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2009年4月30日 (木)

ファイナンスの考え方におけるステークホルダー

CSRを考える上で、ステークホルダーは誰かというのは結構重要な要素だと思うのですが、ステークホルダーという概念自体はCSRの専売特許ではなく、より一般的な概念でしょう。

たとえばファイナンスの考え方においては次のように定義されているようです。

企業が利益を還元しなければならないステークホルダー(利害関係者)は、債権者と政府と株主の三者である。企業に対して最も強い権利を持っているのが債権者で、次が政府、そして株主がいちばん弱い立場にある。利益の還元は権利の強さの順に行われる。
(「MBAファイナンス」グロービス・マネジメント・インスティテュート/ダイヤモンド社)

債権者というのは借金、政府というのは税金、株主は・・・配当、ということになるでしょうが、その強さの順位はさておき、そこには消費者や調達先、従業員といった、CSRではお馴染みのステークホルダーは挙げられていません。

「そういう考え方が問題なのだ」と否定してしまって、CSRが定義するステークホルダーの考え方を押しつけるのは簡単ですが、それでは整合性がとれた主張とは言えません。そんな単純な感情論ではなく、論理的な構築が必要でしょう。これまで主張されてきた考え方もある程度包含できなければ、CSRは単なる絵に描いた餅に終わってしまいます。

おそらくポイントは「利益」の考え方にあるのでしょう。利益の還元において消費者や調達先、従業員が出てこないのは、企業が出す利益との関わり方が債権者や政府、株主とは違っているからです。彼らへの利益配分は実際には企業活動の中で行われているので、その結果生じるのがここで言う「利益」だとすれば、それを配分してしまっては二重取りになってしまいます。

それではお金を出した側は黙っていられないでしょう。企業の活動に資金を投資して得られるリターンを「利益」と定義するのであれば、確かに「利益の還元」において考えなければいけないステークホルダーは、挙げられた三者ということになりそうです。

ただ面倒なのは、消費者への「利益還元セール」のようなうたい文句や、もっと直接的には従業員への「利益配分としてのボーナス」といったものをどう考えるか、でしょう。現実には、これらはすべて株主たちへ配分される「利益」を算出する前に経営上のコストとして積み上げられているものだと思うのですが、言葉としては同じだけに少々やっかいです。

(以前にも書きましたが、AIGの幹部報酬の問題は、この部分が曖昧になっていることが原因のような気もするのです。配分が問題なく行われているうちは曖昧でもよかったのでしょうが、経済状況が厳しくなって奪い合いが激しくなると、こうした部分が問題になってくるということだと思います。)

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2009年4月28日 (火)

困りました・・・その2

冷静に考えると、とりあえずパソコンとして必要な部分はHP-Miniでもカバーできているので、音楽に関してはすっぱりとあきらめてしまうというのも一つの方法かもしれません。

・・・iPodはオークションか、下取りか・・・。

(今日はちょっと別の作業をしていたので時間がなくなってしまいました。)

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2009年4月27日 (月)

困りました・・・

再びLet's noteが沈黙してしまいました・・・。

多分ハードディスクの障害だろうと思うのは、CDからUbuntuを立ち上げると問題なく動くから。今のところはハードディスクにもアクセスはできるのですが、少なくともWindowsは立ち上がりません。

何が困るかといえば、すでに100枚以上録りためたiTunes上の音楽データが飛んでしまうことです。ハードディスクにアクセスしてデータを吸い上げても、著作権処理されたAACフォーマットのファイルでは意味がありません。ああ、せめてMP3にしておけばよかった・・・と思いつつも後の祭りです。

ハードディスクは交換したばかりですし、保証はきくと思うのですが、考えてみればLet's noteに障害が出始めたのは、Windows Mobileとの同期と手持ちのCDの取り込みを行うようになってからです。同じ使い方をする限り、負荷がかかりすぎて同じ末路をたどってしまうのかもしれません。

いずれにしても、仮にハードディスクが元に戻っても、同じ用途に使うのは怖すぎます。でもそうなるとLet's noteは使い道がないことになり、修理自体に意味が無いことに・・・。

それにしてもどうしたものでしょう。手持ちのCDを取り込むのはあきらめて、CDで聴く環境に戻せという天の声でしょうか・・・iPodも購入したばかりなのに(涙)

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2009年4月24日 (金)

複数のブログに同じエントリーをする場合

昨日のエントリーは、CSR日記にもエントリーしたのですが、トラックバックをするのにちょっとどちらからにしようか迷ってしまいました。

まさか両方からというのも・・・ねぇ。

その他、mixiの日記にも最近は同じ内容をコピーしているのですが、こうしたマルチポストはやっぱり面倒だな、と思ってみたり。

(mixiの日記はともかく)やはりブログはまとめたほうが良いのでしょうか。それとも使い分けるにしてもマルチポストにはしないのが良いのか・・・。テーマで使い分ければよいのでしょうが、なんとなくこのENIGMAにはすべて残しておきたいような気もするんですよね。
(もっとも他に統合していないものもまだありますが・・・。)

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2009年4月23日 (木)

エコ偽装にはどう対応するべきか

日立の冷蔵庫の「エコ偽装」で、サステナ・ラボにこんな記述がありました。

エコ偽装、今度は冷蔵庫
エ コを売り物にしているのですから、看板に偽りがあったらきちんと返品を受けつけるとか、そういう対応をしてくれるのでしょうか? 再生紙のエコ偽装の際、製紙会社や、その用紙を使用した紙製品は一斉に回収になりましたよね。今のところ不当表示についてお詫びを出しただけですが、今後どのように対応するのかウォッチが必要ですね。

もちろん、偽装は偽装(どうも問題は虚偽表示により誤解を招いたということのようで、LCA以外の環境性能などに偽りは無かったようなのですが)として、さて、こうした場合、返品により廃棄されたり回収ということになれば、環境には(特にLCA的には)さらにダメージを与えることになります。

それを企業の責任だからやむなしと考えるか、どういった解決方法が良いのか、企業と社会双方が次善の策を考えていくかで、サステナブルな社会の成熟度というのが計れるのかな・・・などとも思ってしまいました。
厳しいようですが、あだなおさんはコンサルタントなのですから、そこにこそ焦点をあてて、返品や回収などという安易な解決にこそ走らないような提案をしていく必要があるようにも思います。

たとえば今からでも何らかの形で削減したはずの分のCO2クレジットを付加するといったことは可能でしょう。失墜したブランドイメージを回復することにはなりませんが、少なくとも購入者が期待したのがCO2の削減効果ということであれば、オフセットという形で補填をし、その証明書を購入者に届けるといったやり方は考えられそうです・・・購入者が本当にCO2削減の実績を望んでいるのであれば、です。

難しいのは「だまされたから交換しろ」「弁償しろ」といった類の話です。だまされたことは確かに許せない。ですが、そこで交換や「別の新品に買い換えるための」金銭的な保証を求めるのだとすると、そもそもその人が「何を理由に買ったのか」が問題になってきます。
ランニングコストなどの環境性能に偽りがあった場合は若干事情は異なってきますが、今回の偽装が製造時におけるCO2削減だと考えると・・・どうなんでしょうか。

個人的には、専門家ほどこうした動きに対して冷静な対処を訴えていく必要があるかのように思います。返品や直接的な金銭保証が求められるのであれば、結局その人が求めていたのはエコではなかった・・・なんてこともありそうです。
(もっとも企業からすればクレジット相殺よりも返品や金銭保障の方が楽でしょうが・・・だからなおのことそうした安易な手段に走らせないことが重要なのかな、という気もします。)

再生紙の偽装があった時、会社では特に返品などはせず、在庫分に関しては使い続けました。コスト的な問題もありますが、返品すればさらに環境にやさしいかといえばそうではなく、むしろ逆の事態を引き起こすのは明らかだったからです。もちろん、その後も使い続けることはありませんが、特に環境品質クレームの場合、通常の製品品質クレームとは違った対応が求められるのかな、などと考えてしまいました。

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2009年4月22日 (水)

貧しい人が幸せになるための条件

しばらくメモ用に使っていたトラベラーズノートから、ほぼ日手帳にメモを書き写しているのですが、こんなメモがありました。

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貧しい人が幸せになるための条件

  1. 環境(きれいな水と空気)
  2. 平和、防災
  3. 健康、予防医療
  4. 教育
  5. 伝統文化

→「幸せ」になるためであって「豊か」になるためではない
→自分の力だけではどうにもならない
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我ながらみもふたもないことを書いているな・・・と思うのですが、こうした条件を、さもすばらしいことであるかのように、現在「豊かな」人たちが「貧しい」人たちに向かって言うのはどうなのか、と思ったことは確かです。

この条件は「貧しい人」が、「貧しいまま」で幸せになるための条件であって、貧しさから抜け出すための条件ではありません。この条件で幸せを感じるのは、貧しかろうが豊かだろうが一緒です。

もっとも、貧しいということは、こうした条件が整いにくい、ということは言えるかもしれません。ですが、であればなおさら、豊かであればそうした条件を整えやすいということになるので、やはり「豊かさ」というのは必要なことではないのかな、と思います。

もちろんそれは、「自分だけ豊かであればよい」という話ではありませんけどね・・・。

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2009年4月21日 (火)

ほぼ日手帳復活

なんだかいろいろと浮気をしたのですが、結局ほぼ日手帳に戻りそうです。

サイズがちと大きいという問題は解消されないのですが、小さくしても結局ポケットに入れることなく、「常に見る」手帳になっていないため、であればやはりほぼ日手帳の方が使いやすいという結論に達しました。

この半月ほどの紆余曲折はなんだったんだ・・・。

もっとも、他の手帳をしばらく使っていたことで、「ああ、ほぼ日手帳もこのように使えばよいのかも」と思うことがあったのも確か。そういった意味では多少なりとも価値はあったかもしれません。

というわけで、他の手帳にメモをしていた内容を、今からほぼ日手帳に転記したいと思います。他の手帳に切り替えた際に、それまでほぼ日手帳にメモしていた内容は書き写す余地が無かったのですが、さすがほぼ日手帳はキャパが違いますね。

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2009年4月20日 (月)

演奏会のお知らせ

このところ週末はオーケストラ関係の練習やらで音楽漬けになることが多いのですが、昨日も1日楽器を弾いていました。

午前中はいつもどおりのオーケストラの練習。ただし、本番で弾いてくださるソリストとのあわせなので、いつもとはちょっと雰囲気が違いました。

今回演奏するグリーグのピアノ協奏曲でソロを弾いてくださるのは高橋多佳子さん。今回で4度目の協演で、これまではラフマニノフ(2番、3番とパガニーニ)ばかりでしたので、他の作曲家では初めてです。ちなみに私が入団した最初の演奏会が、ラフマニノフの2番で初協演でした。

とにかく迫力が違うというか、あの細い体のどこにそんな力があるのかというぐらいパワフルな演奏でした。本番が楽しみです。

午後は、来週本番のバレエの伴奏のあわせがありました。毎年バレエ教室の公演に協力をしているのですが、今年は弦楽五重奏で伴奏します。

曲目は、モーツアルトのディベルティメントとアイネ・クライネ・ナハトムジーク、レスピーギのリュートのための古代舞曲とアリア第三組曲なのですが、モーツアルトはともかく、レスピーギは弦楽五重奏ではちょっと厳しいです。

しかも、バレエとのあわせの直前に演奏者が初顔合わせという状態。本来はオーケストラのメンバーで構成するのですが、今回はバイオリンがどうしてもスケジュールが調整できず(土曜日が本番というのがネックでした)、エキストラをお願いしたため、昨日と本番以外はあわせができないのです。

それでもなんとか「あわせる」ことはできましたが、バレエの先生からは「もっと情感たっぷりに弾いて欲しい」などと言われてしまいました。

こちらは来週の土曜日には本番です。もっとも、昨日あわせた感じからすれば、本番当日の練習で何とかなりそうな気配もありますが・・・当日の待ち時間だけはたっぷりとあるので(笑)

このバレエ公演のお手伝いが終われば、次は定期演奏会です。よろしければご来場ください。

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府中市民交響楽団第59回定期演奏会
「北欧のうつろい」

2009年5月17日(日) 13:30開場 14:00開演
府中の森芸術劇場どりーむホール(京王線東府中駅徒歩10分)

シベリウス:「カレリア」組曲作品11
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43

指揮:森口真司
ピアノ:高橋多佳子
演奏:府中市民交響楽団

全席自由 前売1,000円 当日1,200円

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2009年4月17日 (金)

収益を得るプロセスと還元するプロセス

昨日上司が知り合いの(多分海外の方の)話としてこんなことを言っていました。

「日本企業が、事業で得た収益から社会に貢献するのではなく、事業の目的自体に社会への貢献を掲げているのは、(資本主義の考え方からすれば)ユニーク。」

ああなるほど、と思ってしまいました。

欧米で(特に欧州で)CSRという考え方が台頭して、どことなくそれが日本では違和感を持って迎えられてしまうのは、実は根本的に企業に対する考え方が違うということなのかもしれません。

恐らく、欧米での企業のあり方というのは、基本的に収益を得ることが第一で、その収益の使い方において社会への貢献を考えるということなのでしょう。もちろん、収益を上げるためにどんな手段を使っても良いということではなく、そこには倫理観や公平性は求められるのでしょうが、少なくとも「収益をあげる」「(得た収益を)使う」が考え方として分かれていて、特に社会への貢献として考えられるのが「何に使うか」という視点なのではないか・・・そんな気がしました。

一方、日本では両者が分かれていないと言うか、得た収益を「どのように使ったか」ではなく、収益を「どのようには得たか」が問題になっているのではないでしょうか。

事業活動において、社会に貢献する、というのは「収益を得るプロセスにおいて社会に貢献する」ということです。一方欧米においては「収益を還元するプロセスにおいて社会に貢献する」が考え方のベースになっていて、それが寄付といった行為に表れているような気がします。

そこで最近のCSRの流れは、欧米において「収益を得るプロセスにおいても社会に貢献する」という考え方がクローズアップされてきた、ということかもしれません。

この分野は、欧米ほど体系付けられていないにしても日本においてはある程度一般的な考え方であるような気がします。少し変な言い方かもしれませんが、そうでない企業というのは、「悪い意味で半分欧米化されて」収益を得るプロセスにおける社会への貢献を考えなくなった(でも一方の収益を還元するプロセスでの社会への貢献という考え方には目をつむった)企業といえるかもしれません。

そう考えると、実は日本企業が考えなければいけないのは、欧米のまねをして「収益を得るプロセスを考える」以上に、「収益を還元するプロセスを考える」ことではないでしょうか。欧米では恐らく自然なこととしてあまり注目されていないその分野をしっかりおさえていくことが、意外と日本企業には求められていることかもしれない・・・そんなことを考えさせられた話でした。

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2009年4月16日 (木)

Googleカレンダーではなく、Notesのカレンダーを使う

会社で使っているグループウェアはNotesなのですが、個人的には自宅でもスケジュールが共有できるようにGoogleカレンダーを使っています。

・・・いるのですが、さて、タスクとなるとどうしようかという感じです。2週間ほどGoogleカレンダーにタスクを登録してみたのですが、振り返ってみるとごちゃごちゃしてしまって、カレンダー自体が見にくくなってしまうのです。使う時間を意識できるのは良いのですが、少しうっとうしい感じです。

また、先週ボスから「お互いのやっていることを見える化していきたい」という話があって、そうなるとちょっとGoogleカレンダーでは具合が悪い気がします。やはり会社であればNotesを使ってこそでしょう。

というわけで(どういうわけで?)今週はNotesのタスクをちょっと意識して使っています。クローズリストのようなイメージで、その日のタスクを1件ずつ登録。終わったものから完了していきます。基本的にカレンダーとタスクは公開しているので、(相手にその気があれば)やっていることも見える化できます。

基本的には会社でやることですし、会社を離れても考えるようなことでもないので、会社でさえ見られればそれほど問題は無いのです。もちろんスケジュールに関してはいつでも調整できるように持ち歩ける形でおさえておく必要がありますが、タスクに関しては大きな締め切り以外の細かいタスクは可視化と(仕事の)区切りとしての役割を示すことができればよいので、これで十分といえば十分です。

ただ、まだ課題は残っていて、たとえば「かかる時間」をどのように把握し可視化していくか、という問題があります。チェックリストはGTDのように「そのことについて一時的に頭から離してすっきるする」ためのモノですが、それを記録し可視化するということは、振り返って見直しにつながる必要があります。

タスクをスケジュールとして登録する方法もありますが、Googleカレンダーで試したとおり、少々ごちゃごちゃしてしまいます。特にマンスリーで見る時に、1日の登録件数が多いのでスケジュールが俯瞰しにくくなってしまうというのは結構しんどかったりします。

そういった意味ではあくまでもタスクとして登録するのが良いわけですが・・・時間に関しては頭に「1h」と入れるといった登録の仕方で工夫するしかないのかもしれません。

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2009年4月15日 (水)

トラベラーズノートはやっぱりちょっと使いにくい?

先日から使い始めたパスポートサイズのトラベラーズノートですが、やはりちょっと使いにくい気がします。サイズは問題ないのですが、ノートの綴じ方と皮のカバーの問題で、開きが悪い。パタンと開くほぼ日手帳に使い慣れた身からすると、少々というか、かなりストレスがたまります。

質感とか、持っている感じはいいんですけどね・・・。

そんなわけで、もう一度モレスキンのマンスリー(ソフトカバー)を引っ張り出してみました。何に使うというほど手帳に頼っているわけではないからこうしたことができるわけですが、ただ、モレスキンについても開き方はほぼ日手帳ほどではありません。

そうなると、やっぱりほぼ日手帳か、ということになりますが、やはりあのサイズと重さが・・・。ただ、メモやらそのほかの情報を書き留めるということを考えても、やはりほぼ日手帳が一番使いやすいような気も(特にこうやってブログで書き綴っていたりすると)します。

さて、どうしますかねぇ・・・。

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2009年4月14日 (火)

シベリウス交響曲第2番のスコアとの照合

昨日はイーモバイルを持ち出すのを忘れてしまい、鞄のパソコンが単なる重りになってしまいました。他に用途を持っていないので、ちょっともったいないのかもしれません。
(といろいろ考え出すと余計なことをしてしまうので、シンプルに使うのが一番だとは思いますが。)

さて、次回の定期演奏会(5/17)では、シベリウスの交響曲第2番を演奏するのですが、ここにきて、「意外にスコアとパート譜で内容に食い違いがある」ということが分かり、急遽新版のスコアを買ってチェックをしました。

パート譜はブライトコフで、自分が持っていたスコアもブライトコフだったのですが、どうも同じブライトコフでも新しい版では少し違っているらしく、指揮者の使っている新版スコアにあわせることにした次第です。(今頃ですが・・・。)

やはり、こういったことは最初のうちにきちんとチェックをしておかなければなりませんね。
というわけで、ちょっとそのメモを残しておきます。

続きを読む "シベリウス交響曲第2番のスコアとの照合"

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2009年4月10日 (金)

1日のバランスと週単位のバランス

ワーク・ライフバランスというのは、バランスをとればよいというものではないでしょうが、自分の時間を設計する上での一つの指標というか、考え方になるものでしょう。

先日「ワーク8時間、ライフ8時間、その他8時間」というバランスを何気なく書いたのですが、冷静に考えるとこれではバランスが取れていないことに気がつきました。

「ワーク」は1週間に5日間(会社は週休2日制)しかないからです(笑)

休日にもワークをするのであればともかく、休日はライフに充てるのだとすれば、平日はもう少しワークに費やしたほうがバランスが取れるということになります。杓子定規に等分する必要はもちろん無いのですが、休日の過ごし方とのバランスというのも考えてみたほうがよさそうです。

一方で、1日あるいは1週間、1ヶ月で労働時間というのは法律に規制されています。8時間×7日間=56時間というのは、労使の協定上はちと長い。残業という考え方もありますが、個人的に残業は試験時間の延長のようなものと考えているので、これはできればしたくない。

となると、休日に8時間「ワークのための」自己啓発に努めるか、平日に3時間(以上)自己啓発に努めるか、ということになるでしょうか。努めるというとなにやら苦しい感じですが、ようは「ワーク」のための勉強をするということで。

ちなみに、ワーク・ライフバランスの考え方では、「ライフ」をワークに活かせる自己啓発に充てると考える場合もあるようですが、個人的にはワークに活かせるスキルを磨くというのは、ワークの時間にあたるかな、という気がします。ただ、「会社で働く」のは8時間ですから、それ以上は自分にとってのワークの時間を充てるという事になります。平日に限定して1日3時間となるとかなりのことができそうです。
(逆に言うと、今はやっていないということだ・・・。)

仕事の残りをする残業ではなくて、未来のための投資をする、というと、きれいごとかもしれませんがなんとなく元気が出てくるような気がします。

一方で「ライフ」については、もう少し違った視点で何にどう(時間を)使うかということを考えてみても良いかもしれません。でもそうなってくると、ワークとライフの境目は何ということになって、意外と突き詰めると「趣味は持たず、すべては仕事」(by村上龍)ということになってしまうのかもしれません。

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2009年4月 9日 (木)

プロフェッショナルボランティアとアマチュアボランティア

4月11日発行の週刊ダイヤモンドの特集テーマは「社会起業家」でした。かなり力の入った特集で読み応えもあったのですが、個人的に一番考えさせられたのが、日本ホスピタル・クラウン協会のところにあったこんな一節です。

約五年にわたる活動が実り、「ホスピタル・クラウンになりたい」と大棟氏の元を訪れる人も増えた。この活動は「かわいそう」「どうにかしてあげたい」などの気持ちが先行しがちだ。しかし大棟氏は、「子どもにとっては質の高いクラウンと接することがいちばん。まずはプロになってほしい」と譲れない思いを語る。

ホスピタル・クラウンというのは、病院を訪ねて子どもたちを元気づけるクラウンのこと。確かに非常にプロフェッショナリズムが求められる領域ではあるのですが、実はボランティアには大なり小なりこうした性格があるのではないか・・・そんな気がしたのです。

別のページで、日本のNPOが抱える問題として寄付文化がないことが取り上げられているのですが、その中に社会起業を自認する経営者ほど寄付集めやボランティアの活用を避ける傾向があることが紹介されています。

「寄付やボランティアに頼るのはアマチュアのやること」というわけだ。

この両者を組み合わせると、実は「ボランティア」というのは、気持ちよりもスキルを持った「プロフェッショナル」であることが重要で、その彼らの活動を支えるために、気持ちだけの「アマチュア」は寄付をする・・・そんな構造こそが必要なのではないかという気がしたのです。

一方で、アマチュアほど「自ら行動すること」に価値を見出すことも少なくありません。ですが、気持ちさえあれば何とかなる、というのは、厳しい言い方ですが竹やりで敵機を落とそうとするような精神論に過ぎないかもしれない、ということも考えておいたほうがよさそうです。

ボランティアは、気持ちで論じられることが多いのですが、実は他で培ったプロフェッショナルスキルを提供するこそがその本質なのかもしれません。そうした前提の上で、スキルがない人間が自らの気持ちを金銭という形で表明するのが寄付という行為なのでしょう。

「お金」よりも「行動」が尊ばれる価値観の中で、そうしたことを訴えていくのは難しいことなのかもしれませんが、ボランティアを考える人は、気持ち以上に、「自分が提供できるプロフェッショナルスキルは何か」ということを冷静に見つめることが必要なのかもしれません。

もっとも、純粋にマンパワーを必要とするようなボランティアもあるので、一律に論じることはできないんですけどね。ただ、時として気持ちはあってもスキルのないボランティアは、プロフェッショナルの足を引っ張るだけになる可能性もあることは、肝に銘じておいたほうが良いのかもしれません。

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2009年4月 8日 (水)

今日は手短に

「ワーク・ライフバランス」という言葉を最近はよく耳にするようになりましたが、ライフというのは決して「休み」のことではないので、ワークもライフも充実させてしまうと、実は疲れてしまうこともあるのではないか・・・などと思う今日この頃。「ライフ」というのは「ワーク」ほど時間を固定できないので、タイムマネジメントも含めていろいろ考えることも多く、忙しかったりします。

そういった意味では、「仕事はそこそこで好きなことに時間を費やす」という生き方をしている人にとっては、「ワーク・ライフバランス」というのは、「もっと仕事をしろ」になってしまったりして・・・。

1日24時間の配分を考えた時に、ワーク12時間、ライフ12時間でバランスをとるのではなく、ワーク8時間、ライフ8時間、休みその他8時間ぐらいで考えておかないと、ライフと休みを一緒にしてしまったら休めるものも休めなくなるかもしれませんね。

「息抜き」っていうのは「ワーク・ライフバランス」における「ライフ」ではないよなぁ。

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2009年4月 7日 (火)

温暖化ガスの排出量はどこでカウントされているのか

昨日4月6日付の日経産業新聞に、鉄鋼、製紙、電機、自動車大手企業の2007年度の温暖化ガス排出量が掲載されていました。

掲載されていた企業を上位から並べてみると、

新日本製鉄:6,305万トン
JFEスチール:6,253万トン
住友金属工業:2,367万トン
日本製紙:731万トン
王子製紙:444万トン
大王製紙:379万トン
トヨタ自動車:198万トン
東芝:185万トン
シャープ:137万トン
松下電器産業:109万トン
デンソー:101万トン
日産自動車:82万トン
三菱電機:70万トン
日立製作所49万トン

そうそうたる数値ですが、ちなみに食品企業である自社の排出量を報告書で調べてみたら・・・10万トンにもはるかに及ばない排出量でした。

特に鉄鋼業界の排出量は圧倒的ですが、製紙業界もかなりの排出量で、世界のトヨタもかすんでしまうような差があります。こんな数値を見ると、10万トンにも満たない食品企業で排出量を削減する努力にまい進することにどれだけ意味があるのか・・・などという気にもなってしまいますが、本題はそれではありません。

まず一つ気になったのが、デンソーの101万トンという数値です。多い少ないという話ではなく、デンソーは自動車部品メーカーで、トヨタ自動車に多くの部品を納めているだろうという話なのです。

その場合、その「部品の製造」によって排出された温暖化ガスは、どちらの企業でカウントされるべきなのでしょうか。自動車を作っているトヨタでしょうか。部品を作っているデンソーでしょうか。

さらに突き詰めると、自動車に使われている金属を作るために、鉄鋼業界が排出した温暖化ガスはどうでしょうか。鉄なんていうものは、それ自体で使われることはめったになく、多くは何かに加工されるはずです。

上記のリストはおそらく加工した段階でカウントされているのだと思いますが、であれば、自社以外で加工して最終製品だけを作ることにした方が排出量が(その企業の見かけ上においては)少なくなるということになります。

それでは、それを国に当てはめて考えるとどうでしょうか。

「世界の工場」といわれる中国は、温暖化ガスの排出量も半端ではありませんが、一方で中国は今のところはまだ「世界の消費地」ではありません。今後はそうではなくなるかもしれませんが、現在はまだそこで作られた製品の多くは、日本や欧米など先進諸国に輸出され消費されています。

こうした「消費ベース」で温暖化ガスの排出量を測定し、削減目標を掲げるようにした場合、各国の思惑は結構変わってくるということはないでしょうか。少なくとも、生産を海外に移転して、自国は知識資産で勝負・・・といった戦略は国家レベルでは通用しなくなります。生産ではなく消費を見直すということに転じなければいけないからです。

たとえば、カーボンフットプリントなどの取り組みは、そうした「消費地で排出量をカウント」という考え方をベースに行うようにすれば、中国をはじめとした「生産国」は、競って取り付けるようになるのではないでしょうか。言葉は悪いですが、消費国に「押し付ける」ことができるからです。(逆に言えば今は押し付けられている?)

それとも、今でも各国の排出量はすでに「消費」ベースでカウントされているのでしょうか。そもそも「比較対象となる年」の設定だけでも大きく変わってくる温暖化ガスの排出量削減目標ですが、どこでカウントされるかというのも重要なのではないかという気がします。

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2009年4月 6日 (月)

CSRが階級社会を生む?

先週4月2日の毎日新聞に、中谷巌氏の寄稿がありました。内容としては日本社会と欧米社会の違いを階級社会という視点で比較したものだったのですが、その中に少し考えさせられた一節があったので、少し長いですが引用します。

日本企業の競争力は「現場力」にあるとしばしば指摘されてきたが、「現場」が強いというのは、日本が平等社会であり、一般従業員の「当事者意識」が高いという事実から生まれている。階級社会的な要素が少ない日本では、現場従業員に上から搾取されているという「被搾取感」が比較的少ない。だから、現場での仕事ぶりは意欲に満ちており、投げやりなところがない。これが「現場力」の源泉にある。(4/2毎日新聞17面)

も ちろん中谷氏は、日本にはまったく階級がない、ということを言っているわけではなく、欧米に比べて(アメリカも以前は奴隷制度がある階級社会で、その名残は今も残っています)その要素が比較的少ない、ということなのですが、そこで考えてしまったのが、欧州発の「CSR」という概念です。

たまたま先週はとあるアンケートの回答期限だったのですが、その中にステークホルダーエンゲージメントに関する質問がありました。経営に生かす形で、下記のステークホルダーとのエンゲージメントを行っているかという内容なのですが、もちろんそこには「従業員」も挙げられています。

欧米で、ステークホルダーエンゲージメントの対象に従業員が挙げられるのは、階級社会の考え方に基づいて従業員と企業とが峻別されているからではないか・・・そんなことをふと考えてしまったのです。

そんなことはない、と言い切れるほど、我々の多くは欧米の会社の統治構造を実感として知っているわけではないはずです。勝手に日本企業に置き換えているだけで、実はまったく別物かもしれません。
(余談ですが、外資系企業のやり方だから欧米流とも限りません。国内と国外でやり方を変えるというのは、日本企業だってやっているはずです。外資系企業のやり方は、「海外におけるその企業のやり方」であって、「自国におけるその企業のやり方」とは違うかもしれないのです。)

そうした「欧米の階級社会」に基づいた考え方を、「CSR」として日本に持ち込むことは、実は日本を欧米のような階級社会にする(それも歴史的背景により自然と社会がそうなったというのはではなく、考え方を輸入する形で人工的に社会をそうする)ということにつながるリスクがあるのではないか・・・そんな恐ろしいことを考えてしまいました。

(これまた余談ですが、欧米のNPOやNGOの多くは、知識層によって構成されていると思うんですよね。階級社会において知識層というのはトップエリートですからね・・・。)

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2009年4月 3日 (金)

CSRと教育支援

昨日はお誘いがあって急遽セミナーに参加しました。CSRと教育支援がテーマだったのですが、参考になる事例を聞けつつも、一番肝心な部分は「?」のままでした。

それはそうした企業による教育支援活動が、CSR(あるいはもう少し限定して社会貢献)なのか、広告宣伝なのか、という定義部分があいまいだったからです。モデレーターの方があえてそこに踏み込まなかったのは、その部分を話題にしてしまうと話がこじれるからではないかとも思いましたが、担当者としてはその部分は結構大きな悩みです。

ただ、一方で話を聞きながら、その境界は企業側にはどうやっても定義できないのではないか、とも思いました。どんなに企業がそれを社会貢献だと考えていても、受け取る社会がどのように考えるかはまた別の話です。一方で、企業としては広告宣伝(教育の場合は広報活動ぐらいの意味合いかもしれません)と割り切っていても、社会の評価は社会貢献、という場合もないとはいえないでしょう。

であれば、その点は細かく考える必要はないのかもしれません。活動自体を素直に眺めてその効果を評価すればよいことで、その意図が何であるかを問うてみても、結局その意図を受け取る評価の軸は人それぞれなのです。

もっとも、企業としてはそうした活動への評判が結局は自社の本業の活動にも影響してくるものなので、神経質にならざるを得ない側面もありますが・・・。

企業側の立場に立ってみると、自社の教育支援を「所詮は広報活動でしょ」と社会が判断するのであれば、企業の支援に頼らずに社会自身で教育をきちんとしてみろ、と言いたくなる部分もあるかもしれません。「社会的責任」の名目でそうした意図にまで干渉されるというのは、企業でなくともストレスを感じるはずです。

個人的には「教育」という若干上からの目線ではなく、相互に学習していく、というスタンスで関係を構築していけるとよいのではないか、とも思います。社会は企業から学び、企業は社会から学ぶ。NPOとの協働などはそうしたきっかけになるものですが、そうしたスタンスで考えると企業側は教育コンテンツを提供すると同時に、自社としては何を学びたい(情報を得たい、とかではなく)のかをある程度明確にしていくことが求められるような気がします。

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2009年4月 2日 (木)

協働のメリットは誰が考えるのものか

現在、あるNPOとの協働の企画を進めているのですが、その際のNPOからのアプローチが少し気になっています。

「企業にとってどんなメリットがあるのか」
「自分たちが何を提供できるのか」

そういったメッセージをこちらに伝えてくるというアプローチなのです。これまであまりNPOとの協働というものを考えたことはなかったのですが、こうしたアプローチに若干違和感を感じています。

企業との協働の際に、NPOが発する必要のあるメッセージは、

「自分たちのやっていることの意義や社会へのメリット」
「企業に提供して欲しいこと」

なのではないでしょうか。

そういえばと思って改めて振り返ってみると、これまで直接コンタクトのあったNPOの多くは、「企業イメージの向上」といった「企業のメリット」を語ることが中心で、自分たちの事業のインパクトの説明が薄かったような気がするのです。

NPOは企業にサービスを提供して対価を得るのが組織としての目的ではありません。NPOがサービスを提供するのは、あくまでもその対象となっているヒトやモノに対してのはずです。そして企業がNPOと協働する際に求められるのも、まずはその対象に対してどういったサービスを提供できるかであり、その上で(企業として)自分たちのメリットを確保していくことでしょう。

企業とNPOが協働を企画する際に、「NPOが企業にどんなメリットを提供するのか」ということを第一にして話を進めてしまえば、本来のサービス対象であるヒトやモノを「だしに使う」ということにもなりかねないのです。

一方で、NPOの方がそうしたアプローチをするのは、おそらく企業側がそうしたことを求めているからだろう・・・ということも想像できます。むしろ問題の多くは企業側にあると考えたほうが妥当です。

ただ、あえて言い切ってしまいますが、もしNPOが企業に協働を呼びかけた際に「企業としてのメリットは?」と言われたら、それはやんわりと断られているのだ、と考えてしまった方が良いような気がします。その協働に自社のメリットを見出すのは、NPOの役割ではなく、企業の仕事です。NPOの方がどんなに企業のメリットを訴えても、与えられたメリットでは、協働ではなく取引になってしまい、後はコストと提供されるメリットを比較するだけになってしまうからです。

青臭いかもしれませんが、やはりNPOが訴えるべきは自分たちの事業による社会へのメリットなのです。企業はNPOにお金を出すのではなく、NPOが行おうとしている問題解決にお金を出すのですから、その点をもう一度強く訴えて賛同を求めていくことが大切な気がします。

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2009年4月 1日 (水)

世間は新年度なので生活を見直してみる

普段使っている電車は7時15分ごろには新宿に到着するのですが、それでも今日の混雑は壮絶でした。私は始発なので座っているのですが、前の人はその上にのしかかるような状態。さすが新年度という感じですが、まだ新学期ではないんですよね・・・。高速道路を1000円にするよりも、こうした混雑を解消して欲しいとは思いますが、経済効果が期待できるわけではないので、仕方ないのかもしれません。それにしても朝早い人が増えているような気がします。

会社は決算期が異なるので、このタイミングで新年度ということもなく、新入社員が入ってくるぐらい(それも本社はほとんどなし)なのですが、世間的には区切りではあるので、少し生活の見直しなどを考えてみたいと思います。(見直してみる、ではなく、とりあえず考えてみる、です。)

まずは金銭面。

最近ちょっと気になっているのが、固定費としての通信費。携帯2台にイーモバイル、自宅にはケーブルテレビのインターネット環境があるのですが、さすがにちょっと高すぎるというか、金額に見合うだけの使い方ができていないような気がします。

イーモバイルはまだ契約したばかりで2年の縛りがあるため除外するとして、まずは考えたいのが2台ある携帯です。電話としては1台で十分なのですが、あまり使っていないHT1100の方が契約期間が長い(先日10年を超えました)ので、ついつい「もったいない」と思って解除できていません。

時々使うことがあるのがまた悩ましいのですが、携帯を2台とも解約することはできないので、解約するとなるとこちらでしょうか。一度解約してしまえば10年を取り返すことはできませんが、今だとあまりうまみはないかもしれません。
(先日プレミアムポイントサービスが最高ランクに上がったのですが、その際のキャンペーンにはiモードからでないと応募できないとかで、ポイントボーナスを獲得しそびれました。解約してもいいかもと考えるのはそのあたりも影響しているかもしれません。)

自宅のインターネット環境も、イーモバイルに全面切り替えするという選択肢もあるのですが、現在2台のパソコンが稼動していることを考えると、(値段的にもそれほど大きい訳ではないので)そのまま残しておいたほうが得策な気がします。

もう一つ悩んでいるのが、ずーっと継続して利用しているniftyのアカウントです。ブログなどでもお世話になっているのですが、あまり料金体系を見直したことがないので、今だともう少し安くできるのかもしれません。ただ、解約となるともろもろの連絡先とかの変更が面倒なので、できればそのまま使い続けたいところです。

光熱水道費に関しては、今のところ見直しの余地はなさそうです。

生活面とあわせて考えたいのは食生活。今は昼を外食にしていて、それはそれで楽しみなのですが、財布への負担は結構厳しいです。特にうちの会社は社員食堂があるので、それと比べれば一目瞭然でしょう。毎日社員食堂というのは若干つまらないのですが、外食は時々にしておくと実は健康面でも良かったりします。(社員食堂はローカロリーメニューなので。)

最近は、朝はバナナ(ダイエット・・・で始めてみたのですが、何しろ手軽なのでダイエットは関係なく朝食はこれで十分と感じています)なので、昼は少ししっかり食べておきたいのですが、問題は夕食。これが最近は乱れがちです。
飲み会とかがあるというわけではなく、夜を外食にしようとすると、お酒なしだと麺類や丼ものがどうしても中心になってしまうのです。昼は居酒屋ランチで、それなりにバリエーションがあるのですが、夜はチョイスが難しいですね。

後は自炊するか、ということになりますが・・・これも結構面倒で、ついつい外食頼りになってしまいます。これは見直す必要があるかもしれません。

取り留めのない内容でした。でも自己啓発面などについては、もうちょっと考えてみたいと思います。

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