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2009年8月10日 (月)

日本に寄付文化が根付かない理由

先週の金曜日に「社会起業支援サミット2009in東京」というイベントに行ってきました。

10団体がプレゼンテーションを行ったのですが、その内容はおいおい紹介していくとして(と書いて紹介したためしがないような気もしますが)、最後にプレゼンテーションを行った株式会社ファンドレックスの方が、会場内に日本と欧米で寄付文化が違うのはなぜか、という趣旨の質問をされていたので、その時に思いついたことなど。

以前書いたような気もしますが、日本は「お金の稼ぎ方」を問題にし、欧米は「お金の使い方」を問題にする文化があるのではないか、というのが個人的な考えです。

稼ぎ方に注目するというのはどういうことか。適切に稼ぎ、「儲けすぎない」という抑止力が働くということです。言い換えれば、生活水準にあわせた稼ぎ方を是とし、働きにみあった対価であることを良しとするわけです。

すると、寄付ができるほど「稼いでいる」というのは、生活水準を越えた稼ぎということになり、それが「働き以上の対価を得ている」という見方につながるため、そういったことに抑止力が働くようになります。

さらに「働きにみあった対価」という価値観が進むと、どんなに稼いでもそれは「働きにみあった」ものであって、自分で使って何が悪い、なぜ寄付という形で社会に分け与えなければいけないのか、という考えにもつながるでしょう。貧困層に自助努力を求める傾向があるのも、「働かざるもの食うべからず」と、みあった働きをしていないから稼げないのだという意識がどこかにあるからではないでしょうか。

また、寄付を受ける側にしても、「汗水垂らして働いた対価ではない」という抵抗感が働きます。寄付をベースにするNPOではなく、ビジネスをベースにする社会起業に抵抗が少ないのも、そういった心理が働いているような気がします。

ではお金の使い方を問題にするとどうなるか。

稼ぎ方を問題視しない場合、働き以上の対価を得ることにも抵抗はなくなります。一方でたとえどんなに稼ぎが少なくても、それを「自分のためだけに使う」のは恥ずかしい、という意識が働くので、何らかの形で社会に還元することを考えるようになります。

また、寄付を受ける側にしても、問題は使い方なので、寄付者に感謝はしても、寄付を受けた自分に後ろめたさというのはないはずです。稼ぎ方ではなく、使い方に誇りを持っているからです。

企業の社会貢献活動に対して、どことなく色眼鏡で見てしまうのも、その稼ぎに「正当なものではないのではないか」という心理が働くからです。免罪符という捉え方はまさにその最たるものでしょう。
「宣伝のため」という捉え方も、「働き以上に稼ぐため」という捉え方になります。

さらに言えば高級ブランド(モノそのものの価値以上に対価を得られる商品)がなかなか日本では育たないのも、(特に売る側に)そうした付加価値を上乗せすることへの抵抗感があるのではないか、という気がします。ここで問題なのは、(海外ブランドに飛び付く)買い手である消費者以上に、(日本ブランドを育てる)売り手である企業の側にそうした意識があるのではないか、ということです。

もちろんこうした「まっとうな稼ぎ方を是とする」考え方が悪いわけではなく、欧米でもそうした考えは徐々に広がっていて、それがCSR調達のような形で顕在化しているように思います。

一方で日本では、「どう稼ぐか」以上に「どう使うか」という視点での成熟が必要で、寄付文化というのはそのバロメーターになるのではないかという気がします。

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