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2008年11月28日 (金)

社会システムとしてのNGOの位置付け

昨日は外務省が主催する「NGOと企業のSR〜WIN-WINの関係を構築するアカウンタビリティとは〜」というセミナーに行ってきました。

いくつか印象に残ったことがあるのですが、個人的に一番考えさせられたのは、スピーカーの一人である長坂寿久拓殖大学国際学部教授が言われていた「戦後、日本は公私二元論で社会システムを作り上げてきたが、本来は公・公共・私の三元論での議論が必要だった」という話でした。
そのため、公=行政セクター、私=企業セクターだけで社会システムが構築されてしまい、公共=市民セクターの力が育たなかった、というのです。

そこで市民セクターとしてNGOのような存在が今後は重要になってくるし、行政セクターや企業セクターは彼らとの協働が必要になってくる、というのが長坂教授の方のおおよその主張でした。
(はっきり明言された訳ではないので、半分は私の解釈ですが・・・。)

先日読んだ「暴走する資本主義」でも、市民の力の衰退が訴えられていたと理解しているのですが、主張としては似たようなものを感じました。

ただ、講演後に長坂教授にも投げかけてみたのですが、スッキリとしない部分もあります。

それは市民セクターのガバナンスはどのように形成されているのか、という部分。

行政セクターは、選挙という形で社会の意思を反映させるシステムを持ち、社会から税金を集めて、サービスとして還元するという仕組みを持っています。

企業セクターには、投資や購買により社会の意思を反映させるシステムがあり、社会に対してサービスを提供して対価を得るという構造があります。

ところが、同様に市民セクターの仕組みを考えようとすると、その根幹になっているシステムはなんだろうかという疑問がわいてきます。

長坂教授は、寄付やボランティアでの市民参加がそれにあたると言われていたのですが、それではあまりに社会システムとしての基盤が脆弱な気がするのです。
(もっとも、そうやってシステム構造が脆弱であるがゆえに支援が必要というのも、長坂教授の主張の一つでしたが・・・。)

戦後の日本では、社会の「公共」にあたる部分は「公」である行政セクターが担う、という教育がされてきたそうなので、あるいは単に私の勉強不足なのかもしれませんが、この部分をもう少し分かりやすくしていく必要があるのではないかと感じました。

NGO(というのはあくまで国連用語として使っているだけで、ここでいう市民セクターと必ずしも同一ではないようですが)は、どのように社会の意思を反映させるシステムを持っているのか、提供されるサービスのコストはどのように負担され還元されるのか。
その部分をもっと明確にしていく必要があるのではないでしょうか。

個人的に気になっているのは、こうした市民セクターの追求する「公共」が、いわゆる「良いこと」のような一定の価値観で語られるだけになっていることが多いことです。問題は何が良いかという価値判断が社会の意思の反映としてどのように行われているか、というプロセスの部分なのです。この構造が見えてこないことが、社会システムとして考えた場合の市民セクターの一番の課題なのではないか・・・そんな気がします。

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