« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月28日 (金)

社会システムとしてのNGOの位置付け

昨日は外務省が主催する「NGOと企業のSR〜WIN-WINの関係を構築するアカウンタビリティとは〜」というセミナーに行ってきました。

いくつか印象に残ったことがあるのですが、個人的に一番考えさせられたのは、スピーカーの一人である長坂寿久拓殖大学国際学部教授が言われていた「戦後、日本は公私二元論で社会システムを作り上げてきたが、本来は公・公共・私の三元論での議論が必要だった」という話でした。
そのため、公=行政セクター、私=企業セクターだけで社会システムが構築されてしまい、公共=市民セクターの力が育たなかった、というのです。

そこで市民セクターとしてNGOのような存在が今後は重要になってくるし、行政セクターや企業セクターは彼らとの協働が必要になってくる、というのが長坂教授の方のおおよその主張でした。
(はっきり明言された訳ではないので、半分は私の解釈ですが・・・。)

先日読んだ「暴走する資本主義」でも、市民の力の衰退が訴えられていたと理解しているのですが、主張としては似たようなものを感じました。

ただ、講演後に長坂教授にも投げかけてみたのですが、スッキリとしない部分もあります。

それは市民セクターのガバナンスはどのように形成されているのか、という部分。

行政セクターは、選挙という形で社会の意思を反映させるシステムを持ち、社会から税金を集めて、サービスとして還元するという仕組みを持っています。

企業セクターには、投資や購買により社会の意思を反映させるシステムがあり、社会に対してサービスを提供して対価を得るという構造があります。

ところが、同様に市民セクターの仕組みを考えようとすると、その根幹になっているシステムはなんだろうかという疑問がわいてきます。

長坂教授は、寄付やボランティアでの市民参加がそれにあたると言われていたのですが、それではあまりに社会システムとしての基盤が脆弱な気がするのです。
(もっとも、そうやってシステム構造が脆弱であるがゆえに支援が必要というのも、長坂教授の主張の一つでしたが・・・。)

戦後の日本では、社会の「公共」にあたる部分は「公」である行政セクターが担う、という教育がされてきたそうなので、あるいは単に私の勉強不足なのかもしれませんが、この部分をもう少し分かりやすくしていく必要があるのではないかと感じました。

NGO(というのはあくまで国連用語として使っているだけで、ここでいう市民セクターと必ずしも同一ではないようですが)は、どのように社会の意思を反映させるシステムを持っているのか、提供されるサービスのコストはどのように負担され還元されるのか。
その部分をもっと明確にしていく必要があるのではないでしょうか。

個人的に気になっているのは、こうした市民セクターの追求する「公共」が、いわゆる「良いこと」のような一定の価値観で語られるだけになっていることが多いことです。問題は何が良いかという価値判断が社会の意思の反映としてどのように行われているか、というプロセスの部分なのです。この構造が見えてこないことが、社会システムとして考えた場合の市民セクターの一番の課題なのではないか・・・そんな気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月27日 (木)

栄養バランス

ブログをHT1100からのメールで更新するようになってから、メールの下書きの形でメモをするようになったのですが、少し前のブログ用のメモにこんなものが残っていました。

「食事の栄養バランスは、一回でとる必要があるのか?」
「それにより利益を得るのは誰か?」

正直なところ、1回の食事で栄養バランスをとるのはかなり難しく、1日という単位でさえかなり意識する必要があります。

問題は、それを意識するあまり、1食あたりのカロリーが過剰になってしまうこと。実際高齢者の食生活は、カロリーを気にして必要な栄養の不足に陥る場合と、栄養バランスを気にしすぎてカロリーオーバーになる場合とに二極化しているという話を聞いたことがあります。

実際のところは、1食毎の栄養バランスが少々崩れたぐらいで健康に影響があるケースは少ないのではないか・・・そんなことを考えたメモだと思います。
(メモは断片的なので、しばらく時間をおくと何を考えたか分からないようなものもあります。)

であれば、例えば1週間ぐらいのスパンで考えてもよいのではないか。一昨日や昨日に何を食べたから、今日は何にしようというバランスを考える程度でも、十分なのではないか・・・そんな気がします。

さて、ここからは少々ダークな想像。

消費者が毎回の食事単位で栄養バランスを考えるようになることで、メリットを得るのは誰かという話です。

それは栄養バランスを考えた食が健康につながると提案している食品企業自身ではないでしょうか。

例えば3日に1回程度の摂取でも十分なものを毎食摂取するようになれば、それだけ「食べてもらえる」ことになります。
さらに言えば、そうした「バランス栄養食」(注:特定の某食品を意識してのものではなく、栄養バランスに配慮した食事という意味です)は、家庭で作るのは以外に難しい。先に書いたように、それを意識するとどうしても過剰カロリーに陥りがちです。栄養バランスは完璧でも2人前・・・では、健康に良いかどうかは甚だ疑問です。

私を知っている人には「お前が言うな」と言われてしまいそうですが、企業の儲け云々はともかく、案外栄養バランスというのは気にしすぎない方が良いのではないか、という気がします。

もちろん、流動食とか医療食のように、食べられるものがある程度固定されてしまう場合には、単独での栄養バランスが重要になってくると思いますが、色々な食を楽しむことができるのであれば、トータルのバランスで考えてしまっても良いのではないでしょうか。

・・・というわけで、お昼を外食している私は、毎日なるべく別のジャンルのお店に行こうとしている、という話でした(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月26日 (水)

ほぼ日手帳のカバー復活

ここしばらくの間、ほぼ日手帳にはお手製のカバー(といっても紙を折っただけ)をつけていたのですが、久しぶりに純正(?)のカバーを復活させました。お手製のカバーだと鞄の中で開いてしまうからです。

前の鞄は入れたものがポケットごとに整然と並んでいましたが、今回の鞄はそうではないので、置き場が安定せず、ぐちゃぐちゃになってしまうのです。

鞄の問題はさておき、ほぼ日手帳のカバーを復活させることで、ペンの定位置も服のポケットからバタフライストッパーへ。ラミーのサファリとシャーボXの2本を差しています。
その他のペンを入れた筆入れはどうやら使いそうにないので、鞄の中からは撤退することになりそうです。

来年のほぼ日手帳用のカバーも注文し、あとは、シャーボXをプレミアムにして、スタイラスのリフィルを加えれば、手帳回りはほぼイメージ通りになるでしょうか。
あえていえば、ラミーのサファリをアルスターにして、少し高級感を出したいところです(笑)

しかし、そうなるとモレスキンの手帳とはさようならということに・・・しばらく使ってみて、サイズ的には良かったのですが、ほぼ日手帳よりインクがにじみやすいのは気になるところでした。とはいえ、買ってしまった手帳なので、もうしばらくは使い方を模索してみたいと思います。来年のオケ用にマンスリータイプも買ってしまったのですが、ほぼ日手帳に統一してしまった方が使い勝手も良いような気がして、さてどうしたものか・・・。

来週は12月に入り、来年のほぼ日手帳も使うことができるようになります。その辺りも迷いどころで、会社の決算に合わせると12月始まりというのが一番都合がよかったりします。
(さらに本音を言えば、異動の季節である10月というのが一番仕事の手帳的には良くて、モレスキンの18ヶ月を使おうと思ったのはそれが動機だったりします。)

まぁスケジュールはGoogleカレンダー+HT1100で管理しているので、手帳はあくまでもメモようなんですけどね・・・タスクリストに関しては、何かうまい管理方法はないかと模索ばかりしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月25日 (火)

鞄の使い勝手

久しぶりに仕事に使う鞄を変えてみました。以前使っていたイサブローのハードシェルタイプの鞄です。

ここしばらくエディーバウアーで買ったナイロン製の3ウェイの鞄を使っていましたが、パソコンを持ち歩かなくなったので、こだわる必要もないかなと。

イサブローの鞄は、元々パソコンを保護する目的で使っていたのですが、鞄自体の重量がそこそこ重くてしんどいのと、背負う以外に持ち歩けないという事情で、使用を断念していました。

冬場は背負うことが中心なのでまぁ良いだろうと考えたのですが、デザイン重視で選んだ鞄なので、使い勝手はかなりいまいちです。

まず、ポケットがほとんどない。インナーバッグを使いますが、それにしても必要なものを整理して持ち歩くにはあまりに不便です。案の定というか、前の鞄で定位置にいれていた社員証を入れるところがなく、うっかり外に出しておいて今日は忘れてしまいました。

自分の場合、使う使わないにかかわらず、一つの鞄に身の回りの必要な物を一通り入れておくという使い方をするので、収納用のポケットの数というのは結構重要だったりします。
正直な話、この鞄ではそうした使い方自体見直す必要があるかもしれません。

そこまでしてなぜ使うのか、と突っ込まれてしまいそうですが、実は先日同じ鞄を持っている人を見かけたのです。その鞄は傷だらけでよく使い込まれているのが感じられました。それで、ああこれぐらい使い込んでみたい・・・などと思ったのがきっかけだったりします。

その人は鞄自体にも少し手を加えているようでしたが、それぐらい愛着を持った使い方を(傷がつかないように気をつけるというのではなく、がんがん使うという意味で)してみたいなどと思ったのでした。

そこそこ高価な鞄なので、実際には傷がつくのはためらっちゃいますけどね・・・。

しばらく使いながら(いずれにしても背負えるのは冬だけなので冬季限定の鞄ではあります)持ち歩く物の見直しなどもしたいと思います。そろそろ手帳もほぼ日手帳かモレスキンか、どちらかに絞りたいところですしね。

※文体を変えてみました。元々こちらの文体の方が個人的には書きやすいのですが、独り言的なニュアンスが薄くなってしまうのでそうしていませんでした。しばらくはこちらの文体で、少し読まれる人を意識してみたいと思います。(内容が、ではないですが・・・。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月21日 (金)

多様性を考える上での男女の違い

昨日はたまたまハーストーリーの日野社長の話を聞く機会に恵まれたのだが、起業における多様性、とくに男女の違いを考える上でいくつかヒントをいただくことができた。

少し考えたことなどをまとめてみる。

一つは、特に男女の違いを考える時に、ライフステージとしての多様性と価値観としての多様性は切り分けて考える必要があるのではないかということだ。

女性のライフステージにおいて、出産というイベントは男性には経験し得ないものだ。これは男女の違いといて受け入れざるを得ないし、ではそのイベントを(企業としては)どのように生かすかということを考える必要がある。

一方、「女性ならでは」といった考えや価値観的な部分については、もう少し別の見方があるのではないか。あえて男女という属性を外してしまい、「合理性重視」「感性重視」といった思考様式の違いで捉えた方が、お互いを理解しつつ、双方の強みを生かす道を探ることができるのではないかと思うのだ。

ようは男女という物理的な差ではなく、脳における思考様式の差と考えるだ。もちろん、組織としての価値観を統一していくか、多様な価値観を重視していくか、というのはまた別の選択ではある。

二つ目は、いわゆる消費のスタイルにおいて男性は目的重視、女性は感性重視という話があったのだが(これも男女ではなく思考様式の差だが)、これはどちらが先だろうか、というのをちょっと考えてしまった。思考様式が先にあって消費スタイルが作られたのか、消費体験の積み重ねが思考様式を作ったのか、という話である。

消費(あるいは購買)という行為は、本能的というよりは社会的、文化的な行為だろう。むろんその際に本能をかきたてるような刺激を行うことはあるが、それも社会の枠組みにのっかってのことである。

そんなことを考えてしまったのは、最近は男性の女性化(ここでいう女性化というのは目的よりも感覚を重視するといった類の話だ)が、若年層において著しいという話があったからだ。これは、消費スタイルが男女に関係なく感覚型にシフトしているということであり、それは男女差よりも社会的な成熟度のようなものと大きく関係があるのではないかという気がしたのだ。そうした社会的な消費スタイルの刷り込みが思考様式を作っているのであって、思考様式が消費スタイルを作ったのではないのではないか・・・そんなことを感じてしまった。

三つ目は企業への女性進出と同様に、家庭(あるいは社会)への男性進出の必要性を真剣に考える必要が出てきたのではないか、ということだ。これは前から感じていることではあるが、企業としては、男性マーケットというのをどう開拓していくかということが求められるのではないか。

ここで注意が必要なのは、「男性」というのは、性別の話ではなく、先に挙げた「目的志向」だということで、現在の消費スタイルの主流が女性型(感覚重視)であるのであれば、逆に目的重視のマーケットを狙うという戦略もあるのではないかという話だ。

もちろんそうしたマーケティングは従来からやられていたと思うのだが、ここで考えたいのは、多くはターゲットにどうアプローチするかという話で、ターゲットをどう増やすかというアプローチはなかったのではないか。
ターゲットを増やすというのは、目的志向の(多くは男性の)消費者をどれだけ社会に生み出すか、という話で、変な話だが、女性の企業進出を進めた分だけ(その半分でも)男性の消費者進出を進めるというのが、企業にとっての市場拡大という意味でも必要になってくるのではないかという気がする。

まぁ、ようは男性にも消費の機会を与えていくような、ワークライフバランスを考えていく必要があるって話なのだが、自分達が消費の主体になるという考えにシフトできる男がどれだけいるだろうか。会社での購買活動だけで満足してしまっていてはダメなのよ・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月20日 (木)

信号を渡るおじいさん

ちょっと前のことなのだが、交差点に面したカフェにいた時に、その交差点を渡るおじいさんを見かけた。足が不自由なのか、杖をついて歩幅がとても小さい。

そのおじいさんがあわてて交差点を渡ろうとする。小刻みに歩む足元がもつれて、なかなか前に進まず、見ている方も気が気でない。

気持ちが追い立てられてしまって、逆に普段のように歩けないのかもしれない。実際、交差点を渡りきったあとは、落ち着いたのか歩みが安定し、歩幅も広がったような気がする。

気持ちがあせると逆に遅くなってしまうのかもしれない、などと感じたらしく、そんなメモが残っていた。

単にそれだけの話ではあるが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

電車で愚痴をばらまくオヤジ

オヤジと書いては世のお父さんたちに失礼かもしれないが・・・。

電車の中で酒の臭いをさせながら同僚に愚痴をばらまいているおじさんに遭遇した。念のために書いておくと、時間は19時前である。

そもそも大声だったのだが、耳に飛び込んできて気になったのは、「この俺に生意気な口をきく」という話をしていたからだ。だから「冗談じゃない」と。

その生意気な口をきいている相手がどういった立場の相手なのかは話の中からは分からなかったが、少なくとも電車の中でそんなことを大声で話すような人物は、軽く見られても仕方ないと思うぞ。

そのおじさんの目の前でHT1100を取り出し、ブログ用にメモをした考えられるリスクは3つ。

電車の中は誰が聞いているか分からないのはもちろん、こんな話をしていたら人格的に疑いを持たれるということぐらいは想像して欲しいものだ。それは時に会社(所属する組織)の印象にまで及ぶ。

まず、このおじさんは本人のいないところでは何を言うか分からないという恐ろしさを持っている。それも、本人がいないという以外は時と場所を選ばないということだ。

さらに似たような話だが、酒を飲むと何を言うか分からないという恐ろしさもある。端で聞いている限り、話を聞かされている同僚は若干迷惑そうではあったのだが、もちろんそんなことはお構いなしだ。
もっとも、それ以上に迷惑だったのは、自分も含めたまたま乗り合わせてしまった他の客なのだが。
(実際、電車を降りる際にそんな感じの視線を向けた客は何人もいた。)

そうした他人の視点に対する配慮が欠如しているというのが、最大の問題だろう。本人はともかく、彼を抱える組織にとっては、やっかいなことこの上ない。

そんなわけで、こんなおじさんに給料を払うぐらいなら、若い人を雇用してしっかり育てた方が良いですよ。○○さん。
(・・・と、会社名を挙げることができれば面白かったのだが、ちょっとそこまでは分からなかった。某スーパーチェーンの名前が出ていたので、メーカーも含めてそのあたりに関係する者だとは思うのだが、そうなると自分ともさほど遠くない可能性もあるわけで、少々情けない気にもなってくるのだ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月18日 (火)

来週の本番に向けて

ホールでの練習は気持ちよかったですね。贅沢な話ですが・・・。

今回は申し訳ないことに注意点のまとめを作っている時間がなさそうなのですが、とりあえず前回の練習で気付いたことなどを挙げておきます。

(中央アジアの草原にて)
・練習番号Eからの旋律は、一度音量を抑える指示がありましたが、萎縮しすぎているということで、もう少しのびのびと弾いてしまって良いようです。普段の練習と違ってホールではコールアングレの音があまり聴こえないことも一因だったかと思いますが、あのホールは木管の音は客席には飛んでいくので、バランス的にはもう少し弾いてしまってもよさそうです。
・また、前回か前々回ぐらいの練習で、この旋律に2箇所ある<をしっかり出すように言われていたかと思います。(弾いている最中だったかも・・・。)気持ちとしては、四分音符で音を抜かないことを意識すると、自然にそのようになると思います。

(眠りの森の美女)
・1曲目48小節の入りは、その前の木管の動きを少し気にしておいてください。若干テンポが乱れやすいようなので、その場で臨機応変に合わせて入るという気持ちが必要になると思います。
・2曲目47小節目のritenutoは、かなり意識しておかないとコンマスを追い越してしまうので、刻む弓の速度と量に改めて注意をしてください。
・同じく2曲目60小節からですが、楽譜上は音量に変化がないのに、かなり「雰囲気で」音量が上がっているのが気になっています。ひたすら音量維持という必要はありませんが、楽譜上の指示ではないことは頭にいれておいて、少し控えめにしてみてください。
・5曲目109小節からのpizz.ですが、Vnの旋律ではなく木管に合わせるように指示がありました。そういえば「ピアニストがみたピアニスト」の中に、ハイドシェックの演奏スタイルとして、オケ側のテンポをきっちり固めた上で、ソロが自由に動き回るスタイルを好んだという話があったように思います。同じように考えると、伴奏パートをしっかり固めておけば、旋律と若干ずれていても、それはむしろ音楽の自由さを感じさせるものになる、ということだと思います。というわけで、なにがあろうと木管とのアンサンブル死守という姿勢で望みましょう。(正直私もVnに合わせようとばかりしていましたが・・・。)

(交響曲第5番)
・全体に強弱の幅はもう少しあってもよさそうです。ホールだと自分の音が孤立して聞こえやすいので、怖い部分もありますが・・・。
・前回注意した1楽章練習番号Mの前は、今回は大丈夫だったと思います。この調子です。
・一方でMの方は若干走ってしまっていたように思いました。八分休符をもう一度確認してください。
・2楽章の旋律は気持ちよかったですね。特に最後を弾ききった後の残響が・・・。木管の動きもよく聞けていたと思います。
・2楽章練習番号Hの後のPiu mossoは音の長さを指示されましたので、再確認しておいてください。気持ち長めに、あまり抜かないように弾いてください。
・3楽章はまだテンポがうわずっています。楽譜にしっかり書いておいてください。あるいは楽譜を見ずに指揮者を見てください。特に中間部は3拍子が感じられないように思います。
・4楽章は音の最後に気を抜いてしまうことがないように気を付けてください。全体にもう少し音の最後まで張りを維持できるように注意すると良いかもしれません。
・4楽章のAllegro vivaceへの入りですが、そんな余裕はないかもしれませんが、コンマスをみると全身全霊をかけて指揮者のテンポを感じ取ろうとしていることが良く分かります。(そもそもほとんど楽譜を見ていませんが・・・。)つまりはそういう部分ということで、これは気にしておいてください。(例えば練習番号Yの後はしっかりアインザッツをだしていますが、この部分ではそれをしていたら乗り遅れてしまうのです。そうしたことをオケ側が感じ取って、コンマスの一挙手一投足に注意を払う必要があります。)
・4楽章の最後は息も絶え絶えですが、練習番号Bbの直前の八分音符の動きはしっかり出せるようにしておいてください。主役は金管ですが・・・。同じように、Ddの二分音符も長くしっかり音を出していく必要があります。音の後半で<するようなイメージでしょうか。

それでは、あとはゲネプロ(ゲネラル・プローべだとハーモニーにありましたね)と本番ですが、楽しくがんばっていきましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月17日 (月)

ココログ以外の更新

このブログの更新はHT1100でできるようになってきたので、そろそろ他の日記などの更新方法についても考えてみたい。
結構更新が滞っているのだ。

まず、ENIGMAへのエントリーの一部とリンクを載せているmixiの日記については、リンクを諦めれば携帯から転送の形での投稿できる。多少手間だが、会社や自宅のパソコン以外から投稿するには他に方法がない。これはしばらく試してみることにする。

会社からは投稿ができなくなってしまったはてなダイアリーへは、メールを利用することにする。これは会社からでもできる。
(会社でやる是非について言えば、もともとイントラネットにコラムを投稿する際の元ネタ用のニュースクリップとして使っているのだから、これは勘弁して欲しいところだ。やるのは昼休みだが・・・。)

問題はココログで立ち上げている残りの2本のブログだ。メールでの投稿では、メインであるENIGMAしか選ぶことができない(はず・・・)。

一つははてなダイアリーに投稿しているニュースクリップの最終版(イントラネットへの公開版のコピー)だから、はてなに移行してしまっても良いだろう。日付のことだけ考える必要があるが、普段投稿しない土曜日などにすれば良いかもしれない。

問題はもう一つのCSR日記だが、実はこちらはそもそものエントリー自体ができていないという事情もあったりする。これも元は社内向けの勝手メルマガなので、会社で書いているのだが、その時間が最近確保できていないのだ。書く時間だけでなく、ネタさえ集めきれていない。

そうなると、根本的に考え直してしまっても良いのかもしれない。語り口が違うので、別のブログにしていたのだが、一緒にしてしまって全く悪いわけではない。会社からではなく、HT1100から書くようにした方が自由度が得られるかもしれないのだ。
(もっとも、現実には朝ならともかく、夜にかくのはまず無理だったりするのだが。)

これも携帯からの転送にしてmixiの日記で、という方法もないわけではないが、できればテーマとしては他とは別にしておきたいという気持ちもあったりする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月14日 (金)

会社のパソコンの耐えられない重さ

このところ会社のパソコンの動作の鈍さに悩まされている。

メールの署名を呼び出すのに10分以上かかっていては仕事にならないのだ。

という訳で今日はまっすぐ会社に行って考えられるメンテナンスを行う事にする。

HT1100でブログの更新ができるというのは、こんな時に便利だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月13日 (木)

先週の練習についてのパート内への連絡

先週の練習はいかがだったでしょうか。本番まであと少しですが、体調を崩さずに頑張っていきましょう。

先日の練習で気付いたことなどを挙げておきます。

(中央アジアの草原にて)
パート練習でもお話ししましたが、この曲は情景を思い浮かべながら他のパートに耳を傾けると楽しくなります。
アジアの隊商に比べて歩み(テンポ)の速いロシア兵の歌が、重なりあううちに揺ったりとした響きになっていたり、当初はゆったりとしていたアジアの隊商の歩みは逆に少し速くなっていたりといったところも感じ取れると良いかもしれません。

(眠りの森の美女)
この曲は元々は芸能的な要素があり、ドラマ性を重視しているので、強弱のコントラストはもっとはっきりとつけた方が雰囲気が出ます。1曲目の後半の難しいところなどは、もっとささやくような音色でも良いと思います。(ちなみにどんな旋律かその場で聴く余裕はなくても、イメージはしておいてくださいね。)
それから最後のワルツの冒頭で、少し追い立てるような切迫感があったのがちょっと気になりました。ストーリーとしては、王女の誕生日を祝う村娘の踊りの「登場の」場面で、どちらかというとゆったりと登場する場面なので、音にはもう少し柔らかさが欲しい気がします。ffからpへの>ですが、交響曲1楽章116小節のsfのような鋭さは必要ありませんので、登場を盛り上げるようなその後の息の長いクレッシェンドをもう少し意識してください。
(冒頭以外の付点四分音符で音が弛むことはないので、長いクレッシェンドができるようにかなり慎重な弓のコントロールが必要です。)

交響曲は大分まとまってきた(前半の方が怪しい)と思いますが、いくつか。
(1楽章)
練習番号Mの1小節前がバイオリンとかみあっていませんでした。あちらの食いつきが遅いのか、こちらの飛び込みが速いのかはっきりしないのですが、アップボウが続くので、飛び込んでしまっているのかもしれません。最後のレの音に入るタイミングを少し狙ってみてください。(気にしていれば大丈夫だと思います。)
練習番号Bbから、少しテンポが弛んでしまっているようなので、最後までインテンポでいくためにこの辺りでもう一度気持ちを引き締め直してください。「終わった」という気持ちの弛みが音に出てしまっているのかもしれません。
(2楽章)
旋律のところは、大分木管を聴けていたかなと感じましたが、どうだったでしょうか。事前のイメージトレーニングだけでもかなり違うと思います。
108小節のTempoIで音が汚かったのは私です・・・音量は十分に出てきていると思いますので、次は音量を落とさずに響きを整えていきましょう。
(3楽章)
中間部のピチカートはまだ走っています。八分休符ですっと呼吸を整えることを意識してください。ただでさえ大変な木管をあおるようなことだけはやめましょう。
(4楽章)
・・・は前回あまりやっていないので、気付くというほどのこともないのですが、練習番号Iの前後やWの前後は、合奏前に一度思い出しておくと良いかもしれません。後は最後までの体力をいかに温存するかですね。

それでは、次回はホールで練習できる貴重な機会ですので、楽しんで練習していきましょう。ほぼ最後の練習になりますが、出席できない方はご連絡ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月12日 (水)

お前達にこそあげたくない

昨日は打ち合わせのため、朝イチで別の事業所へ行ったのだが、その道中、駅近くのパチンコ店に並ぶ大量の人たちの姿を見た。

「ああ、高額所得者よりも、この連中にこそ給付金は支給して欲しくないよ。」

そう思ってしまうのは自分だけだろうか。
実は個人的には所得で制限するという考え方で本当に良いのかという気がしているのだ。

給付金の目的は何か。

それは悪化する経済下で困窮する人たちを救済する「ことではない」。
経済対策として、景気刺激のために行うというのが、本来の目的のはずだ。

そういった意味では、冷たいようだが、給付されたお金を生活防衛に使ってしまうような人こそ、給付には意味がないのである。残酷なようだが、この給付金でプラスアルファの消費をする人たちに配られてこそ、それが回り回って経済浮揚につながる。

そうではないというのであれば、こんなバラマキはそもそもやめた方が良い。

高額所得者に不要というのは、お金はたくさんあるのだから支給する必要がない、という理屈ではなく、こうした人たちには給付金程度のはした金では消費刺激にならない、という理屈が必要なのだ。
そして、同じロジックを使うのであれば、普段の生活の延長で使ってしまう人たちにも不要ということになる。それでは景気刺激にならないからだ。

それが救済金的な色合いを帯びてしまっているのは、政治家によるパフォーマンスと支持集めにすり替わってしまっているから・・・というのは、あながち間違いではないはずだ。税金を選挙費用として投入するようなものである。

もちろん、こうしたことを正面から言ってしまえば、不評を買って支持率はがた落ちするだろう。政治家がそれを避けるのは当然の本能でだから、必ずしも一方的に非難できるものではない。むしろ国民の方にこそ、どう使うかという自覚が必要なのは間違いない。

せめて、ただばらまくだけでなく、領収書の提出による実費清算のような形にはできないのだろうか。期限と金額の上限をもうけた上で、一人一回領収書と引き換えに額面の金額を給付するのだ。

使い道への介入のようだが、そもそも税金は明確に使い道を明らかにして使うものだ。今回給付されるのは税金であり、たまたま使うのが市民であるに過ぎない。公務員と同様に領収書を提出するのは、別に理屈としてはおかしくない気がするのだが、どうなのだろう。どういった産業に給付金が流れたかが分かるので、効果もかなり測定可能だ。

もちろん、そういった形で使い道を探られたくない人は、それこそ給付を断れば良い。そういった人もいるだろうし、そういった人にまで給付を強制する必要はない。今回の給付金は、救済ではなく、景気刺激のための義務の側面があることは、もっと語られても良い。

そもそも、公務員の税金の使い道には厳しい目を向けるのに、市民が使う場合はなんの制約もないというのも、甘いではないか。

今回の給付金は、使い道こそ自由だが、形式的には公務員による経費使用と同じように扱った方が、性格が明確になって良いのではないだろうか。

さて、自分は何に使いますかね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月11日 (火)

ネタがないときに

ブログのネタがないときに何を書くか。

個人のブログでは適当に雑感を書けばそれなりに「個人的つぶやき」として成り立つのだが(それでも、ある程度テーマを絞ってオフィシャルに書いている場合はけっこう難しい)、会社のブログというとかなり困ってしまう。

そうは言っても、ある程度の頻度で更新をしていこうと考えた場合は、何がなんでもひねり出さなければならない時もある。昨日はそんな悩みで少々困ってしまった。

そうならないように、事前に準備をしておくのが「仕事」というものだが、準備感が見え見えの作られた内容にするというのも気がひける。いわゆるテーマコラムではないので、ある程度はタイムリーな話題に引っ掛けなければ臨場感がない。

まぁそれも結局準備していない事への言い訳かも知れないが、正直な話、準備を入念にするようなブログでは面白くないのではないか、という気もするのだ。
目的は(会社の)正しい情報を伝えるとか、(会社への)理解を深めてもらうということ以上に、素のままの「自分という担当者」をさらして人となりを知ってもらう(感じてもらう?)ことにある。そういった意味では「ネタに困っている」というのが、それなりに伝わった方が良い可能性もある・・・あまり露骨でも困るが。

ただまぁそもそも普段の心構えが甘いのも確かだろう。気になったら即座に飛び付いてまとめるようでないと、こうしたものは更新していけない。前もって準備をしないのであればなおさらだ。

ブログの更新って難しい・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月10日 (月)

たまには弾く位置の変更も

昨日は午前中はいつものオケの練習。午後からはエキストラで参加する別のオケの練習に行ってきた。

曲は実は同じだったりする。(全部ではないが・・・。)

いつもはトップの位置で背中に音を背負った形で弾いているのだが、エキストラの場合は後方になるので、周囲からの音の聴こえ方がずいぶんと違う。さらにチェロの配置も異なっていたので、ずいぶんと雰囲気が変わって聴こえた。
(ちなみに人数もかなり違う。これも音のバランスには大きな影響を与えているかもしれない。)

曲が同じということで、多少楽譜や解釈の違いに戸惑うところもあるのだが、むしろ少し冷静になって比較できたような気がする。

こういう経験も悪くない。

もう少し積極的にエキストラなどもやってもよいのかも知れないが、今回はたまたま楽譜を読む必要がなかっただけで、同時に何曲も抱えるのは勇気がいる。現実問題として、必要なだけの練習時間を確保するのは難しいからだ。

もっとも、一方である程度連続的に楽譜を読む数をこなしていると多少読譜力というか、初見がきくようになることも経験している。一人で練習しているとプレッシャーが足りないのだが、合奏などに参加すると、(周囲には迷惑な話だが)自分の練習としては結構意味があるのだ。

今日は毛換えのために弓を持ってきた。昼休みに会社の近くの楽器店に持ち込んで、久しぶりの毛換えをする。弦も張り替えなければいけないのだが、ちょっと時間がとれていない。本番が近いので、今週中か今週末には張り替えたいところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 7日 (金)

雑用に追われている

先週の週間報告を読んだ上司から「雑用に追われているようだけど」と言われてしまった。それらしいことを書いた自覚はなかったのだが、雰囲気として通じてしまったらしい。

雑用・・・という言葉は「雑な仕事」につながるのでよくないとは思うのだが、確かに追われている感じはある。あるいは本当に雑にこなせばもう少し手早く終わらせることができるのかもしれないが、そういった雑用としてはこなしていないから、他の事をする時間がなくなってしまうのだ。

それはどういった仕事だろうか、と整理してみる。

まず、行うタイミングが制限されている。つまり前もって計画的に、段取りよく済ませておくことができず、基本的には発生したその時にやるしかない。

そうであれば、その時間を前もって確保しておく、というのが基本だが、そういった類いの業務が一時期に固まってしまっていて、それしかできないようなタイミングが生じている・・・そんな感じなのだ。

次に、担当が変わったばかりで慣れていないということがある。自分の中でルーチン化されていないので、どうしても一つひとつ考えながら行ってしまうのだ。考えずに体が動くようになれば、ある程度の時間の短縮はできるかもしれないが、そう頻度よく発生する訳ではない業務を、それも他人の組み上げた手順でスムーズにこなすというのは、意外と時間がかかる。

多くの人が同じようにできるように標準化されるような業務ではないので、前任者の手順も「自分がやりやすいように」組み立てられたものにすぎない。自分なりの形に組み直すまでは、どうしても手探りに近い状態になり、結果滞ってしまうのだ。

とはいえ、もう少し計画的にやろうと思えばできないコとではないはずだ。なんとなく「できるはず」という甘えがあったことは否めない。ほぼ初めてでボリュームが見積もれていなかったことと、もう少し中長期的に組み立てておかなければならなかった仕事を同じ時期に集中させてしまったのは自分自身の責任だ。

考えてみれば、年間のスケジュール表も、せっかく書いたのにほとんど見ていない。そもそもそれが最大の問題かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 6日 (木)

入試の基準

昨日電車の中でたまたま隣の人が開いていた新聞の見出しにこんなものがあった。

入試に「服装基準」どこが悪い。

新聞はスポーツ新聞のようだったが、何かのコラムであったようだ。最近話題になった、試験では合格点を満たしていたにもかかわらず、服装による判断で合格を取り消していた学校の話だろう。

服装による判断というのは、多少乱暴ではあるが、ある種の面接のようなもので、それ自体は悪くはない。

ただし、事前にその旨が告知されていれば、の話だ。別にドレスコードを示しておけという話ではない。ふさわしい服装での受験を伝えて、それも合否の判断基準につながることを伝えておけばよいのだ。

個人の信条への干渉とか、思想のおしつけとか、そういった話ではない。ようはTPOをわきまえることができるかという話で、実際の評価基準が偏っていては問題だが、最低限の基準であればそれほど問題ではないはずなのだ。

もちろん、後付けのような理屈では通らないので、それらは事前に伝えられている必要がある。そういった服飾指定が納得できないというのはまったく別の話で、それならその学校を受験しなければよいだけの話だ。義務教育ではないのだから。

服装や態度も含めて試験で評価というのは、受験者にそうと認知されていればむしろユニークと評価される類の試験だと思うのだが、どうなのだろう。

ただ、公立の場合はそういった独自の評価方法自体が横並びで認められないんだろうなぁ・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 4日 (火)

食品添加物と化粧水

食物と一緒に体内に摂取される食品添加物と、皮膚を通じて人体に吸収される化粧品(美容クリームなど)について、人体の機能という側面から考えてみる。

消化器官は、人体に限らず生物にとっては本来異物である食物を、何らかの有効な形で吸収する機能を持っている。どちらかといえば送り込まれたものは無差別に吸収してしまうので、そこで添加物のような異物を極力排除したいというのは、ある意味自然な感覚であるかもしれない。

ところが、自然の機能として考えた場合、無差別に異物を受け入れる消化器官は、多少の異物の吸収には対応できる強さがあるはずだ。

それは器官内で消化してしまった後でも吸収しないためのフィルタリング機能かもしれないし、吸収してしまった後のなんらかの排泄機能かもしれない。だが、いずれにしても、すんなり摂取してしまった後も、その異物に問題があれば、なんらかの自己防衛機能が働くのは想像に難くない。

消化器官を通じて摂取された物質に対しては、人体の側に様々なバリアがあるのだ。

逆に皮膚はどうだろうか。

そもそも異物の侵入を防ぐ機能を持つ皮膚は、浸透させないことに最大限の力を注ぎ、浸透してしまったものに対しては意外と無防備なのではないか。

そして、そんな皮膚に浸透する異物は、最初から皮膚のバリアをすり抜けるような特性を持っているため、そもそも異物とは認識されない可能性もある。本来人体にとっては異物にも関わらずだ。

これは添加物が人体への「浸透」は目的とせず、そもそも異物として認識される可能性が高いのとはまったく逆の性質である。

いやいや、だからこそ試験に試験を重ねて安全なものにしている、というのが、メーカーの言い分だし、使う側の意識だろう。

しかし、同じ理屈が食品添加物には通じない。これは感覚的なもので、どうにも解決できないことなのかもしれないが、個人的には不思議な話である。もっとも、食品業界が化粧品業界ほど信頼されていないだけかもしれないが。

特に科学的な根拠はないので、悪しからず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »