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2009年6月29日 (月)

なかなか弾けるようにならない

掛け持ちをしてしまっているためかもしれませんが・・・。

なかなか譜読みが進みません。もともとスロースターターで、曲が体に入ってくるまでは弾けるようにはならないのですが、それにしても進まないのは抱えている曲が多いためでしょうか。

一つひとつ片付けていくのが良いのでしょうが、なかなかそうも言っておられず、少しづつつまみ食いをしている状況です。

先週は平日もけっこう練習したんですけどねぇ・・・。

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2009年6月25日 (木)

なめているのはどちらか

自民党から出馬要請をされた東国原知事が、総裁候補とすることを条件に挙げたことで、自民党の党内からは「なめている」といった反発があがっているようですが、むしろ「なめていた」のは、選挙だけを目的に声をかけた自民党の方でしょう。冷や水を浴びせられたとでもいいましょうか。

例えばビジネスの世界でヘッドハンティングをする際に、「つきましては待遇は新入社員と同じでスタートしてください」と言われて転職を決めるとはとても思えないわけです。総裁(社長)はいきすぎとしても、なんらかのポストの提示なりがあって初めてこうしたオファーは成り立つものでしょう。
こうした候補者はいわゆる公認候補者とは意味合いが異なるはずです。

ですから少なくとも東国原知事の方は、自民党に対して真剣に自分の価値を認めることを求めているように思います。

もっとも、こうした要求は、これまでのタレント議員のあり方を批判するものでもあります。政治家になれればよかったんですか、と突きつけるようなものだからです。もっと自分の価値を認めさせる必要があったのではないか、自民党あるいは「政治家になること」に尻尾を振っただけではありませんか、と。

そういった意味では、反発も当然かも知れません。

ただ一方で、両者ともなめているなと思うのは、国民のこと。自民党は「人気者がいれば選挙を戦える」と考えているようですし、東国原知事は、自分の価値が政治思想や能力にあるのか、人気にあるのか、という点で、人気を売りにしようとしているからです。人気というのは、支持する人がいてなりたつものなので、それをポスト要求の根拠にするのは支持者への甘えのような気もします。

さて、どうなるんでしょうね。全国区や他の選挙区ではなく、宮崎選挙区から出馬して当選する自信があるなら、やってみたら、という気もしますが。

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2009年6月22日 (月)

しばらくお休み

どうもこのところ、アウトプットが出てきません。無理矢理にでも出すというのが個人的なポリシーではあるのですが、他に追われてインプットが足りていないのか、暑さにだれてしまったのか(笑)、書く気力が・・・。

しばらく放っておけば復活してくると思うのですが、その「しばらく」を確保するため、一旦毎日書くという自分なりの縛りをゆるめることにします。

案外明日にも復活するかもしれませんが(笑)

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2009年6月19日 (金)

CSRレポートの位置づけをどう考えるか

社内にCSRレポートが浸透するに従って、掲載する内容についての意見をもらう機会も増えてきたのですが、そこで毎回苦労というか、説明に困ってしまうのが、いわゆるネガティブな情報の取り扱いです。

浸透してきたと言っても、それは「そういったものがあり」「自分たちの仕事なり、会社の役に立つ」という認識であって、その役割や位置づけまでが浸透した訳ではありません。そもそも巷のCSRレポートを見ても、そのスタンスは千差万別で、担当者としても「これです」とスタンダードを提示しきれない側面があります。
(「あの会社はこうだった」と言われるとそこで議論が終わってしまうのです。)

そうした「自分たちの会社のことを伝える」という側面に注目していると、ではなぜ自分たちがことさらに不利になるような、ネガティブなイメージに伝わるような情報を開示するのか、という話になってきます。このあたりはつきない議論ですが、個人に置き換えて「履歴書にどこまで正直に自分にとってネガティブな情報を書き込むか」と考えれば、少なくともその感情的な抵抗感はなんとなくわかるような気がします。

であれば、CSRレポートはそのように位置づけてはあまりよろしくないことになります。
ではどのように位置づけるのか。

あえていえば、「自分たちの行動に健全な批判をいただくための情報開示」と言うことになるでしょうか。

会社のことを紹介したいのであれば、会社案内に力を注げばよろしい。会社案内というのはまさに個人で言えば履歴書です。相手に批判をしてもらうことが目的ではなく、相手に知ってもらうことが目的なので、ことさらに伝えたくない情報まで開示する必要はありません。

そもそも多くの場合、相手もそのような情報開示は望んでいない場合も少なくないのです。
健全な批判をするというのは、精神的にも大きな負担を伴います。自分の感情で否定すればよいというものではないからです。そんなことまで求められても・・・というのが多くの人の反応で、そういった「制作者」「読者」双方の思惑もあってCSRレポートの多くがそういった「批判の呼び水」という内容にはなっていないような気がします。

でも、「批判をしてもらうための情報開示」と位置づけると、CSRレポートを制作するというのは非常に苦しい作業になります。誰だって自分から積極的に批判されたいとは思っていません。これは素直な感情です。総論としては理屈はわかっていても、ここの具体論に踏み込まれるのは避けたいというのが人間の感情でしょう。
(後から振り返ってその批判を受け止めることはできても、最初から承知でさらすというのは生半可な覚悟ではできませんし、個人であればまだしも組織となればなおのことそういったことには臆病になります。)

情報を提示するにあたっても、ついつい言い訳がましくなったり、できれば批判を受けずにすむようにしたいと思うのは当然の気持ちです。

これを乗り越えるのは容易ではありません。しかも担当者は、実際に批判を受けることになる各部門を説得して情報の開示を促す必要があるのです。自分が批判される立場に立つ方がまだましなぐらいで、担当者は「社会から批判を受けるために」「社内から非難されながら」レポートを制作していくことになります。

そんなことでもめるぐらいだったら、そもそもCSRレポートなんて作らなければいいのに、などとも思いますが、はてさて、CSRレポートを作ろうと考える経営トップというのは、そのあたりをどこまで自覚しているんでしょうね。読んで気持ちがいい情報開示をしたければ、先ほど書いたように会社案内を充実させた方がよほどよいような気もしますが。

・・・愚痴でした。

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2009年6月18日 (木)

欠勤中に何をするか

こちらにブックマークをしたのですが、炎上に近い形で元のエントリーは削除されてしまいまして・・・。

で、大元のというか、発端となったニュースを見ていなかったので、改めて読んでみました。

スイスの女性、病欠中のフェースブック利用で解雇

ブックマークをしたときにちゃんと元ネタにも当たっておくべきだったかな、と反省していますが、この解雇のニュース、「病欠中に何をしていた」が問題ではなくて、「病気という欠勤理由が嘘だった」がポイントだったのではないでしょうか。

つまり「仮病」だった、と。

その証拠としてフェースブックが挙げられたわけですが、そこでフェースブックの方に注目してしまったために「欠勤中に個人的なことをしてはいけないのか」という方向に発展してしまった気がします。

もっとも、この記事からだけでは本当に嘘だったかどうかまでははっきりしないわけで、そのあたりは情報不足というかメディアのミスリードの可能性もあるわけですが・・・。

といって削除されたブックマーク先のエントリーに賛同する気は全くないんですけどね。もう一度内容を確認できないのではっきり言えませんが、そのエントリーが問題にしていたのも「欠勤中にしていたこと」が中心だったと思いますし。

さて、仮病による欠勤を理由に解雇できるか、というと色々なケースが考えられるので一概には言えないような気がしますが、欠勤自体は理由が何であれペナルティにつながりますし、評価の低下や長引けば解雇にもつながるはずです。

そういった意味では、このスイスの女性が「たった一度の欠勤(中のフェースブック)」で解雇されたのか、「欠勤が続いてまともに業務をこなしていない状態(の理由がフェースブック)」で解雇されたのかは、少々興味深いところです。

ちなみに有給休暇中だったらどうなんでしょうね。それこそ何をしても自由な気もしますが。

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2009年6月17日 (水)

鳩山前総務相の正義

鳩山前総務相が辞任会見で麻生首相の手紙を公開した件が物議を醸しているようですが、あれを見て、

「なんだこの人は別に正義でも何でもなく、上から言われたことに従って、さも自分が感じたかのように言っていただけか。」

と思ってしまったのは私だけでしょうか。さらに言えば、

「状況で方針が変わるのは十分あることなのに、最初の指示に固執して上司の思惑を計りかね、しかもその方針転換に逆ギレしたのか。」

ということにもなってしまうような気が。

そういった意味では、この一連の騒動が麻生内閣の支持率を下げたのは、西川社長云々ではなく、そうした

「勘違い部下を重要ポストに就けた。」

指導力不足を問われたと言うことなのかもしれません。巻き込まれて辞任を迫られている西川社長にしてみればえらい迷惑な話ですが。

それにしても何で「麻生首相も同じ気持ちだった」なんて言い訳をしたんでしょう。まぁ部下としてそれぐらい言ってやりたい気持ちはわからなくもありませんが、それを言った瞬間に自分の判断ではなく人の指示を受けての行動だったと白状するようなものなのに。

自分も仕事をする上で気をつけなければいけませんね。

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2009年6月16日 (火)

HP-Mini復活

ようやくHP-Miniが復活しました。細かい設定はこれからですが、とりあえずは使えるようになったので、いろいろと滞っていたことを進めなければなりません。iPhoneでメールはチェックしていましたが、さすがに返事はしんどかったので(笑)

とりあえず、復活にあたってふたたびWindowsXPにしてしまいました。やはりこちらの方が快適な気がします。

今日はテストということでここまで。

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2009年6月15日 (月)

自然を切り離して生きる

先週からどうにもパソコンの調子がよくないため、この週末に再セットアップをしていたのですが、結局終了せず、今日はHT1100を持ってきています。

ただ、このところいそがしいせいか、あまり書くネタを思いつきません。そこで社内向けに書いているこんなネタを。

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■未来の畑はこんな形?スウェーデン企業が「高層グリーンハウス」構想を発表
(AFP BB News 6/7)

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2609231/4233404

植物工場の話は、最近ではそれほど珍しくは無いような気もするが、そのスケールアップ版とでも言えるだろうか。

この記事の中でなるほどというか、少々考えさせられてしまったのは、この部分だ

> 土地に限りがあるので、都市の環境でくだものや野菜を栽培することが重要になるという。

そう、地球上の土地には限りがある。すべてを農地にすることは出来ない。

そもそも、農地に出来る土地というのは、多くの場合動植物の生存に適した土地だ。昨今流行のキーワードで言えば「生物多様性」に富んだ土地ほど、農地には適している。

多くの論者は、だから農業は大切だという。有機農法のような形で大地にダメージを与えないような農業をするべきだと。

しかし、農業はすでにそれ自体自然にダメージを与え、生物多様性を損なうものだ。日本における最大の外来種で、日本の生物多様性に最大のダメージを与えたのは、実は「イネ」と「水田」である。

農業はどんなに配慮しても、自然に手を加え、自然から収奪することに変わりないのだ。自然に依存する狩猟採取の生活とは決定的に違うのである。

であれば地球環境を守っていく上で人類に求められているのは、そうした「動植物
にとって住みやすい」土地を自分たちのために「配慮しながら手を加え守る」ので
はなく、そうした土地をとっとと彼らに明け渡して「人類のテクノロジーを持ってしか住めないような土地」を開拓していくことではないか。

植物工場の発想は、現在農地として使われている土地を自然に解放し、砂漠のような厳しい環境に生産地をシフトさせることを可能にする。その発想を延長させれば、人類の生活圏そのものをそうした「他の生物にはとても生存が不可能な」土地に移していくことも可能だろう。

多くの生物は環境に適応することで生存する。しかしその適応には限界があるから、生存可能な範囲にも限界がある。
人類は環境を自らに合わせて変えていけるほとんど唯一の生物だ(逆に言えば自らを変えて環境に適応する能力は弱いのかもしれないが)。その力を「今も住める所」ではなく「今は住めない所」に対して発揮していくことが、人類にとって最大の
生存戦略であるのかもしれない。
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まぁSFなどによく描かれているように、結局人類は自然を食い潰してしまってからしか、自然に依存しない(できない)生活にシフトするということはしないんでしょうけどね・・・。

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2009年6月10日 (水)

オーケストラ練習あれこれ

2日間ほどHP-Miniがイーモバイルを認識せず、外でネットにつながらない状態が続いておりました。昨日デバイスを再インストールして認識するようになったのですが、何が原因なんでしょうね・・・。

先週の土日は、土曜の午後に星の調べ、土曜の夜にアンサンブル・オレイユ、日曜の午前中は府中市民響の練習と、オケ三昧でした。もっとも、日曜の夜は「ハゲタカ」を見に行きましたが。

星の調べで練習しているファイナルファンタジータクティクスの楽曲は、編曲がブラスが中心となっているためか、弦がそれほど難しい(少なくともチェロは)訳ではないのですが、とにかく曲数が多いのと、時々かなりしんどいフレーズがあったりします。それと管セクションの編成が大きいので、弦が存在感を出すためには編成を巨大化するか音量をもっと出せるようにする必要がありそうです。

以前にも書きましたが、ブラスらしい基礎練習が合奏の前にあり、これがなかなか興味深いです。A-durというのが特にびっくりでしたが、考えてみればチューニングはAでやっているので、そこから音階練習をするというのは、意外と理にかなっているのではないか、という気もします。こういうのは府中のパート練習なんかで取り入れてみるとおもしろいかもしれません。

オレイユは、今のところはとにかく楽譜を読み込むのが精一杯ですが、再来週には弦セクションの練習があるので、一度きちんと譜読みをしておく必要があります。自分の場合、音が体に入るまではなかなか弾けないため、どうしても後半追い込み型になるのですが、早いうちに何とかする練習になりそうです。

楽譜が見にくいということもあって、とっさに読めないこともあるので、できれば暗譜に近い弾き込みをしたいところです。問題は時間が・・・。

府中は、コンサートマスターから「来週までにフィンガリングを提示せよ」という指示が出てしまいました。そんなわけで今週は楽譜と格闘しなければならないのですが、音を出せないので結構いいかげんなところもちらほら。

今週末に何とかするしかありませんね・・・。

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2009年6月 5日 (金)

義は美しいと我の合成

義という文字は「美しい」と「我」の合成で、己の生き様を美しくするものという意味なのだそうです。たまたま漫画で読んだのですが、そんなことを思い出してしまったのはこんなコラムを読んだから。

西日本高速道路会長CEO・石田孝 今こそ直江兼続に学ぶとき(Fuji Sankei Business i.)
http://www.business-i.jp/news/special-page/ronfu/200906010003o.nwc

こんなことが書いてあります。

現代の日本人に失われつつある“義”のすばらしさ、言い換えると他人を守るための自己犠牲を描いており、ぜひ、これを機に日本人は義を取り戻してほしい。

「他人を守るための自己犠牲」と「美しい我」・・・ずいぶんとイメージが違います。

義というのは、他人のために自分を犠牲にすることがポイントなのではなく、他人を守ると決めた自分の生き様を貫くことなのではないでしょうか。言い換えれば、その「決めたこと」は必ずしも「他人を守る」である必要はないわけです。

これを自己犠牲といった言葉で捉えてしまうと、ずいぶんと意味合いが異なってくるような気がします。日本人から義が失われたのは、自分を貫くことなく他人に迎合する人が増えたためで、その一因として安易に社会のための自己犠牲を強いる風潮がある・・・などという勘ぐりも成り立つからです。

コラム中、直江兼続についてはこのように書かれています。

・・・民・義・故郷への愛を貫いたといわれている。下克上の世の中で、「利を捨て、義をとった人」として、豊臣秀吉や徳川家康などからある種のおそれと評価を受けた人物だ。

ここでいう「義」はもちろん自己犠牲といった意味合いではなく、民や故郷への愛という自分を貫き、権力に屈しなかったという意味でしょう。

ちなみに「下克上の世の中で」利を追求するのであれば、秀吉や家康も蹴落とす相手であるわけで、そういった意味で彼らに「屈しなかった」というのは、なんだか意味深です。むしろ下克上という、権力のピラミッドが通用しない社会に忠実だったとも言えるかもしれません。(考えすぎ。)

いずれにしても、この方が言うように日本人は義を失っているのだろうと思いますが、それは「自己犠牲の精神」などではなく「己を貫く精神」でこそあって欲しいと思います。自分の生き様を貫く精神には、その自分を他人のために犠牲にするという考え方はないのではないでしょうか。

他人のためにその身を犠牲にする人間は、その他人である権力者にとっては好都合ですけどね。

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2009年6月 4日 (木)

企業の情報開示に何を求めるか

伊藤忠商事が、サプライチェーンのCSR行動指針となる「伊藤忠商事サプライチェーンCSR行動指針」を発表しました。

http://www.itochu.co.jp/main/csr/topics/2009/csr_090514.html

公開されている行動指針そのものは、それほど目新しいと言うわけではありません。おそらく策定している他の会社の指針も似たようなものでしょう。もともとそれほど独自性が出せる領域ではないからです。

個々の詳細の規定を見れば、そこでは企業や業種なりの独自色が出てくると思いますが、方針についてはそれほど「とがった」ものが打ち出せるわけではありません。

それでも、ちょっと気になったのが行動指針の最後の一項。

9.上記の各項目に関する情報の適時・適切な開示を行う。

こうした開示ポリシーを指針の中で宣言しているのは、少し踏み込んでいるというか、「何を開示していくのか」という興味をそそられます。「適時・適切」をどのように判断していくのか、ということです。

たとえば第一項「従業員の人権を尊重し、非人道的な扱いを行わない。」に対する適切な情報開示の内容とはどういったものでしょうか。そういったことが行われていないと担保できる情報開示にはどんなものがあるのか。改めて考えると難しい気がするのです。

「担当者が確認しています」では、担保にはなりません。「第三者が確認しています」でも、それだけで「情報開示」と呼べるのかというと少々気になります。その第三者の調査結果が「サプライヤーの名前も含めて」公開されれば、情報開示と言えるかもしれませんが、今度はそこまで踏み込んだ開示が適切かどうかという疑問が生じてきます。

このあたりは、伊藤忠商事がどう考えるかというよりも、社会が(市民団体や生活者一人ひとりが)何を適切な情報開示と考えるか、という答えを提示する必要があるように思います。それも自分たちの知りたいことはこれ、という個人的関心の領域ではなく、社会にとって有用かつ適切な情報は何か、という視点での答えです。

そう考えて自分を生活者に置き換えてみると、はたと迷ってしまいます。生活者の一人として、どんな情報の開示を自分は求めるべきだろうか。個人的関心ではなく、他者にまで敷衍するような関心事は何だろうか、と。

・・・そこには意外と教条的なレベルでしか考えられない自分がいて、情けなくなってしまうこともあるのですが、我々は企業に対してどのような情報開示を求めていけばよいのでしょうか。

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2009年6月 3日 (水)

HT1100とiPhone

今日はHT1100から。iPhoneを使うようになると、こちらの利用機会がぐんと減る(というか求める部分が同じなのでほとんど使わなくなる)わけですが、Bluetoothのキーボードが使えるというのが、大きなポイントだったりします。

ただ、定額料がけっこうバカにならないので、料金プランについては見直しを考える必要があります。問題はこいつは無線LANなどが使えないので、ソフトウェアのアップデートなどがあると一気にパケットが跳ね上がる可能性があることなんですよねぇ。

さて、iPhoneですが、昨日は帰り道に突然フリーズしてしまい、たまたま(?)近くにあったアップルストアに飛び込んで診てもらうというハプニングがありました。電源が入らなくなる形のフリーズで、リセットも効かない状態だったのですが、電源に繋ぐとなんとかなるようです。
(ちなみにリセットの方法もそのとき知りました・・・。)

帰宅後にGoogleカレンダーとの同期に挑戦し、無事成功。アドレス帳の同期先がGmailの連絡先になってしまいましたが、案外その方が使いやすいかもしれません。

その後、これまでiPod classicに同期させていたビデオをこちらに切り替え。サイズが大きいためか、ちょっと時間がかかりました。今後増やした場合に全部を同期させていたらあっという間に容量がなくなりそうで、こちらは選んで同期させる必要がありそうです。

Xactiで撮影したビデオをそのまま取り込むことができるので、少し練習などに活用してみたいと考えています。

その後、いくつかのアプリを、とりあえず無料のものを選んで入れてみました。どれだけ使えるかはまだ未知数ですね。

いずれにしても、持ち歩く小物が変わってくるので、少し使い方(使い分け)を整理していく必要がありそうです。

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2009年6月 2日 (火)

iPhoneにしてしまいました・・・

長らく続いたdocomoとのつきあいを終了し(といってもまだ1回線残っていますが)SoftBankに切り替えてしまいました。先日「様子見モード」と書いたような気もしますが、なんとも節操ない・・・。

実は先月中に切り替えるつもりで、最終日に動いたのですが、諸事情により切り替えは昨日。MNPで切り替える場合、予約番号というのが必要らしいのですが、2回線のうちの主回線に設定している方を切り替えようとしたため、まず主回線と副回線を入れ替えてから・・・とやっているうちに、なんとなくテンションが下がってしまい、昨日になったという次第です。

実際には昨日の夜からなので、昨日はメールの設定と自宅内での無線LANの設定ぐらい。一応PCと接続してiTunesとの同期も行いましたが、そのあたりはまだ手探り状態です。

これまでメインで使っていた携帯を切り替えたことになるので、まずは早急にアドレス帳の整理をしなければなりません。どうやらWindowsのアドレス帳と同期ができるようなので、なるべくそちらを使う形で整理をしていきたいと思います。
(ちなみにいわゆるアドレス帳を移行するサービスは使いませんでした。こういう切り替え時にしかアドレス帳の見直しをしないものですから・・・。)

次はカレンダーのことを考えなければいけませんね。

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2009年6月 1日 (月)

土日の練習

土曜日にアンサンブルオレイユの練習、日曜日は府中市民響の練習と、これから毎週末は土日ともオケの練習があります。府中市民響はともかく、オレイユは毎回(ほぼ?)飲み会付きで、さすがに毎回は考えていませんが、体力的にどこまでいけることやら・・・。

この週末の土曜日は、オレイユの初練習でした。20世紀以降の音楽しかやらないというポリシーを持つオレイユですが、今回はイギリス特集。ティペット、ブリテン、ヴォーン・ウィリアムズ、モーランといった作曲家が並びます。

聴いた感じは結構耳障りも良く、なじみやすいかと思ったのですが、聴くと弾くとでは大違いで、やはり一筋縄ではいきませんでした。ほぼ初見に近い状態ではありましたが、あえなく撃沈といったところです。ただ、一度演奏して雰囲気もつかめたので、これからは練習がしやすくなります。

もっとも、来週の練習までにその時間が確保できるかどうか、といえば微妙ですが・・・。

日曜日の府中市民響は、次回定期演奏会に向けた新曲の譜読み。先週はショスタコーヴィッチの交響曲第5番の譜読みでしたが、今週はベルリオーズのローマの謝肉祭と、カバレフスキーの道化師の譜読みです。

ちょっと(かなり)反省してしまうのは、ローマの謝肉祭を(初見なのはさておき)あまり聴いていなかったこと。楽譜だけでなく、音楽のイメージもさっぱり頭に入っていなかったため、これまたさんざんな結果になってしまいました。これまた練習できるかどうかはともかくとして、よく聴いておく必要がありそうです。

一方道化師の方はそこそこ。こちらは少しさらえば弾くだけは何とかなりそうなので、何か別の課題を設定したいところです。

さて、パート練習も考えなくてはいけませんね・・・。

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