人類を滅ぼす戦いが始まる
先日ターミネーターのテレビドラマ版の宣伝ポスターに「人類を救う戦いが始まる」というコピーがあるのを見かけて、ふと「逆の視点で描かれていたらどんな印象だっただろうか」などと考えてしまいました。
映画版1作目のターミネーターでは、未来において人類を救う、すなわちマシンを滅ぼす存在となるジョン・コナーの存在を抹消するために、その母親であるサラ・コナーを抹殺するためにシュワルツネッガー扮するターミネーターが送り込まれます。
一方人類側は、マシンがそのために開発したタイムマシンを逆手にとり、ジョンの父となるカイルを送り込みます。マシン側にしてみれば盲点をつかれた感じですが、結果としてターミネーターはズタボロになって結局サラを抹殺できなかったばかりか、カイルとサラを引き合わせることでジョンを誕生させてしまいます。
(ターミネーターにあれだけ追い詰められる吊り橋効果がなけれれば、二人が結ばれたかどうかは甚だ微妙です。ターミネーターは恋のキューピッドの役割を担ってさえしまうのです。)
・・・まさに踏んだり蹴ったりです。
更に2作目では、捕らえられ改造されてしまった裏切り者まで登場し、ジョンを守ろうとします。しかもこの裏切り者は、あろうことか彼らマシン誕生のきっかけとなる(はずだった)1作目のターミネーターが残した貴重なパーツと研究資料を打ち砕き、自分自身ですら自らの意思で破壊してしまうのです。
・・・おそるべき人類の洗脳作戦です。
そもそもマシンに「人類を滅ぼせ」という目的を与えたのは、人類に他なりません。あるいはそこには「地球を守るためには人類抹殺もやむを得ない」という判断もあったかもしれません。
その「人類を滅ぼすためのための戦い」にいいところまでいきながら、ことごとく敗れてしまい、やがては自らが滅ぼされる運命にある「人類の落とし子」であるマシンというのは、描き方によっては悲哀と共に受け止めることが・・・まぁさすがに人類の敵となるとだめでしょうか、やっぱり。
ただ、「人類を救うための戦い」とは、言い換えれば「マシンを滅ぼすための戦い」でもあるわけで、そのあたり人類の側でも「産みの親として」共生を探ることはできないか・・・などと思ってしまったのでした。
(まぁそれでは物語にならないんですけどね。多少うがった見方をすれば「自分達が産み出したものが歯向かうのであれば、どうしようが自分達の勝手」なんて価値観もそこには潜んでいるのかもしれません。)
| 固定リンク


コメント