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2009年6月15日 (月)

自然を切り離して生きる

先週からどうにもパソコンの調子がよくないため、この週末に再セットアップをしていたのですが、結局終了せず、今日はHT1100を持ってきています。

ただ、このところいそがしいせいか、あまり書くネタを思いつきません。そこで社内向けに書いているこんなネタを。

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■未来の畑はこんな形?スウェーデン企業が「高層グリーンハウス」構想を発表
(AFP BB News 6/7)

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2609231/4233404

植物工場の話は、最近ではそれほど珍しくは無いような気もするが、そのスケールアップ版とでも言えるだろうか。

この記事の中でなるほどというか、少々考えさせられてしまったのは、この部分だ

> 土地に限りがあるので、都市の環境でくだものや野菜を栽培することが重要になるという。

そう、地球上の土地には限りがある。すべてを農地にすることは出来ない。

そもそも、農地に出来る土地というのは、多くの場合動植物の生存に適した土地だ。昨今流行のキーワードで言えば「生物多様性」に富んだ土地ほど、農地には適している。

多くの論者は、だから農業は大切だという。有機農法のような形で大地にダメージを与えないような農業をするべきだと。

しかし、農業はすでにそれ自体自然にダメージを与え、生物多様性を損なうものだ。日本における最大の外来種で、日本の生物多様性に最大のダメージを与えたのは、実は「イネ」と「水田」である。

農業はどんなに配慮しても、自然に手を加え、自然から収奪することに変わりないのだ。自然に依存する狩猟採取の生活とは決定的に違うのである。

であれば地球環境を守っていく上で人類に求められているのは、そうした「動植物
にとって住みやすい」土地を自分たちのために「配慮しながら手を加え守る」ので
はなく、そうした土地をとっとと彼らに明け渡して「人類のテクノロジーを持ってしか住めないような土地」を開拓していくことではないか。

植物工場の発想は、現在農地として使われている土地を自然に解放し、砂漠のような厳しい環境に生産地をシフトさせることを可能にする。その発想を延長させれば、人類の生活圏そのものをそうした「他の生物にはとても生存が不可能な」土地に移していくことも可能だろう。

多くの生物は環境に適応することで生存する。しかしその適応には限界があるから、生存可能な範囲にも限界がある。
人類は環境を自らに合わせて変えていけるほとんど唯一の生物だ(逆に言えば自らを変えて環境に適応する能力は弱いのかもしれないが)。その力を「今も住める所」ではなく「今は住めない所」に対して発揮していくことが、人類にとって最大の
生存戦略であるのかもしれない。
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まぁSFなどによく描かれているように、結局人類は自然を食い潰してしまってからしか、自然に依存しない(できない)生活にシフトするということはしないんでしょうけどね・・・。

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