投稿: ProjectK | 2008年10月17日 (金) 23時12分

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