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2009年9月30日 (水)

演奏会終了その2

昨日に引き続き、今日は運営面について。
正直な話、弦楽器のパートリーダーと運営面のお仕事の掛け持ちは厳しいと改めて実感しましたが、それはさておき、来年からはそれが当たり前の状態になるわけで、なるべくスムーズに運営できるように体制を整えていく必要があります。

今回改めて感じたのは、100人近いメンバーがいるにもかかわらず、意外と運営面に関心を持つ人は少なくて、放っておくと「演奏するだけ」で終わってしまう人がいること。アマチュアですからそれでは少々困るわけで、当日演奏だけに集中していて良いのはコンサートマスターぐらいにしておきたいような気がします。

ただ、ボランティアと同じで、自分では動けない人に動いてもらうというのは実は自分が動くよりも大変なことで、気持ち以前に知識とかスキルとか「何をすれば良いか分からない」という状態にしてしまっている、という点は改善していかなければなりません。

ここ数回、色々な人に役割を割り振ってきたことで、徐々に負担の分散が進んでいますが、これはもっと推し進めていく必要があります。理想は直前ではなく、数ヵ月前から「次の演奏会のあなたの役割はこれです」と割り振ってしまうことでしょう。

そのためには、どんな役割が必要なのかをもっと明確にしていく必要があります。

今回は受付などの表側を中心に取りまとめをさせてもらったのですが、大きくは5つのセクションがあると考えると良いようです。

・お客様誘導
・受付(もぎり、プログラム配布)
・受付(花束、差し入れ)
・ドアマン
・その他(問い合わせ対応などもろもろ)

また、今回は無料の公演だったので、受付の範囲内でなんとかなりましたが、有料の場合はチケット販売や取り置き対応が加わります。

一番難しいのは、これらを団員でまかなおうとすると、1曲目のプログラム次第でまったく手が足りなくなってしまうこと。今回は1曲目の編成が大きかったこともあり、かなりギリギリの運営だったことは間違いありません。

最終的には、アンケートなどの評価を見てみないと今回の布陣でしっかり回っていたかどうかは分からない部分もあるのですが、今後は選曲との兼ね合いなども考えていく必要があるような気がします。

それと今回の演奏会の要項やスタッフの調整などは企画係で担当したのですが、会場とのやり取りやタイムスケジュールなどは会場係が中心となって調整をしているため、若干無駄があるように思いました。定期演奏会の運営は会場係に集約し、企画はその他のイベントの運営というように役割分担をするのが良いのか、その辺りはもう少し整理する必要がありそうです。

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2009年9月29日 (火)

演奏会終了

府中市民交響楽団の演奏会は今回も無事に終了しました。

(でも「無事じゃない」演奏会ってどんな演奏会なんでしょうね・・・。)

演奏面、運営面、色々と気づいたことはあったのですが、まずは演奏面から。

今回の曲はかなり仕上がりが遅れていたことを指摘されていましたが、最終的になんとかなったのは、最後の追い込みの効果でしょうか。特に直前の1日練習が連休の最終日の水曜日となったため、中二日でゲネプロ、本番となだれ込んだ事が大きかったのではないかと思います。

結局のところ、学生(やプロとも)違うのは、楽器に触っている時間がどうしても限られるため、一週間のブランクで結構忘れてしまうことがおおいためのような気がするのです。個人でさらうにしても、できる人できない人はいますので、練習の間隔が短くなったことで「忘れなく」なることは大きなポイントだと思います。

もう一つ感じたのは、「言われればできるのに言われないとできない」という点でしょうか。最初の通しではできていなくて、指摘されてもう一度繰り返すとできることが結構あるのです。(もちろん何度やってもなかなかできないところもあります。)

これは先の「忘れている」ことも大きな要因だと思いますが、それだけでなく、どことなく「受け身」になってしまっていることが問題のような気がします。最初は何となくの感覚で演奏してしまい、一度指摘されると「そうだった」とばかりに修正するのは、ちょっと演奏する立場としては情けないような気がします。

こうした部分は、普段の練習の段階から、自分たちがどのように弾きたいかということを常に考えていく事で培われるように思います。ただ、そのためには(パートリーダーあるいは演奏委員として)どのように練習を組み立てていったらよいかについては、何か画期的なアイデアがあるわけではないのですが・・・。

もう一つ、今回の中プロは組曲だったのですが、指揮者には「組曲は各曲ごとの性格を切り替えて演奏するのが難しい」と言われていました。そして実際に曲間で次の曲の振り始めを反芻していたのが印象に残っています。

交響曲では間をとった後、構えて振り始めるのですが、組曲ではその間の間に指を動かしながら次の曲のリズムを思い出しているのです。

プロですらそのようにしているわけで、おかげで自分も曲間で次の曲の冒頭を頭の中で歌ってから臨むようになりましたが、これはこうした組曲をやるときには重要なポイントではないかと思いました。アンサンブルオレイユの曲はほとんど組曲だったわけですが、こうしたことができていれば、もっと曲同士の切り替えがスムーズだったように思うのです。

来年の秋はホルストの惑星に挑む訳ですが、これも組曲ですからこうしたやり方は身につけておきたいと思いました。(春はブルックナーの8番。)

さて、来週からは年末の第九に向けての練習です。楽譜も新しい版で、どこがどのように変わっているのかはまだ分からないのですが、気を引き締めて練習していきたいと思います。

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2009年9月25日 (金)

温暖化対策のビジョン

民主党がマニフェストに掲げ、鳩山首相が国連でも表明した「温室効果ガス25%削減」についてですが、正直なところ数値目標がどうこうというよりも、そのために具体的に何をしていく必要があるのか、そうしたビジョン、空想ではない現実的なビジョンをそろそろ提示していけないものか、と時々思います。

数値目標を掲げて、それについてああだこうだと言っている人たちを見ると、彼らはそれを言うまでが自分たちの仕事で、その先は自分たちには関係ないと考えているのではないか、と勘ぐってしまうのです。目標がどうあれ、それを達成できる具体的なプランを提示して初めて議論が始まるのであって、目標について議論をしても何も動かないような気がするのは自分だけでしょうか。

25%削減や80%削減という目標はビジョンでも何でもありません。その結果成立する社会の姿こそがビジョンであり、数値目標ではなく、そういった社会の姿が提示されてこそ議論がスタートするのでしょう。
耕作放棄地にソーラーパネルを敷き詰める、といったアイデアも、それが「たとえば」ではなく、ビジョンとして提示されなければスタートしない。こうしたアイデアを提示する人たちは、実現可能な道筋を示すことなく、「言うだけ」という印象が否めません。

もっとも、彼らが「言うだけ」だからこそ、こうした批判が成り立つのであって、実際に動き出せばまた批判自体の姿も変わってくるはずですが・・・。

とはいえ、現状を考えると、これまでリスクと危機感で成り立ってきた温暖化対策に、急にビジョンを示せというのも酷なのかもしれません。大体において、ビジョンは楽観論に基づく事が多く、そこにリスクなどの考え方を加えていくことで実現可能なプランになっていくものです。

一方で温暖化対策は悲観論がベースになっており、そこに無理矢理「バラ色の」ビジョンを加えようとしても無理があるのは目に見えています。さらに、危機感を基盤にしたプランは、大体においてその危機が目に見えてわかりやすいから危機感として成り立つ訳ですが、温暖化というのはその危機感が目に見えにくい。

ゆでがえるのたとえは、実際にそうなることが多いから成り立つたとえで、それを自覚できる人が多数派であれば生まれるはずのないたとえなのです。実際にゆでられているかえるには通じないからこそ、こうしたたとえがまことしやかに語られるとすれば、温暖化についても、同じ「ゆであがり」を迎える可能性が高いことは目に見えています。

そういった意味では、これまでとは違ったブレークスルーが求められる訳ですが・・・。

そうしたブレークスルーは、時としてそれまでの議論を全く無駄にしてしまう可能性があります。これまで危機感をベースに議論を続けてきた人たちにしてみれば、これまでの自分を否定することになるわけで、どうしても「できない」発想なのかもしれません。

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2009年9月24日 (木)

本番直前

今日は久しぶりにパソコンを持ってきています。(プライベートの)メールやらなにやら、今週末の演奏会に向けて空き時間にやらなければいけないことがあるからで、家に帰ってしまうとだらだらとやらなかったりするので、なるべく帰る前に済ませたいと考えています。

さて、昨日は本番直前の一日練習でした。疲れました・・・。

泣いても笑っても、インフルエンザに襲われても、後は前日のゲネプロと本番のみ。中二日でゲネプロ、翌日曜日が本番ですから、今から「弾けないところが弾けるようになる」ことを望むのは難しい状況です。

とはいえ、「すでに弾けるところを確実にする」のであれば、できることはありそうです。楽譜を再度見直すこともそうですし、昨日の練習を反芻して自分の間違えやすいところを再確認することもできます。

昨日の練習で言えば、途中で指摘されたように、テンションがあがったときに理性のたがを外さない、というのは練習してどうこうという領域ではないので、今からでも改善が可能な気がします。(逆に言えば練習を積み重ねても駄目なときは駄目な領域ということですが・・・。)

もちろん、テンションをあげることが問題なのではなく、冷静さを失うことが問題なわけですが、冷静すぎてもおもしろくない(そもそもアマチュアというのは、その「理性を失う」楽しさを追求しているような側面もあります)わけで、そのあたりのさじ加減はかなり微妙です。自分自身はといえば、一応冷静さを残しているつもりですが、やはりキレる瞬間というのはあって、後から「なにをやっていたんだ?」と思ってしまうこともあります。後から振り返れば分かりますが、キレてる瞬間は自覚できないのがネックです。

個人的にはコンサートマスターが信号機になっていて、彼が淡々と弾いている間は問題なし、アクションが大きくなってきたらオケ全体がコントロールを失いつつある(ので「自分を見ろ」という信号を発している)という判断をしていますが、一方でコンサートマスターに注目しすぎて他のパートとの連携を失ったこともあるので、そのあたりはもう一度どこでどのパートを意識するかというのを確認しておきたいところです。

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2009年9月18日 (金)

理想的な社会

来週とあるウェブサイトに掲載されるインタビューを受けることになっているのですが、その質問の中に「自身の考える理想的な社会はどんな社会か」というのがあり、少々困っています。

個人的にはあまり大上段な理想を抱いているということはなく、そもそも「理想」と呼べるような社会を思い描いているのか、と言われると困ってしまうぐらい「考えていない」のですが、インタビューですから答えは用意しておかなければなりません。

しかも基本的にひねくれた性格の自分としては、あまりストレートな答えをしたくないのですが、一方で(一応)企業の名前を背負ってもいるので、あまり意表をつく答えだと問題がありそうな気がするのです。

ただ、いずれにしても教科書のような答えはしたくないですね。それがいけないわけではなく、そうした答えを堂々と言える人はむしろ尊敬していますが、少なくとも自分のキャラクターではありませんし、そんな自分にとっては「借り物の答え」でお茶を濁すわけにもいきません。

そんなわけで考えるきっかけを得るために書き出してみたのですが・・・

・・・

・・・

・・・思いつかない。
本当に普段何も考えていないなぁと思います。

漠然と「信頼」のようなキーワードは頭の中にあるのですが、それはどちらかというと自分自身の(人としての)理想像のようなもので、それを社会に置き換えてどう消化すれば良いのか・・・もう少し取っ掛かりがほしいところです。

ブログなどを読み返しながら、連休中にちょっと頭の片隅に入れておく必要がありそうです。

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2009年9月17日 (木)

Diversity & Inclusion

昨日はナレッジマネジメント学会の多様性研究部会に出席してきました。CSRの世界で最近「多様性」といえば、生物多様性の議論が中心になっていますが、こちらは職場における多様性がテーマ。もちろんCSRにおいても大きなテーマの一つです。
ちなみに英語では、生物多様性が「Bio Diversity」であるのに対し、こちらは「Diversity & Inclusion」で、「多様性の受容」といった意味になるようです。

最近の多様性研究部会では、部会のメンバーがそれぞれ自分の考える「多様性」を発表してディスカッションを行っています。昨日も色々なディスカッションがあったのですが、その中でちょっと気になってしまったのが、アメリカ企業で多様性が言われだすきっかけになったという論文です。

Outcomes of Perceived Discrimination among Hispanic Employees:Is Diversity Management a Luxury or Necessity?,by Juan I. Sanchez and Petra Brock Academy of Management.1996

米国におけるヒスパニック勢力の拡大とそれによる市場の変化についての論文らしいのですが、その結果、従来の白人中心の市場構造(それもアメリカの場合日本と違って男性が購買決定権を持っているらしいです)が大きく変化する、ということが企業側の危機感となり、その対応策として、企業内における多様性の受容が叫ばれるようになった・・・というのです。

そこでふと考えてしまったのが、多くの日本企業がまだまだメインターゲットとしている日本市場には、どれだけ多様性があるのだろうか、という話です。細かいニーズが多様化していることは話題になっていますが、基本的な消費者構成が多様化しているとは言いがたいのではないか・・・そんな気がするのです。

多様性の導入、特に女性の登用に関する部分で、よく言われるのが、「市場は女性が中心なのに、企業が男性ばかりでは、そのニーズに対応できる訳がない」という話です。実際、「女性ならではの視点」で作られた商品のヒットなどが事例として挙げられたりします。

ですが、日本の企業は、従来も女性ばかりであった市場に男性がアプローチをしてきていたのです。そこには「市場が多様化する」というインパクトがあったわけではありません。従来と消費者の構成が変わらないのであれば、無理に組織を多様化しなくても、リサーチを細かくすれば十分対応できる、と考えるのも、合理的な判断でしょう。ほんのちょっとの細かいニーズに応えるために、組織構成を見直すのはリスクが高いからです。

アメリカ企業の場合は、まさに未知となる市場の拡大が、その未知を多様性として受容していく必要性を訴えていたわけですが、日本の市場にはそういった未知の構造の変化がないのです。

そう考えると、日本企業で多様性の導入がなかなか進まないのも道理と言えば道理で、実は社会や消費者の構成を変えるということが必要なのではないか・・・などとも思ったのでした。

余談ですが、日本企業で多様性を論じる時に、「多様性の導入によるイノベーション」なんて話が出てくるのも、市場が変わっていないのに、企業側だけが変化する「理由」を無理矢理見つけようとした結果の産物なのではないか、という気がします。みもふたもない話ですが・・・。

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2009年9月16日 (水)

ようやく音が体に入ってきた・・・かな?

先週の日曜日はパート練習を行ったのですが、自分は一応指導側ということで弾くことができません。一緒に弾いてしまうと聴いている余裕がなくなってしまうためです。

昨日はその弾いてない分を取り戻すために個人練習。ちょっと思いついて、iPhoneのボイスレコーダーで録音をしてみました。

・・・ちょっと悲しい。

録音だと体で感じているような楽器の共鳴はほとんど再現されないため、かなりのっぺりした感じになります。そういった意味でもがっかりする部分があるのですが、勝手な思い込みで「弾ける」と思っている気分を払拭するには良い方法かもしれません。iPhoneだと、その場で簡単に録音再生ができるというのも具合が良いです。(すぐ消去できるし・・・笑)

特に、弾けないパッセージは自分でも分かっているので練習するのですが、なんとなく弾けているつもりになっている部分を再確認するのに良いかもしれません。

それはさておき、そうした「残念な部分」をさしおいても、ようやく曲が自分の体に入ってきたかな・・・という様子。ただ、今月末には本番なので、完全にモノにするのは難しいかもしれません。演奏中楽譜に目を落とすことがほとんどない、当団のコンサートマスターのようになるのはとてもとても・・・練習不足と言ってしまえばそれまでですが。
(この間の通しでも落ちたし・・・。)

それでは、演奏会のご案内です。

府中市民交響楽団第60回定期演奏会

日時:9月27日(日) 13:30開場 14:00開演
場所:府中の森芸術劇場どりーむホール(京王線東府中駅)

曲目:
ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」序曲
カバレフスキー:組曲「道化師」
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

指揮:田部井剛
演奏:府中市民交響楽団

全席自由 入場無料

もしよろしければ足をお運びください。

ちなみに私は当日の運営方の取りまとめもやることになってしまったので、開場時には受付付近でうろうろしていると思います・・・。

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2009年9月15日 (火)

朝活

少し前のことになりますが、ANAクラウンプラザホテルの調査によると、朝の出勤前の時間を勉強や運動に活用する「朝活」を実施しているビジネスパーソンは37.7%にのぼったそうです。ちなみに男性の方が割合としては多いとのこと。

性別・年代別でみると30歳代男性がもっとも多く、20代男性、40代男性と続きます。

なるほどみなさん色々とがんばっているのだなぁと思ったのですが、その「朝活」の具体的な内容を見ると少々疑問が・・・。

仕事に直結する内容が上位を占めたということで、それ自体はその通りだろうと思うのですが、「メールチェックなど仕事の準備」(19.5%)って、それは「朝活」ではなく、「朝残」ではないでしょうか。

「新聞、雑誌をじっくり読む」(16.4%)も、50代以上くらいになると「朝活」という自覚なしに当たり前に読んでいるのでは・・・と微妙に突っ込みたくなってしまいました。

ただ、新聞・雑誌はさておき、メールチェック(もちろんこれは個人のメールではなく業務上のメールでしょう)などの「仕事の準備」を「朝活」としてしまうのはどうなんでしょうか。そういったことをするな、とは言いませんが、結局それを会社でやっていたら、それは「勉強や運動に活用」している訳ではなく、単なる残業の延長にすぎません。一方それらを自宅やカフェなどでやっているとしたら、情報セキュリティ上問題になるリスクを抱えることになります。

これは当人ではなく会社やマネージャーが考えなければいけないことですが、単純に「朝活」として歓迎してはいけないような気がするのです。

さて、自分にとって「朝活」というのは、このブログを書くことに他ならないのですが、あくまでも「朝の活動」であって「朝の活用」にはなっていないような気も・・・。
もっとも、そこを難しく考えてしまうと今度は続かなくなりそうなので、そのあたりはゆるめに考えてしまった方が良いのかもしれません。

さて、昨日は所用により休みをとったので、今日はちょっと早く会社に行って「朝活」をしましょうかね(笑)

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2009年9月11日 (金)

過熱するエコカー市場

昨日はアカデミーヒルズのセミナーに行ってきました。日経エコロジーの提携セミナーで、木野龍逸氏による「過熱するエコカー市場〜生き残る次世代車の条件とは?〜」という講演です。

会場もそれほど大きくなく、参加者もそれほど多いとは言えなかったのですが、質疑応答も含めてなかなか興味深い内容でした。
(失礼ながらこの手のセミナーには珍しく、質疑応答の質が高かったように思います。とんちんかんな質問がまったくありませんでした。)

個人的に一番興味深かったのは、EV、つまり電気自動車の話で、日本ではハイブリッドに圧されて目立たないEVが実は新興国で先に普及してしまうかもしれない、というものです。

EVというのは、構造がシンプルなため、性能を限定すれば実は比較的簡単に作ることができるそうです。ガソリン車などの内燃機関の車に匹敵する、あるいは上回る性能を引き出そうとすると大変ですが、そうでなければ新興国でも手に入るパーツや技術、設備で生産が可能なのです。

こうした新興国では、道路などのインフラがそれほど整っている訳ではなく、車が使用されるシチュエーションも限定的。街中の近距離走行が中心で、道路状態が悪いため速度を出せるわけでもないため、日本ではデメリットとして喧伝されているような、走行距離の短さなどがそれほど大きな問題にならないのです。

さらにインフラという点で言えば、日本のようにどこにでもスタンドがあるわけではなく、むしろ電気の方が整備されているとのこと。価格面でも、ガソリンが先進国並みの価格で提供されており、電気の方が断然安いのです。
(電気の方が安い、というのは先進国でも同様で、例えば三菱のiMiveの場合、フルに充電しても電気代は200円以下。そのためいわゆる「電気スタンド」というのは、緊急避難のためには必要ですがビジネスとしては成り立たないのではないか、という話もしていました。確かにその通りかもしれません。)

そんな訳で、気付いたら新興国の方でEVが発展していて、後から慌てて追いかけることになるのではないか・・・なんて話もしていました。

ちなみにEVを使うとなると自宅での充電が必要になってきますが、アメリカではガソリンスタンドでの犯罪発生率が高いため、この「自宅で充電可能」というのが、「スタンドに行かなくて良い」という意味で注目されていたりするそうです。

もう一つ印象に残ったのは、原油の入手が困難になるピークオイルがいつ来るかという話で、トヨタはすでに数年前から2040年頃にはピークオイルを迎えると考えており、最近ではダイムラーの副社長が、早ければ2020年にはピークオイルを迎えるかもしれないといった話をしていたそうです。

もっとも、そうは言っても、全面的に内燃機関車がなくなるわけではなく、どうしても必要な分野には残りつつ、次世代車が台頭することでバランスがとられていくのではないか、ということでした。

いずれにしても次世代車へのシフトは緊急の課題となっていて、EUでは2020年には95g-CO2/kmの排ガス規制が設けられるとされていて、これはガソリン車の燃費では24.8km/lという数値。これを企業の販売する全車の平均値としてクリアをしなければいけないため、EVなどの比率を高める(現状の内燃機関車の進歩だけではクリアがほぼ不可能)ことが求められてくるとのこと。

さてさて、そうなるとここ5年から10年ぐらいで、車も大きく変わりそうですが、であれば今のうちにもう一台ぐらい内燃機関車、それもあまりエコにはこだわらない車に乗っておきたいなぁ・・・何て思うのは贅沢でしょうか(笑)

余談ですが、「エコカー」というとなんとなくエコという言葉に踊らされているような気もするので「次世代車」と呼んだ方が良いのではないかな〜などとも思いました。

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2009年9月10日 (木)

MacBookを何に使うか

ここしばらくMacBookをメインマシンのように使っていたのですが、考えてみれば元々MacはiPodとiPhoneの母艦として音楽や映像を扱うためのもので、メールやネットに関してはWindowsを使うつもりだったのでした。

画面が大きくて使いやすいので、ついついMacBookを使う機会が増えていましたが、いざというときの持ち運びなどを考えると、もう一度HPやLet's noteをどう使うかを整理した方が良さそうです。無理矢理使い分ける必要はないかもしれませんが、データをどちらで保管するかとか、ふと気が付くと双方にばらばらにある状態が一番良くない気がします。
(すでにそうなりつつある気が・・・。)

あるいはネット上に保管するとか、そういったことを考えた方が良いのかもしれません。

いずれにせよ、3台を使い分けるのは結構難しい気が・・・厳密には今ブログ更新専用機と化しているHT1100やiPhoneなどもあるので、それぞれの機能がやたらとかぶっていてどうも無駄にリソースを抱えているような気がするんですよね。

思いきってバッサリ処分してしまうのが良いのかもしれませんが、なんだかもったいないとか思ってしまって、無理矢理使い道を考えてしまうような側面もあります。

ああ、そんな状態なのになんで買ってしまったんだ、MacBook。
(とはいえ、母艦的な機能が必要だったのは確かで、むしろ他のマシンの方が余計と言えば余計なのかもしれません。)

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2009年9月 9日 (水)

CSRをどう定義するか

CSRをどう捉え、どう定義するかというのは、調べればいくらでも出てくるものだと思うのですが、最後は自分自身がどう受け止めているかというのを自分の言葉で定義するしかないだろうと考えています。

もちろんそれは固定化されている必要はなく、その時々で変わっても良いものでしょう。むしろそうやって、正解を決めてしまうのではなく、常に考え続けていくことが必要な概念のような気がします。

・・・で、最近、というか昨日手帳(ほぼ日手帳)にメモをしたのがこのような捉え方です。

CSRは「社会に対する責任」
「株主に対する責任」「顧客に対する責任」「従業員に対する責任」といった従来のステークホルダーに対し、新たに台頭してきたのが「環境」や「社会」といったステークホルダー。
「社会」とは?企業活動により間接的に影響を受けるステークホルダーで、その影響範囲の考え方は「北京の蝶」に近い。

整理をしておくと、当初企業がその要請に応える「責任」を負っていたのは、オーナーであり株主だけだったはずです。それがやがて(商売上の要請から)顧客に対する責任を意識するようになり、労働闘争を経て従業員に対する責任を負うようになり、消費者問題などから消費者に対する責任なども自覚するようになっていきます。

このあたりの、ビジネス上直接的な責任範囲が拡大したのが20世紀とすれば、21世紀からはその範囲がさらに広がったということが言えるでしょう。

それが「環境」や「社会」といったものへの責任です。環境に関しては20世紀から言われていましたが、公害のような活動がまだ直接的に影響する問題と、気候変動のような「共有地の悲劇」的な要素が大きい問題とでは、若干性格が異なります。

「消費者」と「社会」もそういった意味では違っていて、時として消費者は自らが社会であるかのような立場に身を置くことがありますが、本来は消費者も「社会」に対して責任を持つ立場のはずです。

閑話休題。こうした「間接的なステークホルダー」に対して責任を負うというのがCSRの考え方で、拡大してSRということが言われるのも、企業に限らずそうした考え方がベースにあるからではないかと思います。

ですから、拡大しようと思えば「北京の蝶のはばたきがニューヨークで嵐を起こす」のような結びつけ方も可能になります。
(もっともこの「北京の蝶」の解釈は間違いですが・・・一応承知の上で使っているのでご容赦願います。)

そういった意味では、これ以上の責任範囲の考え方は今後登場することはないかも知れませんが、逆に広いだけにより細分化する動きが加速するかもしれません。ステークホルダーという対象範囲ではなく、テーマで区切るようになりつつあるのも、そういった流れの一つである可能性がありますね。

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2009年9月 8日 (火)

企業の社会貢献を3層構造で考える

企業による社会貢献をどのように組み立てるかを考えたときに、次のような3層構造を想像してみます。

土台となる第1層には、「事業としての社会貢献」。
いわゆる「事業を通じた社会貢献」という奴で、これは大抵の企業が自社の事業を構築する上で持っている考え方でしょう。

ただ、「社会に受け入れられているから」といった漠然としたものではなく、現在の社会の抱えている問題に対して、どのようにアプローチしていくか、という視点は必要な気がします。

食品製造という事業であれば、戦後の食糧が少なかった時代であれば、「安定して」「安価に」提供することが事業の社会的価値につながっていたでしょうが、現在も同じモデルというわけにはいきません。途上国への進出モデルとしては成り立っても、少なくとも日本社会に対しては違ったアプローチで、事業による社会貢献を考える必要があります。

この時に、「対価を得たら社会貢献ではない」といったことを考える必要はないのですが、それについての考察は別の機会にします。

第2層は、「企業としての社会貢献」。
言葉のイメージだけでは事業との違いを説明するのが難しいのですが、社会の一員として、「事業活動とは別に」考える社会貢献とでも考えれば良いでしょうか。

あまり企業毎の独自色は出ない領域なのですが、社会を構成する一員としてやる必要のあること、と考えればよいかもしれません。ようは地域社会での近所付き合いの一環のようなものです。

独自色は出ない、と言いましたが、「最低限求められることだけをやる」のと「プラスアルファで何かをやる」とでは、当然地域での評判は違ってきます。評判のためにやるものではありませんが、どうせやるならそういったところまで踏み込んだ方が良いという考え方もあります。自身ではそう思っていなくても、世間の期待が高くて、それに応えなければならない、ということもあるかもしれません。

何故そんな期待に応えなければいけないのか、と言っても、評判は自分ではなく周囲が作るものですから、どうしようもありません。それに期待されていることが事業活動などにおいて有利に働くこともあるはずです。

第3層は、「従業員による社会貢献」。
個人の問題、と突き放しても良いのですが、特に「家族的経営」を標榜する日本企業の場合、従業員は「家族の一員」ですから、そうした取り組みも当然求められてきます。どんなに「家柄」が立派でも、家族一人ひとりがそうした行動がとれなければ、「所詮は・・・」となってしまうでしょう。

難しいのは、どんなに家族的経営をうたっても、企業と従業員は家族ではないこと。おそらく従業員は企業が考えるほど「家柄」に縛られることはないでしょう。無理に押し付ければ、逆に反発を招く可能性もあります。

また、従業員が「企業の一員として」社会貢献を行っても、それは企業の活動の一部であって、個人の活動とは受け取られない可能性もあります。

何をやっても「やっぱり家柄が違うから」「違う!俺は俺だ!」というパターンですね。場合によっては個人をくさらせてしまう可能性もあるため、そのあたりの距離感が難しそうです。

・・・なんだか最後の方が良く分からなくなってしまいましたので、もう少し考えてみたいと思います。

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2009年9月 7日 (月)

本番直前にプロの演奏を聴く

先週は久しぶりにプロの楽団のコンサートに行ってきました。たまたま次の定期演奏会のメインと同じ曲をやっていたから、というのが大きな理由です。

普段あまり意識していないのですが、本番にむけて練習している曲を、演奏会で聴くというのは、演奏がプロであれアマであれ参考になることが多いです。楽譜がある程度頭に入っているため、自分がどのように弾くかを頭の中でシミュレートしながら聴くことができるからです。

演奏の仕方や解釈についても、「ここは同じ」とか「ここは違う」といったことが良く分かるので、「じゃあこのように弾いてみよう」といった気付きにもつながります。

今回聴いたのは日本フィルハーモニー交響楽団の演奏でショスタコーヴィチの交響曲第5番。指揮者はピエタリ・インキネンです。印象としては、少しさらっとした感じでしょうか。ハーモニーがきちんと整っているためか、曲が持っている「苦しさ」のようなものがあまり表に出てきていない気がしました。

まぁアマチュアの場合その「苦しさ」というのは、曲の表現ではなく、文字通りの「聞き苦しさ」だったりしますが(笑)

印象的だったのはベース音の厚みで、コントラバスが良く響いてくるので、全体のアンサンブルに安定感があります。最初は響きすぎかとも思いましたが、意外とあれぐらいの方が迫力があるのかもしれません。

ただ、今回は席がかなり前の方で(たまたま予約時に空いていた)、ステージを見上げるような形になってしまい、結果としてチェロのトップが隠れてしまって見えませんでした。合図の出し方とか、そういった点を参考にすることはできなかったのが残念です。ステージ全体を俯瞰することもできなかったので、楽器の配置などが把握できなかったのも、もうちょっと席の選び方を気を付けていればなどと思いました。
(多くは自由席のアマチュアの演奏会と違い、指定席なので予約時に考えておく必要があります。)

いずれにしても毎月とは言わずとも、四半期に一度ぐらいは演奏会に出かけたいですね。

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2009年9月 4日 (金)

早く帰って何をするのか

自分の場合、基本的に残業はしない主義で、定時からせいぜい30分以内には会社を出るようにしているのですが、先日会社の人たちとの飲み会で「早く帰って何をしているのか、興味がある」と聞かれました。

かえすがえすもその時とっさに、

「早く帰ってすることがないから残業しているんですか?」

と聞き返せば良かったと思うのですが、まぁ実際には波風立てないためにも言わない方がよかったでしょう(笑)

ただ、あらためて考えると、こうした「何かすることがあるから(残業せずに)帰る」という考え方が残業を助長する面もあるのではないかと思うのです。

もちろんこれは「することがあっても帰れない」ぐらい仕事に追い詰められている場合はその限りではありませんが、例えば上司がそのように考えていることによって、部下が帰りにくくなるといったことはあるかもしれません。

有給を利用する場合も同様です。自社の場合、有給申請には「理由」欄があります。何で有給という権利を行使するのに理由を書かなければいけないんだと思いつつ、最近は「私用のため」としか書いてないのですが、その有給申請を却下する場合に、会社側が理由を用意する必要はありますが、少なくとも有給をとるのに理由は要らないのではないかと思うのです。
(もちろん、職場の人間関係を円滑にする上で理由は必要です。ここで問題にしているのは、有給を取得する制度に関する話です。)

理由を聞かれれば、理由がなければ駄目かと思うようになります。理由を聞かれなければ、理由がないことに抵抗を感じることもありません。

残業も同じです。残業をするのに理由は必要ですが、残業をしないのに理由なんて必要ありません。多くの場合、この関係は逆転していて、残業するのに理由は必要なく、残業しないのに理由が必要とされているような気がするのです。

ちなみに「仕事が終わらない」は残業の理由ではありません。その場合、仕事が終わらなかった理由が残業の理由であって、そうした理由を添付した残業申請書を「上司が」出すようにしなければ、こうした残業はなくならないでしょう。何で上司が出すかって、残業は業務命令であって、命令がなければ本来残業する「権利」も労働者にはないからです。


さて、「早く帰って何をしているのか」というと、そういえば最近は何もしていないような気がします。これは実はあまり良くないことで、残業しない理由が必要とは思いませんが、せっかくの時間を何に使っているのか自覚できないというのは、人生の時間の使い方としてもったいない。

もっとも、楽器の練習とか、細々とした日常のことはあって、「何もせずにぼーっとしている」ということはないんですけどね。

ちなみに今日はコンサートに行ってきます。

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2009年9月 3日 (木)

転勤族の地縁づくり

企業がCSRを意識する際に考えておかなければならないことに、従業員の社会参加というのがあります。

企業として社会に参加するのはもちろんですが、構成員である従業員にも個人としての社会参加を促していく必要がある。これは現在企業に偏りすぎている従業員のリソースをもう少し社会寄りのバランスにして、市民として行動してもらうためです。

ただ、そうやって地域参加を進めていこうとしたときに、転勤族や単身族というのは、地域社会との縁、つまり地縁を作りづらいという側面があります。必ずしも個人の側だけに問題があるわけではなく、地域のコミュニティの側にも、そうした人達を受け入れる素地がないようなケースもあるように思います。

そうやって地域社会との縁を作れないと、結局彼らはその分のリソースを会社につぎ込むようになる・・・意外とそうやって多くの「会社人間」は作られてきたのではないか。そんな気がします。

それでも、現代は会社の名前があれば商売をやっていくことができます。無理に個人として地域社会に溶け込む必要はないと言っても良いでしょう。そのあたりはより地縁が強固だった昔とは違います。

例えば近江商人の「三方よし」は、今は「企業の社会的責任」と結びつけられ、商道徳として語られることが多いように思います。
ですが、おそらくこうした考えが生まれた当時は、そもそもそうやって社会(地域コミュニティ)の一員として認められなければ、商売自体ままならなかったという要素があったのではないかと思うのです。

つまり、道徳としての心得ではなく、相手に警戒を解いてもらうための商売技術としての心得だったのではないかという気がするのです。

そうした厳しさは今ではないわけですが、一方で「そうしなければいけない」理由もなくなってしまったため、多くの転勤族や単身族は、地域社会に参画することなく、次の土地へ移っていってしまいます。これを繰り返すため、企業人として現役のうちは社会と縁がなく、退職して居が定まったらようやく社会に貢献というパターンにはまってしまうような気がするのです。

さて、転勤や単身を無くすのは難しいとして、ではどのように彼らに社会参加を促していくか。そのきっかけを作るということも、その地域に対して(少なくとも彼らよりは)足掛かりを持っている企業には求められているように思います。

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2009年9月 1日 (火)

なんというかもう9月ですよ

・・・という感じで、いつのまにか9月になってしまいました。今日からは学生も復帰し、朝のラッシュも一段と激しくなった気がします。(まぁ座っているんですが。)

終点まで行かずに乗り換えのために途中の駅で降りるんですが、ドア付近の人がなかなか出てくれません。出てしまうと「乗れなくなる」可能性があるからです。なんというか、押し退けて出るのも申し訳ない気もしますが、こちらも終点まで乗っている訳にはいかず、無理矢理降りたりします。
(乗り降りの激しい駅ではあるので、流れに乗れば良いと言えば良いのですが。)

それにしても9月ですか。会社は第4四半期に入りますよ(決算年度がちと他の会社と違うため)。今年の目標の進捗状況はといえば・・・大体は予定通りのはずですが、普段あまり意識していないので、一度見直さなければいけませんね。

ああ、何書いてんだか・・・ほとんど思考停止状態だよ。

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