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2009年6月19日 (金)

CSRレポートの位置づけをどう考えるか

社内にCSRレポートが浸透するに従って、掲載する内容についての意見をもらう機会も増えてきたのですが、そこで毎回苦労というか、説明に困ってしまうのが、いわゆるネガティブな情報の取り扱いです。

浸透してきたと言っても、それは「そういったものがあり」「自分たちの仕事なり、会社の役に立つ」という認識であって、その役割や位置づけまでが浸透した訳ではありません。そもそも巷のCSRレポートを見ても、そのスタンスは千差万別で、担当者としても「これです」とスタンダードを提示しきれない側面があります。
(「あの会社はこうだった」と言われるとそこで議論が終わってしまうのです。)

そうした「自分たちの会社のことを伝える」という側面に注目していると、ではなぜ自分たちがことさらに不利になるような、ネガティブなイメージに伝わるような情報を開示するのか、という話になってきます。このあたりはつきない議論ですが、個人に置き換えて「履歴書にどこまで正直に自分にとってネガティブな情報を書き込むか」と考えれば、少なくともその感情的な抵抗感はなんとなくわかるような気がします。

であれば、CSRレポートはそのように位置づけてはあまりよろしくないことになります。
ではどのように位置づけるのか。

あえていえば、「自分たちの行動に健全な批判をいただくための情報開示」と言うことになるでしょうか。

会社のことを紹介したいのであれば、会社案内に力を注げばよろしい。会社案内というのはまさに個人で言えば履歴書です。相手に批判をしてもらうことが目的ではなく、相手に知ってもらうことが目的なので、ことさらに伝えたくない情報まで開示する必要はありません。

そもそも多くの場合、相手もそのような情報開示は望んでいない場合も少なくないのです。
健全な批判をするというのは、精神的にも大きな負担を伴います。自分の感情で否定すればよいというものではないからです。そんなことまで求められても・・・というのが多くの人の反応で、そういった「制作者」「読者」双方の思惑もあってCSRレポートの多くがそういった「批判の呼び水」という内容にはなっていないような気がします。

でも、「批判をしてもらうための情報開示」と位置づけると、CSRレポートを制作するというのは非常に苦しい作業になります。誰だって自分から積極的に批判されたいとは思っていません。これは素直な感情です。総論としては理屈はわかっていても、ここの具体論に踏み込まれるのは避けたいというのが人間の感情でしょう。
(後から振り返ってその批判を受け止めることはできても、最初から承知でさらすというのは生半可な覚悟ではできませんし、個人であればまだしも組織となればなおのことそういったことには臆病になります。)

情報を提示するにあたっても、ついつい言い訳がましくなったり、できれば批判を受けずにすむようにしたいと思うのは当然の気持ちです。

これを乗り越えるのは容易ではありません。しかも担当者は、実際に批判を受けることになる各部門を説得して情報の開示を促す必要があるのです。自分が批判される立場に立つ方がまだましなぐらいで、担当者は「社会から批判を受けるために」「社内から非難されながら」レポートを制作していくことになります。

そんなことでもめるぐらいだったら、そもそもCSRレポートなんて作らなければいいのに、などとも思いますが、はてさて、CSRレポートを作ろうと考える経営トップというのは、そのあたりをどこまで自覚しているんでしょうね。読んで気持ちがいい情報開示をしたければ、先ほど書いたように会社案内を充実させた方がよほどよいような気もしますが。

・・・愚痴でした。

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